気配
そこは郊外にある建物の一室だ。
質素な部屋だが、どことなく心の落ち着きを与えてくれる。
「やはり、もうひとりのジードさんは話し合ってくれませんか」
長い桃色の髪をした少女が言う。
真・アステア教の筆頭司祭をしているソリア・エイデン。
いまだに聖女と呼ばれている、大陸屈指の著名人で、天才的な治癒魔法の使い手だ。
そうえいば『アステアの徒』の一件以降はスフィに変わって大司祭という役職も担っているとか。
なかなか忙しそうだ。
「こっちから外に出せば人格を出してくれるが……危険すぎるからな」
俺はリクライニングチェアに横たわっている。
先ほどまで内なる自分というやつと語り合っていた。
精神状態を調べ、もうひとりの人格と対話を試みていたのだ。
「過酷な環境……とくに目を覆いたくなるような場所や状況だと、人は精神の安定をはかるために防衛本能としてもうひとりの人格を生み出します。それが『禁忌の森底』で子供の頃から培われたものならば、会話すらできないほど強靭なのも頷けます。ですが、まさかここまでとは。あらゆる療法を尽くしているのに……」
そう言うソリアの顔は辛そうだった。
俺のことだというのに、まるで自分のことのように苦しんでくれる。
そんなところに良心を感じ取ることができ、だからこそ俺の身体や精神のことを任せられる。
「でも、ソリアのおかげでだいぶ楽になってきたよ。治癒魔法だけじゃなくて心理的な面もサポートできるなんてすごいな」
「い、いい、いえ! 私なんかがジードさんのお役に立てているのなら何よりです……!」
ふと、ソリアが昔の喋り方に戻った。
彼女は俺と喋る時、稀に凄まじい動揺の仕方をしてくる。
昔はこれが常だったが、今は慣れてきてくれたようで落ち着いた喋り方になっている。が、稀にその癖が戻ってくるたび、どこか懐かしさを感じてしまう。
「悪いな、神聖共和国の復興活動で忙しいっていうのに」
「もうあれから半年ですか。犠牲になった方の家族を含めて痛みは消えませんが、遷都も済ませましたし、みんな前に進む決心がついてきたようです」
「そうか。なんだか後始末を任せてしまっていて申し訳ないな」
神都を滅ぼしたのは俺だ。
犠牲を産んだのは俺でもある。
ソリアと会っているのはもうひとりの人格だけではない。
そういったケアもしてもらっている。
「ジードさんには手伝ってもらっていることばかりですから、むしろこちらが申し訳ないくらいですよ。これからも助け合ってくださいますか?」
「もちろんだ。これからも一生かけて」
それだけ世話になった。
俺としてはギルドにSランクに推薦してくれただけで、返しきれない恩がある。
「い、いいい、一生……!」
ポンッとソリアの顔が真っ赤に染まる。
また出たか。
なんだか心がほっこりするな。
それからしばらくして転移の魔法を使い、クゼーラ王国に戻る。
◆
ギルドマスター室。
部屋自体は相変わらず威厳に満ちているが、その主はギャップで可愛さに拍車がかかっている。
ちょこんっと椅子に座って偉そうな格好をしているが、見た目は完全に幼女かあどけない少女だ。
「こうして呼び出されるのは久しぶりだな、リフ」
膝まである紫色の長髪は机の向こう側で見えない。
だが、吸い込まれるような黄金色の大きな瞳はクリクリとこちらを見据えていた。
「ふふん、わらわは忙しいからな。例の魔法の開発も含めてな」
「本当にできそうなのか?」
「あくまでも空想じゃったが、すでに試行段階に入っておる」
「ってことは、今日の用事は例の魔法か」
「残念じゃが、それについてはもう少しだけ待ってほしいの。今日は別件じゃ」
リフが指を二本立てて続ける。
「女神アステアの影を感じ取った」
「ついにか」
この半年の間、音沙汰がひとつもなかった。
その理由にリフの張った結界がある。
各種族と連携して大陸と周辺にアステアの念波が届かないようにしているとのことだった。詳しいことはよくわからないのだが、まあ幼女に見える天才がアステアの動きを阻害していることだけは確かだ。
「ニュースは見たか? 小規模な戦争が起こった」
「ああ、あれか。なにか変なのか?」
なんだかんだで戦争はいつでもどこでも起きている。最近は頻発しているとも聞いていた。
小競り合い程度ならば月に何度も起こっている。
それが大陸の普通だった。
……まあでも、この半年は平和と呼べるくらい、大規模な争いは起こっていない。それはウェイラ帝国とギルドが連携して統治を進めているからだろう。
「ただの戦争ならば構わん。が、ウェイラ帝国の勢力圏にある国に対して戦争を起こしておるのじゃよ。人族では大きく頭抜けた勢力に喧嘩を売るなど正気の沙汰ではない。普通は目をつけられないよう媚びを売るか――」
「雌伏して時を待つ、だろ。だから今、戦争を起こしたということは勝算があるわけだ」
「それが相手は複合軍という寄せ集めの義勇軍みたいなものでの。血迷ったのかというくらいに弱小勢力なのじゃよ」
と、なればたしかにアステアの影を感じざるをえないわけだ。
アステアの助力があれば無茶な戦争を挑んでも勝てる可能性はある。相手にはそれだけ未知の技術があると想定できた。
「たしかに怪しいな」
そんな感想が出るのは自然なことだろう。
「単純な考えなし共だったとしても無意味な犠牲は出しとうないしの。いくらウェイラ帝国とギルドで厳格な管理体制を築いておっても、開戦を未然に防ぐのは難しいこともある」
「それで俺に調査か制圧の依頼ってわけだ」
局所的にトップを抑えれば問題解決だ。
単純な食料問題なら話し合いで解決できるかもしれないが、アステアの影響を受けているとなると抵抗を受けるだろう。
それでも犠牲が出るよりはマシだ。
「いや、実はもう一件ある。こちらはニュースにはなっていないが、同じレベルの問題じゃよ。エイゲルを覚えておるか?」
エイゲル。
俺と同じく勇者パーティーに選ばれた男だ。
メガネを掛けていて、自らが開発したマジックアイテムを使って戦う手法だった覚えがある。
そして、贔屓にしている美味しい串肉屋の息子だ。
「覚えているよ。頭が良さそうなやつだろ?」
「そやつが魔族領内で暴れている報告を受けた」
「どうして?」
「理由はわからん。が、これがアステアの企みならば止めねばならぬ」
人族と魔族の仲たがいを誘発しようとしているのかもしれない。
どちらにせよ、早急な対応が必要な案件だな。
「つまりもうひとつはエイゲルを止めることか」
「そうなる。どちらもロイターほどではないにせよ、脅威じゃ。お主の力を借りたい」
戦争と、エイゲルの暴走。
たしかにどちらも一筋縄ではいかなそうだ。
「俺は構わないが、どちらを解決しに行くべきだ?」
まさか俺が分裂するわけにもいかない。
先にどちらかを解決しなければいけないが、後になってしまった方は手遅れになる可能性だってある。
「お主はどうしたい?」
「エイゲルの方だ。あいつには借りがいくつもある」
「そう言うと思ったのじゃ。しかし、めんどうじゃのお。戦争を止める術を考えねばならん。お主が戦場に行けば一瞬で解決なんじゃが」
「そんなに切迫しているのか?」
俺としては現在進行形で魔族領に侵攻しているエイゲルの方が急ぎの案件に思えたのだが。
リフが腕を組みながら小さな首を上下に振った。
「どちらも大変な状況じゃよ」
「――その件でルイナ様から連絡がある」
「ぬぉ! 隠密に磨きがかかったの! わらわでも気づけなかったぞ!」
突如現れたのは蠱惑的な泣きボクロが特徴の黒髪の美少女だ。
気配の消し方がうまくなっており、俺ですら冷や汗を掻いてしまいそうになる。
通話系のマジックアイテムを介さずに、こうして直接来ているのは対アステアのためらしいが……詳しくはよくわからない。
「一週間の準備期間とジード。それで解決」
ユイが俺の腕を手繰り寄せて胸元に押し当てる。
傍から見ると距離感の近い恋人に見えるだろうか。俺としては胸のドキドキでそれどころではない。
「……ふむ? 一週間もあればウェイラ帝国は戦争を解決するということかの?」
「それとジードを借りる」
「ルイナが言っておったのじゃな?」
「ん」
ユイが頷く。
ユイのわずかな身体の動きが腕から伝わってくる。感触が心地良すぎて俺はダメになりそうだ。
「では、ジードよ」
「ああ」
リフの呼びかけで気を取り直す。
「エイゲルの救出は一週間以内に行うことじゃ。とはいえ、お主には十分すぎる時間かの」
「転移と探知魔法を使えば簡単だな。厄介なのに捕まっていなければいいんだが」
「そうじゃの。どちらにせよ、なるべく急げ」
「すぐに向かう」
ユイの手に俺の手を重ねる。
「ちょっと行ってくるよ」
「ん……」
やや寂しそうな顔をする。
あまり見せないが、ユイはかなり甘えん坊な面がある。
こんな状況でも一緒にいたい気持ちの方が強いのかもしれない。
「またクエナの家に来てくれよ」
「ん」
ロイターの一件から半年。
とある事件を契機に、ユイは一週間に一回の頻度でクエナの家を訪れている。
そのことを思い出して、また会える安心感からか、ようやくユイが離れた。今度は俺の方が寂しい気持ちが出るのはジレンマだろう。
気が変わらないうちに口を開く。
「――転移」
視界が明転する。




