第5話
翌日。俺は、ばっちりヘアスタイリングを決めて、大学の門をくぐった。頭の上に、帽子は、ない。
「おはよ! じゃあ、行きますか!!!」
「う、うん。」
やけにいい笑顔の中山さんとともに、一限目の授業の教室へと、入る。
一番後ろの席に着き、かばんの中からテキストとノートを取り出したところで。
「堂島くーん、ノート見せてー!」
―――またこいつ俺にたかる気だな!
―――新学期から真面目になるって言ってたのは誰だ!
―――いいかげん自分でやれよ!!!
―――たまにはオメーが見せろっての!!!
「あら―ん、良いお顔!!借りるね!」
「ちょ!!!」
いつも通りに、俺のノートは奪われ、お礼と称したほっぺチューという拷問がお見舞いされた。
二限目、教室移動の時にすれ違った、峰岸さんと、藤田さん。向こうの方から駆け寄ってくるのは、瀬戸君と陣内君。
「ねえねえ、あたしの新しい髪型ちょーイイでしょ!!!」
―――うへえ、座敷童そっくりだwww
―――安い美容院行ったのかなあ
―――長い方がかわいいと思うんだけど
「うん、かわいいね。」
「男だったら気合い入れて褒め倒さんかい!!はよ!誉め言葉、プリーズ!!!」
「き、切り口がシャープで、実に輪郭を際立たせ、幼さを呼び込む絶妙なデザインも相まって、今後の成長とともに伸びる髪はおそらく藤田女史の魅力を増幅すると!!!」
「なんかめちゃくちゃ愉快な感想述べてるな、ウケるんだけど!!!」
「ねーねー、じゃあさ、私も褒めてみてー!」
―――褒める?!どこを!!!
―――髪型はやけにへんてこだしフォルムも丸いし
―――ノリはいいけどわりと言いたいこと言うタイプで、ええとー!!!
「元気の良すぎる少々低めの声は実に落ち着き払ってはいるが、たまに驚きの感情がこぼれるとオクターブが脳天を直撃し……ええとー!!!」
「何そのあそび、僕も参加したい!ええとー、顔面に散らばる茶色いしみがまるでふりかけのようでたまに腹が減り……」
「お前マジふざけんな!!!!!」
いつも通りに大騒ぎが始まり、チャイムの音で解散となった。
昼飯時、学食で飯を食っている時。
「俺さあ、峰岸に告白しようと思うんだけど、どう思う?」
―――峰ちゃん、瀬戸君のこと好きって言ってたの聞いたぞ!
―――よかったなあ、こいつら両思いだ!
―――結婚式呼んでもらお!
「そうだねえ、うーん……良いと思うよ!峰ちゃーん!!!」
「ちょ!!い、今?!」
開いた席を探してうろついてる女子軍団の一人に声をかけた。こちらに駆け寄る、峰岸さん。
「なーにー?」
―――瀬戸君さ、峰ちゃんのこと好きなんだって!
―――瀬戸君のこと好きって言ってたよね?
―――付き合っちゃえよ!
「瀬戸君が今からデザート食べたいんだって、俺甘いもん食べないからさ、よかったら一緒に行ってあげて!」
「せ、瀬戸、あたし、モンブラン食べたいかも!」
「お、おう!!おごったらぁっ!!!」
「堂島君って……うん、何でもない」
「堂島っちは本当にこう、すげえわ、うん」
「帽子脱ぐと威力ハンパねえのな、知らんかったわ」
いつもとは違う感じで昼休みが終わったが、いつも以上にワクワク感がはじけていた。
三時間目、空き時間だったので、ヒマにしている奴らで集まって、バスケを楽しんでいた時。
「なんかさー、堂島っち、今日めっちゃいい顔してない?」
「そお?」
―――気が楽なんだよ
―――いい顔してるのかなあ?
―――これなら、俺、大丈夫かなあ?
「うん、マジ惚れ直した!付き合っちゃおっか!!!」
―――ちょ!!!
―――これ、マジなやつ?!
―――江本はいい奴だが、俺は友達として―!!!
「……うん、ごめん、なんか、本当に、ごめんなさい、調子に乗りました。」
「あ、あはは、うん、ダイジョーブ、ダイジョーブ」
―――大丈夫じゃないけど、大丈夫なフリー!!!
―――大切な、友達、友達ー!!!
「ねえ、江本君、何泣いてんの??」
「ちょ!!!」
「おーい、一人入ってー!!」
「ねえねえ、はちみつレモン食べる人ー!!!」
いつも通りに騒がしい奴と、落ち込んでる奴、慰めてる奴が混在して……微妙な空気が漂ってはいたが、顔を伏せる必要は、まったく感じなかった。
四時間目、ゼミの時間に、なった。席についた俺の前には、仁王立ちになって俺を見下ろす……中山さんの姿が。
「ほら見なさい!!!!!大丈夫だったでしょ?!」
「ホントすみませんでした、よーくわかりました、ごめんなさい、そしてありがとう」
―――気付かせてくれた中山さんには頭が上がらないな
―――頼りになるな
―――今後も弱音はかせてもらえないかな
「今後もばっちり面倒見てあげるから安心しなさい!!!」
「ありがとう!!!!」
俺は、心強い味方を得たのだった。
「堂島君!!これ!!直ったって!!……今月のバイト代、いらないんだったっけ?!」
―――わあ、覚えてるよ!!!
―――もう帽子いらないんだけどなあ
―――高かったらどうしよう
「はい……今月は、無しで、いいです……。」
「ふふ!!いいよ、いつもがんばって働いてくれてるから、私からプレゼントするね!!!」
俺は、奥さんから、念願の帽子を受け取った。
……古びた帽子なのに、奇麗にラッピングがしてある。
「ありがとうございます!!!!!!!」
大喜びで受け取って店を出た、俺。
……これは、このまま、しまっておこうかな?
帽子をクローゼットの棚にしまい込んで……早、五年。
あれから俺は一度も帽子をかぶることなく、自分の感情をさらけ出して生きてきた。
ずいぶん怒られて、ずいぶん慰められて、ずいぶん許されて、ずいぶん呆れられて、生きてきた。
仕方ないなあと笑われることは多々あったが、蔑んで笑われることは一度もなかった。
俺の周りには、実に良い人が溢れていたのだ。
気の置けない仲間たちとは、社会人になった今でも連絡を取り合い、たまに集まって学生時代と同じノリで騒いでいる。
二か月前には、瀬戸君の結婚式でおかしな出し物をやって、全員で恥をかいてきた。恥ってのは、一人じゃなくてみんなでかけば誇りになるんだって学んだんだ。
……いろいろ、学ばせてもらったさ。
本当に心を許せるやつ、許したらいけないやつ。気を使った返事を求めるやつに、本音を求めるやつ。帽子に縋った俺だからこそ見える表情とでもいうのかな、薄っぺらい人間というものに、鼻が利くようになった。
深入りしなくていい人間と距離を置くことを学んだ。自分の気持ちを捻じ曲げてまで、相手に気を使う必要はないのだと考えるようになったのだ。
帽子をかぶって、自分の思う事とは真逆の言葉を吐いたところで……綻びはすぐに広がって、やがて崩れ去ってしまうってね。
もう、二度とかぶることがないと思っていた、帽子。
もう、二度と被ることはないと、思っていたのだが。
俺は、今、久しぶりに……帽子を、かぶっている。
この帽子さえかぶっていれば、俺の思惑は……バレないと、踏んで。
駅前のベンチに座って、視線を落とし、頭の中で、何度も何度も、シミュレーションを重ね……。
「……ちょっと、何その帽子!めっちゃ見覚え、あるんだけど!!!」
ずいぶん棘のある声が聞こえてきたので顔を上げると、仁王立ちになって俺を見下ろす……世里の、姿が。
艶やかな黒髪が、風になびいて揺れている。ああ、ずいぶん長く伸びたな。髪の色がすっかり変わって、こんなにまっすぐ、長く伸びるほどに、年月を共に重ねてきたというのだな。……少しだけ、出会ったばかりの頃の、長い三つ編み姿を、思い出す。
「……やあ、今日も素敵な出で立ちだね、実にシャープで、洗練された都会のワーキングレディそのものって感じだ」
「……何が言いたいのよ。それ、被らないと言えないようなこと、私に言うつもりなの?!」
世里の顔に、怒りが乗っかっている。……そうだ、中山さんは、この帽子をかぶっていた俺が気に入らないと言っていた。あの頃は俺の事をおばけ呼ばわりして、今よりもかなり気が強くて……頼りに、なったんだよなあ。
ずいぶん弱音を吐かせてもらって、ずいぶん励ましてもらって、ずいぶん立ち直って……頼りないなりに、今、俺が自立できているのは、中山世里という人物がいてくれたからこそ、であって。
「今日は、どうしても、伝えなきゃいけない、事があって。」
―――スマートに、カッコよく!!
―――一生の記念になる瞬間!!!
―――失敗は許されない!
―――伝説になるようなロマンチックな演出を!
「なによ!!!!こんな帽子かぶんなきゃ言えないようなこと、あたし聞きたくない!!!!!!!!」
パシ―――――――ン!!!!!!!
ひゅう、ひゅるるる―――――ン!!!
俺の帽子が!!!
払い除けられて!!!!!!!
風に乗って……飛んでったアアアアアアア!!!
「ちょ!!!お、俺の帽子!!!」
―――あああ、ゆ、指輪出すタイミング!
―――帽子どっか行っちゃったじゃん!!!
―――昨日めちゃめちゃ練習したのに!!!
―――俺カッコ悪い!!!
―――考え抜いた決め台詞も飛んでった!!
―――めっちゃ怒ってるヤバイ!!!
―――全部台無し!!!
「……はへ?!」
―――もう駄目だ、ヘタレで頑張るしかない
―――決まらないなあ、情けない
―――でも真心だけは伝えたい
―――一生大切にするから
―――一生俺と一緒に過ごして欲しい
―――世里のいない人生なんて考えられない
俺は、懐から、指輪を取り出し。
真っ直ぐ、愛する人の目を見つめ。
「セ、世里っ!!!こここ、これ、そのー、け、結婚してくれさい!!!」
―――盛大に噛んだ!!!
―――断られたらどうしよう
―――変な顔してみてる
―――この前も怒られたばっかだ!
―――服が似合わないって思ったのがバレて泣かせたし
―――世里のお母さんが怖いのバレてるよね
―――仕事でミスしちゃったこともバレてるし
―――こんなヘタレじゃヤダって言いそう
―――お願い断らないで!!
―――同情して結婚してくれないかな
「もう!!!!なんで……小細工しようと、すぐいいカッコしようとするのよ!!!別れたいとかいうのかと思って、思っちゃって、泣きそうだったんだよ?!」
「ご、ごめん、そのぅ、お、お返事は……?」
―――泣きそう?
―――泣いてるじゃん!!
―――なんで泣いてる?
―――泣くほど情けない?!
「もうっ!!!知らない!!!」
そういって、豪快に泣き始めた、世里の顔には。
――うれしい!!!
――ずっと待ってた!!
――ちゃんと返事できてない、どうしよう
――恥ずかしい、人が見てる!
――うんっていうタイミング、タイミング逃した―!!!
なんだ、はっきりと……顔に、書いてあるぞ!!!
ああ、こういう事か、本音が顔のふりをしてくっついてるっていうのは。
俺はいつも、こんな感じで、みんなに見られていたという訳か。
なるほど、ねえ……。これは、確かに、こう、手を差し伸べたく、なるかも……。
泣いてる世里を泣き止んでもらうには……。
そうだ、昨日さんざん練習した、スマートなプロポーズの一連の流れ!!
きざなセリフは吹っ飛んだが、ダイヤの指輪はまだここにある!!
これをさりげなく世里の指にはめて、もう一度今度は嚙まないように決め台詞を!!!
世里の心に一生残るような、俺にしか言えない最高の言葉を!!
俺は、差し出した指輪ケースから小さい方の指輪を抜き取ると、世里の薬指に……、薬指に、あれ、なにこれ、入んないぞ。
「ちょっと!!痛い!痛いじゃないの!!!」
―――ヤバイ!!サイズ間違えた!!
―――なんで俺はこうもやらかすんだ
―――詰んだ……!!!
「ご、ごめん……(。>д<)」
―――一生に一度の、大イベントでやらかした!
―――なんで俺はいつも肝心なところで失敗するんだ
―――臨終の際まで笑われる黒歴史!あああああ!
「新しい指輪、買ってよね!!……そしたら、結婚、してあげる!!」
――仕方ないなあ
――ホント変わんない
――ずっとこんな感じなんだろうな
――私の旦那さんは!!!
世里の目には、涙ではなく、微笑みが浮かんでいる。
俺の右腕を取り、両手を絡ませ、見上げたその表情には、喜びがあふれているのがわかる。
プロポーズになんとか成功したらしい、俺は。
どこかに飛んで行った帽子のことなどすっかり忘れて……。
二人で並んで、ジュエリーショップに向かったのだった。