24
もうすっかり陽も暮れた。
人々は家に帰り、夜の街が賑わい始める頃合いだろう。
第三頭任の領地からは笑い声の一つもないが。
「死にかけの街だな……」
そもそも生きているのかさえ分からない。
光はぽつぽつと確認できるが、月が照らしていた方が街は明るいくらいだ。
「……」
ユイが平然と平屋の上へと昇った。物音がひとつもない。さすがは元々隠密部隊に所属していたと噂される実力者だ。俺も音を立てないように動こうとはするが、かなり疲れるな。
それから街を抜けていくと中心部に着く。そこには城と呼べるほどの場所があった。
「あそこか」
「……」
ユイの足が一瞬だけ怯む。
やはり彼女なりに緊張しているようだ。
「――行けるか?」
言葉で背中を押す。
距離でいえば短い。しかし、精神的には決して容易くない道のりだろう。
「……ん」
ここにきて初めて返事をしてくれた。
覚悟は決まった……そう取っても良いのだろうか。
もし弱音を吐いたとしても、俺はそれを受け入れるつもりだった。しかし、ユイは進むつもりなのだ。ならば止めることもないだろう。
ユイが進み、俺は着いていく。
それは城の中に入っても変わらない。
(……これは)
音すらない、一見すれば綺麗な状態なままで廃墟となったような場所。
しかし、探知魔法でかかった結果は違う。
俺たちを歓迎する用意はできているようだ。
「ユイ」
「……」
俺の一声と共にユイが小刀を抜く。
それから襖――アトウから教えてもらった東和国の扉――を横に開ける。
「ふんっ、来ると思っておったぞ」
第三頭任の領主が出迎えた。
華々しい恰好をしている。露出度が高めの色香を漂わせる風体だ。しかしながら、厚化粧をしていても分かるほどに年齢を刻んでいる。およそ50代といったところか。
周囲には手練れの護衛が五名ばかり構えている。四方を襖に囲われているが、俺たちの方面を除いた三方の奥にまだまだ隠れている。
「……サカキ・コマ」
ユイが第三頭任の名を呼ぶ。するとサカキと呼ばれた女性が顔を歪ませて吐き捨てる。
「私の名前を呼ぶんじゃないよ、裏切り者の末裔が!」
女の怒号と共に側近が俺たちに斬り込む。
しかし、彼らは勢いのまま俺達の横を通って倒れた。
ユイの小刀が残像で伝える。彼らを倒した、と。圧倒的な剣速だ。
「ふん、あんな小娘が良くも育ったねぇ。小汚く生き残りやがって」
「随分と口調が荒いな。ユイが何かしたわけでもないだろう」
「その小娘の血筋は生きているだけで罪なのさ! 死して償え!」
言って、襖に隠れていた兵たちが現れる。
「……俺たちがここに来たのはそんな下らない話のためじゃない。ただ神聖共和国の保護を受けてほしいんだ」
「はは! この数を見て恐れをなしたのかい!? バカ言っちゃいけないよ。――こいつみたいにねぇ」
言って、女が放り投げる。第三頭任に送り出した使者の一人を。あるいは使者だった肉塊の一部……首から上を。
交渉は決裂なようだ。話す余地すらも与えてはくれない。
明確な敵意の証明が眼前にあった。
「……!」
俺よりも早く、ユイが護衛兵に刃をぶつける。
軽やかで止めようのない動き。ただ、俊敏さによる圧倒だけだ。かまけている部分を感じる。
ユイほどの凄腕ならば経験から相手の次の反撃も分かるはずだ。しかし、今のユイの戦い方は力で制している。
それは正しくもあるが、どこか彼女らしくない。
ユイの戦いは数度しか見たことがないが、鮮やかで洗練された動きをしていたはずだ。
「なっ……なっ……!」
サカキの動揺が見て取れる。
ユイが兵を殲滅した。
彼らが弱いわけではない。むしろ強い部類に入る。
だが、ユイは彼らを苦もなく凌駕する力量を持っていた。それだけのことだ。
「もう一度、問うぞ。保護領に下るか?」
もはや脅しだ。
それは自分でも重々承知している。
「――このクソどもがぁ! 父親だけでなく娘までも裏切るのかい!!! どうしようもないクズが! どうせゴミを食らって生きてきたんだろう!? そんな汚い豚が――」
ユイがサカキの首を刎ねた。
止める気は……起こらなかった。
「次はどうする?」
「……」
ユイが死体を一点に見つめている。
俺の言葉は届いていないようだ。
彼女の脳内は任務どころではない、のかもしれない。
どうするべきなのだろう。
任務に集中させるべき、なのか。
「ルイナから何か聞いていないのか?」
ユイの肩に触れて、尋ねる。
そうしてようやく気を取り直したようだった。
「……ぁ」
ユイの振り絞った声がそれだった。
何もない、虚空を見つめながら懐から一枚のメモ用紙を取り出す。ちらりと中身が見える。名前と場所。きっとこれから『話』をつけにいく者達だ。
ひらり、と紙切れが落ちる。
ユイの手は――震えていた。
(……ユイ)
メモ用紙はルイナが念のために持たせていたものだろう。
しかし、隠密行動をするのに普通は持たない。作戦の内容がバレるようなマネがあってはいけないからだ。
だから作戦前にユイも紙の内容をすべて頭に叩き込んでいたはず。
それでも取り出して思い出そうとしたのは、きっと頭が真っ白になったから。
手の震えは……
(動揺か)
少しずつ、ユイの顔が青白く染まっていく。
感情が解凍されている。
「……が………ま……ん……」
風でもあれば掻き消されそうなほど小さな声。
ひどく弱々しかった。
「やめとけ、我慢なんて」
こういう時にどうすればいいのか、分からない。
でも、ルイナならきっと。
そう思って取った行動が抱きしめる、だった。
「……!」
ユイが目を大きく広げながら俺を見上げる。
普段はうすぼんやりと目を開いているので、なんだか珍しいものを見た気分だ。
ましてや辛そうに涙を溜めている姿なんて……一生見ることはなさそうだ。いや、見たくもないな。
「すまん、いやだったか?」
「あたた……かい」
ぎゅっと俺の胸倉を掴みながら、頭をうずめてくる。
「お気に召したのなら何より」
探知魔法で色々と集まってきているのを感じ取る。
面倒になる前に退散するとしよう。
「転移」
そう言って、さっき通った森にユイを連れて移動した。




