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『アステアの徒』
その集会は秘密裏に行われる。
集まるメンツが各界の重鎮であるが故に、リスクを最小限に抑えねばならないからだ。
今回はAランク指定区域である『謳歌の渓谷』で行われた。
数年前から、この集会のためだけに関係者数名だけで建設を進めていた五角形の建造物が、街ひとつを軽く壊滅させる強力な魔物を遠ざけていた。
それだけで最高峰の防衛力を有していると分かる。
人族最大の軍事力を持つ女帝と、実質的に数万の戦力を持ちながら各国を支える組織のトップもまた、そのメンツであった。
リフとルイナは集会を終えて、二人だけで並びながら、閑散とした廊下を歩いていた。
「シーラの一件、助かったのじゃ」
「なに、私としてもジードを敵に回したくないだけだ。やつと戦うくらいなら『アステアの徒』を抜けたって構わないのだからね」
「それは本心か?」
「ここで軽々しく心の裡を晒してしまっても良いのかな?」
「……」
互いに視線を合わせる。
リフは何事をも見抜く瞳を向けていた。
対するルイナはまるで掴めない布のような飄々とした目だ。
どちらも意図を確認するために目を見合わせている。
互いに信頼し合っていないことが分かる。
集会では協力関係にあったとしても、それが友好的な関係を示しているわけではない。利害が一致していたに過ぎない。
ルイナはリフが何も答えないことを察して、別の話に切り替える。
「それで、事情は聞かせてもらえるかな? まさか、あの金髪の少女――シーラだったかな? それが人族全土で指名手配を受けそうになる程の人物だったとは思わなかったんだがな?」
今回の集会の議題のひとつだった。
「アステアに纏わる教会、神殿、組合、像、しかも大聖堂まで手にかけた。はは、孤児の養護施設を避けたのは良心からかな? ……だが、やってることは真・アステア教を敵に回す行為だ。私のように手札のひとつとしてコネクションを作るために形だけ入っているような支援者も少なくないが、それでも人族最大宗派だ。最も影響力をもつ組織だと言ってもいい。なぜ、こんなことをする?」
ルイナとしても考えられる原因を限りなく挙げていた。
他宗派と結託した妨害。
他種族と結託した攻撃。
あるいは苦難を演出するための真・アステア教による自演。
もしくは狂気が為した犯行。
想像する無数の候補があれど確信には至らない。
シーラの情報が少ないからだ。
かつてはクゼーラ騎士団に所属する公人であったが、それは非常に短い期間だ。
親族はいるがクーデターを起こした実父ランデ・イスラ以外に怪しい影はない。
騎士団を抜けて以降、在籍していたのはギルドだ。
だからこそルイナは長であるリフに問うたのだ。
しかし、今度はリフの瞳が掴みどころのないものになる。
仮に嘘をつかれてもルイナは咄嗟に真偽を判断することはできないだろう。
それでも、
「……分からんの。心情の変化は誰にでもあるじゃろう」
リフが適当にはぐらかしていたことくらいは瞬時に理解した。
「ならばギルドから除籍したらどうだ? 指名手配の件にも賛同しておけば、無関係だと言い逃れするための材料になるだろう。ま、格好のうわさ話の種にはなるだろうがね」
「わらわもジードが怖いからの~」
リフがどうしようもなさそうに言う。
これはルイナも言及していたことであり、ジードが敵になった場合の脅威は計り知れないため深く追求することができない。
しかし、ルイナの場合は本音である一方で、リフの場合は逃げ口上に使っている。さすがのルイナも不機嫌な顔になる。
「隠すのか?」
「まぁ他にも理由はある。言ったじゃろう。一度でも籍を置いていた者が大陸全土に指名手配をされてはギルドの名に傷がつく。何より、幾度も襲撃を防げなかった事実は真・アステアの不信も招いてしまう結果に繋がるじゃろう」
用意していた定型文を読み上げる。
その程度の熱量しかない答えだ。
ルイナもそれ以上を掘り下げることはなかった。
さらなる定型文を用意されているだけなのは分かっているからだ。
ゆえに、手法を変える。
「その答えは、今後ウェイラ帝国の援助、ひいては私の後ろ盾がなくとも良いということかな? もしも私の口添えがなければシーラは指名手配されるんじゃないのか?」
それは脅しであった。
ルイナの言うことは正しく、ウェイラ帝国の存在は無視できない。彼女の機嫌を損ねるような真似をできる者は少ない。
できたとしても大半は愚者であろう。
だが、リフは断固とした姿勢で表情を崩さなかった。
「勘繰りすぎじゃ」
「くふふ、そうかい。何かあるように見えるのは私の気のせいだったか?」
ルイナが念を押した。
肝の小さな人間であれば、最低でも汗の一つくらいは垂らしてしまう。まるで蛇が睨んでいるような圧力だ。
だが、リフは再び断ずる。
「ああ、女帝にも間違えることはあるじゃろうて」
さしものルイナとて、これ以上強引にリフから話を引き出そうとは考えない。
だが、ルイナは負けん気が強かった。
「そうかい。間違えといえば、ジードを敵に回す行為は間違えだな。スティルビーツ王国に侵攻した際は自慢の軍隊の大半が機能しなくなった」
「あれの本当の狙いは帝国軍内部の掃除じゃろう。悪いことばかりではなかったはずじゃがの」
リフはその当時、ウェイラ帝国が各国と条約を締結していたことを知っている。内容は相互の不可侵だ。
ルイナが内乱を予期していた事実は疑いようもない。
そして、ルイナ自身も隠そうとしない。
「ま、そういう側面はあるがね。しかし、ジードという化け物の怒りを買うのは辞めておいた方が良いだろう。なぁ?」
「何が言いたいのじゃ」
「もしシーラを守れなかったとしたら、その怒りの矛先はどこに向くかな。大事なものを失った痛みは時間が癒してくれる。だが、長い時間が必要だろう。あの男は一日でどれほどのことをやってのけるかな」
――たとえば、と続ける。
「『守ってくれるはずだった存在』というだけで逆恨みされるんじゃないか?」
それはギルドの危機を示唆する言葉だった。ジードに対する不信感も植え付けてやろう、という魂胆もあったかもしれない。
しかし、リフはやはり隙を作ることはなかった。
「そうはならんよ、あやつは」
「よほど信頼しているようだ。まぁ、何にせよ早いところシーラを見つけなければなるまいね」
――討伐されてしまう前に。
その言葉だけはリフの胸に強く残った。図星であること、自らの遺恨として刻まれていることが要因だったからだ。
人族全土の指名手配は免れた。
しかし、指名手配が掛からなかっただけでシーラは既に罪人であり、各国の治安維持を司る組織からは討伐対象と見なされている。
仮にリフが会合の場で弁明していようとシーラの討伐が解除されることはなかっただろう。
彼女の犯罪は疑いの余地なく、今もなお続いているのだから。
◆
黄金色の髪がたなびく。
女体としてのプロポーションは完璧に近い。
整った顔立ちも魅力を引き立たせている。
その美しさには誰もが固唾を飲むことだろう。
だが、今の彼女――シーラは別の意味で固唾を飲ませていた。
騎士の一人が腰を抜かしながら目じりに涙を溜めていた。
彼は故郷で一番の実力を持っていた。
少年時代から魔物の討伐に参加していた。
神聖共和国の騎士学校では上位に列席し、部隊に配属されてからも将来を嘱望されていた。
だが、今やもてはやしてくれていた仲間は倒れている。
「ば、ばけもの……!」
普段はひとつの教会に騎士の部隊を置いておくことなどしない。
攻撃を仕掛けてくる人物がいることは知っていたが、彼らもさっきまで「過剰な戦力を置いている」と笑っていたくらいだった。
それだけ自信があり、自惚れがあった。
だが、すべての打つ手が絶たれた。
抵抗する術はもうない。
それだけ相手が別格であったのだ。
騎士であるからには引くことはできない。その覚悟はどのような状況にあっても持っていた。
何をやっても無駄であると分かっていて行動できる人間は少ない。
その心は彼が優秀であることを証明していた。
「ふぅ」
禍々しい剣を片手に、少女は一息ついた。
軽い作業を終えた時のように。
少し経って背後にあったアステアの教会が潰れた。
先の襲撃で脆くなった柱が、ついに支えきれなくなり崩れ落ちたのだ。
出火の原因は定かでない。
ろうそくか、たいまつか、シーラか。
いずれにせよ教会が火に包まれる。
「……ん?」
シーラが道端にひし形のマジックアイテムがあることに気が付いた。
それを拾い、騎士に見せる。
「これ、なに? 防衛用のマジックアイテムじゃないよね」
「……!」
騎士は明らかに動揺した顔を見せる。
それからハッと息を呑み込み、口を堅く閉ざした。
「そんな大事なものなの? こんなところに転がっているのに?」
「……」
「ふーん。口を割らせるのは得意じゃないんだけどね。ま、黙ってるのなら覚悟はしてもらうね」
邪剣が怪しく光る。
力の差は明確だ。
騎士ともあろう者だ。
痛みには慣れている。
拷問に耐える訓練も受けてきた。
精神面は強固であると自負している。
それでも騎士は舌を噛んだ。
シーラを捕縛することはできない。
止めることもできない。
だからせめて、何も情報を伝えない。
騎士は今できうる最高の仕事をしてのけた。
「あら……でも応援が駆けつけてるみたいだから死なないわ。その覚悟に免じて今回は見逃してあげる」
あからさまに貴重なものであったが、シーラはマジックアイテムを放り投げて捨てた。
本来なら持ち帰って解体なり分析なりするところではあるが、それは彼女の本分ではない。
ましてや隠密的に動いているのだ。
で、あるならば不用意な物は持ち帰らない方が安全と考えた。
しかし、慎重な彼女の行動も今回ばかりは『不正解』であった。