とある少女の話
とある少女の話だ。
本来なら人が魔法を身に付けるのには一年以上の歳月がかかるとされている。
しかも魔力の流れを理解して魔法に転換する、という最初の魔法理解には子供時代の十年を費やす必要がある。
それが常の理だった。
たまに天才が現われて五歳の頃に魔法を扱える者もいる。
一つの魔法を一月で会得する者もいる。
だが、その少女は物心つく前から治癒魔法を扱えていたという。
歴代の『聖女』と呼ばれる面々を見ても、それは遥かに異端ともいえるものだった。
そんな少女の両親はアステア教の司祭をしていた。
決して少女の力を悪用しようとは思わず、むしろ治癒に金銭を払う余裕のないものに施しを与えていたほどだった。
当然ながら、良好な風評が流れた。
人々は彼女の両親を善人だと褒め称えた。
少女のことを、聖女と称えた。
――だが、ある日のことだった。
少女と両親を乗せた馬車が、人通りの少ない森で襲撃を受けた。
並み居る護衛の騎士達が簡単に倒されていく。
神聖共和国と、とある王国の国境付近でのことだった。
襲撃犯は――魔族。
数名だが遥かに強化された魔族は、あっさりと両親の命を奪い去った。
目の前で、産み、育ててくれた両親が引き裂かれて殺されていった。
魔族は言った。
「これで俺たちの言う通りになるな」
「ああ、もっと俺たちは強化される。数も増やせる」
当然、少女には彼らがなにを言っているのか理解できない。
ただ、眼前に転ぶ胴体と頭部がちぎられてバラバラになっている両親に治癒魔法をかけることが精一杯だった。
動転していたのだ。
もう死んでいることに気づいていない彼女ではなかったはず。
たとえ聖女と言われようとも命だけは巻き戻すことのできないものであることを知っているはず。
それはもしかすると目の前の魔族を見ないためにする手段だったのかもしれない。
心を抉るような恐怖心から逃避するためのものだったのかもしれない。
「こいつ、どうする?」
「まだ利用価値はあるって話だが、見ててキメぇから殺そうぜ」
ビクリっと身震いした。
殺される。
死にたくない。
でも逃げられない。
戦う術がない。
少女は治癒魔法しか使えない。
戦闘系は皆無であった。
死ぬ。
……死ぬ。
覚悟を決めようとしても決まらない。
やはり誰だって死ぬのは怖い。いやだ。いやだ。いやだ。――――アステア様。
ふと、少女が両親が祈り、自身も祈っていた存在に、改めて祈りを捧げた。
両親が渡してくれた女神アステアを模ったペンダントを両手で握って祈った。
魔力が吸われた。
――アステア様
――――アステア様……!
何度も祈る。
何度も魔力が吸われる。
目を瞑って何度も、何度も。
「んあ? こいつ祈ったか?」
「ああ、ありゃアステアのペンダントだな。本物だ」
「なるほどな。んでも、そんなもんで――くぱ……?」
目を瞑っていたソリアの耳に、魔族の一人が奇怪な言葉を漏らしたのが届く。
どさり、と重量あるものが空中から地面に落ちた音も届いた。
「な、なんだてめぇは!」
「クゼーラ王国騎士団の――ジードってもんだ」
どさり
またなにかが落ちた。
少女が振り返った。
クゼーラ王国騎士団。それは少女が今いる場所と近い国名の騎士団だった。
「じ……ジード?」
少女は倒れた魔族を見て、そして立っている人族を見た。そして名乗った名前を呼んだ。
見知った顔ではない。初めて見る。
黒髪黒目で、目元が隈で疲れ切っている長身痩躯。
色合いは全く地味で影のようなのに、少女はそのジードと名乗った男から溢れ出んばかりの光を感じた。
眩しいばかりの燦燦と輝く太陽のような面影を重ねた。
どこか優し気のある瞳と目が合い、思わず涙が零れ落ちた。
「無事そうだな。……他はむりか」
「う、うぅ……!」
少女は安堵に胸をなでおろした。
だが、同時に死んでいった家族、護衛の騎士達に涙を流した。
恐怖心の虚脱感に歯を震わせた。
様々な感情の濁流が男の大きな図体に身を任せて涙となって流れ落ちていった。
「遅れて悪かった。この仕事の前に別の仕事があったんだ」
ジードは仕事と言った。
だが、少女からしてみれば、それは『希望』だった。『救い』だった。
抱きとめてくれるジードの温かさに気が緩んだ。
「うぁぁぁぁぁわあああん!」
少女の鳴き声が森中に響いた。
その後、無事に神聖共和国にまで届けられた少女は、ジードという男の背を追って『希望』を与えられる者を目指して活動した。
なぜ両親が狙われたのか、調べてもわからなかった。
だからこそ、両親の分も含めてひたすら活動した。
時に疫病が流行った街を丸ごと浄化した。
時に紛争が絶えまなく起こっている地域にまで赴き、戦争を止めたこともあった。
そして時に、一人の少女を救うために自らの足で三日三晩走り続けたこともあった。
少女はいつしか光のように輝く存在と言われれ、こう呼ばれるようになった。
――光星の聖女
と。
少女は今もジードの背を追っている。