シーラ視点1
「シーラ」
私を呼ぶ声がして、振り返る。
烈火の髪を持つ麗しい女性が大局を見つめている。
「どうしたの? クエナ」
「精霊が消えた気がしない?」
「うん、もう大丈夫な気がする! 直感だけど!」
「あんたが言うなら大丈夫ね」
クエナに褒められて思わず口から「えへへ」と緩んだ声が出る。戦場だから油断は大敵だけど、周囲にはクエナの他にもユイがいる。
今はウェイラ帝国の首都の奪還作戦中だ。
特に精霊の侵攻がひどかったけど、今では城壁から内側に気配はない。こうして現在位置の王城の一角まで占領できた。
「ん」
ユイが喉を鳴らす。
どうやら彼女も感じ取ったみたいだ。
私とユイが同時に走る。
「ちょ、ちょっと、どうしたのよ!」
クエナも慌てながら私たちの後ろに付いてくる。
向かった先にはジードがいた。
ジードは私たちの姿を確認すると、片手を挙げて気さくな笑顔を見せてくれた。
「よっ、元気そうでなにより……わっと」
「ジード!」
私が右半身を、ユイが左半身をそれぞれ貰う。
暖かかくて、いい匂いだ。
何度も何度も顔をこすりつける。
ぐりぐりとしていると。
ジードの背後から見知った顔がにょろりと出てきた。
黄金色の瞳がこちらを見ている。
「わっ!」
すごく近くて思わず仰け反る。
「ふぉっふぉっふぉ、驚かせてしまったの」
落ち着いた声のトーンだけ聞くと、なんだかヒゲを生やしている老人のようにも錯覚してしまう。
リフ。
可愛らしい見た目をしていて、しわがれとは程遠いような感じがする存在だ。
けど、今日はなんだかいつもよりさらに不思議な感覚だ。
「あれー? なんだかジードとリフが繋がってる気がする!」
「よく気がついたな。リフに魔力を供給しているんだ。一日の半分くらいはこうして身体の一部をくっつけておかないといけない」
ほう、なにやらエロスの匂い!
よく見ればリフはジードに背負われている形だ。
なんだか羨ましくなってくる。
「どうしてそんなことになってんのよ……てか、ネリムの機嫌が露骨に悪いけどなにがあったの?」
「……」
クエナの問いかけに、ネリムは下を向いたまま黙っている。
さらに隣にいるソリアまでもが気まずそうにしていた。
こ、これは……!
ついに……ネリムにまで……!?
なんてことは言えなさそうだ。
それくらい厳かな雰囲気になっている。
ふむ、気まずいね!
ここはいっちょ、なにか打開の手立てを考えよう。
――ぞわり
冬の冷気が背中を舐めたような悪寒が走る。
「こうなったか」
聞き慣れた声と似ているけど、ちょっと違う。
それに、怖い。
恐る恐る声の方を見ると、未来のジードが立っていた。
誰も口を開けない。
私の大好きな顔だけど、全然違う彼が言葉を紡ぐ。
「言ったろ、アステアに負ける未来は無数にある。こいつを生存させた先になにがある? こんな選択はロクなことにはならない」
「わ、わわ、私の保全を……や、やくそ……」
未来のジードの手には光る球があった。
それはミシミシと音を立てながら、最後には鏡が砕けるように小さな破片ばかりになって飛び散った。
「おまえっ!」
「やめろ。今のおまえと未来の俺……どちらが強いか明白だろ。でも、俺達が戦ったら先に世界の方が壊れるか」
話が見えてこない。
けど、ジードが悔しそうな顔をしている。
私の知らないところでジードが辛そうにしているのは、なんだか不安になってくる。ジードのことは信頼しているけど、やっぱりずっと一緒にいたいと思うくらい、私は彼の辛そうな顔を見たくないし、知らないことが増えて欲しくなかった。
「どういうつもりだ」
「どうって、別によかったじゃないか。自分の手で下す必要がなくなったんだ。どう絆されたのか知れないが、このままだとアステアに世界が滅ぼされていたかもしれないんだぞ?」
「そういうことじゃない。これって安易に未来を変えるってことじゃないのか。いいのか、そんなことをして」
「ああ、必要な干渉は仕方ない。けど安心しろ。これ以上この世界ではなにもしない」
「この世界では……? なら他の世界は?」
ジードとジードだけで会話が繰り広げられている。
他の人たちは、私を含めて傍観に徹していた。
「随分と警戒されているな。安心しろ、他の世界にも何もしないさ」
未来のジードが肩を竦める。
彼の様子を見て、ぴくりと震えたのは何人だろう。
ルイナが崩壊した建物から顔を覗かせる。
「おやおや、話を聞いていたが未来のジードも未だに癖が抜けていないと見える。まあ私は? ジードの妻だから? 気づいてしまったけれど?」
「おあいにく様ね。私も気づいているわよ。なんなら、あなたが気づく前から気づいているわよ」
「ほお? 言うじゃないか。内心は生まれたての子羊のようにぶるぶる震えているんじゃないのか?」
「いいじゃないの。じゃあ一緒に答えましょうよ」
「いいだろう、ではいくぞ」
「――未来のジードは嘘をついてるよ! ジードは嘘をつく時、手をぎゅって握るもん!」
トランプをしている時に見つけた小技だ。
ジードは普段から戦闘を意識して癖を作らないようにしている。けど、いつも一緒にいてずっと見ている私達は気づける。
ユイが隣でこくこくと頷いている。
クエナとルイナの視線が怖い。
どうやら私の出番ではなかったみたいだ。
一緒に答えるって言ってたから喋ったのに……。
「……はぁ。無意識のうちに罪悪感を覚えてしまったのかもな。そんな癖があるとは思わなかったよ」
未来のジードが自分の手を見つめながらため息をついた。
ジードが尋ねる。
「なにをするつもりなんだ?」
「聞いてどうする?」
「聞いてから考えるよ」
「それはそうだな」
ははっ、と未来のジードがお腹を抱える。
でも、笑ったのは少しだけ。すぐに真面目な顔になって口を開いた。
「無限のエネルギーについて、アステアから聞かされたよな?」
「ああ。俺の身体は魔力を無限に生み出せるって話だよな」
「そのとおり。その身体のためにアステアは何度も何度も文明を滅ぼしてきた。そして、その悲劇は俺達にも降りかかっている。それを止める方法がある」
「止める……方法?」
「そうだ。無限の魔力で過去に遡ってアステアの計画を潰すんだ」
リフが顎に手をあてる。なにやら考える仕草になった。
「そうか。アステアの動きを事前に止めることは可能か……」
リフがぼそりと呟く。
私にはわからない会話内容だけど、一部の人には理解できているみたいだった。
そして、きっと大事なことだ。
邪魔はできない。そう思っていた──
「もちろん使うのは自分の身体だよな?」
「魔力変換もタダじゃない。相当量の放出には相当量の力がいる。身体は耐えるために睡眠状態になるだろう。つまり、寝たきりになる」
「──そんなのダメだよ!」
つい言葉が出る。
未来のジードが戸惑っていた。
あまり考えずに口を衝いて出たけど、考え直してもイヤだ。
寝たきりってことは、ジードと遊べなくなるんだよね。一緒にいられなくなるんだよね。身体はあるのに、魂は別の場所にあるんだよね。
そんなのはイヤだ。
私は今のジードが好きだ。未来のジードとか、過去のジードは大事な人かもしれないけど、好きなのは今のジード……でも、その時代ごとに私がいる。その時代のジードを好きになった私だ。そんな私の気持ちを考えるといたたまれなくなる。
「……過去がダメなら、未来の俺の身体を使えって?」
「それもダメだよっ」
あまり否定する言葉を使いたくない。でも、つい感情がそのまま出てしまう。
声を荒げる私を、クエナ達が驚きの目で見ている。
「じゃあ、どうしろっていうんだ」
その声は――威圧……ではない。
むしろ反対に位置するような音だった。
弱々しく、今にも崩れてしまいそうな声のまま、未来のジードが続けた。
「わかるよ。俺も似たような気持ちだ。辛いし、悲しいし、きっと俺はおまえ達にとってクソみたいなやつだよな。
けど、これしか方法がないんだよ。おまえたちは見たことがない。アステアに滅ぼされた世界を。そんな世界になる可能性は俺が潰したからな。でも、俺は何度も見て来たんだよ。世界はどんどんズレていく。だから、俺は知っている。俺が救えた世界もあれば、救えなかった世界もある。
救えなかった世界ではみんな死んだ。俺も、クエナも、シーラも……全員だ。人族だけじゃない。魔族やエルフ、獣人族も全滅した。ひとりも生き残っちゃいない。
そんなの許せないだろ。だからアステアは悉く潰していかなければいけない」
これまで見てきた凄惨なものを、悲痛な声が伝えていた。それは想像もできない苦難だけど直接胸を打ってくる。
私はそれ以上なにも言えなかった。
「ふむ。しかし、ひとつの身体だけで足りるのか?」
リフが顎に手を当てながら物思いに耽る様子で問いかける。見ようによっては呟いている風だ。
「足りなければ他の身体を使うしかないだろうな。でも、いずれ解決する術が見つかるはずだ。過去が無限に生まれるなら未来も無限に生まれる。一人当たりに救える量を考えているんだ」
「そうやってずるずる引き延ばしても消費が激しくなるだけな気がするのう」
リフが眉をひそめながら苦言を呈している。
未来のジードは縋るような目でリフを見た。
「じゃあ、リフは代わりの手段を知っているのか?」
「さての。滅んだ世界を実際に見たわけでもないから、おぬしの怒りすら完全に理解してやることはできん」
「……悪いな。だから、俺は俺の道を歩むだけだよ」
それは決別だ。
私はどうしたらいいのだろう。
あのルイナやリフがなにも言えそうにない。なにが正解なのかわからないからだ。クエナだって、ユイだって。ネリムやソリアだって。
でも、ジードは違った。未来のジードじゃない。今のジードだ。
「かっこいいな」
それはちょっと意外な言葉で。
未来のジードも戸惑いを見せていた。
「……かっこいい? 俺が?」
「だって、なんか賢いこと言ってるじゃん。リフとあんなに話せるなんて今の俺からしてみればかっこいいよ。エイゲルと相談したのか?」
「そ、それは……」
未来のジードが言葉に詰まっている。
照れているのだろうか。
「慎重だけど、かっこいい。きっと、俺も滅んだ世界を見たら同じようなことを頑張っていたと思おう。……だけどね、慎重すぎるよ」
「……」
「止めるよ。寝たきりになる過去の俺が可哀そうだ」
端的な言葉だった。
私と同じ感情だ。
未来のジードも「でも、結局は別のジードだろ」などとは言わない。彼もやはり同じ気持ちなのだ。
「――止めてみろ。できるならな」
言って、未来のジードが魔法を行使した。
転移のように一瞬で消えたけど、きっと元ある場所に帰って行ったのだろう。




