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教室の端々にある花瓶には可憐なコスモスがほころぶ季節。
残暑もいつの間にか過ぎ去り、露骨なほど秋らしい顔を見せていた。
時刻は15時半過ぎ。
秋の季節は昼の時間が短いためか、この時間帯ともなれば夕刻を匂わせる頃合いだ。
今現在、とある県立高校のとある2学年のクラスでは、先日行われた中間テストの返却が行われようとしていた。
担任教師が教卓をバンバン叩いて生徒たちに呼びかける。
「よーし、おまえらが大っ嫌いなテスト結果の発表だ!
赤点とった野郎は明日から居残りだからな!
この俺直々にみっちりしっかりと脳髄に叩き込んでやるから覚悟しとけよー。
はい、それじゃあ名前呼ばれた奴は取りに来い。
赤崎ーー」
(苦行としか言えない授業を乗り越え、ようやく自由になれると思っていたのにテストの返却とか……。
なんだよこの仕打ちは!
今日は待ちに待った『魔法幼女プリティアリス』の最新巻の発売日なのに……。
はぁ、一気に気落ちしたなぁ……)
とある男子生徒はそんなことを思いながら、心の中で深々と溜め息を吐いた。
その男子生徒は、八十八創那といい、ちょっとしたクセのある性癖とオタク趣味を除けばこれと言って特徴のない男である。
そんなどこにでもいそうな高校生である創那は、不機嫌そうな顔でテストの返却を眺めていた。
つい今しがたまでワイワイと騒いで賑やかであった教室は、水を打ったように静まり返っているようだ。
他の生徒たちと同様に創那の上がりに上がっていたテンションは今や氷点下を遥かに下回り、絶対零度まで冷え込んでいた。
なぜ今のタイミングなんだ?
あと少しで! というところでこんな爆弾を放り込むんだ?
もしかして嫌がらせですか、この野郎!!
といった、テストの結果に自信のない者たちから放たれる敵意に満ちた視線が、教卓でトレードマークの赤ジャージを着た男性教師に集中していた。
創那も例に漏れず、先生に向かってイラッとした感情の視線をぶつけているようだ。
しかし流石は教師と言うべきか、全く怯んだ様子は見当たらない。
むしろ逆だ。
顔を歪めている生徒たちに向かって、含みのあるようなニマニマとした表情で眺めている始末である。
どうやらこの男性教師は生徒を煽っていくスタイルらしい。
(((((性格の悪さが滲み出てるぞ、おいっ!!)))))
と、心の中で盛大に先生に文句を垂れる生徒たちを尻目に答案用紙が次々と返却されていく。
クラスの半数が答案用紙を震えた手で受け取り、重い足取りで自分の席へと戻る。
そして、意を決して答案用紙を表にひっくり返すのだ。
右上に表記されてある今後の命運を左右する絶対的な数字をこれ以上ないくらいに凝視する。
「ぎいやあああああああああああああああっ!!」
「ぜ、絶望したっ!!」
「……こ、この僕が、ほ、補習……だと……!?」
「……な、なんですと……こ、これで全教科……赤点……!? ……死んだ……」
と、一切の容赦もない無情なる現実が生徒を襲い、そのまま深い谷底へと落としていくのだ。
そんな彼らの嘆きが教室中に充満し、喧騒に包まれる。
創那のクラスはなかなかに騒がしいクラスメイトが集まっているようだ。
そんな最中、いよいよ創那が担任教師から名前を呼ばれた。
「ーー八十八創那、取りに来い!」
(……くっ、とうとう俺の番が来てしまったか。
この間のテスト自信ないんだよなぁ……)
そんなことを思いながら創那は、重い腰を上げてどうにか教卓まで歩を進めた。
そして、やたらとニマニマ顔を見せる先生から答案用紙を手渡される。
(その不安を煽る顔ほんとに止めてくれませんかねぇ……)
なんて思いながら自分の席に戻った創那は、「頼む、頼むから赤点回避してくれよ……!」と手を擦り合わせながら祈っていた。
そして、ひとつ深呼吸をした後、創那は裏返しの答案用紙をゆっくりとひっくり返したッ!
ーー60点
「お、おおっ……!
ギ、ギリッギリセ〜〜フ!
いや〜ほんと危なかった。
まあ何にしてもこれで全ての教科で赤点回避達成か。
ふぅ、よかった……一夜漬けをした甲斐があったってもんだ」
あと一点でも足りなければ漏れなく補習行き。
本当の本当に危険領域であった創那は、安堵の息を吐く。
そんな創那にとある男子生徒から声がかかった。
「やあ、創那。
テストはどうだったかい?
まあ、その顔を見る限り大丈夫だったのはわかるけどね」
「おお、鋼太郎。
その通り、何とか赤点回避したわ。
あ〜ほんとよかった〜」
「毎回思うけど、よく一夜漬けだけで赤点回避できるね。
結構テスト範囲あるんだけどね。
いやはやすごいよ」
「いや〜それほどでもあるかな〜」
「はははっ、全く褒めてないんだけどね……」
創那と仲良さげに話しているのは、2メートルを超える巨体に加え、制服越しでもわかる限界まで鍛えられた鋼の肉体、そして本場のマフィアでもちょっと目をそらしてしまうのではないかと噂の厳つい怖面の持ち主ーー皇鋼太郎である。
そんな鋼太郎は、高校生とは決して思えない厳つい見た目のせいでよく勘違いされるが、超が付くほどの善人だ。
非常に穏やかな性格に加え、誰に対しても紳士な対応を取り、なおかつ耳心地の良い爽やかな声音を有しており、見た目の厳つさに反して女性からの受けは思いのほか良い。
ちなみにこれほどの威圧ある風貌をしながら、一人称はまさかの『僕』である。
そんなギャップの塊である鋼太郎と創那は幼い頃から親交があり、今では親友と誇れる間柄だ。
創那とよく一緒に行動を共にしている内のひとりである。
あれこれと世間話をしているうちに。
いつの間にかテストの返却が終わり、鋼太郎は自分の席に戻った。
創那はというと『早よHR終わってくれよ!』と激しく思いながら、あいさつと同時に教室を飛び出せるようにスタンバイを着々と済ませていた。
とはいえ、他の生徒たちは未だにテストの結果について愚痴を溢し合ったり、喜びの声をあげたりと騒がしいようなので、まだまだHRは終わらない様子だ。
そんな騒がしい空気の中。
担任教師がパンパンと手を叩いて、クラス生徒全員の視線を自分に集める。
「おーいそろそろ黙れよー。
じゃねえと隣クラスの中村先生に迷惑になんだろ?
ってことで、お口チャックしろー。
しなきゃ俺が無理やり閉じに行くぞー。
いいか!
俺は授業で居眠りしようが、テストで全教科赤点取ろうが構やしねえ!
そんなの些細なことだ!」
(いや、そこは構えよ。
全然些細なことじゃないし)
「ただし!
そう、ただし!
中村先生にだけは迷惑かけるな!
絶対だぞ!
……あと、誰か俺と中村先生を上手いごとフォーリンラブできる方法とかない?
誰か俺と中村先生との恋のキューピットにならないか?
……金払うよ」
ちなみに隣のクラスの担任教師である中村美咲という女性教師は美人のため構内で有名だ。
今の担任教師のように、他の教師の方々がだらしなく鼻を伸ばしているのを見たことがある生徒は多いだろう。
そんな教師とは思えない発言をする担任を生徒たちは、また始まったよ、とばかりの呆れ顔になる。
生徒たちにとっては心底どうでもいい話のため、ほぼ全員が右から左に聞き流し、HRが終わるのをただひたすらに待っていた。
いつもと変わらない日常。
これからも続くありきたりで退屈な日常。
だけど温かい、そして穏やかに過ぎる心地の良い日常。
ーーそんな日常が突如終わりを告げた
「キャアアアアアアアアアアアアア〜!!」
「ーーな、なんだッ!? な、何が起きて……る!?」
「め、目があああああああぁぁぁぁぁ!?」
「ーーッ!?!?」
なんの脈絡もなく、教室全体を目が開けられないほどの激しい光に包まれたのだッ!
さらに追い討ちをかけるように何かが破裂したような爆音も響き渡った。
その直後、全身を粉々にされたかのような凄まじい衝撃を感じた。
。
と、同時に謎の爆音と閃光がなぜか鳴り止んだのだ。
創那は閃光により閉じていた目をおそるおそる開けた。
「……えっ?
ここ、どこだよ……?」
ひと昔前のシャンデリアや煌びやかな赤絨毯。
歴史を感じさせる壁画。
その他にも贅を尽くしたような華美な内装。
社会の教科書でしか見たことないような王宮然とした広間が視界に映っていたのだ。
創那は自身の許容範囲を軽く超える出来事に、呆然とした表情で固まっていることしかできないでいた。