16
それから俺たちは東和国の第五頭任の領地へ足を踏み入れた。
文化に多少の違いはあれど、文明レベルは大陸と大して変わらなそうに見える。
だが、領地の街並みは疫病が流行っているためか活気がないようだ。
かつては露店を営んでいたのであろう廃棄物が転がっていて、家々は扉や窓を閉めている。
こうなっている原因は戦争をしていることもあるのだろうけど。
「アトウ様! その方々は……?」
俺たちを迎え入れた男が怪訝そうに尋ねてくる。
「大陸の方々だ」
「大陸の!? し、しかし戦争中では……!」
「それとは別の国だそうだ。それよりも一人でいいから病人を連れてきてくれるか」
「病人と言いますと……まさか『神の息吹』の……?」
「ああ。――彼らが特効薬を持ってきてくれたのだ」
アトウが言うと、男が肩を脱力させてありえないものを見るような目つきになる。
しばらくキョロキョロと目じりに涙を浮かべていた。
「……わかりました! 今、連れてきます!」
ここでもアトウを裏切ったなどと言って戦闘が起こるかもしれないと懸念したが、そうはならなかったようで一安心だ。
それから神聖共和国の兵士が即座に対応できるよう、路上で荷馬車から特効薬を並べていた。
ソリアが近くに寄ってくる。
「感染するかもしれません。ジードさんにも打たせてください」
「予防にもなるのか?」
「はい。ジードさんほどの方ならば疫病なんて物ともしないと思いますが」
「いいや、万が一でもうつったら大変だしな。ありがたく使わせてもらう」
実は初めての注射だった。
異物が身体に入るのは違和感でしかない。最初は無意識に魔力で皮膚を固めてしまったが、受け入れれば何のことはなかった。
それから病人が運ばれてくる。
かなりの重病者のようで左胸のあたりを苦しそうに掴みながら悶えている。そして、その手さえも黒ずんでいた。
「注射してください」
ソリアに言われると騎士の一人が慣れた手つきで特効薬を差し込む。
しばらくの間は苦しんだままだったようだが。
「……ぁれ……?」
力んでいた手が緩んでいる。
顔色は落ち着きを取り戻し、自分の身体を眺めていた。
黒く染まっていた肌色は少し青白いが正常の範囲に戻っている。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
「は、はい……」
「痛みや苦しいところはありますか?」
「な、なんだか楽になっています……苦しくないです……!」
効いたようだ。
それを聞くと騎士の間でも歓喜の声が漏れた。
見るとアトウが涙を流している。
「……本当に効いたのか。それもこんなすぐに……」
半信半疑だったのだろう。
アトウの肩には多くの心配事があったはず。
それが報われた瞬間を目の当たりにしたのだから、この反応も自然なものだ。
「エルフの神樹を基に作った薬です。身体に害はなく、即効性も高い。万能薬とまではいきませんが、今回の疫病に対しては最強と言ってもいいでしょう」
ソリアが応えた。
前にもそんなことを言っていたのを覚えている。
アトウが不思議そうな顔をした。
「エルフの……? 聞いていた話ですが、大陸は常に争っているのではないのですか? 特に種族ごとになると惨い戦場になると聞いていますが」
「かつてはそうでした。エルフもまた人を拒みそうになって……でも、ジードさんが動いてくれて。彼らを助けて。そしてこの薬の基にもなった神樹をもらえました」
ソリアが俺を立たせる。
本当は彼女だって、そして隣にいるフィルだって。ギルド職員のルックだって。――今、東和国が戦っている軍の一人であるユイだって動いた功績なのに。
それでも俺を立てたのはきっと説得力を持たせるには一番シンプルだからだろう。
俺が東和国の軍勢を一瞬で沈ませたから。
だから今はその一言だけで済ませるのが一番早く、そして納得がいく。
「……とてつもない。我らの理想とするべき和だ」
ソリアが褒めてくれた理屈はわかるが照れ臭いな。
ここにいるのも気恥ずかしくなるくらいだ。
不意にアトウが続けた。
「ジード様、ソリア様。どうか我が屋敷に来てくださいませんか。折り入ってお頼みがあります」
その目は必死に縋るような眼差しだった。




