わかる
結局、どうしようか悩んでいるうちにクエナ家に辿り着いた。
何週もぐるぐると回っていると買い物を終えたシーラと合流してしまったのだ。
どういう会話をしたのかも覚えていない。
挙動不審すぎてシーラに心配されたことだけは記憶にあった。
「おかえり」
「ただいまー」
「た、たた、ただいま」
家に帰るとクエナが出迎えてくれた。
ネリムが床でストレッチをしている。
ソファーに座る。
柔らかい。
居心地が良いはずなのだが汗が止まらない。
気まずい。
ちらりとシーラが顔を覗いてくる。
「ジード? どうしたの?」
「ど、どどど、どうも? してないヨ?」
「きっも! なによ、あんた」
ネリムが嫌悪感満載の顔で吐き捨てる。
今はそれくらいの反応の方が落ち着くのはどうしてだろう。
きっとそれだけ生きた心地がしないのだろう。
死の淵から生存の命綱を手繰り寄せるのがこれだけ難しいとは思わなかった。
「ん、冒険者カードが鳴った! なんだろ、私は特に重要なニュースしか通知をオンにしてないのに………………ジードとルイナが結婚?」
「あのバカ、また勝手なことをしたのね。巻き込めばジードが付いてくるとでも思ったのかしら」
シーラが言い、クエナが腰に手を当てる。シーラが「なるほど!」と手を合わせた。
…………やばい。
すごい。
汗がすごい。
ぽたりぽたりと地面に汗が触れている。
異常気象ってやつだろうか。
とても寒いのに汗が止まらない。
Sランクの魔物に睨まれても汗なんて出ないのに。
「どうやらバカはあんたの姉だけじゃないみたいね」
「「え?」」
ネリムの言葉にクエナとシーラの声が被る。
それから一斉に俺の方を見た。
ああ、もうダメだ。
説明する言葉が浮かばない。
こうなったら秘技を使うしかない。
「すみません!!!!」
土下座。
これが最高の謝る手段だ。
「……とりあえず事情説明してみて?」
クエナが俺の肩に手を置いて、そんなことを言う。
にっこりと微笑んでいるが、目は笑っていなかった。
◆
クエナ達に事情を説明した。
アステアの件、戦争の件などだ。
「納得できかねるわね……」
「だ、だよな……」
「いや、アステアの対策はわかる。理解できる。ただルイナは納得できかねる。いや、ルイナとジードじゃないといけないのはわかる。他の木っ端なら意味ない。でもルイナはわからない」
クエナがブツブツと呟きながら腕を組みながら天井を仰ぐ。
まぁ、そういう反応になるとは思っていた。
シーラの方は戸惑い気味だが、
「でも、ちょうど結婚したらウェイラ帝国に行くって話してたよね?」
「あっちは一夫多妻制だからな」
「お家どうしよって話してたし、お城とか凄くない!? ちょうどいいと思う!」
「どこがいいのよ、あんなもの……」
クエナは住んだことがあるからか、やや冷やかな態度だった。
いや、ルイナがいるからだろうか。
それとも単純に機嫌が悪い可能性もある。
というか全部かもしれない。
ああ、もう……
委縮のあまり思考がまとまらない。
今ならスライムやゴブリンにも負ける気がする。
とりあえず正直な気持ちを伝える。
「あのだな、クエナやシーラがイヤなら断りたいと思っている」
「私は別に気にしてないよ!」
シーラがサムズアップではにかむ。
隣にいるネリムが冷ややかな目を向ける。
「なんでよ。あんたはクゼーラ出身だから一夫一妻の方が価値観に合ってるでしょ」
「だってジードが好きなんだもん!」
シーラが嬉しいことを言ってくれる。
とはいえ、やはりクエナは複雑な顔だ。
こちらは俺が他の女性と結婚することよりも、その相手がルイナであることに不服な様子だ。
「もうちょっと考えさせて……」
不意にクエナが寝室にこもる。
シーラと一瞬だけ顔を見合わせる。
「私は夕ご飯作ってくるね!」
「あ、ああ、たのむ」
シーラはクエナが克服すると信じているのだろうか。
なんだかんだシーラの方がクエナとの付き合いは長い。同じパーティーになって一緒に行動しているからだ。
しかし、うーん……
「はぁ……」
とりあえずお風呂に入ろう。
◆
ちゃぷんっと暖かい湯船の音が鳴る。
湯気がゆらゆらと浮かんでいる。
水を出し、暖めてお湯にする。
かなり高価なマジックアイテムだが別に上流階級だけが使っているというわけではなく、銀貨10枚程度と魔力補充などのメンテナンス費用を払えば買える。
必需品だと思えば安いものだろう。
特に冒険者は汗をかきやすく、泥をかぶりやすい仕事だ。
ギルド直営の店舗で買えば冒険者割引きで安く購入できる。そういえば、この特典を得るためだけに冒険者になる人がいるとかいないとか……
(それでも利益を出しているんだからすごいよな)
ギルドカードを普及するためにやっているのだろうか。
あれは情報源にもなりうるから、ギルドに都合が良い情報を流しやすい。逆にいえばアステアの影響をより軽減できるともいえる。
風呂場はあまり考えなかったようなことも考えてしまう。
俺にしては珍しく、そんな仕組みや裏的なことを考えた。
ふと、
「ちょっといい?」
ネリムが扉の外から声をかけてきた。
見られているわけでもないのに少しだけ慌ててしまう。
「ど、どうした?」
「いや、結婚について考えているかなって思ってさ。ため息とかついてたから」
「ああ……ネリムはキモいと思うよな」
「そんなことないわよ。戦争を止められるのなら、アステアの討伐に大事なら、私は必要なことだと思う。ジードにはそれだけの甲斐性があるしね」
意外なところから援護がきた。
クエナやシーラと仲良くしていると、女性の敵とばかりに嫌悪感を見せてくるから、てっきり嫌われているのかと思った。
「ネリム……」
「うげ、誤解しないで。あんたはマジでキモいから。私までロックオンするのは本当に許さないから」
ロックオンて……
人のことをなんだと思っているのだろうか。
「ありがとう。そう言ってもらえると気が楽になるよ」
「は? 罵倒されるのが?」
「違うって! 結婚のほうだよ。意味があるって言ってもらえるだけで助かる」
パシャパシャとお湯を顔にかぶせる。
ネリムが必要と判断したのなら、本当にこの結婚は大事なことなんだろう。それが聞けただけでも十分だ。
「もしかしてだけど結婚するの、いやなの?」
「どうしてだ?」
「いや、あんたは乗り気じゃないみたいだから」
控えめな聞き方をしてくる。
普段のネリムは無遠慮なので滅多にないことだ。
それだけ結婚という儀式が慎重な話だからだろう。
しかも、今回は誓い以上の意味がある。
「そうじゃないさ。ルイナは美人だしな。やり手って感じでかっこいいとも思う」
「なんか欲を出されるとキツいからやめて」
「俺はおまえの沸点がわからなくて怖い」
「いいから続けて」
ここまでマイペースだと逆に気が楽だな。
「乗り気じゃないように見えるのは……俺が結婚したいとずっと思っていたのがクエナとシーラだからだろうな。あいつらがいやなら俺は断ろうと思っている」
「世界が混乱に陥っても? アステアの好きにされても?」
「まあな」
本音はいやに決まっている。
だが、俺の中の優先順位ではクエナやシーラのほうが強い。世界は二の次だ。
「変なところで男気があるというか。まあその結論なら悪くないんじゃないの」
「ネリムからお墨付きをもらえるなら嬉しいかぎりだよ」
「そこまで期待されても困るっての」
「でも不安もあるんだよ。仮にクエナ達と結婚するのもさ。今の関係のままがいいって思ってる」
「それは無責任的な意味で?」
言い方が殺生すぎる。
ネリムの心の底にある俺への感情や見方がよくわかる。
「ある意味ではそうだな。話は聞いてるだろ、俺のもうひとつの人格についてさ」
「ええ、警戒してる」
ネリムの声音がやや低まる。
彼女は疑いようのない猛者……というか、人族に限れば俺に次ぐ実力者だろう。
歴代最強の【剣聖】の名は伊達ではない。
俺の見立てではフューリー支配下の魔族や獣人族の王にさえ剣が届く存在だ。
その彼女が「警戒している」だ。「知っている」ではない。
神都を滅ぼしたということ、なによりも……俺以上の実力を持っていること、これは決して警戒を怠ってはいけない、忘れてはいけないことだと改めて確認できる。
「正直言ってどっちが本当の俺かわからないんだ。『禁忌の森底』で生み出されたのが、俺なのか、あいつなのか」
「なによ、それ」
「人間は無限に欲を生み出す存在だ。その欲は生きる原動力になるが、俺はあいつの欲には勝てない。神都には多くの人間がいたことを把握していないわけじゃないだろ。それなのに自分勝手に、おもちゃ遊びのように滅ぼしたんだ」
「だから女を囲ってるあんたよりも欲があるって?」
やっぱり言い方に棘があるな……
普段からこんな感じなんだろうか。
人付き合いとか大丈夫なのかな。
俺ちょっと心配になってきた。
「それだけじゃない。実力だってあいつの方が上だろ。それってこの身体を俺より上手く扱ってるってことだ」
「ふーん……」
「いつ奪われるかわからない。そうなった時、俺はクエナやシーラを守れるのかな」
「あんたさ――彼女たちのこと舐めてない? シーラはAランクでも上位の実力だし、クエナに至っては『アステアの徒』の一件で無事にSランクになった。ただ人材増強の波に乗っただけじゃない。そもそも実力があった。彼女達なら自分の身くらい守れるわよ」
「……」
「それに女帝ルイナね。あいつならもうひとりのあんたも乗りこなすわよ」
「はは、それはちょっと想像できた」
思わず口角が上がる。
ボールを投げて「とってこーい」って言っているルイナとか全然ありそうだな。
「私さ、ずっと考えていることがあるの。多分リフもそう」
「二人の共通点って、勇者パーティーか?」
「正解。もっと詳しく言うのなら『裏切り者』についてよ。私は信じていたいの。きっとリフも信じていた。最終的に命を狙われていたとしても。私なんて裏切り者の彼女に憧れを抱いてすらいた。だから、なんで裏切ったのかなって。そんなことをするやつじゃないのに。洗脳なんてされていないはずなのに」
「家族を人質に取られていたとか……?」
「そうね。きっと、そう。勇者パーティーの裏切り者は必ず同じ行動をする。それは魔族領に侵攻すること。家族を置いてけぼりにするの。自分が一番守るべき大事な人たちを……」
「許せないな」
アステアはそれだけのことを平気でする。
決して『アステアの徒』が独断でしてきたことではない。彼らを監視する立場なのだから、そんなこときっとわかっているはずだ。
「そうね。だからって同情なんてしないけど。それでも同じ立場だったらって考えると、きっと身が引き裂かれるような思いだったと思う。そんな時、今までと違う生き方を強いられた時、人はどうするのかなとも考えた。きっと他の人格になるんじゃないかな」
「二重人格ってことか?」
「バカね、比喩よ」
「ん……なるほど?」
難しい話でよくわからなかった。
もちろん、ここで有耶無耶にした方が話の流れはスッキリするだろう。
けれど、ここで止まれるほどの話ではない。
それを察してくれたのか、ネリムが少しだけ悩むような間をあけた。
「押しつけってあるよね。良いとか悪いとか。上手いとか下手とか。人ってそんな言葉で簡単に変われると思うの」
「裏切ったやつらも他の人格になっていたから、急変したように見えたのか」
「そ。それって、あんたと似たようなことだと思う。あなたのようにハッキリとはしないだろうけど、他の人格にならないとやっていけないはずよ」
「なるほどな……」
きっと、ネリムはそう信じていたいのだろう。
裏切った人間を、自分を殺そうとしたやつを、それでも思い出の中にあった人として扱っていたいのだ。友達として、仲間として、信じていたいのだ。
そして、それは奇しくも俺と同じだった。
俺も心の隅でもうひとりの自分を信じていたかった。
「だから、あなたが恐れているもうひとりのジードってのは、やっぱりあなただと思う」
「でも、やっぱり怖いな。もしかすると俺自身がもうひとりの俺に感化されるかもしれないってことだろ?」
「それもそうね。でも、あんたの気持ちをわかってくれると思うって言ってるの。結局は同じ人間なんだから。あんたがブレなければ問題なし」
「……それでも不安だよ」
「なによ、あんたは今までどんな人生を送ってきたの。こんなことでくよくよしない。今回もきっと大丈夫よ。だって、あんたはあのジードでしょ。それにもうシーラたちに色々しちゃってるでしょ。それなのに責任取らないなんて不自然よ」
責任か。
話は変わってしまうが……
「結婚はもっと距離感が近くなる気がするんだ」
それでクエナ達の未来の選択肢を狭めてしまうのは……考えすぎではないだろう。
だが、そんな俺の考えをネリムは否定する。
「バカね。もっと気持ちを理解しなさいよ」
それは咎める様な、優しくするような、そんな感じの言い方だった。
「なんか乙女みたいなだな」
「……やめて」
「今のはワザとだ。普段のお返し」
ふんっと鼻を鳴らした声がして、ネリムが扉から離れていった。
怒っただろうか。
あるいは俺の気持ちが紛れたとわかったのだろうか。




