おうまいがー
「ふむ。めんどうだな」
クオーツがそんなことを言う。
「だろうな。もう押され始めているんだ。大人しく降参でもしたら良いんじゃないか?」
そんなクオーツに俺は言う。
ウェイラ帝国の参戦で戦線は一気に魔族不利に傾いた。
各軍団長クラスが六魔将との戦いにも混ざっている。それでもやはり難敵であることに変わりはないようで、クエナ達も未だに戦い続けている。
「ふはは、違うな」
「違う?」
「私が言っているのはおまえのことだ、人族」
戦況ではなく、俺。
ただ俺だけを見てクオーツが言った。
「おおかたフラウフュー・アイリーにでも唆されたか、もしくは金銭で雇われたのだろう?」
「フラウフュー……?」
「なるほど。通名のほうか。では、フューリーと呼べば納得いくか?」
「ああ、そいつなら知っている。依頼主だ」
俺の返答にクオーツが得心のいった様子で頷く。それからしばらく考える面持ちで空を仰いだ。
「では、どうだろう。私に与返してみないか」
「それはギルドの規約で禁止されているから無理だ」
「禁止……禁止か。では領土をやろう。魔族の一角を握るが良い、人族よ」
「領土なんてものも興味ないな」
「なぜ?」
クオーツが言う。
……なぜ、か。
「想像できないからだ。俺は今よりも熾烈な環境にいた。そこから抜け出せるときは心が揺らいだ。それはきっとマシな環境になると分かったから」
「だから今よりも良い環境になると理解できない、と言いたいのか」
「それだけの知識も娯楽もまだ味わっていないからな。だから今はまだ興味ないんだ」
「……ふ。欲がないように見えて、実は底が見えないだけか」
俺を覗いたような、そんな言葉。
そして諦めたようにクオーツが続けた。
「時期が悪かったようだ。おまえを引き抜けなければこの戦いは負けたも同義」
それは彼だからこそ言えることか。
「未来を見たのか?」
「私が見えるのは遠くて数分先だ。そして数多あるパターンを読む」
「……」
どう息をするか。
どう足を運ぶか。
どう腕を動かすか。
いかにして魔法を喰らわせるか。
いかにして傷をつけられるか。
いかにして死を与えるか。
「――全てで私は負けている。どれも数秒、数十秒だ」
だから戦闘を吹っ掛けることもなかったようだ。
交渉をして俺を味方に付ける選択しかなかったと。
「なら、俺の答えは分かってたろうに」
「未来を見る条件は色々とあるのだ。たとえば私が予測したいと考えたものでなければならない、とかな。万能ではない」
俺を引き抜けなかった時のことは考えたくなかった、ということだろうか。
いや、もしくは、それも知ったうえで聞きたかったのか。
「全軍、撤退しろ!」
クオーツが大声を挙げる。
それを聞いた連中が悔しそうに、嬉しそうに、多種多様な顔を見せた。眼前にいたクオーツも撤退に合わせて退いている。
ウェイラ帝国がその敗残兵を確実に撃破している。
それも執拗なまでに――。
「ふむ。てっきりあの男はおまえが倒すものだと思っていたがな。ジード」
後ろからルイナが声をかけてきた。
相も変わらず芯が一本ある立ち居振る舞いをしている。
「降参されたんだ」
「知っているさ。じゃなければ奴らが退く理由はない」
「俺は随分と評価されてるみたいだな」
「ああ、私はおまえを愛しているからな。評価は過大以外あり得ない」
……なるほど。
めちゃくちゃ気恥ずかしいな。
心がふわふわ浮かぶ。そんな感触さえ覚えた。
「それよりもだ。どうしてルイナやウェイラ帝国がここに来た?」
「リフから聞かされたのだ。『今なら魔族領土を取れるかもしれないぞ』とな」
俺やフューリー、そしてギルドのAランク冒険者たちとクオーツ側の戦争の件だろう。
空いたユセフの領土を取るために動いているわけだ。
「……なら俺とも戦うことになるじゃないか?」
「ふふ。いや、ここは取りはしない。ジードを敵に回すような真似は死んでもご免だ」
「じゃあどこを……ああ、そうか」
そういえば、さきほどクオーツの軍勢を死ぬまで追いかけていた。
きっと、それだ。
「その通り。もう既にクオーツ領の一つはこちらの手に落ちしている。あと一つも軍事行動をしている真っ只中だ」
混乱に乗じて、か。
「かなり不穏な動きをするんだな。人族と魔族は停戦中だろう」
「今回、来たのはウェイラ帝国の軍だけじゃない。混成軍だ」
「人族は戦争をするつもりなのか?」
「機運が高まっている、というだけだよ」
ルイナが不敵な笑みを浮かべる。
その機運を高めているのは誰なんだろうか。
「あー! 女帝!」
俺とルイナの会話に混ざる人物。
シーラだ。
かなりボロボロになりながらもズンズンと俺達の方に向かってくる。
「おやおや、私直々の勧誘を破った面々ではないか」
他にクエナとフィルもいた。
ルイナのセリフを鑑みるにフィルも勧誘されたことがあるのだろう。きっとソリアもそうだ。
聖女と剣聖はネームバリューだけでも高いくらいだから。
「うぬぬぬ! ジード、忘れてないよね!?」
シーラが突然聞いてくる。
それはルイナを意識しての口調の強さだ。
しかし、
「『忘れてないよね!?』とは……なんのことだ?」
「もしもこの試験に私が突破したら! キ・ス! してくれるってこと!」
「あ、ああ……そのことな」
「キ、キキキ、キスだと!? なんだそのいかがわしいものは! そんな約束をしたのか貴様ら!?」
フィルが動揺しながら聞いてくる。
「くふふ。面白いな。褒美は大事だからな、良く分かっているじゃないか」
ルイナが言う。
それも面白そうに。
だが、シーラ的にはその反応はつまらなかったようで頬を膨らませた。
「あなただけじゃないから! ジードは私ともキスするんだから!」
「くくく……なるほど。モテモテだな? ジード」
「……嬉しい限りで」
反応が難しい。
不意にルイナがクエナを見た。
「クエナも約束したのか?」
「……べ、別に」
「照れるな。言ったろう。褒美は大事なのだ。やる気も上がるし、不思議と力も湧いて出てくる」
「ほ、褒美だなんて! キスなんて別に……!」
ふと、クエナと目が合った。
彼女は顔を赤らめてそっぽを向いた。
そこにルイナが追撃をした。
「私の誘いを断ってまでジードに付いていくと決めたのだろう? 機会を逃すは愚かなことだぞ」
「……っ」
クエナの顔がトマトやリンゴの完熟した色よりも、さらに赤くなる。
そして、覚悟を決めたかのように俺を見た。
「……ジード。わ、わ、わ……私も…………っ!」
それから、しばらくの間があった。
クエナが握った拳を振るわせ、噛んだ唇が紫色になるくらい力を込めて。
羞恥からか、プライドからか、言葉が上手く出ないようだった。
見ている側も心が痛くなる。
「――ああ、願ってもない。Sランクになってキスしよう」
「!」
クエナの目が一瞬だけ潤う。
それから言葉を紡ぐことなく、剣を携えてさっさと向かってしまった。
彼女なりに勇気を振り絞った結果か。
「ぐぬぬ……余計なライバルを増やしおってぇ」
シーラがルイナを睨みつける。
そして更に開口した。
「じゃあ試験を突破した人がジードとキスね! 私は絶対に負けないけど!」
「ま、待て!? それは私も含まれているのか!? だ、だ、ダメだ。ソリア様がいるのにそんな不埒なマネは……!」
シーラの言葉にフィルがなんか勘違いをしだす。なんだこいつ。
そしてシーラもクエナの後を追った。フィルもその背に向かって駆け出して、途中で俺の方を乙女のように一瞥した。なんだそのギャップは。なんだこいつ。
「んじゃ、俺はフューリーとさっさと城に……あれ。あいつどこに行った」
見渡す。
しかし、フューリーの姿はない。
そういえば、クオーツと戦っている中で――というよりは見合っているだが――一度も顔を出さなかったな。
「ボクならここだよっ」
そう言って、フューリーが呼応するように姿を現した。
何人かの、別格な雰囲気を纏わせた魔族達を連れて。
「ねぇ、ジードくん。『魔王』になってくれない――?」
そんな言葉を俺に向けて。
俺は一体、何回勧誘されるんだ。




