戦闘は
魔族領。
そこは七大魔貴族クオーツの領土だ。
ここは覇権を争えるほどの一大勢力であるため、一般的には貧相な魔族の領土の中であって、珍しく栄えている数少ない場所だった。
しかし、今や他の領土と変わらない。
どちらかといえば崩壊した建物と相まって、文明に打ち捨てられた跡地のように見える。
だが、閑散とはしていない。
むしろ轟音と黒煙が立ち込めている。
「襲撃を受けているからと聞いて帰ってみたら……随分と凄いことになっているじゃないか」
クオーツ。
魔族には珍しくもない人型だが、漆黒ほどに黒い皮膚が人ではないと伝えている。片側だけの翼は飛翔することができないだろうと推察できた。
「あなたがここのボスっすか」
エイゲルがメガネを掛け直しながら問う。
メガネが受けた光の反射で一瞬だけクオーツの姿が消える。
それだけの僅かな時間でクオーツが迫っていた。
「――その会話はもうした」
クオーツの手が伸びる。
それをエイゲルが片足で抑えていた。
「でしたね。それにしてもメガネの改良も必要っすねえ……」
「なっ!」
クオーツが慌てて距離をとる。
再び魔法を展開する。
ドームの形をした魔力がクオーツとエイゲルを囲う。
(たしかに複数の選択肢の中から正解を選んだはずだった――)
未来視。
それがクオーツの力だ。
(もう一度だ)
何かの間違いだったかもしれない。
今度はたしかにエイゲルの左胸を貫いている。
そう思い、足を踏み込んで距離を詰める。
「ムダっすよ」
クオーツの手が虚を空振りする。
エイゲルに懐に入られた。
未来視がズレている。
(いや、書き換えられている……!?)
そう思った時にはエイゲルの手のひらがクオーツの腹部を捉えていた。
掌底。
だが、痛みも衝撃もない。
クオーツが腹部を確認する。
直接の視認ではない。
未来視による数多の未来の選択肢から腹部の状態を確認する。
それがもっとも効率的で隙を生まない。
「ばかな……」
「穴を開けました。魔族はひとりひとり体の構造が違うっすけど、さすがにこれで動けないっすよね」
なにも感じていない程度だったはずの攻撃が、たった一撃で行動不能に陥っていた。
クオーツの膝が地面につく。
「まさか、ここまで強いとは……賢者エイゲルよ」
「おや、知ってくれてたんすか」
「当たり前だ。有名人だという自覚は持っておけ」
「そっすか」
興味もなさそうにエイゲルが言う。
愛想が悪いが、クオーツはそれに腹を立てることはなかった。そもそも立てる腹もない。
「ひとつだけ教えてくれ。どうやって俺の未来視を破った?」
「誤認のマジックアイテムっす」
エイゲルが種明かしとばかりに懐から小さな淡い水色の玉を取り出す。
「あなたの未来視は『自身が認識する現在の状況』と『自身の知り得ない未知の情報』を総合して未来を演算するようですね。当たり前ですが、何の基本情報の入力もなしに自分の知りたい未来だけを視るのは不可能ですから。だから演算に必要な前提の片方――あなたの認識を欺いてしまえば、未来視は間違った解を導くっす」
「そうか、同じ未来視かと思ったが……未来を視ることができるのは俺だけというわけか」
「そうでもないっすよ。未来に関しては他にも研究してる人がいるっす。ちょっと手伝いましたけど」
エイゲルがクオーツに手を伸ばす。
クオーツの脳裏に走馬灯が走る。
この状況で死を覚悟しない者などいない。
しかし、エイゲルが手を止めた。
「――だれっすか?」
無視できない気配の存在を感じ取っていた。
気配の主は隠すことも、もったいぶることもせずに堂々と崩壊した建物の頭上から見下ろす。
「おっと、バレちゃったか」
銀と桃の混じり合った髪が、戦闘によって暖められた風にたなびく。くりくりとした大きな瞳がエイゲルとクオーツを交互に見ていた。
「おどろいた。現魔族最大勢力のトップっすか」
「フラウフュー・アイリー……なぜ貴様がここにいる!」
フューリーという愛称で呼ばれる両性的な顔をしている少年は、七大魔貴族の領地を四つも保持している、魔王の最有力候補だ。
敵対関係に近いクオーツがねめつけている。
「なぜって、クオーツくんを助けに来たんじゃないか」
「助けにだと……!」
クオーツが反論を口にしようとして、続けられなかった。言葉が思いつかなかったこともあるが、フューリーが視界から消えたために誰に向かって言えばいいのかわからなくなったのだ。
フューリーが軽い足取りでエイゲルとクオーツの間に立つ。そもそも隙間などなかったためエイゲルが後退した形になる。
エイゲルは滅多に恐怖感が湧かない。それが彼の欠点であり、長所でもある。
そんな彼が珍しくフューリーに対して恐怖を覚えていた。
「やあ、人族のエイゲルくん」
フューリーが顔を近づける。
「あはは、ぼくが有名ってのは本当みたいっすね……ここまでの大物に知ってもらえているとは」
それはフューリーと同格とされるクオーツを卑下しているわけではない。
時代が違えばクオーツもまた魔王の器となっていた。
しかし、フューリーは格が違う。
七大魔貴族の領土の四つを制しているが、残りの三つは意図的にとっていない。魔王になる条件は四つ以上の領土の支配なので、その気になれば魔王にはいつでもなれる存在なのだ。
無冠であるだけで歴代の魔貴族でも最強クラスなのは間違いないだろう。
「それで、エイゲルくん。ひどく暴れてくれた落とし前はどうつけるんだい?」
さしものエイゲルもここまでの相手は想定していなかった。
今いるのはクオーツの領地なのだ。
他の魔貴族の領地に侵入することは敵対を意味する。それすなわち戦争だ。これがエイゲルの侵攻からしばらく経って、クオーツ勢力が弱体化した隙を狙った話であれば別だが、この行動はあまりにも素早すぎた。
あるいはフューリー以外であれば対応できたが、最もありえない存在がここで登場してしまった。
「ま、逃げさせてもらうっすよ」
エイゲルがマジックアイテムを取り出す。
それは転移の魔法を展開するもの。
構成するアイテムの獲得の難しさや、製作する難易度から世界でも有数の希少さを誇る。保有しているのはウェイラ帝国女帝のルイナを始めとした権力者ばかりだろう。
しかし、エイゲルともなれば自ら作り出すことも可能だ。
さらには旧来のものからバージョンアップさせることも。
「――できるの?」
フューリーがにまりと口角を三日月の形にする。
エイゲルの背に冷や汗が流れた。
「どういうことっすか……」
転移は展開されなかった。
「ボクの仲間が優秀ってことかな?」
フューリーが言うと、懐からマジックアイテムを取り出した。
エイゲルが持つものとは違う形状だが、それこそが転移に何かしらの影響を及ぼしていると、エイゲルは感じとった。
「行動を読んでいたんすか?」
「うん」
フューリーが可愛らしい顔で肯首してみせる。純粋無垢に見える容姿も相まって、凄惨な景色と会話内容はより引き立てられた。
あまりにも端的な返答だったが、これは決して誇張ではない。なによりもフューリーに都合の良い現実が嘘じゃないと示している。
絶望的な状況でも、エイゲルの目は死んでいなかった。それはなにか他の打算があるわけではない。
「ちなみにどうやって読んでいたんすか?」
自信のあった計画が阻害された。
その仕組みに興味が生まれた。
たったそれだけのことで死ぬ恐怖を乗り越えている。
「すごい。きみのその問いは嫌味でもなければ諦めでもない、純粋な疑問だ」
フューリーがいたく感心してみせた。
それゆえに続ける。
「あまり言いたくないけど、きみには敬意を持てる。だから特別に教えてあげよう。女神アステアが魔族領に攻め入るときに使う駒が君だと思ったんだ。君は様々なマジックアイテムを生み出した。生活から研究に関するもの、人族の利便性を三十年は向上させた。それ以上に戦闘に関するマジックアイテムもね。その技術さえあれば、魔族領に攻め入るには十分だと考えていた」
それだけじゃないよ、とフューリーがさらに間髪を入れずに言う。
「君は単独でクオーツを殺すに至る。ボクには届かないけど女神アステアにはそれで十分なんだ。精々魔族領で暴れて戦争のきっかけを作ればね。なにより、もし失敗しても君は決して無駄にはならない。君が死ねばどちらにせよ大陸は混乱だ。無数の特許を持ち、【賢者】として、あるいは多くの人々を救った開発者として、情報は錯綜して火種になる。だから君が来ると……いや、来るなら君だと思った。狙うならボクを除いたトップの権力者、だから場所はクオーツの領地」
エイゲルが頭を掻く。
目が空を向いて思考を整理する。
「他にも聞いておきたい説明があるっすけど、ひとつだけどうしても腑に落ちないっす」
「なんだい?」
「あなたの話は絶対の前提条件が必要です」
「前提条件?」
フューリーが不思議そうに頭をもたげる。自分でも気づていなかったことだけに、興味を呼んだ。
「それは女神アステアの存在っす。彼女が僕を使って攻めさせること、なにより宗教の象徴的存在であるアステアが実在している確証を持っていなければならない」
「じゃあ、エイゲルくんは女神アステアの存在を否定するの?」
「いいえ」
「それが答えじゃないか」
「屁理屈っすよ」
「でも互いにいるとわかっているのなら、別にいいじゃないか」
らちが明かない問答だった。
それは暗にフューリーが会話の終わりを告げるサインだった。
エイゲルはここまでの時間を無駄にしていたわけじゃない。
いくえにも計略を巡らせたが、ついに生還して脱出することを諦めた。
不意に殺気を感じ取る。
「俺のことを忘れるなッ!」
クオーツが手を鋭く尖らせてエイゲルを狙う。
完璧に隙を付いていた。
エイゲルは咄嗟のことに避けることすらできない。
しかし、突如として現れた男は違った。
「これ、どういう状況だ?」
クオーツの頑強な腕が止められていた。
それをしたのは黒い髪の男だ。
「きたんだ、ジードくん」
フューリーが軽快な声音で彼の名前を口にした。
戦場は一転して奇妙な静けさが漂っている。
フューリーの時は驚きで騒々しい気配だったが、ジードの時は誰もが次の動きを警戒して無言になっている。
かたんと壊れた木材が崩れる音が耳障りに聞こえるほどだ。




