プロポーズ
クエナと俺は忙しい。
どちらも働いているから、時間の都合がなかなかつかない。
特に今は被害の波及を防ぐために分散して活動しているので、パーティーとしての活動も少ない。
今日はそんな俺達がなんとかして作った休日を共に過ごしている。
高い山にある温泉旅館。
一泊三組しか客を取らず、その代わり料金は凄まじく高い。ずっと前から予約して、ようやく取れた。
「落ち着かないわねー……」
クエナが椅子に座りながら手足を小刻みに動かしている。
「まだ依頼残ってたもんな。あまり休みたくなかったか?」
「なんで私が働きたい前提なの」
嘆息交じりの声音でクエナが言う。
そうだよな。休日なんだから働いたらダメだよな。身体を休めないといけないもんな。つい思考回路が労働に向いてしまう。
「じゃあ、どうして落ち着かないんだ?」
「壁に守られてない場所なんて物騒じゃないの……。大丈夫よね? 魔物とか探知魔法にかからない?」
人間には人間の、魔物には魔物の生存圏がある。
その区切りのひとつが壁だ。
この温泉旅館にも念のためと壁が設置されているが、大きくも厚くもない。そもそも都市の壁とは規模が違う。ここはあくまでも民間の温泉旅館なのだから当然だ。
もちろん、その程度の安全対策には理由がある。
「探知魔法にはかからないよ。この山の魔物は全て狩りつくされたらしいからね」
「それは旅館の人から聞いたわよ。すごい昔に修行してたやつのおかげですってね。元々この山にいた魔物は人の肉の味を覚えてしまったから危険で、一掃するしかなかったって話でしょ」
「ああ、しかも感覚が研ぎ澄まされている強い魔物ほど、血が染み込んだこの山には近づいて来ない」
「感覚が研ぎ澄まされてるねぇ……私はなにもわからないけど、あんたは大丈夫なの?」
「うーん。まあちょっとだけ感じるかな。でも鍛え方が違うから平気だよ」
「魔物と同じ感覚なのね……」
クエナが脱力したように肩を落とす。
「それに旅館の人は高ランク冒険者だった人だから、安心だよ」
クエナは「それでもねー……」と呟いている。
やはり住み慣れた環境から離れるのはよくなかっただろうか。
彼女にしてみれば壁の内側で眠ることは自然のはずなのだ。
「不安なら寝る時は転移で戻れるよ?」
「なに言ってんの。せっかくなんだから、このままでいいわよ。それにジードや私を危険にさせる魔物なんて大陸探しても中々いないだろうし」
言いながらクエナが窓辺に移動して続ける。
「それに、この景色は噂どおり」
部屋の窓から見える景色は感動的だ。
右半分は都市の光で彩られた夜景があり、左半分は圧倒されるような広さの青々とした草原がある。
どちらも高い山から見下ろしているためか、小さくも膨大な一円が垣間見える。
部屋の逆に移れば荘厳な山脈があり、朝になると霞がかって雄大で幻想的な景色になるそうな。
たしかに噂に聞いたとおりだ。すごい。
「また見に来たいな。今度は連泊したい」
「ここの女将さん、あんたの大ファンだって聞いたわよ。帝王様お墨付きの旅館とも名乗れるわけだし。予約すればいけるんじゃない?」
どこか投げやりな問いかけだった。
意図する理由はわかっている。
「じゃあ今度はひとりで予約して来ようかな――ごふっ」
「調子に乗るな」
クエナの重たい拳が喉元に刺さる。
「下手をすれば死ぬレベルだぞ。てか、俺じゃなかったら死んでたぞっ」
「ただでさえ女難がすごいんだから、故意で浮気性になったらマジで許さない」
目の奥が烈火のように燃えている。
クエナの胸元に掲げている拳から蒸気が出ていた。
「うん、ごめん。冗談でも言いませんです」
「よろしい」
クエナから寛大な慈悲をもらい、改めて絶景を眺める。
歩いても転移しても届く距離なのに、どこか幻想郷のような景色だ。
心に爽やかな静けさが訪れる。
この一瞬は俗世の不安や緊張から解放される。
これが休むってことなんだろう。
それはきっと、隣に安心できる人がいるからだ。
クエナも同じ景色を眺めている。
気持ちも同じであれば、どれほどいいだろうか。
「本当にまた来たいね。今度は落ち着いてから何度も連泊したい」
「連泊ね。何か月何年前から予約しないといけないことやら」
「旅館の前に、まず先に大事な予約しないといけない」
「大事な予約?」
「クエナだよ」
「はあっ……!?」
「クエナと来たいんだ」
ふざけていると思われたくないので、じっとクエナの目を捉える。クエナの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
クエナの拳が勢いよく胸元に飛んでくる――が、痛みはなかった。
「……別に予約とか。いつでも呼んでくれれば……行くし」
柔らかい衝撃が胸に走る。
それはクエナの拳が届いたのか、あるいは俺の感情が揺れたのか。
今しかないと思った。
「クエナ」
「なによ?」
膝をついて、クエナの前で箱を開ける。
そこから指輪を取り出す。
「ずっと一緒にいたい。結婚してくれ」
「んぇっ!?」
「どう……かな?」
やっぱり不安だった。
断られたらどうしようとか、そんなことを考えてしまう。
答えはひとつだと信じていても心配になる。
「も、もちろん…………イェス……だけど」
クエナの瞳が潤む。
ぐっと身体が強張る。
なんだ、これ。
すごい嬉しい。
嬉しいのに言葉が出ない。
『やった!』とか、頭の中では叫んでいるのに。
どうしたらいいんだ、これ。
クエナがチラリとこちらを見る。
「つ、付けてくれないの?」
気がつけば手が差し出されていた。
薬指が他の指と間隔をあけて強調されている。
「うんっ! 付ける!」
自分でもハイテンションだと思う。
それくらい口から飛び出るような返事だった。
声が大きくなって仕方ない。
クエナのすらりとした指に大きなダイヤが三つも装飾された指輪を通す。
「ふふっ」
クエナが笑み、指輪を眺める。
それから表情を暗めた。
「――ちょっと」
「な、なに?」
舞い上がっている俺に、冷たい声になったクエナが言う。
思わず動揺してしまう。
「これあんたの趣味じゃないでしょ。私に合わせたものでもない。ルイナが選んだわね?」
見事な看破だった。
さすがにクエナは俺のこともルイナのこともよく知っている。
「わ、罠は仕掛けられてないと思うぞ?」
「そうじゃない。ちょっと複雑よ。最低でもあんたに選んで欲しかった」
「……あー」
そういうものなのだろうか。
いや、そうだよな。
だって、これからクエナが一生付けていくかもしれないのに、それが俺でもクエナでもなく、他の人が選んだものなのだから。
たとえ、それがルイナでも……というか、クエナだからこそ、ルイナに選ばれたものはイヤなのかもしれない。
ミスってしまったな。
「ま、いいわよ」
「いや、よくない。一緒に選ぼう」
「それはそれでルイナが怖くない?」
「俺の心配ならいいよ。大事なのはクエナだ」
ルイナを軽んじるわけじゃない。
ただ、この件に関してはクエナが優先だ。
「うーん……」
クエナが頬杖をついて悩む。
色々と思うところがあるのだろう。
でも後悔や反省はイヤだ。
それらが残ったとしても快なるものがいい。
「二種類持ってもいいと思う。別のものも買おう」
「……そりゃありがたいけど、あんたどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「このままいくと、あんたの薬指が指輪だらけになるわよ」
既に二つの指輪を嵌めることが確定している。
一つはルイナと対のもの、もう一つはクエナと対のものだ。
これからのことをイメージしてみて……あれ、間接が曲がらない。
「か、考えたこともなかった。たしかにそれは困るかも」
「ぷっ……ま、今はいいか。あんたは私のために尽くしてくれるもんね?」
「あ、ああっ。任せておけ」
プロポーズをする前から覚悟はしている。
指輪がどうした。
薬指が曲がらなくとも空気を吸うことはできる。
ごはんだって食べられる。
不意にクエナが俺の手を握った。
それから息が届き合う距離まで近づく。
「その代わり、私も尽くす。それが結婚だもの。シーラにはネックレスでも推しておく」
「クエナ……」
「幸せにしてね」
「うん」
唇が触れ合――いそうになって、部屋の扉が開かれる。
え、なに?
立っていたのは紫色の髪の美しい幼女だった。
「懐かしいのぅ。この森で修業した青い日々がわらわにもあったのじゃよ」
リフは窓を見て、そんなことを呟いた。
クエナが驚きに目を丸くする。
「なっ……ど、どこから来たのよ!」
「そりゃ、わらわも予約しておったのじゃよ。他の客を確認せなんだか?」
「ほ、他の客……?」
クエナが呆然と尋ねると、廊下からドタドタと足音が聞こえる。
人の気配がある。リフを除いて三人いる。
「ユイー! お風呂入るよー! ルイナもー!」
廊下から声が聞こえる。
どうやら他の三組の素性も割れたようだ。
「どちらにせよ、わらわはジードから魔力を供給してもらわねばいかんしのう」
「あんたの女難どうにかならないものかしらね」
眩暈でもするのか、クエナが頭を抱える。
「かっかっか! 第一人者のおぬしがそれを言うか!」




