17
ギルドに戻る。
目深く被らせていたフードを脱ぎ、シーラとネリムがリフと対面していた。
「今度は逃げないのじゃな?」
リフがいたずらっぽく笑う。
それにネリムが口をへの字に曲げて返した。
「あの時は敵だと思っていたからね。『アステアの徒』の一人だと名乗っていたし」
「わらわも言い方が悪かったの」
かっかっか、とリフが笑う。
「ちょっと良いか?」
「おぅ、ジードよ。ご苦労であったな。どうかしたかの? 褒賞であれば存分に渡すぞ」
「実はネリムやシーラを連れてくる途中でスフィやロイター達と会ってしまったんだ。秘密裏って条件だったんだが……すまない」
「ふむ。ちと面倒じゃが、こちらで何とかしよう」
顎に手を当てて考え込む体勢を見せる。
見た目から小さな子供が必死に考えている様子に見えてほっこりしそうになるが、そんな場合ではない。
俺の言いたいことはこれだけではなかった。
「話はこれだけじゃないんだ。スフィ達に納得してもらうために勇者の話を引き受けた」
「……そうか」
リフの目が一瞬だけ見開かれる。
それから普段通りに戻った。
彼女の仮面が剝がれ、素顔が垣間見えるほどの話だったのだろう。しかし、そうと気取らせないために隠したのだ。
きっと、あまり見ることのできない表情だったのかもしれない。
「ジードよ。おぬしは勇者に励め。ギルドは……」
「辞めたくない」
言いかけたリフを遮る。
それはあらかじめ決めていた。ギルド脱退の話を持ち掛けられそうになったら言うつもりだったのだ。
「勇者と冒険者を兼任するつもりか?」
「ああ、そのつもりだ」
「それは勇者を軽視しすぎておる。お主の実力は認めるが、人を救うことは簡単ではない。勇者の責務だけを全うすることじゃ」
まるで有無を言わせない様子。
これがソリアの言いたかったことだろう。
事前に何も知らなければ頷いてしまいそうだ。
「勇者になることはスフィと約束したから、辞退することは不義理になる。だけど俺をクゼーラ騎士団から引き抜いてくれたギルドに――リフには恩を感じている」
「くく、そう言ってくれるのは嬉しいの。じゃが、もう十分に返してもらった。無理を押し通してもらうつもりはない」
一歩も引いてはくれないみたいだ。
それだけリフの意思は硬いということだろう。
最中、後ろから援護射撃が加わる。
「ジードは『裏切り者』にはならないと思うわよ」
ネリムだ。
彼女の発言にリフが息を呑む。
「分かっておるのか。敵はどこに潜んでおるか……」
「少なくともここにはいないと思うけどね。シーラやクエナとは結構長い間ずっと一緒にいたし。ジードの覚悟はちゃんと見たわ。アステア側に行こうとも、染まる危惧は限りなく少ないはずよ」
なんの会話をしているのだろう。
しかし、俺が今すぐ会話に割り入って邪魔するような真似はできない。俺の進退を決めるためのものなのだから、余計な口は挟みにくいのだ。
リフが腕を組んで首を捻っている。
「…………」
ああ、やはり幼児を眺めているような心の緩みが生まれてしまう。
だが、そんな見た目に反して、俺の想像では及ばないくらい頭の中ではいくつもの状況を想定しながら悩んでいるのだろう。
「あなたは私を味方に引き入れたいのでしょ。きっと目的は同じだろうから。けど、私からしてみればこの場で一番怪しいのはあなたよ」
「たしかにの。これは一本取られたの」
リフが面白そうに喉を鳴らす。
「あなたを信じて欲しいのなら、私の信じる彼らを受け入れて。ジードは言わずもがな、シーラもクエナも強い」
妙に説得力を感じる言葉だった。
リフが天井を眺めながらため息交じりに微笑んだ。
「わかった。信じるのじゃ」
「前は信じてくれていなかったの?」
クエナが寂しそうに言う。
それには俺も同感だった。
俺はリフのことを信じていただけに、片思いをしていたような胸の痛みがある。
「いや、元から信じてはいたがの。信用が信頼にランクアップといったところか」
その些細な単語の変化の意味よくわからなかった。
しかし、ランクアップならばより良くなったと考えて良いだろう。
それだけで嬉しく感じる俺は単純すぎるだろうか。
「それじゃ、事情を説明してくれるか? 『アステアの徒』だとか【勇者】だとかの話をさ」
「うむ。まずはわらわの過去から話すべきじゃろう」
それからリフが続ける。
「わらわは二世代前の勇者パーティーの【賢者】じゃった」
「「まじか」」
俺とシーラが驚きを示す。
クエナは知っているようだった。
ネリムも頷いている。
「まぁ、そうでしょうね。ちなみに私はいつの世代なの?」
「九つ前の世代じゃの。歴代最強格と呼ばれていただけに、今でもよく名が挙げられておるよ」
「そう、九つも……私たちからさらに八世代も……」
「いいや、四世代前と八世代前は何ともなかったのじゃ。全員が天寿を全うしておる」
「それは良かった。本当に、良かった」
「もしもーし。事情を説明してくれるんじゃないのー?」
シーラが尋ねる。
「すまんすまん。ともかく、わらわとネリムは賢者や剣聖でありながら、勇者と呼ばれる者と肩を並べる存在であった。人族の中でも飛びぬけて優秀じゃったのじゃ」
自分で言うのか、なんてツッコミはない。
リフが優秀である事実はこの場の誰もが認めるところだ。
今回の一件では俺もリフのマジックアイテムがなければ死んでいたことだろう。
「それがどうしてアステアに弓を引くんだ?」
「最初からわらわ達を殺す計画を立てていたからじゃ」
「……えーと。どういうことだ?」
「そのままの意味じゃよ。ジード、勇者パーティーが現れるのはいつ何時かの?」
「魔王が現れた時だな」
「うむ、そうじゃ。魔王は強い。その力で大陸を支配しようと目論むのじゃ」
「それが魔族だものね」
シーラが言う。
そう。
七大魔貴族なんて最たる例だろう。
力こそが全てだと言わんばかりの連中だった。
「しかし、考えてもみるのじゃ。強い者からしてみれば力の使い方を実演してくれる存在でもある。この世界が弱肉強食であることを改めて教えてくれる存在じゃ」
「あまり良い言い方じゃないわね」
「嫌悪感を抱くのも分かるが、残念なことに歴史が証明してしまった。初代の勇者は知っておるか?」
「レイニースね」
当然とばかりにクエナが答える。
もちろん、俺は知らない。
シーラはどうだろうと顔を覗いてみる。
ふふんっと自慢げだ。
あ、これ「知ってた」って顔だ。
さすがに騎士学校の首席だっただけはある。
リフのことも知っておけよとは思うが黙っておこう。何も知らない俺が言えたことではないからな。
「いいや、違う」
……違うんかいっ!
したり顔だったシーラが『ガーン!』と、どこからか効果音を出しながら驚いている。
「どういうこと? レイニースで間違いないはずよ。ウェイラ帝国の皇室で習ったことだもの。万が一の間違いもないわ」
「作られた歴史の話であれば間違いではない。じゃが、正統な歴史は違う。初代勇者は別におった」
「それって……」
「『アステアの徒』だけが知らされる話じゃ。魔王を討伐したのちに感化されてしまった哀れな男の欲望の物語……。大陸を支配しようと目論んだ、もう一人の魔王こそ初代勇者じゃ」
「そんな歴史があったのね」
「ルイナは知っておるじゃろう。あやつも『アステアの徒』じゃからな」
それはつまりウェイラ帝国の皇室であろうとも知らされない話というわけだ。あくまでもメンバーでなければいけない。
「そんなに秘匿される理由ってなんだよ?」
「いくつもあるが、勇者に関しては信頼の失墜を防ぐためじゃの。初代勇者が欲望に駆られて大量虐殺を引き起こした話なんて誰も聞きたくないじゃろう」
どうやら蓋をされた歴史は想像以上にひどいものなようだ。
「なるほどな……それで、その話となんの関係があるんだ?」
「初代勇者が魔王に堕ちたことを受けてアステア教は方針を変えた。突出した力を持つ人族も魔王と共に葬り去ることにしたのじゃ」
「――」
ネリムとリフの悲痛な顔が印象的だった。
「ねぇ、でも殺されたのは勇者パーティーだけなんでしょ? 突出した人族なんて他にもいたんじゃないの? なんでわざわざ……」
「影響力じゃの。大規模な戦争で人を動かすには英雄が必要じゃ。しかし、戦時は役に立ったカリスマ性も戦後には余計な影響力となる。初代の勇者も魔王を討伐した後に国王として暴権を振るったからの。しかし、実際のところ勇者パーティー以外にも秘密裏に処分された人物はおったじゃろう」
「それでも勇者パーティーを悲劇の中心に据えて話しているのは、私たちが直接の被害者だったからってこともあるけど、どの世代を見ても構成メンバーのほとんど確実に殺されていたからよ」
リフの言葉にネリムが付け加える。
「ひどい……じゃあ、リフや邪剣ちゃんのパーティーの人も殺されちゃったの?」
「ええ、私のところは信頼していた勇者が刃を向けてきた。その後は風の噂で病気で死んだって聞いたけど、十中八九殺されているでしょうね」
「わらわの時は聖女の裏切りに遭った。違いがあるとすれば、わらわは『アステアの徒』に対して魔法技術を提供することで助命された」
「魔法技術?」
「うむ。たとえば、ネリムに掛けられていた呪いの魔法に対抗するマジックアイテムがそうじゃ。『アステアの徒』が持つ対個人最強クラスの魔法を無効化した。これは奴らの計画が破綻することを示しておる」
「それを回避するためにリフを仲間に引き入れたの?」
「まぁの。元々はわらわを殺すつもりだったらしいが、やつらの神代魔法を完璧に対処した実力が買われたのじゃろう」
平静を装っている。
だが、わかる。
内に秘めた怒りは果てしないものだ。
リフは仲間を殺されて「よかった、わらわだけが生きておる」なんて言うタイプではない。
「……俺だったら『アステアの徒』を皆殺しにしているかもしれない」
ぼそりと呟く。
それにリフが頷いた。
「わらわもそうしようと思った。じゃがの、奴らの全貌までは把握できなかったのじゃ。あくまでも冷静に情報の真偽を確かめ、追い詰めていく。しっかりと根絶しなければ意味がないからの」
「私とは真逆ね」
ネリムが言う。
彼女はアステアに関連する全てを徹底的に潰していた。
それはシーラを救う目的があったのだから仕方がないとは思うけど。
行動は対照的な二人だが、目的は同じだ。
「わらわは『アステアの徒』に利用されておる。じゃがの、それも全ては組織を崩壊させるためでしかない」
その覚悟に対して真っ先に反応したのはクエナだった。
「相手の大きさを分かって言ってるの?」
もちろん、リフが知らないわけがない。
クエナよりも知っているだろう。
それこそ内部の人間なのだから当たり前といえる。
それでもクエナがあえて聞いたのは、それだけリフが口にしていることの難易度が高いと言っているのだ。
「確実に『アステアの徒』の息がかかっていない実力者を数名囲ってある。ギルドのSランク達じゃ。他にも戦力はおる」
「だとしても、勇者パーティーだけで【星落とし】の剣聖ロイターでしょ。さらにマジックアイテムに長けた賢者のエイゲルもいる。あれは魔法なしで賢者に選ばれた天才よ。それに信者の中にもAランク並みの実力者がゴロゴロいると考えて良いはずよ」
「うむ。相手の数も質も高いと考えるべきじゃろう。しかし、ネリムもこちら側に加わってくれるのじゃろう? 現在でも歴代最強と謳われる剣聖じゃ」
「あの組織を潰せるのなら力を貸すわ。出し惜しみはしない」
さらにリフもいる。
彼女の魔法の腕は間違いないだろう。
勇者パーティーのほとんどを殺している『アステアの徒』があえて生かしているほどの力量だ。
直に見たことは数回程度だが、知識の深さと技術の繊細さは計り知れない。
しかも、ギルドまで動かすことができるのなら、大陸屈指の軍事力を誇る組織が味方に付いているようなものじゃないだろうか。
「そしてお主らじゃ」
リフの目が鋭く光る。
隣でクエナが肩を竦ませた。
「遠慮しなくて良いわよ。欲しいのはジードでしょ」
「謙遜するでない、クエナ。お主も実力だけならSランクと言っても過言ではない」
「私は!?」
褒められると悟ったシーラがガバリと前のめりになる。
リフが苦笑いで頷く。
「シーラも強いぞ。一騎当千じゃ」
「やたー!」
嘘ではないだろうが、見方によっては宥められているな……。
「答えを聞かせて欲しい。もちろん、断ることもできる」
クエナとシーラが俺を見る。
彼女たちは巻き込まれている側なのだから、俺の返答次第で付いてきてくれるつもりなのだろう。
「……『アステアの徒』の行動原理も分からないわけじゃない。『禁忌の森底』で一人ぼっちになった子供の頃を思い出すとさ、今でも悪夢を見るくらいなんだ。強いやつに虐げられる恐怖を知っているから」
「安心すると良い。『アステアの徒』を崩壊させる計画は何個も用意してある。誰の命も奪わないものも中にはある」
「ああ、そうか」
リフに言われて自然と納得する。
彼女ならばそれを成し遂げるだけの知略を巡らせていることだろう。
大きな組織であるギルドを率いるくらいの人物なのだから、信じて良いはずだ。
リフに力を貸すか、貸さないか。
(……もしも力を貸したら?)
多くの敵を作ることになる。
まずはロイターだな。
やつは強い。
ギルド最強なんて言われていた。
俺と戦ったらどうなるのだろう。
……負けるのだろうか。
それにエイゲルか。
串肉屋の息子とは戦いたくないな。
それにマジックアイテムとの戦いも想像がつかない。
俺に恩を感じていると言っていたが、きっと敵に回すことになるだろう。
「すまんの。本当ならば時間を与えてやりたいが、ここで決めてもらわないとならぬ」
リフが回答を催促してくる。
「……神聖共和国も敵になるのか?」
「そうなる」
と、なると。
ソリアやフィルが敵になる。
戦いたくないな。
彼女達も同じ考えだと良いが、俺のように優柔不断ではいないだろう。
どちらもやる時はやる奴らだ。
俺はどうだろうな。
いざ敵になったら殺し合えるのか。
スフィ……
『アステアの徒』がやっている非人道的な行為は知らないよな。
もしも知っていたら止めようとするはずだよな。
俺はスフィと【勇者】になることを約束した。
それは殺されるためじゃない。
スフィの求める救世主ってやつになるためだ。
人を助けるようなものだよな。
大丈夫。
スフィは戦場に出てこないよな。
リフもなるべく平和的に解決してくれるはずだ。
(でも、そうだな。答えは決まっていた)
リフの目を見る。
嘘はつかない。
「協力する。『アステアの徒』がやっていることは許せない」
「そうか、そうか……よかった。ありがとう」
リフの言葉には安堵が伴っていた。
きっと、ここが運命の分かれ道なのだろう。
それだけの一大事が決まったのだと、頭でも本能でも理解していた。




