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202/269

 ネリムが家を出てから五年の歳月が経っていた。


 彼女は【無類の剣】と称されるほどの独自の剣技を持つまでに至っていた。


 時には傭兵として、時には護衛として、時には食客として各地を流浪している身である。


 大貴族や猛者から求婚されたことも少なくない。


 しかし、首を縦に振ることはなかった。


 結婚を断ったことがきっかけで今がある。もしも求婚を受け入れてしまったら自分が自分でなくなりそうに思えたのだ。




 今は傭兵としての仕事を終え、豪勢な宿を取って一休みしていた。


「ネリムさん、お手紙です」


 女将の声と共に扉下から白封筒が入れられる。


 ネリムは「ありがとう」と返事してから手紙を開く。


 このようなことは珍しくなく、麒麟児であるネリムの姿を見たり囲い込んだりしようとするための手紙がうんざりするほどに届くのであった。


 流浪の身であっても自分の滞在場所の情報が行きかってしまう。その居心地の悪さは既に慣れていた。


 さて、今回も例に違わず差出人は貴族の婦人であった。


 だが、目を引いたのは家名であった。


 すぐにわかる。実家だ。


(そういえば久しく故郷の土を踏んでいない)


 祖国では戦争が頻発しており、小国にさえ足を取られていると耳にしている。


 傭兵として招聘されることはあったが、どこか気まずさもあり、帰るような心境にはなれていなかった。


 何より、疎遠となった家族から便りが届くことがなかった。


 ネリムの名は売れている。


 実家が知らないはずもない。


 ならば娘に連絡のひとつでもくれたらどうなのか。


 ネリムは心の底でそんなことを思っていた。


 そのことも意識的に帰ろうとは思わない事情のひとつであった。


 しかし、そのような心持ちは、手紙の文字を追うに連れて、後悔へと変わっていく。


(どうして……)


 父親の死。


 長男の死。


 とある帝国との戦争の最前線の領地となり、陣頭指揮を執った二人の死が確認された。


 ネリムの手が延々と震える。


 思い返せば不孝者であった。


 十四になるまで何も考えずに甘やかされて育ち、飛び出した時には身勝手にも金になるものと剣を持ちだした――。


 最後まで迷惑をかけてばかりであったことが脳裏を過っていた。


 それは二人の死に際して都合よく思い至ったものではない。


 かねてより心を痛めていたことだったから、ネリムは瞬きする間に涙が零れ落ちていたのだ。




 ネリムが再び故郷の土地を踏む決意を固めたのは、その数瞬後であった。




  ◇




 ネリムの実家は領地を失ったこともあり、王都に居を移していた。


 爵位は格下げになっており、今では子爵とされている。


 さらにネリムの姉で文官でもあった長女が当主を受け継いでいた。


 籍は健在であったこと、母も長女も家を出たことについて責めることはなかったこともあり、ネリムは騎士として王国の守護に勤めることになった。




 王国の領土は最大判図を築いていた時代から三分の二にまで削られており、今は小国と戦っていた。


 王国はアムリヤ


 敵対している小国はスティルビーツ


 兵の数の差はアムリヤ王国が大きくリードしていたが、それを補って余りある実力者が小国スティルビーツには存在した。




 アムリヤ王国とスティルビーツ王国の軍勢が対峙している。


 固唾を飲む音さえ聞こえてくるほどの静寂に包まれた不毛の大地。


 そこにあって、スティルビーツの先頭に立っている黄金色の髪を持つ少女がひときわ異彩を放っていた。


(あれが【聖源】ヘトア・スティルビーツ)


 ネリムは戦場で出くわしたことも、一緒になったこともない。


 しかし、その名前は大陸中が耳にしている。


 当然、ネリムもだ。


 小国の王女でありながらも戦場に出ては尋常ならざる戦果を挙げる。


(なるほど、この圧は凄い)


 アムリヤ王国は揺るぎない列強国の一つであった。


 大規模な軍備を後ろ盾に各国の土地や資産の請求権を獲得することで領土を拡大していたのだ。


 だが、スティルビーツでの第一次合戦で大敗したことを契機に、それ以降は今までの請求権が反故にされ、各国に領土を奪われる始末であった。


 大きく鐘が鳴らされる。


 通常は角笛や太鼓、銅鑼などがメインであったが、アムリヤ王国では鐘が使われていた。その使用用途は限定的である。


(――戦争開始の合図)


 これがネリムにとってアムリヤ王国の一員として戦う初めての戦場であった。




 ヘトアと相対するはアムリヤ王国の近衛騎士団長、宮廷魔法団の団長など、錚々たるメンツであった。


 そこにネリムは含まれていない。


 初参加の戦場であることも踏まえて、ネリムは比較的後方の陣営を任されていた。


(作戦内容はシンプルだけど堅実。一強戦力であるヘトアを実力者が足止めして、少数のスティルビーツ軍団を各個撃破していく……)


 実際に作戦は淡々と進んだ。


 負傷者を出しながらもヘトアを追い込んでいる。


 けれど、ネリムの視線はヘトアに釘付けであった。


 剣技も魔法も見たことがないほどにレベルが高いのだ。


 ヘトアの戦う姿は押されていても他を魅了していた。


「ネリム殿、そろそろ我が部隊も動く。相手の本陣にトドメをさそう」


「わかりました」


 ネリムの所属している部隊も動き出す。


 彼女の中にはヘトアの戦いを見ていたい気持ちが芽生えていたが、感情のコントロールは戦場において必須のスキルである。自らの欲を押し殺しながら部隊の先陣に立って進もうとして――。


 突如として戦場に大量の濁流が押し寄せる。


「これは……!」


 ごった返していた戦況が悲劇の様相を呈していた。


 幸いにして後方のネリム達には被害はない。


 だが、ヘトアがいる最前線は一瞬にして呑み込まれている。


「ど、どういうことだ!」


 部隊長が轟く。


 アムリヤ王国の作戦にはない。


「スティルビーツの作戦……なのでしょうか……?」


 ネリムが顎に手を当てながら考える。


 アムリヤ王国とスティルビーツ王国の兵数の差は明白だった。


 ここで敵味方関係なく壊滅必至の自爆を試みることもひとつの手ではあるだろう。


 多少なりとも戦力差を埋められればスティルビーツにとって御の字になる。


 だが、ネリムには断言できない要素が幾つかあった。


(スティルビーツの動きが遅い……)


 味方の救出や撤退が始まっている。


 だが、攻めの一手を打ってきていない。


 もしかするとアムリヤ王国が押している戦況であったため、スティルビーツ側が戦況のリセットや時間稼ぎのために行使した可能性もある。


 しかし、それにしてはスティルビーツ側の戸惑いが大きいように思えた。


 なにより、


(……強引すぎる。スティルビーツの方針には合っていない)


 作戦内容には国や指揮官の個性が出る。


 この自爆はネリムの知っているスティルビーツの戦い方ではなかった。


『――――』


 特徴的な楽器の音が戦場に流れる。


 それはスティルビーツの陣営から放たれたものだった。


(退いていく……やはりどちらにも関係のない自然現象だったの?)


 慌てふためきながら、両陣営は強制的に剥離された。


 この日、濁流を生み出した元凶を知ることなく、戦場は次の日を迎えるのだった。




 戦況が膠着することは多々ある。


 アムリヤ王国とスティルビーツ王国の戦いも同様に長引いていた。


「ネリム殿、通達だ」


 野営地で部隊長がネリムに声をかける。


 食料の配給に向かっていたネリムは一旦足を止めて敬礼した。


 部隊長は条件反射のまま敬礼を返してから直る。


「先の濁流によってヘトアを足止めする戦力に欠員が出た」


「……では私に?」


「察しの通りだ。だが、無理に連携する必要はない。ヘトアを他の戦場から隔離さえしてくれればいい」


「尽力します。が、彼女は無事なのでしょうか?」


 あの状況では助かっていない可能性も考えられる。


 しかし、ネリムは尋ねながらも一種の確信を持っていた。あの程度ではヘトアをどうすることもできないという確信を。


 実際に部隊長はネリムの質問に頷いて見せた。


「ヘトアが濁流から脱出したところを目撃した者がいる。しかも混乱に乗じて戦場の負傷者を救出していたそうだ」


「それは――」


 見事ですね。


 と、口にしそうになり、止める。


 ヘトアは敵だ。


 褒めるような真似はできない。


 だが、部隊長も察して苦笑いを浮かべていた。


「安心していい。ネリム殿の心境もわかる。私も長い間アムリヤ王国からいなかった時期があった。傭兵として戦っていたから、今日の敵が明日には味方になっていたこともある。ヘトアに戦士として一目置くのは普通のことだ」


「そうですね……」


「手一杯のはずなのに人助けまでするなんて……余裕があるのか、人格者なのか。両方かもな。もしも戦況が続いていたらヘトアが押し返していたかも――いや、これは流石に口が過ぎたか」


 部隊長が頭を左右に振る。


 しかし、ネリムも同感であった。


 それだけに濁流の元凶に疑問符が浮かぶ。


「結局あの濁流は何だったのでしょうか?」


「自然現象ではないな。近隣で雨が降った場所もなければ、氾濫するほど水量の多い川もない。魔法であることは間違いないだろう」


「ですが、あれだけの規模は……」


「スティルビーツの魔法団が一丸となれば可能だろう。だが、やつらは戦場にいた。余剰人員があるとも思えない」


 部隊長クラスも明確な答えは持っていないようだった。


 それは、やはりアムリヤ王国の作戦でもないということだ。


「いずれにせよ、不確定要素を放置したまま戦うのはマズいのではないでしょうか?」


「その考えが正しい。が、戦争とは時に戦場の外から働く強制力で次の行動が決まる。この戦争で領地を多く削られた。講和の条件交渉を少しでも有利に進めるために立ち止まるわけにはいかない」


「継戦ですか」


「上の命令には逆らえん。今日にでも動くかもな」


 部隊長が頷く。


 どちらも飽き飽きしたような顔つきであった。


 それからネリムが別の部隊に配属される旨と、そのポジションを伝えられる。


 ヘトアの出方によって変わるため、何パターンも用意されている定位置を頭に叩き込むのだった。




 再び戦場が動き出す。


 動いたのはアムリヤ王国であった。


 スティルビーツは防戦の構えをしている。


「……」


 ネリムはアムリヤ王国の最精鋭と並びながら気まずさを感じていた。


 じめじめとした土も居心地の悪さを助長している。


(みんな気にかけて話してくれたけど……やっぱりピリピリしてる)


 他国の侵攻を許してしまったこと。


相手がヘトアであること。


 戦況が長引いていること。


 


 内政に対する不満。


 様々な要因が重くのしかかり、誰もがお世辞にも機嫌が良いとは言えなかった。


 だが、戦場が機嫌に合わせるはずもない。


 鐘の音が鳴る。


「行くぞ、ヘトアはあそこだ」




 黄金色の髪が出迎える。




 ネリムにとって、ヘトアとの戦いは一手一手が新しい発見に繋がった。もしも味方がいなければ一瞬にして葬られていたことだろう。


 鮮やかに舞う黄金色の髪さえも美しさに見惚れるための武器だと思えた。


「くそっ……!」


 近衛騎士団長の片腕が飛ばされる。


 新しい人員が補充された。


 ヘトアとの戦いは常に五対一が維持されており、最初から投入された者はもういない。


 ネリムも良くて十数分持つかどうかだろう。


 そんな中で、ネリムはただただ敬意を抱いていた。


(すごい、すごい!)


 間違いなく、人族最強。


 ネリムはヘトアの一撃の重みを噛みしめながら理解させられていた。


(同世代だって聞いてたのに、すごい!)


 それは今まで感じたことのない実力差だった。


 老練さがあり、しかし旧来の戦い方に囚われない新技法が混ぜられている。


 ネリムの剣技も読まれることの方が珍しかったが、それは我流であるが故だった。


 ヘトアの場合は正統な流派の剣術を昇華させている。


 対するには年季が違いすぎた。


(差が付くわけだ――っ!)


 ネリムの剣が大きく飛ばされる。


 武器を握る手の力がない。スタミナ切れだった。


 同時にネリムの引き時を見極めた実力者が代わるように入る。


(すごいなぁ)


 下がりながら、ネリムは悠長にそんなことを考えていた。


 細かい傷を治すために治癒士が現れる。


剣を回収して体力を回復させる。


 


 こうして間断なく、ヘトア一人のために一国の最高級戦力が投入されているのだ。


(私には到底真似できない。いいや、私だけじゃない。きっと誰にも真似できることではない)


 そんなヘトアでも戦場を押し切れていないのは、ひとえにアムリヤ王国の戦力層の厚さだろう。


 こうしてネリムとヘトアの初の邂逅は終わる。


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