ラストの一撃
転移魔法を何度も介してソリアが到着したのは数時間と経った後だった。
エルフの里では大半が魔力の供給を行っているが、神樹は茶色に染まっていた。
辺り一帯では落ちた枯れ葉の掃除を行っている者もいるが、それでも次々に降ってくるため困りあぐねている。
「ソリア様!」
ソリアを迎えたのはフィルだった。
少し疲れた様子を見せながらも手を振っている。
「遅れてごめんなさい。深刻な状態のようですね」
「ええ、一向に回復する様子がなくて……」
フィルが神樹を見て言う。
だが、ソリアは首を振った。
「神樹もそうですが、私が言っているのはフィルです。かなりの魔力を消耗したようじゃないですか」
「あはは、見破られましたか」
フィルが誤魔化すように笑う。
それにソリアは咎めるような目をした。
「魔力を限界まで使うと生命力を維持できなくなります。それにより魔力の流出を自分では抑えられず流出してしまうんです」
「ええ、分かっています。……限度を超えてしまった結果が、あの神樹であることも」
本来なら神樹が魔力を使い切ることなんてない。
しかし、今回は事情が事情だ。こうなっても当然。
フィルが続ける。
「早く神樹の下に行きましょう。私よりバカをやってる奴がいるんです」
「……? わかりました」
フィルに連れられてソリアが大勢のエルフに囲まれている神樹に向かっていく。
神樹の肌は多くの人が触れていた。
魔力操作の得意なものは遠隔から送り込んでいる。
だが、ソリアが最初に意識を奪われたのは別だった。
綿密な魔力操作を必要とする治癒魔法を極致まで極めたソリアだからこそ分かる。
それは――神樹を覆う魔力。
維持するだけで膨大な量を要するものだ。
だが、これがあるからこそ神樹の衰えを抑えられているものだと即座に分かる。
これがフィルの言っている『バカをやってる奴』だとすぐに分かった。
そして、それを行っている者の正体もすぐに分かった。
いや、初めから分かっていた。
その男は全身から汗を流しながらも神樹を守り続けていた。
隣には心配そうな顔をしているシルレもいた。
「ジードさん! 少し休んでください! このままでは……!」
そんな声もする。
だが、一向にやめるつもりはないようだった。
実際にジードが緩めるだけで今まで供給された分が雪崩のように放出される。意味が無くなる。
その姿にソリアが涙を浮かべそうになるが、堪える。
さすがだ、と思いながら口を開く。
「遅くなりましたっ! あとは私が引き継ぎます!」
そんなソリアの声にジードが振り返る。
不敵ににやりと笑う。
「結構はやいな。もっと遅くなると思っていたが」
そんな余裕ある言葉を残して。
ソリアが駆け寄り、神樹に手を触れる。
「やれるか?」
ジードが問う。
ソリアが頷く。
「やれます。いつでも離してください」
自信たっぷりな姿にジードも頷く。
ジードが放っている魔力を途切れさせ、――手を離した。
同時にソリアが口を開く。
「『極限治癒』!』」
瞬間。
繊細な魔力の糸がソリアの手から分岐して巨大な神樹に絡みつく。
ふわりと柔らかく暖かな風が辺りを舞う。
――神樹の枝から豊かな芽や緑色の小さな葉が生える。
「すげえ……!」
エルフの民の誰かが呟いた。
それは新しい命を生み出すような、それほどの光景。
それを見届けたジードも安堵したように膝を崩す。
地面に頭をぶつけそうになる。
シルレやフィルが抱きかかえようとする――が、どこからか風のように現れたユイが支えて膝枕をした。
「お、おまえどこからっ!? ていうかどこにいた!?」
フィルが問う。
ユイは魔力の供給を済ませると姿をくらましていた。
「隠密は弱った姿を見せない」
「神樹に魔力を与えていたから疲れていたってことか? かなり平気そうだが……。いや、だとしても何故いま現れた……」
「主のピンチには現れる。どんなことがあっても」
「主って……」
キリリっとした顔のユイがジードの前髪を横に撫でた。
疲れ切ったジードは目を閉じたまま身を委ねている。
フィルはその姿を見て頬を膨らませた。
「おまえがそうしているとソリア様が集中できんだろ! ジードを寝かせても良いが触れるな」
そう言いながらユイの両手を挙げさせた。
不格好かつ不思議な姿を披露している。
ふと。
――グラリ
と大地が揺れる。
木々が――盛り上がる。
そのまま一つの山でも出来上がるほどだ。
先端の一部が太陽と被る。
口が開く。
『先ほどは油断したが、今度は喰らう!』
「土竜だと……!? もう回復したのかっ!」
フィルが悲鳴に似た叫び声をあげる。
木々を生い茂らせている土竜の頬が吊り上がる。
『ふははっ。神樹様が我に力をくれたのよ!』
「まさか……賢老会の壊した樽から地面に流れた樹液が土竜に……!」
その推論は正しかった。
土竜の巨躯の傷を癒し、魔力を回復させるには十分の量だった。
『見れば弱っている様子。残りの樹液を頂こうッ!』
その言葉は正しく、フィル、ユイ共に戦闘力の高い者達は皆、魔力を使い切っていた。ジードでさえも。
このまま土竜に樹液を奪われた方が賢明だ。
しかし。
シルレが土竜の前に立つ。
「これは私の不祥事で減ってしまった残りの樹液……! 絶対に渡しませんっ!」
シルレも魔力を多量に失っている。
それでも意地で土竜王の前に立った。
森の主であり食物連鎖の頂点に君臨する土竜王だからこそ、シルレも限界が近いことを理解していた。
『眠っておれ、小娘!』
土竜王の前足がシルレに迫る。
いくつもの対物理の魔法陣を展開するも――あっけなく破られていく。
どん!
轟音が響き渡る。
確実に決めたはずの一撃。
『……ん?』
だが、土竜王が怪訝そうな声を漏らした。
前足を退けると――素手で土竜王の一撃を止めた男がいた。
黒髪を流し、疲れ切った眼でどうでも良さそうに土竜王を見上げている。
「ジ、ジードさんっ。なぜ!」
完全に無意味な受け身体制を取っていたシルレが問う。
「――依頼だからな」
ジードは冷淡に口にした。
シルレがハッと気づく。
土竜王の一撃は、背後にある神樹にさえも届き得る。
「まさか神樹を庇うために……?」
『ぬははは! もはや神樹は死に体。ここで早急に葬り去るのが義理だろうよ!』
きっと、誰もがジードの言動を否定するだろう。
魔力も尽き、生き返るとも思えない神樹を目にして、それでも依頼を達成しようとする姿は愚かだろう。
「まぁ、バカかもな。でも、今も神樹を癒そうとしてる仲間がいるんだ」
ジードの目に映るのは、過剰なまでの集中を費やして神樹に治癒魔法を施しているソリアの姿。
彼女もまた、諦めてはいなかった。
だからジードも拳を構える。
土竜王を黙らせるために。
『なぜそこまで……!』
「言ったろ。――依頼だからだ」
『ふははは! だからと言っておまえに何ができる!』
ジードが地を飛び――土竜王に拳を振り上げた。
魔力もほとんどない状態だったはずのジードの一撃は森全体を揺らすほどの威力を出していた。
「この程度の疲れや魔力消費なら所属してた騎士団で慣れてるんだよ、あいにくとな」
たった一撃で土竜王はその巨躯から意識を投げた。




