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16

 暗い空間だった。


 何もない場所だった。


 音すらない。


 半日いただけで精神が追い込まれるだろう。


(……)


 浮遊感。


 上下左右の感覚がない。


 ユイがツーと動く。まるで吸い寄せられるようだが、確固たる目で前を見ているために自らの意思で動いていると分かる。


 しばらく先にジードがいた。


 目を閉じ、眠っているようだ。


 ユイがジードの頬に触れる。


「起きて」


 ジードがビクリと震える。


 それはジードからすれば予想外だった。


 何もないはずの空間で暖かい手が触れて優しい声が聞こえた。


「……ユイ? どうしてここに」


「探したんだよ。ジードはどうしてここにいるの?」


「もう一人の俺を抑えるためだ。あとちょっとで外に戻れるかな。自動だからタイミングは掴めなくて」


「そっか。みんな待ってるよ」


 ジードが訝し気に顔をしかめる。


「さすがに頭がおかしくなったのかな。ユイ、幻覚じゃないよな?」


「幻覚じゃないよ」


「……饒舌すぎないか?」


 ジードが違和感を抱いていた正体はこれだった。


 あまりにも普段のユイとは違う。口調にしても、性格にしても、どことなく大胆な印象を抱いた。


「この空間は私とジードだけだって安心感があるからかな。多分」


 ああ、それから。


 と、ユイが続ける。


「シーラが私たちの関係を認めてくれたよ」


「関係って?」


「付き合っても……結婚してもいいって」


「え!? ど、どうしてそこまで……!」


 ジードが思いがけないことに動揺する。


 ユイの頬が緩む。それは無表情に近い程度だったが、普段のユイと比べれば明らかに動いていた。


「でもね、ジードから聞きたい。ジードは私のこと嫌い?」


「嫌いではない……」


「好きでもない?」


「そういうことじゃ……」


 ユイは可愛い。身体付きも魅力的だ。


 しかし、ジードがクエナやシーラを好きなのは一緒にいたからだ。性格が合って、これからも一緒にいたいと思ったからで――


「――ジード。私も一緒にいさせてよ」


 ユイの腕が首に絡みつく。顔を交差させて、抱きついてきた。


 軍服の上からでも伝わってくる豊満な胸が、ジードの不純な気持ちを駆り立ててくる。


「こんなに幸せでいいのかな」


 ジードが不安を吐露する。


「みんなが幸せならそれでいいと思う」


 ユイが優しく囁きかける。


 それだけでジードに否定できるだけの理性も理由も生まれなくなった。


 ジードの手がユイの背に回り、抱きしめる。


 とても暖かかった。


 ユイの手が緩み、顔が少しだけ離れる。


 視線が合う。


 きっと同じことを考えたのだろう。


 唇が近づく。


 そっと触れ合うと――


(あっ)


 視界が明るくなる。


 周囲には四人いた。


「な、なななな、なにをしているんだ、おまえは!」


 最初にフィルの怒声が響く。


 慌ててジードがユイから顔を離す。


「ん……」


 ユイが物欲しそうに近づくがフィルが後ろから羽交い絞めする。


「おまえもだ!」


「んー」


 ユイが物心のついていない赤ん坊のように、ただ求めるジードの下に手を向ける。庇護欲求などが増してジードの理性が崩れかける。


「あ、ああの、日中から堂々とこういうことをするのは……よ、よくないかと……!」


 ソリアが真っ赤に染まった顔を両手で覆う。


 だが、その隣でシーラが声をかける。


「そんなことを言うからユイに先を取られちゃうんだよ! 私の手本を見ててごらんなさい!」


「こら、やめなさい」


 クエナもシーラを羽交い絞めにする。


 懐かしく賑やかな周囲。ジードの頬が緩む。


「ははっ」


 ジードが笑い声を出す。


「久しぶりだな、みんな。俺を探しに来てくれたのか?」


「当たり前でしょ。どれくらい行方不明してたのよ」


「一週間とか?」


「一か月よ、一か月!」


「マジか……依頼とか溜まってそうだな」


「そっちの心配なの!?」


 クエナが呆れ声で言う。


「まあまあ、いいじゃないの! ジードも見つかったし、帰ろうよ!」


 シーラが言い、それを否定する者はいない。


 だが、ジードだけは違った。


 周囲を見渡してから顔に影を落とす。


「少しだけ一人でいたい。転移で帰れるしさ。先に帰っていてくれないか?」


「お、おまえが気に病む必要は……!」


 フィルが言いかけて、ソリアが制止した。


 それから全てを察した風のクエナが頷く。


「わかった。待ってるからね」


「ああ」


 全員が去る。


 それからジードは周囲を見て呟いた。


「ここ……あの大きかった都市……だったんだよな」


 ジードの記憶には鮮明に残っていた。


 疑いようのない鮮烈な現実と共に。







 世界は大きく変わった。


 それが良好な結果をもたらすものであるのか誰にも分らない。


 しかし、多くの犠牲者を出すことになったことには変わらない。


(知っていた……)


 スフィはソリアと共にロイターから逃げた。しかし、その後に離れ離れとなってしまっていた。


 スフィは歩き回っていた。


 ロイターから逃げるため。


 あるいは他のものから逃げるため。


(私の責任は大きいと……)


 それは幼い子供の肩にはあまりに重たい。


 ソリアに比べれば偶像としての役割ばかりだったが、聖女に任じられた時から権限は大きなものになった。


 その大きさは、あのロイターがスフィの許可を求めるほどのものばかり。


 スフィはわかっていた。


 責任の大きさと、どれほどの人間に信頼されていたのか。


 神聖共和国は神都を失って一時的に機能を喪失。


 ウェイラ帝国と周辺国家は大きい犠牲と遺恨だけが残った。


 スフィの通りかかった街では涙を流すものや重たい空気に包まれていた。


「結局ウェイラ帝国が勝ったのか」


「ニュースだと一転してウェイラ帝国を持ち上げてるよ。わけわかんねえ」


 新聞を片手に男たちが路地で談笑している。


 スフィはローブを目深く被って正体がわからないように隅で休んでいた。


 嫌でも男たちの声が聞こえてくる。


「でもよ、勇者のジードとかソリア様はウェイラ帝国側だったんだろ?」


「寝返ったんじゃねーの。そもそもジードは勇者を断ってんだから何を考えてるのか分かんねえし」


 男は新聞に唾を吐きかけるような勢いだ。


 だが、もう一人は首を傾げている。


「そうは言ってもなあ。人助けしたとかって話は聞くからよ。俺は最初からジードはなんか良いやつだと思ってんだよ」


「はぁ? おまえ前はジードの正体は魔族とか言ってただろ!」


 たわいない話し合いだ。


 しかし、ここは神聖共和国の街だ。


 アステアを信仰する者も多く、勇者を断ったことでジードに敵意を向けていた者は少なくない。


 それでも街中でこうも堂々とジードを話題に出して褒めそやすのは、今回の戦争の英雄として飾られているからだろう。


(ジードさんが魔族だなんて……あの人は……)


 スフィは少しだけ笑みを浮かべられた。


 疲労が溜まり、空腹感もある。


 だが、ジードの名前を聞けて少しだけ安堵した。


「――それに聖女スフィだって今回の戦争から逃げ出したんだろ? 自分は指示を出して兵隊を向かわせたってのによ」


 民衆にとって偶像や戦争は遠い話であり、もっとも近い話でもあった。


 それは平凡であり、中間であり、普通であり、大多数であるがゆえの存在だからだ。


 そして、だからこそ最大の被害者になってしまう。それゆえに、巻き込まれた批判をする権利を有している。


 スフィが気まずくなり、立ち上がって足早に去る。




 しばらく歩き、スフィは神都があった場所に向かっていた。


 足取りは重い。


 近づく度に汚臭を嗅がされているような吐き気もする。


 それでも歩きを止めない。


(……死ぬ覚悟はある)


 スフィが歩きながらも後悔の念に苛まれる。


 それでもウェイラ帝国やギルドに向かわないのは、むしろ懺悔の気持ちがあったからだろう。


 償いたい想いが足を各地に向かわせる。


 それは奇しくも、幼いながらに罪を認識している証明に他ならない。


 そのスフィが出会ったのはジードだった。


 彼は三角座りで果てない地平線を見ていた。


「ジードさん……」


 思わずスフィが名前を呼ぶ。


 複雑な気持ちだった。


 会いたくなかったような、あるいは逆のような。それとも彼ならば正しく罰してくれるだろうか。


 それらの思いを知ってか知らずか、振り返るジードの顔は一瞬だけ物憂い気だった。だが、それもすぐのことでスフィを見ると明るい顔になる。


「よっ。よく来れたな?」


「す、すみません。私はすぐにでも死ぬべきなのに……」


「え?」


「え?」


 互いに目を見合わせて、ジードが噴き出す。


「違うよ。ここ怖いだろ。ほら、おいで」


 ジードが両足を避けて空間を作る。


 本当なら恥ずかしい気持ち等が先んじて断るところだったが、スフィにそれだけの気力はない。


 ジードならば悪意のある行動は取らないだろうと信じていた。もしくは悪意のある行動を取られても責める道理はないのだと諦めていたのかもしれない。


 スフィは言われるがままに、ジードの両足に挟まる形で座り込んだ。


「わ、わたし……お風呂とかあまり入ってなくて……その」


「良い匂いだよ。それに暖かい」


「ひゃっ」


 ジードがスフィの髪に顔を埋める。


 不意にスフィは気がつく。


 吐き気も心臓の気だるさもない。


 ジードに包まれているから、この場をしめる嫌な雰囲気から守られている。


 だからジードはスフィに場所を指定したのだ。


「ここにあるのは俺の魔力の残滓なんだ。多分クエナやリフ達は気が付いている。俺がここにあった都市を滅ぼしてしまったんだ」


「そ、それはロイターを倒すためなんですよね?」


「どうだろうな……」


 ジードの釈然としない答えに、スフィは深く突っ込めなかった。


 それを聞く権利はないと分かっていた。


 聞く必要もないと分かっていた。


「もしもジード様が都市を……人の命を簡単に奪える人なら、そんな悲しそうな声をしません」


「……」


 返事はなかった。


 だが、スフィを抱く手に力がこもった。


 二人の間に静寂が流れる。


 風すらこの場所には訪れない。


 次に口を開いたのはジードだった。


「これからどうなるんだろうな。俺は罰せられるのかな」


「それはありません。ジード様はこの戦争の功労者なのですから、リフ様やソリア様が守ってくれます。この都市が消滅したこともロイターさんの責任になります。それは事実ですから」


「そっか」


 ジードがあっさりと頷く。


 スフィはまた気が付く。


 そんなことはジードの求めていた答えではない。


「ジード様は償いたいのですね? 誰かに罰せられたいんですね?」


「そうなのかもな。記憶は辛うじてあって、どうしても拭いきれない。胸が痛いんだ」


「私も同じです。だから掛ける言葉が見つかりません」


 スフィの顔に影が落ちる。


「スフィもこんな気持ちなのか。……こんなに若いのに」


「年齢なんて関係ありません……」


 スフィが頭を振る。


 わかっているのだ。


 言い訳ができる立場ではない。


 それは命を預かっている者の責任なのだ。


 だが、ジードはそれを否定する。


「いいや。俺も小さい頃は選択の連続だった。一歩間違えれば死んでいた。でも、おまえは違うんだよな。自分の命だけじゃない。他のやつの命まで背負ってるんだ」


 ジードはうまく言葉にできていなかった。


 しかし、仕組みを理解しかけている。


 スフィのような若い子を偶像に持ち上げたのはなぜか。


 それは周囲が無責任でありたいからだ。


 何も考えずに責任を押し付けたいからだ。


 もっとみんなで分担した方がいいとわかっていて、必要な労すらも拒んでいる。


 しかし、スフィはそんなあり方を認める。


「私が選んだことですから」


 選ばなければ良かった。


 そうしなければ、きっと。


 だが、その言い方は諦念があった。


 あるいは希望的観測だとスフィは思っていた。


「なんで選んだんだ?」


「それは……」


 ふと、スフィが悩む。


 どうして?


 最初の動機は両親の仇を取るためだ。


 そのためにアステア教の悪を暴こうとした。


 それが、あれよあれよと言う間に貴族すら凌駕するような立場になった。権力を持った。名声を轟かせた。


「俺さ、気づいちゃったんだ。だれか一人に責任を取らせるような社会は間違ってる」


「……でも、そうすることで回りやすくなってるんです。誰かが明確な立場にならなければ、責任の所在があやふやになります」


「わかってるよ。俺の言葉は綺麗事だ。でもミスは誰だってする。だからきっと……俺も怖いんだ。俺の力は強すぎる。もしも俺の周りがルイナのように全てを肯定してくれる人だったら……もしも俺が肯定する人以外を望まなければ……」


 スフィは背で感じていた。


 ジードの悲し気な眼差しが向けられている先は神都のあった場所なのだと。


 またこの悲劇を繰り返してしまうのではないか、という恐怖を覚えているのだと。


「――私が支えます」


「スフィ……?」


「正しかったら褒めます。間違っていたら怒ります。そうやって私がずっと支えます」


 言葉には強い芯があった。


 ジードが心に安堵を覚えて、力なく笑う。


「情けないな、俺」


「いえ、ジードさんも私を支えてくれているんです。私はこれから罪を償わなければいけません。民を無責任に動かしてしまった責任を負わなければいけない。その恐怖と向き合うためにジードさんに寄り掛かっているんです」


 そう言うスフィは清々しい声音だった。


 初心を思い出して、自分の気持ちの区切りがついていた。


 新しい目標ができて心の支えが生まれたことも大きい。


 だが、その言葉が意味することは。


「……死ぬ気か?」


「どうでしょう。ジードさんを支えるなんて大層なことを言ってしまいましたが、死刑は避けられないかもしれません」


「俺がリフ達に言って……」


「やめてください。そういう意味で頼ったわけじゃありません」


「……――さっそく怒られちゃったな」


 示し合わせたように二人が笑う。


 だが、ジードとスフィの心の傷はやや癒えていた。


 一日のほんの一部。


 たったそれだけの時間だったが、二人にとっては十分すぎる時間だった。


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[良い点] 個人的にスフィが1番好き。
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