28
「なぁ、ユイ」
俺達は東和国を見渡せる山にいた。
中々辿り着けるような場所ではない秘境だそうだ。
それでも、ここに来れば東和国を一望できる。
第一頭任を倒してしまったせいで詳細な地図が無くなってしまった。そこでこの場所から測量を行うそうだ。
俺たちはその護衛のようなものになる。
ただ観光と言われても変ではない、綺麗な景色ではあるが。
「なに?」
ユイが静かに返事をした。
いつも通りの彼女だ。
「おまえが滅ぼしたい『和』ってやつは、そんなに悪いものなのかな」
「……」
目は合わせてくれない。
それでも耳を傾けてくれているのは確かだった。
「俺たちが帰って一日や二日、ルイナがすごい勢いで局所を制圧したよな。でも抵抗勢力がたくさん現れた」
彼らは頭任や主要幹部殺害を大義に、一般民衆を扇動して戦おうとした。
ルイナからすれば予想通りだったそうだ。
それでも、抵抗勢力の士気は際限なく高まっていた。決して容易い敵ではない。
「――結局、やつらは戦わなかった」
誰が言い出したのか、それは分からない。
だが、確実に言えるのは剣や槍を放棄したやつが現れ出した、ということだ。
ソリアの渡す薬が効くと分かると、この戦いが無意味であることを悟りだしたのだ。
扇動していた者たちも諦めた。
「そこには『和』があったんじゃないのか? 血を流さずに済んだのは、おまえの嫌いな思想なんじゃないのか」
「……」
ユイの表情から考えを読み解くことはできない。
奥歯を噛みしめることも、眉間にしわを寄せることも、瞼を狭めることもしない。一切の機微を見せないのだ。
だから俺は分からない。
ユイが俺の言葉をどう思っているのか。
おそらく久しぶりになるであろう故郷の大地に足を踏みしめている彼女が、なにをしたいのか。
「――ジードさんの言う通りです」
不意に背後から声がかかる。
ソリアだ。
隣にはルイナもいた。
きっと首脳で集まって、この東和国を一望できる場所で今後の話し合いでもしていたのだろう。
ここにはアトウや第四頭任が来ていることも事前に話されている。
「『和』とは同調圧力を別の言い方にしたもの。東和国の特別な言い回しです。そしてそれは東和国だけのものではありません。私たちの中にも少なからず存在しているものになります」
凛とした顔でソリアがユイを一点に捉えた。自らの胸に手を当てて、ソリアが訴えかけている。
「まぁ聖女の言う通りだな。どんなものにもメリットやデメリットがある。ユイや家族の被害は、そういった『和』のデメリットだ。――とはいえ、おまえが滅ぼしたいのなら滅ぼしても構わないさ」
それがユイの願いなら――。
ルイナは褒賞を淀みなく支払う。それは何度も何度も聞いている。
ユイはこれまでルイナに多大な貢献をしてきたのだろう。だからルイナも一国丸ごとの人間の考え方を強いるような真似もするはずだ。
「……それはダメです。私たちの目的は保護にあります。保護するために必要なら些かの犠牲は厭いません。が、これは過剰なもの。許されるものではありません」
「いいや、私が許す」
「ルイナ様……!」
ソリアとルイナの意見は対立しているようだ。
俺からすればどちらの意見も理解はできる。
当のユイは佇んだまま東和国を見つめていた。
たとえ彼女がどんな選択を取ろうとも、俺は。
「……――ユイ様……ですか?」
ふと、ユイが呼ばれる。
振り返ると、見知らぬ顔の数名が遠慮深く身体を縮めていた。
身にまとう衣服を見れば東和国の民だろうと察しがつく。
「……ああ……良かった……! 生きていらしたのですね……!」
「我らは亡き御父上を敬っておりました! どうかこちらへ! ここならば近い!」
彼らが先導して歩み始める。
全員が喜色を浮かべ、目じりに涙を溜めていた。
「行ってみよう、ユイ」
何があるのか分からない。あるいは罠である可能性も否めない。
それでも彼らが嘘をついているようには思えなかった。
「……ん」
ユイが頷き、俺達は突然現れた人々に付いていく。
かなりの秘境だというのに、彼らは臆することも迷うこともなく進んでいく。どうやら見知った道なのだと分かった。
「……着きました!」
すぐに開けた場所が見えた。
彼らの一人が言っていた『ここならば近い』は、この場所を指していたのだろう。
秘境で、何があるのか。
(――石?)
三つ、大きな石が並べられている。
その石には文字が刻まれていた。
ムラクモ・ミナト ハナネ トツサ
(ああ……名前だ)
誰の?
ユイを見れば分かる。
頬に涙を伝わせている彼女の顔を見れば分かる。
第一頭任が言っていた。
『殺したはずの死体が消えていてな』と。
ここにいたのだ。
彼女の家族はここで眠っていたのだ。
「こんな辺鄙なところで申し訳ありません。でも、俺たちは弔いたくて……!」
「たとえムラクモの一族が蔑まれようとも、我らはこの墓を手入れしておりました。我らだけではありません。どこから聞きつけたのやら、方々から沢山の人が参っておりました」
「我らの胸にはミナト様の掲げた『和』がありましたのでっ!」
その屈託のない笑みは純粋なもので。
どれだけユイの家族が慕われていたのか良く分かるものだった。
「……ぁぅ……」
大粒の涙がユイから止めどなく零れ落ちる。
ついには弱々しく墓石に寄り掛かった。
肩を震わせるユイの頭を、ルイナが軽く撫でた。
「私の胸ではないのか。すこしだけ妬けるじゃないか」
なんて、ルイナが小さく笑いながら。
その光景はどこか優し気なものだった。




