会合
フィフとレ・エゴンはマジックアイテムで通話していた。
互いの顔は見えないが、声の波長は水晶型に移る水面のような青色が、たしかに会話していることを示していた。
「兄に暗殺者を放ったと報告が入りました。本当ですか?」
「どこの情報ですかな」
「それに答えて欲しければ、まずこちらに答えてください」
フィフが眉間に不機嫌なしわをつくる。
「我々のためです、フィフさま」
「おかしな話ですね。ウィーグは継承権を放棄しました。ここで手を出したら、お兄様は危険を感じて私に牙を剥いてくるかもしれません」
フィフはこらえきれずに怒りを声音にのせた。
それを感じ取ったレ・エゴンは、
「計画外のことも必要です。ウィーグはウェイラ帝国での結婚式に招待されたそうです。実力者であると、未だに影響力があると女帝ルイナによって認められたのですよ。間違いなく、危険因子です」
フィフの苛立ちは計画通りに進めないことへのものだと解釈した。
だが、実際は違った。
フィフには冷徹な仮面を被る勇気はあっても、心の底から実の兄であるウィーグを嫌うような、命を奪うような真似はできなかった。
しかし、たった一度の出会いだけで、レ・エゴンが人情を理解できない人間だとわかってもいた。
フィフは奥歯を噛みしめながら、怒りを堪える。
幸いにしてマジックアイテムを通しての会話なので、その表情はレ・エゴンに伝わることはない。
「わかっていますか。我々の決戦は近いのです。些事にはこだわらないでください」
「私は些事とは思えませんな」
フィフの言葉を一蹴する。
レ・エゴンはレジスタンスとしての活動を再開してから十分な活躍を見せていた。その背後にはフィフの協力があったからだが、なまじ得ている実力は自分のものであるため、有頂天になっていた。
「こちらの指示に従って頂けないということですか?」
だが、フィフが圧を向けるとたじろいでしまう。そこが、レ・エゴンの器の底なのかもしれない。
それに気づいて、レ・エゴンは不満そうにいじける。
「……私とあなたは表立っては繋がっていません」
「脅すつもりですか?」
スティルビーツの立場はウェイラ帝国やギルドと協力関係にある。
どちらかといえば神聖共和国の側に近い。
なんにせよ、現在の大陸の体制を揺るがすようなレジスタンスを支援しているとなるとタダでは済まないだろう。
「いいえ。ただ、あなたが私に指示する権利はありません」
(指示しなければ犯罪組織のリーダーとしていずれ相応の罰を下されていた程度の人間がなにを言うのか……)
レ・エゴンには力こそあったが、それを一生維持するだけの才覚はないという認識だった。実際にフィフがいなければ結局瓦解していただろう。
フィフが黙ったことで言い勝ったと勘違いし、レ・エゴンは調子良さそうにわかりやすく声音を上げた。
「ですが、フィフさまとは共通の理念を抱えています。必要な協力は惜しみませんので、このまま計画通りに進めましょう」
そう言って、レ・エゴンは一方的に通話を切った。
フィフからため息が漏れる。
(違法行為は極力停止させているけど、裏ではまだやっていると聞いている。ウェイラ帝国の監視の目をかいくぐるためなのに……これはいずれ潰されるわね。計画は近いから捨てることもできないけど……どうしたものかしら)
不意に執務室の一角から淡い光が放たれる。
「これは、アステア様」
光はなにかに阻害されているように微弱な波を打っている。
「またリフの邪魔が入っているようで、お声があまり聞こえず……はい。計画は順調です。以前にアステア様から教授いただいた『技術』を活用する予定です。ええ、ジード様には私の方から連絡をとります。私にも結婚式の招待が来ていますから」
ふと、フィフの胸元が光ったような気がした。
だが、それも一瞬のこと。波打つ光に衣服が反射しただけだと受け取り、再びアステアの言葉に耳を傾ける。
「はい、ご安心ください。必ずや成功させてみせます」
フィフが光に向かってしかと頷いた。
◆
その聖堂はアステアの石像が飾られた場所だ。
そこに祈りを捧げている人物がいる。ソリア・エイデンだ。隣にはもうひとりの影があった。
「もはや形骸化したものに祈ってどうする?」
ルイナ・ウェイラ。
現在人族で群を抜いている国家の頂点が、皮肉そうな顔を湛えながら声をかけた。
「何かしらの危険があるからと、石像に魔力を吸われることも防がれるようになりました。リフ様の技術はさすがですね」
「そうやって祈って魔力を吸われるかどうか確認するために祈っているのか?」
「それもありますが、癖でしょうね。生活習慣はなかなか変えられなくて」
ソリアが合わせていた両手を離す。祈りを捧げることはなくなった。そもそも、祈りの文言すら彼女はもう唱えていない。
「まあいいさ。アステアの脅威を知っているのは数が限られている。おまえはそうやって敬虔な信者として民衆の支持を得るがいい」
ソリアの目的は偶像化ではない。
だが、ルイナのような利己主義の人間の目にはどうしてもそのようなフィルターがかかってしまう。
ソリアは不満そうだったが、否定する気力を想像すると、ルイナに対して信心を説くような気持ちもなかった。
「それで、今日は結婚についてのお話ですか?」
その言葉に反応したのは、やや離れた場所で待機している美女。それは艶やかな茶色いポニーテールを揺らした、剣聖と名高いフィルだった。
ソリアの護衛は今日も付き従っている。
その隣にはルイナの護衛としてユイがいた。
「ああ、結婚についてもう知っているようだな」
「当たり前です。あなたがメディアに仕掛けた以上の反応になっていて、もはや知らない人の方が稀です。……それで、招待状を自ら届けに来たんですか?」
ソリアの額に血管が浅く浮かび上がる。
温和な彼女にしては珍しい反応で、ルイナが面白そうに頬を緩めた。
「仮にそうだとしたら、どうしたというんだ?」
結論を急くことなく、ルイナがあえて挑発する。
ソリアはわかっていながら立つ腹を抑えられない。
「いいえ、随分と丁寧だと思いまして。今は特にお忙しい身の上だと想像していましたから」
「安心しろ。話は聞いている。おまえもジードとの結婚について考えているそうじゃないか。どうだ、第二夫人で手を打たないか?」
「……ふざけているんですか?」
「おいおい、欲張るな。私はウェイラ帝国の支配者だ。おまえが実質的に神聖共和国を手中に収めていたとしても、力の差は変わらないだろう」
かつてはスフィがソリアと拮抗するか、それ以上の発言権を持っていた。だが、そのスフィは失態によって名声も地位もソリアの直下となっている。
神聖共和国で大きな発言を持っている者は何人もいるが、その中でもソリアの一声は、神聖共和国と連帯を行っている国々、組織を動かすには十分なものだった。
教団もそのうちのひとつだ。
だが、神都の消滅に伴い、神聖共和国自体の力は列強国の一群になんとか留まっているような状況だった。
ソリアが嘆息をして、ルイナに向き合う。
「私はあなたに怒っているんです」
「ほう、なにが言いたい」
「わかっているでしょう。どさくさに紛れて既成事実を作ろうとしていますよね。この結婚にジードさんの意思はあるんですか?」
「ないわけがない」
あっさりと断言する。
事実としてアステアに対するための結婚だが、ジードを取り込みたいというルイナの考えが透けているようで、ソリアは不服そうだった。
「では、クエナさんやシーラさんはどう思っているのですか!」
「むろん、私も彼女らが納得するように頑張るさ。だが、最終的に彼女らの判断次第なのは変わらない」
「それはそうですけど、第二夫人とやらで私を釣って周囲を固めようというんですよね」
ルイナとソリアがジードの周囲を固めることになれば、クエナ達は焦らざるをえないだろう。
その隙を突いてなにかしらの甘い汁を用意すれば、ルイナとジードの結婚を彼女達が認めざるをえないようにできる。
そういうシチュエーションを作り上げられるのがルイナという人物だとソリアは知っていた。
「では、第二夫人の座はいらないのか?」
「そうは言ってません!」
((そこは否定するのか))
ルイナとフィルの波長が合わさった。
ユイは聖堂に入ってきた蝶を眺めている。
「安心しろ。私がジードを想っている気持ちに偽りはない。結婚などという重大な契りを結ぶのだから、それを違えれば今後の人生を左右するほどの影響だろう」
「正直、私があなたを信用するのは難しいです。何度となく衝突をしてきましたし」
ソリアがルイナから目を逸らす。それがソリアの心情の現れだった。だが、それを理解してもルイナは飄々としていた。
「今回に関しては信用してもらいたいものだ。結婚を見届ける司祭を頼もうという人に嘘を付きはしない」
「……し、司祭?」
ソリアが上ずった声をする。
驚きのあまりルイナを見直したほどだ。
「ああ、そうだ。言い忘れていたな。ここに来た目的はおまえに結婚の司祭を依頼したかったんだ。いやはや、私としたことが色々と手配をしていたが、肝心の誓いを見届けてくれる人物を忘れていてな。なに、真・アステア教の筆頭司祭兼大司祭のソリアならば適任も適任だろう」
ソリアのなかに様々な感情が入り混じる。
だが、その中で大部分を占めたのは怒りだった。
「むむむぅ」
「おまえにとっては屈辱だろうとも。なにせ、愛する男を先んじて取られるのだからな。しかし、おまえ以外にいないのも事実だ。引き受けてくれないだろうか」
ルイナが真摯にソリアの目を見つめる。
それはソリアが何度となく、ルイナとの対談の場で見てきた眼差しだった。
政治や宗教、時に戦争でやり合ってきたソリアだからわかった。それはルイナの本気の時にしか見せないものだ。
嘘ではなく、偽りでもなく、嘯いているわけでもない。
ソリアは力んでいた身体を緩めた。
「はぁ、わかりましたよ……。――ただし! キスの時間は短くしてください! 私が使える魔法は回復だけではないと身をもって学びたくなければ!」
ソリアが先制して忠告するようにルイナを指さした。少々マナー違反だが、どこかで認め合っているだからこそできる関係性でもあった。
「それは恐ろしいな。覚えておくよ」
許諾を得ると、ルイナが踵を返す。
「もう行かれるのですか?」
「あいにく忙しいからな」
その背にユイが付いていく。
二人残され、フィルがソリアの傍による。
「よろしかったのですか」
「仕方ありません。司祭を引き受けたのはジードさんのためです」
「いえ、第一夫人の件です。私はソリア様こそ相応しいものと考えています」
フィルの目は真剣そのものだった。恋について語っているのではなく、力関係について真摯な意見を述べている。
ジードの実力は大陸を揺るがす。
それは誰の目にも明らかだ。
だから、その彼に意見を述べるとすれば第一夫人からだろう。
それだけの弁えがあって宮廷関係は収まる。
フィルが危惧しているのはその点だった。
真・アステア教や神聖共和国を主体とした国家群はウェイラ帝国の下位になってしまう。これは由々しき事態だろう。
フィルはそこまで考えて話している。
当然、ソリアも考えていた。
けれど、そこをわかっていて茶化すような笑みを浮かべた。
「そして、第二夫人はフィルですね」
「わ、私はそんな……!」
思いがけない矛先に、フィルが顔を赤らめる。
ソリアは満足げに微笑みながら、一転して真剣な面持ちになる。
「ふふ。予定を変更しなければいけませんね。ウェイラ帝国に向かわなければ」
ソリアは誰が夫人として優先されるのか、そこを重要視していなかった。
ジードならば分け隔てなく話してくれる確信があった。
そんなソリアの眼差しを見て、フィルは頷く。
「そうですね。他の者にも伝えておきます。幸いにも最近の大陸は珍しく平和ですから」
「あれほど荒れていたのに。これもルイナ様やリフ様のおかげでしょうか」
『アステアの徒』の一件以降、大陸が吸い上げる血は減っていた。人を救おうと懸命に働きかけている彼女らだから、その事実は肌で感じ取っている。
「ソリア様のたゆまぬ献身によって、です」
「ありがとう。でも、フィルは残っていてね。暴れられても困るから」
「な! あ、暴れませんよ! 私をなんだと思っているんですか!」
「私は女帝ルイナにジードさんを奪われるところを見て、我慢できる気がしませんもの」
「場合によってはお供しますよ」
フィルが悪役顔でそそのかす。
そんな気がないことは百も承知だが、ソリアの信者であるフィルはなにがあろうとも付き従う決意を持っていた。
「もう、ダメじゃないですか。どちらにせよ、フィルは居残りです。今が嵐の前の静けさでないとも限りませんから」
「……かしこまりました」
この平和がずっと続ければ良いのに、ソリアはそんな風に考える。




