朝
意識が覚醒する。
起きたのだと認識するのに時間はかからなかった。
暖かく柔らかい感触が、俺の頭部を定期的に揺らす。小さな寝息が耳元を心地良くくすぐる。
横を見る。
俺の頭を抱きながら、シーラが眠っていた。
(……これは)
俺の頭部に鼓動を直に伝えているのは、ふくよかな乳房だった。
最強の居心地を覚えながら、俺は再び目を閉じて感触を堪能し――「ぐふぉっ!?」
腹部に強烈な一撃をもらって、シーラから強制的に離される。
「おはよう」
真っ赤なオーラを纏い、目を細めながらこちらを蔑視する美女、クエナ。
痛みに悶えそうだが、なんとか上体を起こす。
「おまえ……結構本気で蹴ったろ」
「結構じゃないわよ。ガチのマジで本気で蹴ったわ」
悪びれる様子はない一切ない。
「ふぁ……なによぉ。どうしたの?」
騒ぎに起こされたシーラが眼をこすりながら視線を漂わせる。
その姿を見て、クエナが眉をピクリと動かす。
「あんた達、聖剣の居場所すら掴めてないのに何やってんのよ!」
「えー、休息は大事でしょ?」
「ええ、とても大事ね。それには賛同するわ。この三日間ほとんど寝てなければね!?」
ごもっともな怒りが飛来する。さすがのシーラもこれにはちんまり。
「まあ落ち着けって。俺がどうしてクエナの家に寝泊まりさせてもらってるのか忘れたか?」
「そりゃ、宿のおばちゃんに迷惑をかけないためでしょ」
「え、違うわよ。私と一晩の過ちを犯してしまうためよ?」
「はぁ!? 私がいない間なにしてたのよ!」
シーラの悪ふざけにクエナが顔を完熟したリンゴ色に染め上げる。安心していい。ここにいる全員はおまえのように全員初心なままだ。勝手に寝転がっていたのに、起きたらシーラがいただけなのだから。
まぁ、面白いから黙っていよう。
「そんなことよりも、だ」
「はぁ!? そんなことって! 私はこの家の家主で――!」
「俺が普段寝泊まりしている宿から出払ったのは、クエナの言うとおり迷惑をかけないためだ。ここは一等地で騎士団の巡回もある。それにAランクが二人、Sランクが一人いる家にわざわざ出向こうとするやつもいないしな」
「……むぅ。ま、そうね」
「聖剣を無くした当日、俺たちは探し回ったよな。それこそ王都だけじゃない。近隣の森まで」
「まぁね」
「でも見つからなかった。細かいところまで探してはいないが、あれはそこそこ目立つ。なのになかったんだ」
「だから早くもっと外側まで手を回さないと」
ようやく話が回帰する。
しかしながら、と俺は付け加えた。
「俺が外に出るのはあまり良くない。正直、勇者を断ってから異常ばかりだ。聖剣を探しているのがバレたら邪魔されるかもしれないし、それに――」
冒険者カードを取り出して、依頼の欄を開いて彼女たちに見せる。
そこには『指名依頼』『キャンセル』の文字がいくつも並んでいたのだ。
「なにこれ……イタズラ?」
シーラが嫌悪感を顔に出しながら、確信をもって問うてくる。
「ああ、何度受けてもキャンセルされる」
クエナが腕を組んで鼻で笑う。
「バカね。Sランクへの指名依頼は手数料だけでもお金が相当かかるのに。キャンセル料金も含めたらイタズラにしては冗談じゃ済まないわよ」
「それでも何度も何度もやってくる奴らが何人も……いや、下手したら何十人もいる」
「さすがにギルドに報告したら?」
シーラの心配そうな声が優しく響く。
たしかにそれは俺も考えた。というか、ギルドに報告した方が何らかの対処をしてくれるのは普通のことのはずだ。
しかし。
「まあ、キャンセル料の何割は俺が貰えるからさ」
「「ちゃっかりしてるわねぇ……」」
なんだかんだ、お金は結構大事だ。
森にいた頃には想像もしていなかったものだが、これは人との信用に関わってくるレベルの物なのだから。
なんて考えながらも、別の理由はちゃんとあるのだが。
「――なんじゃ、『本当に依頼したい人がいるかもしれないから指名依頼を閉じたくない』という本音は話さんのか?」
神出鬼没。そんな言葉が頭を巡る。俺の背後に突如としてリフが現れ、肩に手を置いて身を委ねてくる姿勢を取ってきた。
「「……し、心臓が飛び出るかと思った」」
クエナとシーラが左胸を抑えながらリフを見やる。
転移の魔法は使用者が極めて稀であるため、Aランクの彼女達でさえ、いきなり目の前でやられたらビックリするのだろう。
「ふっふ、気絶したら面白かったのじゃがのお」
無邪気な子供のような笑みで、悪魔じみたことを平然と言う。
とはいえ、彼女が本気で脅かそうと思えば更なる手段も講じることができるだろう。これはあくまでもなれ合いの範疇であるからこそ、軽いイタズラだと分かる。
クエナはそう思っていないようだが。
「ふぎゃっ! いきなり殴るなんてヒドいのじゃ! そこまで驚かしたつもりはないのじゃがの!」
「これは不法侵入の分よ。あと土足」
「あ。これはすみませんと言っておくかの」
子供用の靴を脱ぎながら、てへぺろと笑うリフ。これが本当にギルドマスターであるとは思えないな。
「それで。あんたがなんの用よ? 色々と忙しいでしょ、今のところ。ギルドから勇者パーティーを二人も出すなんて」
「二人? ああ、俺とスフィか」
「いいえ、ジードは除いてるわよ。一人目は聖女スフィ。そして二人目に最強と名高いSランクの剣聖ロイター。別名は【星落とし】なんて呼ばれてるわね」
「おお、その二人か。なるほどな」
スフィは当然のことだとして、ロイターの方も名前くらいは何度も聞いている。
「もしもジードが断らなければギルドから三人も輩出して大変なことになってたわよ。今でさえお祭り騒ぎだけど」
「わらわの目は確かじゃからの」
「国からしたら警戒対象でしょうけどね」
「労働者と社会の扶助組織なんだがのぅ。少なくとも表向きは」
「表向きはって……」
リフの失言にクエナが若干引いている。
「話を戻すがの。ここに来た用事は三つある!」
ばばーん!
どこから出したのか効果音を背景にリフが三本の指を立てた。まずは人差し指を下す。
「一つ目。ジードよ、改めて聞くが指名依頼を閉じるつもりはないか?」
「ない。一日に数件から十数件程度だからな。嫌がらせにしても静かなほうだよ」
「ギルドとしても手数料とキャンセル料だけで相当美味しいしの。そうしてくれると助かるが……本当に良いのか? 通知を切ればうるさくないじゃろうが、おぬし震えるようには設定しておるのじゃろう?」
「まぁ、そうだけどさ……本当に依頼したい人が現れるかもしれないから」
「ふむぅ。酷な話をするが、勇者を断ったおぬしに依頼をしたい者がいるかどうか分らんぞ?」
「それでも、だよ」
リフの気配りは嬉しい。
それでも断ってしまうのは我ながら頑固かな。
「わらわは好きじゃよ。ジードのそういうところがの」
「私も好きー!」
リフの悪ふざけにシーラまで乗っかってくる。嬉しさもあるが、恥ずかしさの方が占めている割合は大きい。
「こ、子供じゃないんだからやめなさいよ」
「良いじゃないの、子供でも!」
「そうじゃそうじゃ。それにわらわは子供じゃよ」
「こんな時だけ自分を子供扱いするなんてズルいわよ……!」
「かっかっか。それから二つ目じゃがの」
リフが中指を下そうとして――。
「むむっ……お、下ろしにくい……」
「最初から薬指の方を下ろした方がいいんじゃないか?」
なんとなくこうなる予想はあったので、用意していたアドバイスをプレゼントしてみた。するとリフがすぐさま試す。
「おお! たしかに薬指から下ろした方が楽じゃの!」
とても楽しそうに何度も何度も繰り返している。
すると事故って薬指と人差し指だけを下した状態でクエナに向けてしまった。
まあ、これも予想通りだった。
二発目の拳が再びリフの下に降りかかった。
「はやく二個目の要件を言いなさいっ!」
今日も今日とてクエナは暴力的だ。




