第3話
大学の後期授業が終わってしばらくだったある日、俺はいつものように帽子をかぶってバイトに出かけた。
バイト中は帽子がかぶれないから、思ったことはすべて顔に出ているわけだが……。勤続年数六年を超えた俺には、プロ意識が根付いている。淡々と作業をこなしながらスムーズな接客が出来さえすれば、コンビニってのは、あんまりお客さんが店員の顔を見ていないという事もあり、本音が顔に書いてあってもなんとかなるのだ。……なるように、なったというか。
「おつかれでしたー!」
「はーい、堂島君お疲れねー!!」
夜九時、勤務を終えた俺は、いつものようにバックヤードでユニフォームを脱いで、自分のロッカーから帽子を出し、頭に、乗せようと……。
べ、べりっ!!
「……へあっ?! う、ウソだろ……?!」
ぼ、帽子!!!帽子のッ!!!!!つばの部分が取れてしまった!!!
帽子って、こんなにいきなり壊れるものなのか?!どうにか、直せないか?直す?!ちょっと待て、壊れたらもう効果なくなっちゃうやつじゃ?!あの店、またやってるかな、見つけないとやばい、今度はもっとぼったくられるに違いない―――!!!
壊れた帽子を片手に一人でおろおろする俺に、日報を書き終わった店長の奥さんが声をかけた。
「あれ、まだ帰ってなかったの? ……なんか久々にテンパってるけど、なんかあった?」
「お、奥さん!!どうしよう、これ、これ!!」
バイト初日から現在に至るまで世話になりっぱなしの奥さんには、ばっちり俺の暗黒時代を知られている。だからこそ、こんなにも慌てる姿を安心して見せることができるというか!!!困ったことがあれば、すぐに頼れる人であるというか!!心の中が全バレしてても嫌悪感の沸かない、貴重な人物の一人であるというか!!!
「……ああ、これは布が劣化して裂けてるから直らないね、だってほら、針刺しても…つばの方も本体の方もどんどんボロボロになってるでしょ? これ、何年ものなの、ずいぶん使い込んだねえ」
ソーイングセットを片手に、俺の帽子を見てくれていた奥さんが、無情な一言を告げた。もう、絶望感しかない。
「そんな!!!俺、これないと困るんだよ、マジヤバイ、詰んだ!!!」
「なに、そんなこの世の終わりみたいな顔して!!!この帽子がどうしたっていうの、聞いてあげるから話しなさい!!!」
「うう、じ、実は……」
俺はババアとの出会いから、帽子着用に明け暮れた大学生活のあれこれを包み隠さず暴露した。
信じてもらえないかもしれない、だが、誰かにこの大事件を知ってもらいたい、どうにか助けてもらいたい、そういう気持ちの方が勝ってしまったのだ。
つくづく俺ってやつは……自分一人で解決のできない、とんだヘタレだよ……。
「にわかには信じられない話だけど、あなたの顔がねえ、どう見てもウソを言っているように見えないのよね。大学に入って落ち着いたなあって思ってたけど、そんなことがねえ……。言われてみれば、勤務中は普通におろおろしてたもんねえ……。なるほどねえ、不思議なこともあるのねえとしか。」
「お、俺、どうしたらいい?!こんなんじゃ大学いけないよ!!!また全部バレる生活に逆戻りだ!!!せっかくの人間関係が……全部、全部パアだ!!!」
頭を抱える、俺。
「うーん、知り合いに帽子屋さんがいるから、一回出して相談してみようか?」
「お願いします!!!うまく行ったら、今月のバイト代無しでも……イイ!!!」
「ちょっと、そこまで?!……心配し過ぎだと思うけどなあ。もっと、友達信用してあげなさいよ」
呆れる奥さんに帽子を託し、バイト先のコンビニから出ると、運悪く地元の同級生と鉢合わせてしまった。……クソっ、こんな時に!!!
「お!!つよぽん、バイト帰り?」
「あ、ああ、うん……。」
―――帽子がないから彼女のこと聞かれたらごまかしきれない
―――この前立て替えたたばこ代返してもらってないぞ
―――さっさとどっかに行ってくれよ
「なに、なんかあったの……あ、これこないだのたばこ代ね、釣りはいらねーぜ!!!」
……ああ、帽子がないとやっぱり全部バレバレだ。
「はは、何でもないよ、コーちゃん、元気だった?俺も元気でさ!!たばこ代、いつでもよかったのにええとー!」
「またー!すぐにエエカッコシイする!!!なになに、俺時間あるから愚痴くらい聞くよ、幼馴染に全部げろりなさい!!!」
―――またバカにされる!
―――また笑われる!!!
―――また呆れられる!!
「……嫌ならいいけどさ、なんかあったら連絡くらい、しろよ?!わかったな!!!」
「う、うん。」
手を振るコーちゃんを見送った後、久しぶりに頭全体で風の心地よさを感じつつ、家に帰った。
春休み中、あの裏通りに何度も足を運んだけれど。
一度も、ババアに会うことはできなかった。
修理してもらえる事にはなったものの、帽子は、結局、間に合わなかった。無情にも、新年度が始まってしまったのである。帽子が戻ってくるまで、あと3日ほどかかるらしい。とりあえず仮病を使って凌ごうと思ったが、今日は履修届を出さなければならないので、欠席することはできない。
……覚悟を決めて、大学にやってきた。
今日を乗り切れば、また帽子が返ってくる!!!そうすれば、またごく普通の毎日が送れるようになるはずなんだ!!!なるべく目立たないよう、端っこの方で小さくなって乗り切ろう、誰にも会いませんように……!!!
意を決して、大学の門を、くぐる。
「あれ!!!どうしたの、頭がかっこいいじゃん!!!」
「わあ、ずいぶんイメージ違う!!!」
「え、そんな頭してたんだ!!!」
「わあ、いい香り、どこのワックス?俺もお揃いの買いたい!!!」
「だからBLは堂々と誇るなと!!もっと隠れて派手にやれ!!」
―――みんなみるなし!
―――ヘアセットへんかな?
―――ワックス半分分けてやるか
―――腐女子乙
「あ、あはは、ちょ、ちょっとねー……、うん」
俺を見つけた同級生たちが、一斉に俺に群がって―――!!!
「あれ、なんか今日の堂島君、かわいくない?」
「なに、この……うん、カッコいいから」
「なーなー、今日昼飯一緒に食おうぜ!!」
「も~!!目の保養ぐらい許してよ!!!」
やはりバレている!!!
俺は下を向き、足元の、砂利を見つめた。クソ、すぐさまみんなどこかに行ってくれ、頼む!!!
「砂金でも落ちてんの?」
呆れたような声が聞こえてきたので視線を横にずらすと……ああ、俺の大嫌いな、ゼミの女子がいる。
―――声かけてんじゃねえよ
―――早くここから逃げ出さないといけないのに
―――俺を見るな!!!
「……悪いんだけど、京田先生が呼んでるから、行くよ!早く!!!」
「え、ちょ、ちょっと!!!」
俺の手を恥ずかしげもなくつかんで、ぐいぐいと引っ張っていく、女子!!!
「あ!!中山が新学期イケメン連れ去ったー!」
「あらやだ大胆!」
「うおお!!俺の堂島っち!!」
「BLの山場キター!」
―――何すんだよ!!!
―――みっともないな、俺
―――意外と小さい手だな
顔を見ることすらせず、ずんずん進んでいく女子は……俺の気持ちなんざ知ったこっちゃねえんだろうなあ、知りたくもねえんだろうなあ、そんなことを、思った。
「ゼミ代表者を決めないといけないんだ。誰か、推薦はあるかね?」
「堂島君が良いと思います。友達も多くて飲み屋の場所もよく知ってるし、打ち上げとか盛り上げてくれそうだし!!!」
「賛成、いつも完璧な発表してたし、ほかの発表者のレポートもいつもじっくり目を通してます!!」
「熱意が違いますよ、別の授業とは態度が違う。やる気のある人が勤めるべきです、大賛成!!!」
「賛成賛成!!!」
「良いと思う人、手上げて!!!」
俺の帽子がかぶれないがための地道な努力が……おかしな方向に花開いているじゃないか!!!!!!!!
まずい、12人全員……いや、俺をここに引っ張ってきた女子を除いた10人が、手をあげているぞ!!!
―――やりたくねええええ!!!!
―――みんなやりたくないから俺に押し付けようとしてるんだな!
―――俺にできるわけがない!!!
―――完全にカン違いしている、俺にやる気はない!!!
「はは、僕そういうの向いてないんで。別の人にお願いします」
「そんな顔しても、皆の君に対する信頼度は変わらないと思うがね」
俺は、俺は今どんな顔をしている?!俺はこんな大役、帽子もかぶれない中で引き受ける気はないんだ!!!
「君ならできるよ、君にやってもらいたいんだよ?」
「もっと自信持ちなよ!!!」
「あの、具体的に代表者って何するんですか?」
「代表者ディスカッションに出るのと、卒業式で壇上に立ってもらうくらいだが」
―――絶対に無理だ!!!
―――コケる、つまづく、花びん倒す、やらかす予感しかしない!
―――仮病使って逃げようかな?
―――でも選んでくれたみんなの気持ちに応えないと!
―――先生に失礼な断り方はできないぞ
―――でも俺の努力が認められてることはうれしい
「すみません、実は虚弱体質なので、もしもの事があるとまずいので引き受けることが
「そんなに顔色の良いガタイの良い人が何言ってんだよ!!!」
「多少やらかしても大丈夫だから心配すんなよ!」
「逆にやらかして伝説になればいいんだよ!」
―――こ、断り切れない!!!
―――誰か、誰か助けてくれ!
「あの!!!!」
俯く俺の耳に、いけ好かない女子の声が聞こえてきた。
「一人に全部丸投げはひどいと思うので、私、副代表やってもいいですか?」
「ああ、それは良い案だね、じゃあ、二人の名前を書いて出しておくよ。頼むね!!!」
「え、ちょ……おっ、僕は、そのっ!!!!」
「はい、じゃあ次ね、履修届集めます、端の方から提出してくれる?あと年間計画表渡すんで……。」
教授は次の議題に移ってしまった。俺がゼミ代表者をやる事は決定してしまったらしい……。しかも、サポート役に、気に入らない女子?!冗談じゃないぞ……!!!
あまりにも無謀だ、あまりにも理不尽だ、あまりにも強行採決が過ぎる。思わず俺は、深いため息をついて、表情を隠すことも忘れて、落ち込んでしまったわけだが……。