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光の届かない洞窟。
それもかなり奥深く、高ランクの魔物が蠢いている。
自然の要塞と呼んでも差し支えないだろう。
さらに人為的なトラップが無数に仕掛けられており、攻略は難しい。
最終到着点には、場違いな人工の部屋が設けられていた。
そこにはタンスや椅子、机、ベッドなどがある。
明らかな生活感があった。
危険な洞窟の中にあることを除けば、残すはひとつしか不自然な点はなかった。
ベッドの上で青い髪の少女が眠っているのである。
ただ眠っているのであれば人間の生理現象として片づけられる。
だが、その少女が眠りについてから太陽は何度も地平線を上がり下がりしていた。
「……ちゃんと眠っているようね」
シーラの身体を持つネリムが転移で拠点に戻る。
自らの身体を眺めるのに、違和感を覚えなくなっているようだった。
「あら、おかえりなさい」
「ん、ただいま……――っそうじゃない! なんでここに!」
予期せぬ来訪者に思わず素の返答をしてしまったが、すぐに我に返ったネリムが野良猫のような警戒心を見せた。
部屋の片隅で背をもたれさせていたのはクエナだ。
「私はこれでもAランクでトップクラスの冒険者よ。ここに辿り着けないとでも?」
「……それならどうして彼女を連れて帰らなかったのかしら?」
ネリムが眠る青髪の少女を見る。
「時間がなかったから。あんたが転移したって連絡が来たの」
クエナがギルドカードを見せる。
そこにはジードとのやり取りが表示されていた。
「なるほど、ね。それにしても良くここが分かったわね。すぐに拠点を移そうと思ってたのに」
「アティミアの山とか?」
「残念、外れ。向かおうと思ってる先は一度も足を踏み入れたことがない。あなたも知らない場所。でも凄いわね。あそこに私の拠点があるって知ってたんだ?」
「複数の拠点があることは掴めてたわ。ここに来られたのはジードのヒントがあってこそ。あと勘」
「そういう運や本能も実力のうちって言われてるわね。それも見事。だからこそ勿体ないわね?」
「もったいない?」
「あんな変態男にはもったいないって言ったの」
ネリムが両胸に手を添え、妖艶な笑みを浮かべながらクエナをからかう。それが分かっていても、クエナは顔を赤らめながら全力で首を横に振る。
「ジ、ジードは関係ないでしょ!」
「別にジードのことを言ったつもりはないけど?」
「~~~ッ!」
クエナの脳裏に言いたいことが渦巻く。
しかし、それらを整理するよりも羞恥心の方が勝り、うまいこと言葉が出てこない。
そんな悔しさもあって、目じりに涙を溜める。まるで怒気に呑まれた子供のような顔になっていた。
「ふふ、ちょっとしたイタズラのつもりだったんだけど。でも悪いのはそっちよ? 私が取り憑いている間、ずーっとシーラと話に花を咲かせて。私だって聞いているのに」
「ぅ~~~~!!」
クエナが迂闊であった以上、何も言い返せない。思わず目を瞑りながら地団駄を踏んでしまう。
瞬間、ネリムの気配が鋭く尖る。
「――隙だらけ」
「っなわけないでしょ!」
ネリムの切っ先をクエナの一撃が防ぐ。
それだけではない。
切り返しも鮮やかであった。
これら一連の流れはお手本と言えるほどに完璧である。
だが、互いに褒め合う余裕はない。
ネリムが軽々とクエナの斬撃を避けきる。
自らが攻撃に転じる機会をうかがっていた。
しかし。
(――反撃できない……!)
クエナの剣さばきは苛烈を極めていた。
ネリムのターンは来ない。
(素質のある身体だけど今のままでは厳しい――剣技だけなら)
冷気が全体を包む。
急激な温度の低下にクエナの身体が震えを起こした。
「なっ!?」
「【氷華】」
クエナの足元に花が咲く。
拳ほどの大きさだ。
無数に繁殖して開花している。
特色は氷で出来ていることだろう。
それが襲い掛かる。
当然、硬く、鋭い。
部屋の家具や壁が魔法によって削れる。
「――【裂炎】!」
室温が上がる。
クエナの炎をまとう剣が、花を無下に散らしていた。
しかし、それはネリムが態勢を立て直すには十分な時間である。
「ふぅー……あなた戦うとこんなに強いのね」
「あら。あの史上最高とまで謳われた剣聖ネリムに褒められると照れるわね」
軽口を叩きながらクエナが距離を測る。
ネリムと自身の間合いの距離だ。
だが、予想外にネリムは反応を示す。
目を見開き、油断ともいえるほどの脱力を見せた。
「私がネリムだと……どうして知っているの?」
「リフから教えてもらっただけだけど」
ネリムの敵意が増長する。
「このことを知っているのは他に誰がいるの?」
「リフと私、そしてジード。それだけよ。口外禁止と言われているからね。でも、私の言葉なんて信じるの?」
「信じる。なぜなら、あなたは油断しているから。そういう人は大体口が軽くなっていて本当のことを話しやすい」
「そ」
たしかにクエナには自信があった。
直接対決なら今ほどの自信はなかっただろう。ネリムの本体と戦う羽目になったら退却を考えていたはずだ。
しかし、今は代替魔法を行使してシーラの身体を使った不安定なネリムだ。
何より、理由は定かではないが、なぜかネリムは自分の身体に戻ろうとしない。クエナが自らの勝利を疑わないことは何ら不自然ではない。
「――でも、その余裕もどこまで続くかしら。同等の条件ならどう?」
ネリムが手を伸ばす。
禍々しい魔力が周囲を飲み込んでいく。
淀んでいく空気に、クエナが怯む。
「私と身体を交換しようってわけ?」
「それで五分になるでしょ?」
「……たしかにね」
そうなれば、他人の身体を扱うことに慣れているネリムに軍配が上がる。それは自明だ。
だが、ネリムの思惑通りに事は進まなかった。
「なっ!」
ネリムの魔力が霧散する。
行使されるはずであった代替魔法が消失した。
クエナがしたり顔で腰に手を当てた。
「甘かったわね」
「こうして強制的に打ち消すことができるってことは……あなたも代替魔法が使えたの? そんな風には見えなかったんだけど」
「バカね。そこまで魔法が使えるのなら、そっちの分野を鍛えてるわよ」
「ならどうして……!」
「新しい魔法を教えてもらったの。代替魔法を打ち消すだけの魔法を」
「そんなものがあるなんて……! ここまで高等な対抗魔法……あのリフってやつの悪知恵ね!?」
「いいえ。あなたが実力だけは買っている男よ」
ネリムの脳裏に黒い髪の男が過る。
「ジード……! でも、どうして! そんな魔法を知っていたというの!?」
「手分けして探すことになった時に、『もしかしたら使ってくるかもしれない』ってことで教えてくれたのよ。あいつ、一瞬で応用をいくつも思いついたとか言ってたわ」
「……本当に戦闘能力だけなら凄いわ。私でさえ見たことがない天才ね」
それは強者への媚びでもなければ悔しさでもない、武人として心から出た誉め言葉であった。
クエナは自分のことのように嬉しかったが、一点だけ気に食わない。
「別に戦闘能力『だけ』ってことはないと思うけどね」
「惚れた相手には盲目になりやすい典型ね」
「そう思う?」
「そうよ」
「なら、あなたが節穴ってだけよ。シーラから嫌というほどジードの良いところを聞かされてるはずだろうに」
「だからよ!」
ネリムが声を荒げる。
クエナの指摘が気に入らなかったようだ。
「毎晩毎晩……思考まで同調しているからうるさいったらないわ! 素直で良い子なのに! ジードのことになれば、こっちの頭がおかしくなりそうになるくらい語ったり考えたり! 数百年も邪剣として森の中で同じ光景を見続けても狂うことのなかった私が変になるところだったのよ!」
「あー……」
ネリムのジード嫌いの原因の一端が垣間見えてしまい、さすがのクエナも同情を禁じえなかった。
不意にネリムが素に戻る。
「何より、あいつの余裕が嫌い」
心の底から吐き出した泥のような声だった。
クエナの返事を待つことなく、ネリムが続ける。
「あの戦闘力よ。敵なんていないでしょ。たとえどんな時代に生まれていても英雄になれた。人々の上に君臨することができた。でも、それなのに当たり前の優しさを持ってる。嫌味にすら見える」
顔をゆがめる。
ネリムの瞳の奥はどこか別の場所を見ているようであった。
「考えすぎでしょ」
「それはどうかしら。シーラはあいつに救われた。あなたもジードに恩を感じている部分があるはず。でも、そんなもの幻想に過ぎない。ジード自身すら気づいていない、自分の心の裡にある欺瞞に」
「ジードの優しさが嘘だと言いたいってこと?」
「本質的には、ね」
思わずクエナが失笑した。
「その手がどんな思惑に塗れていても差し伸べられたら救いよ。少なくとも、救われた当人からしてみれば本物の優しさ」
「いかにも綺麗事。烏滸がましい理想ね。……はたして裏切られた時に同じことを言えるのかしら」
クエナが反論を紡ごうと口を開こうとする。
が。
部屋全体に複数の魔法陣が出現する。
クエナにとって身に覚えのないものだった。必然、それがネリムの用意していた罠であったと結びつく。
「――戦場で長話は避けるべきよ。ましてや自分が有利ならね」
「嫌味に聞こえないわね」
「心からの助言だもの」
偽りではなかった。
ネリムはクエナのことを嫌いではなかった。
できれば生きていて欲しい、そう思っている。
だが、クエナは少しだけ違った。
同様の感覚を共有していたが――ネリムにも必ず生きていて欲しかった。
「っま――た! これもあの男から教わったの!?」
部屋の魔法陣がかき消される。
だが、それについてもクエナは身に覚えがなかった。しかし、先ほどと違うのは意外そうな顔ではなかったことだ。
「ちょっと遅かったんじゃない?」
「悪い。でも間に合っただろ?」
クエナが安堵の笑みと共に頷く。
ネリムの鋭い視線が新たなる来客に向けられた。
「――ジード……!」
「その様子だとまだ戻ってないみたいだな」




