求めているもの
神聖共和国はウェイラ帝国に次いで少ない被害だった。
主な要因は新たな神都市の再建築に伴う膨大な人口の収容と、列強国の中でも屈指の防御が可能になった点が挙げられる。
それは強い意思の表れでもあった。
神都市は神聖共和国の象徴だ。
彼らはあの犠牲からもう二度と負けないと誓った。
それゆえに出た答えは神都市での一点集中防衛だ。
ソリアの広域治癒魔法やフィルの突出した戦力で精霊の侵攻を許さず、キング級の討伐まで時間を稼ぐことができた。
避難民の受け入れまで考えると、経路の維持を含めてウェイラ帝国よりも遥かに多くの人々を救ったと言える。
「おつかれさまです」
スフィが水の入ったコップを手渡す。
相手はソリアだった。
新たに再建された神都市の一角で、二人だけの空間がある。
「ありがとうございます、スフィさん」
「いえ。私がやれることは少ないですから」
「そんなことはありません。スフィさんの指揮がなければ逃げ遅れた人々の犠牲だけでも計り知れなかったでしょう。立派な活躍です」
ソリアに褒められることは名誉だとわかっていても、スフィは納得がいかない。まだやれることが沢山あったのだと反省の念が湧いてくるからだ。
それがスフィの伸びしろでもあるのだと、ソリアは知っている。
スフィが問いかける。
「この戦いは勝てると思いますか?」
「ええ、勝てると思います。だって、ジードさんですから」
キング級の討伐は成し遂げられた。
その情報は既に神聖共和国に入ってきている。
だが、その先はまだある。
大元のアステアだ。
しかし、その話はソリアにとってもスフィにとっても命運を分ける話だった。種族としてもそうだが、なにより名声と地位にも関わることだ。
「ソリア様にとって、希望の光はジードさんですか」
「スフィさんは違うんですか?」
「いえ、私も今となってはアステアを信じられるほどの胆力や器量は持ち合わせていません。なにか理由があって攻めてきているのだ……とは到底思えません」
今回の精霊による大規模な侵攻を、一部ではアステアによる試練だと口にする者もいた。
もちろん、表面上では自然に発生したものだと公布されている。女神が敵であるという事実は伏せられていた。信奉心を持つ者達による暴発や、神を恐れる民衆の混乱を避けるためだ。
しかし、それでもアステアによる試練だと口にする者がいる。それは別に今回の件だけではなく、どのような災害でもアステアに結びつける者が出るほどに信仰は広く根強い。ここで大事なのはそれが正解か不正解か、ではない。アステアと人族は切っても切れない関係にあるということだ。
ソリアとスフィも厚い信仰を持ち合わせていたが、実際の被害を目の当たりにすることが多く、決して安易に受け入れる性格ではなかったため、試練などと口が裂けても言うことはない。
「私も同意見です。だから、その後のことを考えなければいけません。アステアに打ち勝った後の世界を」
ソリアが天井を見上げる。
遠く、果てしない、想像もつかない世界だ。
スフィの顔が陰る。
「世界は秩序を亡くして滅ぶのでしょうか。大地は裂けて、海は割れて、空気が濁る……」
「そのレベルはジードさんに任せましょう。私たちが語れることは普通の人間レベルのことですから」
ソリアがニッコリと笑む。
それを見て、スフィの頬が引きつる。ソリア様の中でジードさんは既に神なのか。
スフィが頬に指を当てながら悩む。
「……まず考えなければいけないのは、アステアに関連するものでしょうか。どのように人々に伝えていくか、あるいは隠していくか」
「ええ、まさしく。正しい歴史を残し、アステア教も残せば後世に強い遺恨が残ります」
いずれ民衆に正しい歴史が知れ渡った時、信者はどういう反応を見せるだろうか。人々はどういう心情に駆られるだろうか。
それを想像した時、ソリアは迷わずに続けて断言する。
「歴史か宗教、どちらかに消えてもらわなければいけません」
「――!」
スフィにとって、ソリアの言葉は予想できるものだった。だが、それでも言葉をなくすには十分すぎる威力を持っていた。
スフィもソリアも教団から名声と地位を与えられている。
仮に真・アステア教がなくなれば、彼女達の立場はどうなるだろう。職を失う程度の話ではない。現世代のシンボルが瓦解したら、彼女達はどう世間に受け止められるだろう。
ソリアは顔色を変えなかった。勇敢な姿勢のままだった。
「スフィさん、きっと歴史を消す方が簡単です。今回の精霊の侵攻は暴走で、アステアはあくまでも偶像にすぎず、本当は存在しなかったのだと言えばいいだけです」
「たしかに……そうですね」
「でも、私はあえて困難な道を進みたいのです」
「それは……宗教の方を消すのですか?」
「どうでしょう。でも、いずれ解散させる方向に持っていきたいと考えています。その過程で悪評を広める必要があるでしょう」
ソリアには覚悟があった。
かつて信仰したアステアを汚すことすら厭わない。
だが、スフィには一抹の不安があった。
「それは現在属している人も不利な状況になるのでは。それこそ、教団のシンボルでもあるソリア様は真っ先に矢面に立つはずです」
「必要なら私は自分に悪評が流れてもいいと思っています。たとえば、ウェイラ帝国に身売りしようとしているとか」
「なっ……!」
もちろん、それは平易な冗談だ。
あくまでも咄嗟に浮かんだ例のひとつにすぎない。
実際にソリアが身売りなどすれば、別の宗派が出来上がるだけだ。人の信仰心はそこまで簡単に覆らない。
それを理解して、ソリアは言う。
「でも安心してください、スフィさん。あなたには真・アステア教に代わる集団を率いてもらうつもりです」
「別に名声や地位が欲しいわけでは」
「いいえ、スフィさんだから任せられるのです」
「私なんて……」
スフィが遠慮がちに身を縮めるようにして固まる。
それは謙遜ではない。
スフィは自分を不出来だと思っている。神都市を消失させた原因の一端を担っていると考えているし、他の文官に比べて仕事は不器用だろう。
だが、そんなことは当たり前だ。スフィは幼い。難しい仕事をすれば間違いを犯すことだってある。それが特に責任ある仕事だから追及されるし、スフィがしっかり背景を理解しているから、自分のミスを悔やみ省する。
それでもこうして現状の地位にいるのは真・アステア教の立役者だから、というだけではない。忠実かつ公平に事をなしてきたからだ。それができる者は貴重だとソリアは知っている。
「スフィさんは素晴らしい経験をなさっています。私もなかなか数奇だと言われますが、スフィさんほどではありません。きっと、スフィさんは私……いいえ、リフさんやルイナ様を上回る人材になるでしょう。そうなった時、人々を先導する立場になっていて欲しいと思っています」
スフィはソリアのことを心から尊敬している。言動は方正謹厳であるし、治癒魔法は歴史上でも類を見ないとまで言われる実力者だ。バランス能力に長け、人々から支持されている。
そんな人に褒められて、スフィの目は自然と上を見る。ソリアと向かい合う。
「ソリア様、ありがとうございます。でも、あえて困難な道を歩む必要はないのでは……」
「いいえ、今しかないんです」
「今?」
「はい。だって、ジードさんがいるじゃないですか。あのお方がいるから、正しい道を選ぶ機会がある。どれだけ困難な道でも守ってくれる気がします」
ソリアが無邪気に笑む。
たしかに、と思った。
同時にスフィはソリアの企みにも気がついてしまった。
「ま、まさか、ソリア様は……」
ソリアは見据えているのだ。
アステア教を瓦解するならソリアが犠牲になるだろう。
そして、その先は。
「ふふ」
ソリアの意味深な笑みが場を包む。
この世界で察しているのはスフィだけだろう。




