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「ギルド近いわね。リフに会っとく?」
教会からの帰り道、クエナが尋ねてくる。
特に断る理由もないので頷いておいた。
「なにか面白そうな依頼がないか聞いておきたい」
「あんた獣人族最強のやつとバトルしてきたばかりなのよ……」
少しだけ後ずさりされた。
どうやら引かれてしまったようだ。
仕事ばかりではマズイのかもしれないな。
そんな会話をしていると、気が付けば見知った建物が目の前に現れる。ギルドだ。中に入る。
「ジードさん、お疲れ様です」
受付嬢が声をかけてくる。
軽く会釈をする。
他の冒険者たちの視線も他ほど鋭くない。
同じ職場の仲間という意識を持ってくれているのだろうか。
ここは精神的に助かる。
「今日はどうされましたか?」
「リフに会いに来た。いるか?」
「今はギルドにいません。どうやら『アステアの徒』による会談が行われているそうですよ」
「『アステアの徒』って?」
「アステア教を支持する有力者の集まりです。真・アステアになって以降は勢力をさらに広げているそうですよ」
「ほー……ありがとう」
まぁ、勇者を断った俺には関係のないものだろう。
とにかくリフも忙しいことが分かった。
「それじゃ、掲示板でも見ますかね」
顎に手を当てて面白そうな依頼を見てみる。
「あんたも暇人ね」
「なんだよー、俺と一緒にいるクエナはどうなんだ?」
「私も暇人かもね」
くすりとクエナが笑う。
そんな姿を見て俺も笑う。
この瞬間ができるだけ長く続けば良いと思う。けれど少しだけ物足りなさがあった。――シーラ。
「シーラが家に帰ってるかもしれない。今日の依頼はやめておくか」
「そうね。リフから話を聞けると思ったけど、用事で出かけているのならシーラも無事だったってことでしょうし」
クエナの同意も得て、俺達は帰路に着いた。
◇
クエナの家。
ドアを開けて二人で入る。
「ただいまー。シーラ帰ってる?」
「寝てるのかな」
普段なら明るくて元気な声が出迎えてくれるはずだ。
しかし、応答するのは静寂だけだった。
昼寝をしていてもおかしくはない時間だが、まるで生活感のないような冷たさが漂っている。
中に進んでいくとリビングが見えてきて――シーラが立っていた。
「うわっ! いたのね……ビックリしたじゃないの」
クエナが小さな悲鳴を挙げる。
その驚きはとても分かる。
俺でさえ気配を掴めていなかった。
「……その聖剣」
「ん? ああ、これか。見つけて来たんだ」
シーラの第一声は聖剣紛失についての謝罪や帰宅した者にかける言葉などではなかった。ただ俺の片手に握られている剣に関心を向けている。
しかも、どこか抑揚のない声だ。普段の快活さを知っているだけに違和感がある。
そういえば魔力も見知ったものでは――
「っ!」
剣戟。
黒い魔力を纏った剣の残像がいくつも走る。
咄嗟のことで避けきれずに服に一撃貰ってしまう。
掠った程度だが……なんだ、これは。
「シーラ! なにやってんのよ!?」
クエナには剣を向けられていなかった。
それゆえに気が付かずに声をかけている。
「違う、シーラじゃない」
「えっ?」
俺の訂正にクエナが混乱しているようだった。
容姿、声、すべてがシーラだ。
だが魔力が違う。
磨かれた剣技のレベルが違う。
それに普段のシーラとは違う型をしている。
今まで戦ってきた剣士の誰とも違う。
「おまえ誰だ?」
「私? ご存じシーラよ」
おどけて笑みを浮かべてきた。
それが真面目な態度でないことくらい誰の目にも明らかだ。
クエナもようやく事態を理解したようだった。
「……」
「さすがにお見通しってわけね。ま、隠してたわけじゃないけど。私はあなたたちが邪剣と呼んでいた存在よ。人であった頃の名は――いえ、名乗る義理もないわね。一応言っておくけど、既にシーラの精神はこの身体にはない。でもね、身体は正真正銘本物のシーラよ」
「シーラの精神が身体にない……それ、『代替魔法』ね。対象と自分の身体と取り換える。大陸でも扱える者は数えるほどもいない超高度な魔法だけど」
クエナがシーラの中身と魔法について当たりを付ける。
シーラに偽装した何者かは悪びれもせずにニヤリと微笑む。
「あら、こっちもさすが」
「ふざけないでちょうだい。シーラはどこ? 身体を返して」
クエナが怒りを滲ませながら問う。友人の身体を乗っ取り、自由にしているのが許せないのだろう。
「それはできない。安心して、彼女は安全な場所にいる。無関係な人を巻き込むほど暇じゃないの」
「ジードの服を傷つけて、私の家を荒らしているのに?」
よく見るとシーラ(偽装)は土足だ。
しかも俺との戦闘で幾つかの家具を倒している。
「そこはごめんなさい。――それと、もう一つごめんなさいをしておくわ」
鋭い眼光が俺とクエナを睨みつける。
同時にシーラの手で家全体に仕掛けられていた魔法が発動する。
赤色の剣が襲い掛かる。
青色の矢が降り注ぐ。
緑色の槍が牙をむく。
「――……できれば、その剣は永遠に見つからないで欲しかったっ!」
魔法と共に攻め来る。
「くっ! やめろ!」
こいつの実力は本物だ。
シーラの身体で、シーラ以上の力を引き出している。
手加減することはできない。
足の動き一つをとっても軽妙だ。こちらに合わせている。まるでダンスだ。後ろに下がれば前に来て、前に行けば後ろに下がる。寸分の狂いもない。いかなる戦闘のパターンも経験している。
(なら息を乱して取り押さえる)
上半身での攻撃を増やす。やつの視界が俺の上半身側に向く。後退。に、見せかけて足だけは前に進める。――見透かされた。
いや。
あれっ?
「あっ」
おそらく互いに傷つけない前提での戦いだったのだろう。
思えば殺意はなかった。
聖剣を取るためだけに戦っているようだった。
だからこそ面倒な掛け合いの末に転倒。
シーラの身体が俺の上に乗りかかった状態になる。
むに……むにっ
柔らかくモチモチとした感触で両手がいっぱいになる。
一瞬だけ状況が理解できなかった。
だが。
「な、ななな! なにやってんのよ!?」
クエナの叫び声で冷静になる。
(やっぱり大きい)
不思議とそんな感覚が蘇る。
そういえば昔も触れたことがあったな。
あれはクゼーラ騎士団を壊滅させた後の話だったか……
しかも記憶通りなら更に大きくなったのではないだろうか。
彼女も成長期なのだからそれも当たり前か。
一体これからどれくらい大きくなるのだろう。
なんて感想が一瞬にして過る。
戦闘中だというのに緊張感に欠ける悠長な間だった。
ドスン!
本当の殺意がこもった剣が顔スレスレに突き刺さる。避けていなかったら間違いなく死んでいた。
「……いつまで揉んでいるの?」
シーラの激憤が目で伝わる。
仮にも自分の身体ではないのに大事に思っているようだ。どことなく違和感を覚えたが、先に頭を下げる。
「……すみません」
「シーラも変態だと思ってたけど……あなたも変態だったのね。この変態!」
怒涛の勢いで剣が突き立てられる。
クールに装っているが、おっぱいを揉まれた羞恥心があるようで隙だらけだ。
仕方ない。
シーラの脇の部分を抱き上げる。
幼子を高く上げる要領だ。
「うあっっ! ひゃ、やめなさい!」
シーラの情けない声が響く。
ぶんぶんと剣を振り回しているが当たる気配すらない。当たっても威力がなさそうなので問題ない。
「おまえの目的はなんだ? この聖剣か?」
「……」
俺の問いかけに、押し黙る。
身体にも力が入っていない。
抵抗を諦めたわけではないだろう。
その証拠に剣を握る手は警戒を怠っていない。
それからしばらく無言で目を合わせてきた。
まるで値踏みをするかのように。
「勇者を断ったのに、どうして聖剣を持って帰ってきたの?」
「これは預かっていたんだ。失くしたら探すのが当たり前じゃないか。それから然るべき場所に返してやる。それだけのことだよ」
「然るべき場所ってどこ? ……その聖剣は……――本当の所有者はもういないのよ?」
俺は……少しの間、言葉を失っていた。
彼女が湛えている表情は辛そうだったからだ。こちらの心がズキリと痛むほどに。その顔からにじみ出る感情は演技で出せる代物ではない。
「……どういうことだ? 持ち主はスフィのはずだ」
「いいえ、勇者よ。今から何代前なのか知らないけど、それは勇者のものだった」
「それが受け継がれているってことだ」
「だれが許可したの? 聖剣自身?」
「その勇者ってやつじゃないのか……?」
「そんな話を本人が言ったのならねッ!」
一転。
シーラの顔が負の感情に変わる。
憤り、恨み。
黒色の魔力が彼女を包む。
「これは……転移っ!」
手を伸ばす。
だが、シーラには届かない。
駄目だ。
引き留められない――。
「じゃあね」
するりと、眼前から彼女は消えた。
まるで最初からいなかったかのように。
彼女の痕跡を示すものは荒れたリビングだけだ。
「まったく、何が起こってるのよ?」
クエナが首を傾げて腰に手を当てていた。
すぐさま戦闘から状況整理に頭を切り替えたようだ。
「……ダメだ。探知魔法に引っかからない。クゼーラ王国からは離脱している。ここからはやつの魔力だけを見つけるのは難しい」
「かなり遠距離じゃないの。代替魔法だけじゃなくて転移まで使えるってどうなってるのよ」
「それだけじゃない。剣の腕前も相当なものだった」
シーラ以上の力を引き出していた。
別人の身体でそんなことを可能にするのは、元からトップクラスの実力者くらいなものだろう。
「同感ね。あれは只者じゃない。はぁ、シーラも厄介な奴に身体を乗っ取られたものね。剣技も魔法も尋常じゃないってどんだけよ」
「クエナは犯人に思い当たるやつはいるか? あの口振りから察するに――」
「邪剣の正体は人だった。魔法の腕前はトップクラス。代替魔法っていうのは身体が馴染まないから戦闘力が下がるはずなのに、あの力量。口調は女性だったわね。うん、まあ何人か思い浮かんだ」
かなり確信めいている。
代替魔法の使用者自体が大陸でも数えるほどしかいないと言っていたし、さすがに頼りになるな。
「それじゃあ、探しに行こう」
「どこに?」
「どこにって、シーラを探しに行くんだ。身体が変わっているのなら、クエナの思い浮かんだやつらの身体に本物のシーラが入っているはずだろ?」
「ああ、言葉足らずだったわね」
「?」
クエナが意味深に続ける。
「私が思い浮かんだ方たちは――もう全員この世にいない」
その回答はこの先の道のりが簡単でないことを示していた。
「クエナでも犯人が分からないってことか」
「残念ながら。シーラの演技を疑った方がマシなレベル。代替魔法は最初から使っていないとして……型の違う剣技をいつも以上の実力で発揮して、転移魔法を数日で身に着ければいいだけよ」
それが如何なる難易度であるか知らないクエナではないだろう。彼女とて日々、血のにじむ努力をしてきているのだ。
何よりシーラがそんなことをするメリットはない。
だが、そういう仮説を口にしてみるほど、情報通のクエナでも犯人の正体はハッキリと分からないのだろう。
どうしたものか。