とある貴族と豪商と、娘の話。
とある貴族の屋敷。
父と娘が席を向かい合わせながら話していた。
「これが今回の婚約相手だよ、ウィラ」
そう言って父親のアイディが一枚の絵を渡す。
受け取ったのは金髪で見目麗しい十代も中頃の少女だった。
「どうだい、かっこいいお方だろう」
絵に描かれているのは凛々しい顔つきのダンディな大人だった。
しかし、少女の顔はあまり嬉しそうではなかった。
「……これが」
というのも、今の時代にマジックアイテムによる画像を渡さずに絵で想像してくれ……というのは、絵よりもさらに十倍はよろしい顔ではないからだ。
しかし、だからと言って断るわけにはいかない。
ウィラも貴族の娘だからだ。
「うむうむ。この方は父さんと古くからの付き合いでね。クゼーラ王国が傾いた時も父さんに資金を援助してくれたのだ。おかげで今も文官の地位にいる。他の連中とは違ってね」
ぬくぬく顔でアイディが言う。
そう。これは政略結婚というやつだ。貴族の娘にとっては一大イベントであり、必須イベントなのだ。
たとえ相手の顔がどうであろうとも断るわけにはいかない。
ウィラも覚悟は決めていた。
「ええ、とても聡明そうなお方ですわ」
「おお! 気に入ってくれたか。それはなによりだ。早速なのだけどね、明日にでも会ってみないか。その人は今クゼーラ王国に泊まっていてすぐにでも会えるんだよ」
「あ、明日ですか? 構いませんけど……」
ウィラは行動の速い父と相手に驚きを覚えた。
まるで自分の気が変わらないうちに会おうとさせているみたいだ。
「さすがウィラだ。よくできた娘だ。それじゃあ明日会おう!」
アイディが満足そうに立ち上がる。
そうして翌日となる。
屋敷前には豪勢な馬車と護衛の屈強な男たちが集まっていた。
そして一番最後に馬車から降りたのは――でっぷりと肥え太った生え際が頭部の頂点くらいまで後退した豚――人だった。
服のサイズが合っていないのか脂汗を流している体毛の濃い腹がへそから見えている。
「おお、初めましてウィラ嬢! いやいやいや、写真でも綺麗でしたが、実物はもっと麗しいですなぁ!」
ニコニコ顔で豪商が握手を迫る。ウィラが返すと両手でがっしり掴み、全身を舐め回すように見た。
ウィラの腕には鳥肌が立っていた。
(予想はしていたけどこれは……)
十倍はぶさいく?
いいや。これでは百倍でも物足りない。
しかし我慢だ。貴族の娘なのだから我慢しなければいけない。
そうして屋敷に迎え入れて談笑が始まる。
「いやぁ、それでね。私は言ってやったのです! 金貨百枚で足りないなら千枚用意してやる! っと。そしたら腰を抜かして『ごめんなさい~!』ですよ。はははは!」
「ははは! それはさすがですなぁユポーボッポ殿!」
ほとんどアイディと豪商のユポーボッポの雑談だった。
父の傍らに座るウィラは愛想笑いを浮かべるのが仕事だ。それは本人も自覚している。
「お茶をお持ちしまし――きゃっ!」
メイドがお茶を持ってきた。
しかし、そのメイドが転倒する。そしてお茶がユポーボッポの膝にかかる。
「き、貴様ぁ!」
ユポーボッポがメイドを足蹴にする。
それも容赦なく。
「ユ、ユポーボッポ様……!」
思わずウィラが声をかける。
それは見てしまったからだ。メイドの足に、わざとユポーボッポが足をかけた。
わざと転倒させたのだ。
なぜ転倒させたのか分からないが、とにかく止めに入ろうとした。しかし、それを見たユポーボッポが大仰に笑みを浮かべる。
「おお! 拭いてくださるのですか? ウィラ嬢に拭いていただけるのであれば光栄ですなぁ」
「えっ? で、でも」
「ウィラ。夫となる方だ。身を案ずるなんてすばらしい」
アイディも後押しをする。
仕方なく、顔が歪むのをなんとか抑えながら布を手にとってユポーボッポの足を拭く。
屈辱的な姿勢だった。
ふと、ウィラが理解する。
(このためにメイドを……?)
ただこの図を見たいがために、メイドを転がしたのか、と。
でなければ、わざわざ自分に拭かせる理由がない。
ただ衣服を着替えれば良いだけなのだ。
だが、なんとか堪えながら受け入れた。メイドの申し訳なさそうな顔に笑みを振るいながら。
「ふぐふ。もういいよ、ウィラ嬢。あとはお父上とお話があるのでもう大丈夫ですよ」
もうじっくり堪能できた。
と、ばかりにユポーボッポが言った。
ウィラが「……はい」と、なんとか堪えながらその場を引いた。