しごと
開花は突然だった。
深夜のことだ。
神樹に溜まっていた魔力が放出された。いや、噴火と言った方が正しいか。
とにかく膨大な魔力が森を駆け巡っている。魔力の渦が森中を掻きまわしている。人によっては頭が痛くなるかもしれない。
支度をして「転移」と口にする。
視界の明転が過ぎ去ると神樹近くに着いた。
慌ただしいエルフ達の姿が映る。
だが、なによりも、彼らの姿を鮮明に映しているのは月明りではなく――神樹だった。
黄金色の樹液が自ら発光しながら徐々に重力に従いながら垂れている。
実は緑色の皮だったものが虹色に染まっており、中から同様に樹液がこぼれていた。
なによりも甘美な匂いが一帯を包み込んでいた。
「すごい生命力だな。樹液が自ら魔力を生み出している」
目に映った状態をそのまま口にする。
これほどのものは一度も見たことがない。
ふと、オッドの姿を確認した。
俺達を見るや否や、一瞬だけ敵意ある鋭い睨みを受けたが、すぐにニッコリと笑ってこちらに向かってきた。
「おやおや、来ていらっしゃったのですか」
「ああ。開花したようだったんでな」
俺が答える。
「そうですか。しかし、分配に至るまで一週間から二週間は必要になります。それまではごゆるりとお待ちください」
「そんなにかかるのか?」
「ええ。申し訳ありません」
「……いや。わかった」
疑問が浮かぶ。
しかし、それらはオッドに確認するべきことではない。
オッドが神樹の方に向かっていく。
すると今度はルックが慌てた様子で息を切らしながら向かってきている姿を確認した。
「はぁはぁ……! 来ていらっしゃったんですね!」
「ああ、すごい光景だな」
「こうなったら、依頼の分配も近いうちに行われると思います。大体、樹液の放出が一日程度で終わるので……!」
息を整えながらルックが言う。
「近いうち?」
「ええ。あとは樽に入れて、各地域に分けていくだけですから」
「……だろうな。時間をかけたら、この匂いと魔力量だ。魔物が襲ってきても不思議じゃない」
「ええ。ですので二日か三日以内には終わらせるはずです。大仕事になりますよ!」
そう。それが普通のはず。
しかし。
「さっきオッドと会った。奴が言うには一週間から二週間はかかるそうだ」
「……え? ああ、そういえば前の開花の時は一週間かかりました。ですが、あの時は賢老会側でのトラブルだったはず。魔物達の暴走もあって大きな被害になったのに……。だから昔から三日以内が普通なんですが……」
「そこだろうな」
俺が言うと、ルックがハッと何かに気づいた姿を見せる。
「まさか防衛をカリスマパーティーに?」
「そうだろうな。じゃなきゃ俺達がこんなに早くエルフの里に着いた意味がない」
口調的に最低一週間以上は時間をかけるのは決まっていたようだった。
なら俺達は開花した日よりも前に来る必要なんてないはずだ。なのにも関わらず呼ばれている。
「……そんな。この森の魔物は均衡が保たれているだけで数も質も自然のまま。人族のように開拓していないから……!」
「ああ。探知魔法で匂いに釣られた魔物達が溢れかえっていやがるよ」
もうすでに暴れている魔物だっている。
地面からは息を潜めているが呻き声もする。
「や、やれそうですか……?」
「守備範囲が広くて面倒だな」
「それなら大丈夫です。里全体を守らなくとも、あくまでも樹液を詰めた樽さえ無事なら良いですから」
それは分かっている。
だが、
「……嫌な感じだな。前回は一週間で大被害があったんだろ?」
「はい。みんな、家族や友人を守るのに必死でした。私の見知ったエルフも死んだ者や行方知れずの者も多くいましたから」
「それなら冒険者も相当な手傷を負ったんだろうな」
「……? いえ。その時はギルドに依頼は来ていませんでしたよ」
ルックが不思議そうに首を傾げる。
「しかし、数多くの高ランクパーティーが失敗したんだろ?」
「ええ、ただそれは別の依頼です」
「……そうか」
てっきり同様の依頼が回されたのかと思っていたが。そうではなかったようだ。
「しかし、もしも依頼に参加していたら同様に痛手になっていたでしょう。数多くのエルフが痛手になったのですから……」
「なら」
近くに来ているやつに視線を配る。
「――おまえの出番のはずだ。賢老会の遅延させようとしている動きを制止して、今すぐにでも樹液を分配できるようにしてくれ」
俺達の背後にいたのはシルレ。
彼女も開花を確認しに来たのだろう。ちょうど良いから伝えた。
「この件はエルフの民にも被害が出ます。……任せてください」
調子を合わせてシルレも頷いてくれた。
なら、しばらく魔物を抑えるのが仕事になりそうだ。
◇
開花して一日が経過した。
既に匂いにあてられた魔物達が里に来ては撃退されている。
俺達もそれに協力した。
エルフにはエルフなりの規則があり、余程の状況を除いては、魔物は殺さずに退けなければいけなかった。
そこに何の問題もなかった。
二日目までは。
◇
「しかし、本当にエルフ姫とやらを信じていいのか。あれは元々、迂闊にも妹を人質に取られてしまったんだろう。今回も失敗する気がしてしょうがない」
フィルが大木の枝の上に立ちながら俺に話しかけてきた。
周囲には戦闘態勢のユイや、エルフ達もいる。
「どうであれ、樹液に関して俺達にはどうしようもないからな。任せるしかない」
「分かっているが、こう……ムズムズするな」
言いたいことは理解できる。
これが賢老会側の依頼の妨害なのは間違いない。だからフィルとしても何らかの策を講じたいのだろう。
「ルックに聞いたんだが、あいつが主導で樹液を樽に詰めている。今のところスムーズに行っているらしいから問題ないだろうよ」
本来の権限ならエルフ姫の方が賢老会よりも上だ。だからシルレが率先して行えば問題なさそうに思える。
問題があるとすれば、
「賢老会が黙っているとは到底考えられないが……」
「そこだな」
シルレの最大の難関は、俺らと同様に賢老会になる。
頑張って欲しいところだ。
「来たぞ」
フィルが言う。
遠くから土ぼこりを巻き上げながら百を数える狼の大軍が押し寄せて来る。
余すことなく口からは唾液を垂らしながら。
当面の俺達の仕事はこの魔物を止めることだ。




