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5-2

 やがて東の空からゆっくりと茜色が帯びてくると、春祭りは大盛況のうちに終わりを迎えた。片付けは後日ということで、ほろ酔い気分のまま、みなが家路に付く。

「芳二さん、今日は楽しかったですね」

 持ち出した大皿や鍋を手分けして持ち帰りながら、陽史は隣の芳二に笑いかける。

「ふん。女房と行ってた頃はもっと楽しかったがな」

 返ってくるのは、もちろん偏屈だ。でも、それが今は心地いい。

「もう。相変わらず素直じゃないですね。それでこそ芳二さんですけど」

「なかなか言うじゃないか。まだ会って二回目だっていうのに」

「回数なんか関係ありませんよ。わかるものもあるんです」

「ふん」

 この通り、少しなら言い返せるくらいになった。大勢の人と同じ皿のメシを食ったからだろうか、この前のときより、ぐっと芳二との距離が縮まったように思う。

「……ありがとうな。お前を紹介してくれた秋成にも、そう伝えといてくれ」

「……」

 するとふと、芳二の口からぽつりと声が落とされた。まさに突拍子もないそれは、ぶっきらぼうな小さな声。けれど確かに自分に向けられた感謝の言葉に、陽史は虚を突かれたようにその場に立ち尽くし、口を半開きにしてパチパチと目をしばたたく。

「バカ野郎が。帰ったら後始末だ、とっとと歩け」

「ははっ。はい!」

 けれど陽史には、その余韻に浸る暇さえなかった。すぐに飛んできた悪態に笑って返事をすると、おでんの残り汁が入った鍋を揺らしながら先を歩く芳二の隣に並ぶ。

 ――一時はどうなることかと思ったけど、春祭りに連れて行って本当によかった……。

「こんなわしに懐くのはお前くらいだぞ」とかなんとか、また悪態をつかれながら、今日の日やこれまでの一週間を振り返って、陽史は心の底からそう思う。

 これからも何もなくてもちょくちょく顔を出しに行こう。幸い陽史には時間だけならたっぷりある。途中で投げ出さずに短期だけどバイトもやり遂げたし、まだ春休み中だし、と思いを巡らしながら、その実、満足そうに微笑んでいる芳二を見て陽史も笑った。


 *


 後日。

「またお前か、陽史。飽きもせず、よくもまあ……」

「はい!」

 夕飯時を狙って呼び鈴を鳴らした陽史を玄関先で迎えて、芳二はまず一つ、呆れたという顔をした。しかし間髪入れずに返事をし、おまけにニッと笑えば、次はバカな孫を見るような目で微苦笑する。すでにここまで来られているのだ、どうにもしようがない。

「で? 今日は何の用だ?」

 ひとまず脇によけて陽史を中に招き入れながら、芳二が仕方なさそうに尋ねる。

「芳二さん、一緒に飲みましょう!」

「は?」

「実は祭りで豪遊しきれなくて、バイト代がちょっと余ってたんですよ。だから、芳二さんがこの間飲んでた日本酒を持ってきたんですけど、どうですか?」

「はあ……」

 陽史が和紙に包まれた一升瓶を持ち上げると、しかし芳二は深いため息をついた。

 ややして本当にバカなものを見るような目で陽史を見ると、

「お前、それは帰省するために使うもんだろうが」

「――はっ!」

「いつになったら帰れることやら。またバイトするしかなさそうだな?」

 ようやく思い至ったといった顔をする陽史を横目に、ニヤリと笑った。

「まあいい、入れ。これからちょうどメシだ。わざとこの時間を狙ったんだろうがな」

「はい……」

 面目丸潰れの陽史は、何がそんなにツボなのか、肩を揺らしてクックと笑う芳二に言い返す気力もないまま、ただ黙っておかしそうに揺れる背中に続くだけだ。

 でも、もっとよく使い道を考えればよかったとは、不思議と思わなかった。祭りで豪遊とはいっても、たかが知れている。余ったバイト代をどうしようと考えたとき、自然と芳二の顔が頭に浮かんだのだ。酒を持って行ったら喜んでくれるんじゃないか、と。

 あの美味いメシにまたありつきたいと思ったのも本当だ。けれど、もうこれからは《派遣メシ友》としてじゃなく、ただの〝メシ友〟として付き合いたいと思った気持ちのほうが断然大きかった。だったら手土産の一つや二つ、持参するのは礼儀だろう。……芳二に言われた通り、帰省するにはまたバイトをしなければならないけれど。

「なんでえ、誰かと思えば陽史じゃねえか」

「あれ? どうしてここに?」

 居間に入ると見知った顔が三つほどあり、陽史は一瞬、狐につままれたような気分だった。どの顔も芳二とそう歳の変わらない面々は、先日の祭りで知り合った人たちた。一足先に漬物で晩酌をしているようだが、今日は祭りの打ち上げか何かだろうか?

 と思いきや、

「どうしてって、見りゃわかんだろうが。あれからどうにも懐かしくて、こうして幸枝さん印の料理を食いに来てんだよ。ウチのババアももう歳だからよ、あれこれ手間暇かけたもんは作りたがらねえのさ。腰が痛てえだの膝が痛てえだの、口だけは達者だがな」

「ウチもだぜ。俺だって所々ガタがきてるってのに」

「はは、まったくだ」

 だそうで、口達者な妻たちから逃げおおせるために、ここへ集まっていたようだった。

「何言ってやがる。いねえとなれば寂しいくせに」

 するとそこに、台所から芳二が顔を出した。抱えた大皿を卓袱台の真ん中にドンと置くと、長年連れ添ったからこそ言える悪口を言い合う男連中に苦笑をこぼす。

 皿の中は赤尾の煮つけだった。陽史を居間に通したあと、すぐに台所に引っ込んでいたのだが、どうやらこれを盛り付けるためだったらしい。ドドンと豪快に盛られた赤い鱗の白身魚にしょう油やみりんなどの合わせ出汁がこれでもかと染み込んでいて、なんとも言えない色と食欲をそそるいい匂いが、瞬く間にそこら中に充満していく。

 次に追加された大皿には、これまたドドンと豚の角煮が乗っていた。今にもほろりと崩れそうなほどよく煮込まれたそれからも、よだれものの素晴らしい匂いがする。

「ほら、仕方ねえから陽史も食いな。その酒も出せ」

 本当に出たよだれをジュルリとすすれば、呆れた顔をした芳二が新しい取り皿と箸を陽史に押し付ける。抱えたままだった一升瓶と交換する形でいそいそと卓袱台を囲めば、ご年配たちに〝どれだけ食えるか〟と面白がってどんどん取り分けられるまま、赤尾の煮つけや豚の角煮や、その他ハイスピードで出てくる料理の数々を負けじと胃に収めた。

 そうしてその宴会は夜遅く、差し入れの一升瓶が空になるまで続いた。

 ――『芳二さんは、今の自分に満足してますか?』

 あのとき思わず口をついて出た質問の答えは、きっとこれだったに違いない。

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