ウェイラ帝国
ウェイラ帝国。
帝都から数千の軍勢が外に向かって行進していた。
中央にはルイナ、傍らには第0軍軍長のユイと第一軍軍長のイラツがいる。
王都は大きな歓声を以って、その軍勢を見送っていた。
「この歓声は凄まじいですな」
イラツが外周を見渡しながら感嘆を漏らす。
それはルイナの手腕を褒めているのだ。
スティルビーツ王国で敗戦して以降、ウェイラ帝国と属国の士気は大きく下がっていた。
それどころか遂に幾つかの国はウェイラ帝国に反旗を翻し、連合まで組む始末だ。
だが――それらを一気に抑え込んでしまう。
あまつさえ、離れていた衆人の心をこうも容易く掴んでいる。
それは果てしない人心掌握術。
「民衆は愚かであり、賢くもあるからな。かつて神聖共和国を陥れた七大魔貴族ユセフの情報を広め、その遺恨を晴らすため、危険を拭うために魔族の征伐を行うと大々的に知らせばこうも簡単に手のひらを返す」
ルイナは容姿上は幼女なギルドのマスターを思い出しながら言う。
「アレの策に乗るのは面白くはない。が、それ以上に魔族領の獲得は美味しい」
「……で、ありますか。しかしながら、今回こそは失敗はできませんな」
イラツが苦々しい顔を浮かべる。
スティルビーツ戦、連合戦、その他にもクゼーラ王国への侵攻やウェイラ帝国にとっては小競り合いとなる戦を幾つか。
いくら巨大な軍事国家であるとしても、看過することのできない犠牲だ。
「わかっている。これで失すれば首と胴が離れることになるだろう」
それは覚悟だ。
ルイナの独裁的な強さの正体でもある。
一つ一つの言動に自らの命を賭けるほどの自信。文字通り、ルイナは首が落ちる覚悟をしている。
だからこそ、巨大な国の主足り得る。
だからこそ、多くの犠牲を踏み台に進める。
だからこそ、残虐非道でいられる。
すべては国のために――。
「だが大丈夫だ。あの女狐には良い報せを聞いたからな」
こくり、とユイが頷く。
「ユイもそう思うか。ふふ」
「……ギルドですか」
イラツの表情は苦いままだ。
彼にはあまり良い覚えがない組織だった。
「Aランク達が試験を受けるために魔族領にいるそうですが、本当に役に立つのやら……」
「そう言うな。見た限りでは私の妹のクエナと、その隣に居た金髪の少女は引き抜きたいほどの力を持っていた。あれだけでも十分な戦力だ」
「……」
こくり、とユイが頷く。
実際に戦った彼女だからこそ分かり得る話だった。
そして、イラツもそれに疑いを持たない。
「しかしですな、ギルドのマスターは我々をむしろ盾のように扱おうとしている節があります。冒険者たちを守るような」
「ふふ、そうだな。それもまた女狐の狙いだろう。結局は利害関係の一致というやつだ。我々は大義名分と絶対的な成果が欲しい、それもまた事実だ。そしてなにより――」
「ジード」
ユイがぼそりと呟く。
それを聞いたイラツが恐怖に顔を歪ませる。
イラツはこれでも第一軍の軍長を任されるほどの男だ。
ギルドでいえばSランクと互角以上の力を持ち、万の軍勢を率いるカリスマと知識を併せ持っている。
だというのにも関わらず、その男の名前だけは聞くだけで心臓が跳ねる。
ルイナがニヤリと笑う。
「ああ。ジードも参戦しているそうだ。依頼を受けているとな。その依頼の仔細も。あれは史上稀……いいや、史上初にして史上最後クラスの怪物だ」
「随分と……あれが敵であるか味方であるかも分からないのですぞ。それこそ、我らウェイラ帝国だけじゃない。人族、もしくはこの大陸すら滅ぼす厄災になりかねません」
イラツが言う。
それは一見すれば敵意とも取れる。
だが、違う。
明確な畏敬だった。
次元の違う存在に対する恐怖と、それに値する敬意――すなわち警戒心を抱いているだけに過ぎない。
イラツ自身では到底敵わないと理解しているからこそ、敵意と呼ばれる感情は皆無だった。
「そうだな。やつがその気になれば――」
帝都の巨門をルイナ達の一行がくぐる。
その先には地平の先まで埋め尽くすほどの軍勢で埋め尽くされていた。
「これだけの軍勢を揃えてもきっと意味をなさないだろう」
「……そうですな」
実際に、そうであった。
数であれば数万、数十万だ。
ウェイラ帝国から、属国から、傭兵団、ギルド、さらに魔族征伐の名目から名乗りを挙げた民兵まで。
ここ帝都だけではない。
すでに魔族領近辺での動きがあった。
「だが、だからこそ賭けるに値する。――魔族との『戦争』という大博打でも」
これから行われるのは『戦争』だ。
七大魔貴族ユセフが卑劣な手で神聖共和国を陥れようとした。その応酬として。
魔王がいない今だからこそ。
敵討ちは大事だからこそ。
帝国がさらに巨大になるのなら。
人族がさらなる繁栄を築き上げるのなら。
理由はいくらでも作れる。
賛同者はいくらでも偽装できる。
人族の民意は一人の独裁者によって、たしかな疑問すらも打ち消される強さを持って動き出した。
「さぁ、始めようか。――侵略を」