第2話
「堂島君、待った?ごめんね、お化粧がんばってたら、遅れちゃって!」
―――五分前集合知らないタイプとか
―――時間にルーズな奴は嫌いだ
―――べたべたと塗りたくったところでいつもと変わんないな
「ほんとだ、いつもより、かわいい……。ちょっと待ったけど、ずっと瑠香のこと考えていたから平気だよ、さ、行こ?」
彼女もできて、実に満たされた日々が続いていた。
……だが。
帽子がなければ何も言う事ができない。
例えば、帽子を脱がなければいけない、レジャー全般。
例えば、帽子を脱がなければいけない、美容院。
例えば、帽子を脱がなければいけない、冠婚葬祭。
大学三年、ゼミに入ったあたりから、暗雲が立ち込めるようになってきた。
ディスカッション中、帽子をかぶることができないので下を向くようになった。
少しでも表情が見えないようにするために、小細工をするようになったのだ。
「君、もっと上を向いて発表しなさい。あと、声が小さい、自分の意見なんだから胸を張って発表するように」
「すみません……」
自信の無いことを発表しては、すぐにバレてしまう。
疑問点のある部分は、すべてバレてしまう。
毎回完璧な発表ができるよう、努力を重ねた。突っ込まれないようとことん調べ上げて、疑問点になりそうなところはすべて資料を付けた。
誰かの発表の時は資料を読み込むふりをして……ひたすら顔を上げないように努めた。
「何か……一緒にいると、疲れちゃうの」
―――オメーがいちいち帽子脱げっていうせいだろうが!
―――家の中で帽子かぶっててもいいだろ?
―――ふざけんなよ、ちょっとくらいこっちの都合に合わせろや!!!
「そっか……幸せにできなくて、ごめん。今まで、ありがとう。」
彼女が俺のもとを去った。
帽子をかぶっている時の明るくて気の利く俺と、帽子をかぶっていない時の俯いてばかりいる無口な俺とのギャップに疲れてしまったらしい。
……俺だって努力はしたんだ。
「ねえ、この下着…かわいい?」
―――うわ、トドみたいだ
―――下着は白に決まっているだろう、ビッチかよ
―――ファッションショーなんかやりたくねえ、さっさと準備しろ
「とてもよく似合ってる、ピンク色が可憐で君にぴったりだ、素敵だよ」
「……なに、その言い方、その顔!!!あたし、帰る!!!」
……帽子なしで、お世辞を言ってみたけど、ダメだったのだ。
帽子がなければ、俺は気の利いたことの一つ言えない、ただの失礼極まりない男でしか、なかった。
帽子がなければ、とても付き合えない……彼女だった。
未練はないが……落ち込んでしまった。
帽子がなければ、俺は。
……どうしようもない奴なんだと、打ちのめされてしまったのだ。
「おい、お前別れたって本当か?!」
「あんなに仲良さそうだったのに!!」
「なんかね、るかっちが言うには、裏の顔がすごいんだって!」
「なに、お前裏の顔あんのwww」
―――噂好きの野次馬どもめ!!
―――自分のツラ見てモノ言えや、お前ら彼氏も彼女もいねーくせに!
―――別れた男の悪口言うとかサイテーだな、俺は何も言わないでやってるのに
―――俺もトド子のキモい性癖全部ばらしてやろうか!!!
「俺は瑠香と付き合えただけで幸せだよ、心から……彼女の幸せを祈ってる。傷ついてるんだ、あまり……いじらないで欲しいな」
「お、おう……。」
「じ、じゃあ、堂島失恋記念飲み会、やろっか!」
「飲んで忘れるべwww」
「人いっぱい集めてくるわ!!!」
盛大に行われた、俺の失恋パーティー。
「やっぱり振られたね。おばけ君。」
―――うぜえ女だ
―――勝手におかしなあだ名付けんな
―――オメーの意見なんざ求めてねーよ
―――誰だよこの女子呼んだやつ
「はは……厳しい事、言うなあ。俺、これでも傷ついてんだよ?」
俺に対して好意的な奴らがほとんどなのに、やけに突っかかってくる、相変わらず腹立たしい、女子。
俺に嫌味を言うためだけに、この飲み会に参加したというのか。
ふん、ご丁寧なことだ。
――なんか、堂島君って嘘くさい。人間味がなくて、キモイ――
俺がどれほど耳触りのよさそうなことを言っても、一切喜ばなかった、性根のひねくれている女子。
同じゼミを取っているのが、実に不愉快だ。こいつは俺のどうにもならない隠し切れない一面を知っている。ゼミの時間、俺が下を向いていた顔をあげると、いつだってこいつが俺の顔をじろじろと観察してやがる。たまに言い間違えて、しまったと思うと、いつだってこいつがにやりと笑って……!!!
……弱みを握られているとしか思えない。実に不愉快だ。
「傷ついてなんかないくせに。……キモっ!!!」
「ひどい……。」
「もー!!!中山!!!また堂島君いじって喜ぶ!!!」
「分別つかない子供じゃないんだから!!傷ついた人には優しくしてあげてー!」
「ホントお前ドエスだな。気になるなら優しい言葉くらいかければいいのに!」
「中山は天邪鬼なんだよ、好きな子ほどイジメたくなっちゃうの!」
「そうなの?!俺狙ってたのにー!!」
「私はドエスでも天邪鬼でもおばけ君の事好きでも何でもないし、出口!!お前の事は…どっちかと言えば気に入らない!!!去れ!!!」
「やだ!!俺は堂島の分まで、飲む!!!はーい、堂島キュン、僕のお酒でちゅよ―!!!」
「ちょ!!!口移しはやめて!!!」
「ギャー!!!リアルBLごちですー!!!」
「仲いいなあ、おい!!!」
「あはは、これじゃあ落ち込むヒマないね!!!」
信じられないくらい騒いで、テンションが上がりまくって。
次の日ヒドイ二日酔いになったけれども。
俺は失恋という奴を、一晩で忘れることが、出来た。
だが。
帽子がなくては何もできないという、最大の悩みは……忘れることが、出来なかった。
それどころか、どんどん自分の中で、大きな、大きな悩みとなっていった。
帽子をかぶってさえいれば、俺の悩みは一ミリも漏れ出すことは、なかった。
しかし、どうにも上がらないテンションのせいで、周りがやけに騒ぐようになってきた。
「なんか最近元気ないね。また飲みに行く?」
「悩みあるなら聞くし!!遠慮すんな?親友だろ、俺たち!!」
「あたしも聞くよ、さあ、この胸でお泣きなさい!!」
「ママ―!僕ちん最近堂島っちにハグしてもらえないんだよー!」
―――心配されるのはうれしい
―――テンション上げていかないと怪しまれる
―――もっと笑えることを言わないと
―――帽子の事がバレたらどうしよう
―――俺はなんで汗ばんだマッチョを抱きしめないといけないんだ
「はは、抱きしめればいいの?はいどーぞ!ぎゅー!」
「はうー♡」
「ギャー!!ゴリマッチョ受けの薄い本、薄い本!!!」
「ちょ、写真撮んな!!!」
「仲いいなお前ら……」
騒がしさに乗じて、無理やりテンションをあげる日々が続く。
騒がしさは、寂しさとは無縁だったが、心がどんどん、疲れていく。
たくさんの友人たちと、騒げば騒ぐほどに、自分の孤独を感じるようになった。
今、こんなに仲良くしていても、俺の本心を知ってしまえば。
今、こんなに楽しい時間を過ごせていても、俺の本音が漏れてしまえば。
……どうせ。
時折、一人ぼっちになりたいと考えるようになった。
どうせ本音がバレて嫌われるくらいなら、俺の本性がイキリヘタレとバレて馬鹿にされて笑われるくらいなら。
――俺が同じ班で悪かったな!!
――あたしのこと見たら先生に言うからね!!
――やーい!つよぽんミユキのこと好きでやんの!
――ねえ、そんなに私のチョコ、まずそう?
――堂島トップなんだって!ガリベン乙!!
――勉強したところで敵わないんだからあきらメロン
――どうせ俺はオンチだよ?!
――オメーのせいで俺がいじめ首謀者扱いされてんだけど?
――なんで堂島君ばかり贔屓されてるのさ
――おーい、みんなでつよぽんちいってゲームしようぜ!!
――ああ、君僕の大学行きたかったの?残念だったね
身を引いて、ぼっちになればいいんじゃないのか。
この騒がしい集団から逃げ出して、孤独に学生生活を終えればいいんじゃないのか。
時折腹の立つこともあるが、俺は今仲良くしている奴らが……嫌いでは、ない。むしろ、とても好ましく思って、いる。……一人を除いて。
とても、全ての縁を切って孤立する気には……なれなかった。
頭の中で、悪い思考と弱気な心、困り果てている気持ちと、手放したくない気持ち……いろんなものがグルングルンと渦を巻き、すっきりしないまま、時間だけが過ぎていった。