第4話 気弱な物理教師
それは武家屋敷での攻防があった日の、別の場所での出来事だった。
「疲れた… 」
物理教師、山本哲夫は、いつものように疲れとストレスでボロボロになりながら帰路についていた。昼はやんちゃ盛りの生徒達にいじめられロクに授業を聞いてもらえず、夜は他教師から雑務等の仕事を押し付けられる。毎日クタクタになりながら、帰る頃には12時を回るのが常だった。
「おじさん、おじさん」
暗い夜道、あと少しで家に帰れるというところで、女性の声がした。可愛く、美しく、かっこ良く、それでいて少し恐ろしい。そんな不思議な声だった。
「なんだい、君」
「寂しくない? 」
(こんな時間に… ガールズバーのキャッチか? )
振り返ると、自分より7センチほど背の高い少女が立っていた。歳は17、8といったところだろうか。近くには住宅街で何もないのだが、思わずガールズバーのキャッチだと間違えてしまうのも無理はない。こんな深夜に女の子かしょぼくれたおじさんに話しかけてきた上、その少女はメイドのコスプレをしているのだ。
「可哀想なおじさんに、これあげる」
そう言って一枚の紙を渡した。紙には小さく魔法陣が描かれ、下には文字が書かれている。
「辛くなったら下の文言を唱えてみてね」
そう言った少女は、風のように消える。山本哲夫の元には、一枚の紙ぺらのみが残された。
「おはよう遠藤、久しぶりだな」
「ああ、おはよう」
武家屋敷での戦闘から一週間が過ぎた。さすがに魔力も回復し出席日数もやばいと感じた海道は、再び通常の学生生活を再開していたのだった。
「遠藤、元気ないな。何かあったか」
「実は… 」
遠藤はやや気まずそうに、ゆっくりと話し始めた。
「メイドのコスプレをした女の子が不良を撲殺した事件… 覚えてる? 」
(コイツ、覚えてやがるのか)
事故に記憶が書き換えられたはずの遠藤が、一週間前の吉村との戦いを覚えている。記憶が書き換えられていない、それはすなわちその人が精霊使いであることを示していた。
「ああ… 」
「その事件のことなんだけどね、誰も覚えていないんだ。あんな事件があったのに、ただの一人も! これっておかしくないかな」
(この反応… 精霊大戦については知らないっぽいが。どうする)
海道は「どこまで話すか」を思案していた。一般的に精霊使いはその正体を隠すものではあるが、もし遠藤が精霊使いならば協力者になってもらえる可能性は高い。しかしその一方で何も事情を知らない人間を精霊大戦に巻き込むのはまずいという側面もあった。
「なあ、あの日以外に。メイド服を着た女を見たことはないか? 」
「いや、特に」
(即答… 当然だが精霊は召喚していないみたいだな)
遠藤が参加者で、それを海道に悟られないようにしている線は消えた。問題はこの前の件を、どう噛み砕いて伝えるかだ。
「ショッキングな事件で、みんな記憶が飛んじゃったんじゃないか。目の前で人が死ぬなんて、いくらクズの不良でもショックだろうしな」
「うーん、そうだね。そうかも」
結局精霊大戦や、精霊のことは隠すことにした。ごまかしきれる範囲に置いては、余計なことは知らない方が安全だろうと考えたのだ。
「他に変わったことはないか」
「うーん。強いて言うなら山本先生かなあ」
「ああ、山本先生がどうかしたか」
「まあ、授業を受ければわかるよ」
一時間目の授業は、山本先生の物理だ。とりあえず授業を受けてから考えよう。そう考えた矢先、ちょうど始業のベルが鳴った。
「さあ、授業を始めるぞ」
ついに山本先生の物理の授業が始まった。山本先生の授業は内容は分かりやすいものの、本人の貧相で貧弱ななりとキャラクターのせいで遠藤と海道以外誰も聞いていないという悲しい授業だった。
「おい、前沢。オームの法則の式、言ってみろ」
「え? 知らねえよそんなの」
「V=irだって前の授業で言ったじゃないか。ちなみに覚え方はiとrをひっくり返してVRIだ! どうだ覚えやすいだろう」
(なるほど… 確かに妙だ)
山本先生は肉体のみならず精神も貧弱なので、基本的に遠藤や海道以外の生徒を当てることはない。良くも悪くも気弱で事なかれ主義なのだ。居眠りしている生徒を当てて、授業参加を即すなどということはありえなかった。
「これで授業は終わりだ、課題のプリントはちゃんとやっとけよ」
「誰がやるかよ」
そんな声がクラス中に響き渡る中、山本先生は意気揚々と職員室に帰って行った。
夜。生徒たちが帰った後の職員室で、先生たちが帰りの準備をしていた。
「それじゃあ山本先生、いつも通り書類仕事はやっといてちょうだい」
「すいません、実は今日は用事があるんですよ。自分の分は自分でお願いします」
職員室の空気が凍る。元ヤンで柔道部の顧問でもある久米川先生に、貧弱で有名な山本先生が逆らったからだ。
「チッ」
久米川はタバコに火をつけ、不機嫌そうにタバコを吸い始める。殺意にも似た目をした彼に、とても「禁煙です」と注意できる教員はいなかった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいま、ダリアちゃん」
山本哲夫が久米川に逆らってまで帰宅を急いだ理由。それはこのメイドに秘密があった。メイド系精霊ダリア。謎の少女に手渡された魔法陣から召喚された、一つ星精霊である。
「今日は大丈夫でしたか? いじめられたりしませんでしたか? 」
「大丈夫だよ。今日は授業を聞かない生徒にもちゃんと注意したし、仕事を押し付けてくる同僚にもちゃんと断ったから」
「ご主人様、偉いです」
ダリアはよしよしと山本の頭を撫でる。見た目年齢10代前半の少女に甘える40代男性という端から見ればおぞましい光景なのだが、「尽くす」ことに特化した精霊であるダリアの目は慈愛に満ち溢れていた。
「今日はお留守番している間に、ご主人様の好きなアニメを見ていました。」
「お、見たのか。面白かったか」
「はい。プリセラの子達は可愛くって、私もあんな風に可愛ければなあって」
「おいおい、お前は十分可愛いよ」
「魔法少女プリセラ」とは、日曜日の朝にやっている女児向けアニメだ。このアニメを見ていることがバレたことがきっかけで山本は、生徒たちから「プリセラおじさん」と呼ばれいじめられるようになった。
「はははははは」
笑顔に包まれた二人。この子のためならどんなに辛い仕事でも頑張れる。わずか一週間足らずの交流であったが、山本は己の生涯を、このメイドのために使うことを誓っていた。
同刻、海道たちのクラスメートに当たる何人かの生徒が、教室に集まっていた。
「なあ、最近山本のやつ生意気だよな」
「プリセラおじさんの癖にな」
「ああ、ここいらで一発締めておかないとな」
「はははははは」
山本たちの幸せそうな笑いとは打って変わり、こちらの笑いは邪悪に満ち溢れていた。