第90話 守るべきもの
開拓村に帰ってくると、誰かが叫んだ。
まだ幼い子供の声だ。
それはガソリンに点いた火のように一瞬で周りに伝わり、あちこちから甲高い歓声が飛んだ。
「姫さまだぁ! 姫さまが帰ってきたぁーー!」
「ほんとだ! シンシア姉ちゃんもいるぞ!」
子供たちは付近の遊び仲間を誘い、さらに大きな声で喧伝しつつ、下り坂をかけてきた。
そしてかけっこ一番の少年が、真っ先にレジーヌへと飛び付いた。
すると2人、3人とやってきて、見る見るうちに幼な子によって人垣ができてしまう。
「おかえりなさい、姫さま!」
「姉ちゃんお帰り! みんなずっと待ってたんだよ!」
「……ありがとう、ごめんね。みんな」
「姫さま、どうしたの? 悪いヤツラにひどいことされたの?」
「ううん。平気よ。この通り元気だから……」
レジーヌが目元を拭うと、子供たちの熱狂にも変化が起きた。
大勢のうちの1人が泣き出してしまったのだ。
やがてそれは多くの子供に伝播し、辺りが涙に濡れる。
その時オレは『子供というのは、安心したからこそ泣くことがある』という言葉を、漫画知識から引っ張りだした。
騒ぎを聞き付けてか、作業員や通りすがりの大人たちまで集まり始める。
彼らはみな帽子を脱ぎ、頭を下げつつ話しかけてきた。
「姫様。お健やかなご様子で……」
「ごめんなさい。事情があって、中々帰れなかったの」
「すんません。ワシらは、疑ってしまいました。一向にお姿を見せられなくなって、ミノル様もお1人で帰られたでしょう。だからてっきり、ワシらは姫様に見捨てられちまったもんだとばっかり……」
「疑うのも無理ないわ。私の考えが甘すぎて、敵の罠に嵌められてしまったの。ごめんなさい」
「そんな! もったいねぇです! 頭を上げてくださいよ!」
「まぁまぁ、いつまで立ち話してるのよ。姫様もシンシアちゃんも、ひどい格好をしてるじゃないの」
マルゲリータが殊更明るい声で言った。
それでひととき場が和むが、すぐにレジーヌたちの顔が引きつりだす。
「さぁさぁ、お2人さん。いま調度ステぇぇキな衣装がありましてよ。そんな薄汚れた服なんか脱ぎ捨てちゃって、もうキャワイくおめかししちゃいましょ!」
「え、あ、うーん。シンシア、お願いしたら?」
「いやいやレジィこそ。私はこの制服がシックリきてますんでぇー」
「もぉ! 若い子が遠慮しないの。さぁ行きましょう、これから朝までファッションショーよぉ!」
「ちょっとミノル! 助け……」
「2人とも楽しんでこいよー」
「そんなぁーー……」
マルゲリータが人拐いのようにしてレジーヌたちを抱え、村の奥へと消えた。
後ろ姿がスイカ泥棒っぽく見えなくもない。
アイツは1度火が点くと止めらんないからね、仕方ないね。
そして、この騒ぎはマルゲリータ1人では終わらないだろう。
きっと村人全員からよってたかって手厚い歓迎を受けるはずだ。
概算で一週間くらい。
愛されてるリーダーってのも大変なものなのだ。
「怪我をあらかじめ治しといて正解だったな。矢を刺したまま連れてきたら、大混乱になってたかもしれん」
ーーこれも私の助言があってこそです。お忘れなきよう。
「その通りだけど、そこまでハッキリ言われるとムカつくな」
何の気なしに袋から転生玉を出してみる。
あの治療くらいではビクともしてないようで、3つとも全て同じ色味をしていた。
今後は怪我をしても治せるんだから、とても心強く思う。
「ところでアリア。どうして転生玉って言うんだ? 治癒玉とかじゃねぇの?」
ーー気になりますか。それは良い着眼ですね。
「勿体ぶんな。サッと答えろよ」
ーーお答えします。あの使用法は本筋から外れたものです。本来の使用法は、任意の魂を別の器に入れ換えるものとなります。
「何だよそれ。例えば、死んだヤツを甦らせたり?」
ーー死した後に御霊は即刻に天上界へと運ばれます。さまよい、浮遊する魂というものは存在しません。
「じゃあどう使うんだよ?」
ーー生者を別の体に移し変える事ができます。相応の『血肉』が必要となりますが。
本当にサッと凄まじい事を言いやがった。
つまりは別の生き物に乗り移れる道具って事だ。
オッサンを熊に憑依させたり、熊の魂をレジーヌに移したりする事が可能になるわけだ。
すげぇ。
だけど、使い所は無い。
「正式な使い方は分かりました。んじゃあ、治療に成功したのはどういう理屈だったんだ?」
ーーこの世界に生きる何者かの血肉を、逆に呼び寄せたのでごさいます。
「えっ! あれって細胞が超回復したとか、そういう話じゃないの?」
ーー傷を塞ぐのに要した分と同等の血肉が、タケィルさんの股肉より抜き取られました。
「誰だよタケィルって知らねぇよ!」
ーー我らと縁も所縁もない、エレナリオ在住の男性です。37歳の独身。
「とばっちりじゃねぇか! タケィルさん可哀想すぎるだろ!」
ーーちなみに彼の口癖は『10歳以上の女は全てババァ』にございます。
「なんだよ。全然可哀想じゃなかった。むしろ成敗じゃん」
ーーお心の内は晴れましたでしょうか?
「ツッコミ所はまだあるが、とりあえずは良いや」
この玉は魔法による治療を可能にする。
場合によっては体ごと差し替える事までできる。
今はその知識だけで十分だろう。
ちなみにレジーヌの歓迎会だが、なんだかんだ言って10日も続いた。
昼は子供たちと遊び、夜は大人との宴会という具合に。
とにかく、誰も彼もが顔を赤くしながら喜んだのだ。
最後の方は単なる飲み会となっていたが、オレは全てを許可した。
二日酔いで仕事が滞ったが、それすら許した。
夢や希望どころか笑顔すらなく、ただ淡々と生きられるよりは遥かにマシだと思ったからだ。
それほどにレジーヌの存在は村人にとって大きいのだ。
そんなバカ騒ぎも落ち着きを見せた頃、隣国から使者がやってきた。
「し、失礼します!」
酒の臭いが染み付いた食堂に、息を切らした兵がやってきた。
この頃のオレたちには既に『規律』や『節操』なんて言葉は無く、起きて飲み食いしては寝るという自堕落を極めている最中だった。
十晚ぶっ続けの宴というのは、色んな物を破壊するもんだ。
「何だよ。酒ならもう要らないぞー」
「違います、使者ですよ! 急ぎミノル様に会わせろと」
「急な話だな……誰が来たんだ。アンノンか、それともエグゼ?」
「ミレイアからです!」
その瞬間、酔いと血の気が遠退いた。
レジーヌも頬杖を解き、兵士の事を鋭く睨んでいる。
「ミレイアから使者が来た。間違いないんだな?」
「はい! そのように名乗られました」
「……ちょっと行ってくる」
「待って。私も同席するわ」
「いいのか? 辛い思いをするかもしれないぞ」
「だったらもう手遅れよ。嫌だと言っても付いていくからね」
兵士には会議室へ連れてくるように命じて、オレたちは先回りをして待った。
一体どの面下げて外交する気なのか。
有りうるとしたら、オッサンたちの解放だろうか。
ミレイアにとって彼らは囚われとなった捕虜な訳で、敵に頭を下げてでも取り返したいと考えるかもしれない。
ともかく冷静になろう、とは思う。
短気になって得する事など何も無いのだから。
やがて現れたのは、3人ほどの男だった。
どれも初めて見る顔だ。
アゴを突きだし、あらゆる物を見下すようにして歩く様は見慣れたもんだが。
「フン、玉座の間すら無いとは。野蛮にもほどがあるわ」
口上の前にトゲが来た。
これは宣戦布告と考えるべきかもしれないが、もう既に一戦を交えている。
「そんな嫌味をワザワザ言いに来たのか。よほどに暇なんだな」
「そう思うか。この私が下民の如く暇であると申すのか。良いかよく聞け。私は伯爵だ。本来なら言葉を交わすことすら許されぬほど、私は高位かつ神聖な……」
「用件を言え。オレはお前と違って暇じゃない。それが嫌なら消えろ。もしかして仲良くお喋りが出来る間柄だとでも思ったのか?」
「くっ……。口賢しいヤツめ!」
自称伯爵がアゴをしゃくった。
すると、後ろに控えていた男が書状を読み上げる。
「反逆者ミノルに告ぐ。一介の賎民ごときが、大恩ある国家に逆らうとは言語道断。速やかに処刑する所であるが、不遜なるアシュレイルを討伐したならば、これまでの罪は不問とする。戦果次第では子爵を与えるものとする」
「……は?」
「理解できぬか。学の無い者にも分かるように言ってやる。アシュレイルを滅ぼしてこい。戦功次第では爵位をくれてやる。無位無冠の貴様には夢のような話であろう」
自称伯爵が鼻を鳴らした。
さも、名案中の名案を披露でもしたかのようだ。
一方オレは唖然としてしまう。
レジーヌの方を見ると、彼女も頭痛を覚えたように頭を抱えていた。
もちろん二日酔いなんていうオチではない。
ちなみに子爵は爵位の中で一番下の位であり、居酒屋で言えばアルバイトスタッフくらいのポジションだ。
「何を勝ち誇ってんだよ。受けるとでも思ってんのかコノヤロー。殺されたくなきゃとっとと消えろ!」
「何だと!? これほどの温情を足蹴にするつもりか! ミレイアは今や大陸のほぼ全域を支配する超大国だぞ! 我らに逆らって生きていけると思うたか!」
「だったらかかってこい。雑魚が百万来ようが、皆殺しにしてやるよ」
「クソッ! レジーヌ姫、あなたからも言うべき事があるだろう! なぜ口を開かれんのだ!」
使者は標的をレジーヌに向けた。
ここから彼女がどう応じるか。
言い換えれば、ミレイアの民に君臨し続けた血脈をどう扱うつもりか。
それはオレにも分からなかった。
「あなたは私に、一体どういう振る舞いを求めてるのかしら?」
「ミレイア王家としての自覚は無いのか! それすらも見失うほどに、骨の髄まで魔術師に陥とされたと仰るか?」
「私は別に洗脳なんかされてないわ。ちゃんと自分の意思で生きてる」
「正気か、では裏切るのか! 王家の責任から逃げるのか! 守るべき民を見捨てて何が王族か!」
「黙りなさい! あなたたちこそ、何故自ら領地を、人民を守ろうとしないのですか!」
「うるさい! 小娘に何がわかるか!」
「何ひとつ分からないわ。あなたたちの身勝手な考えが全く理解できない!」
「レジーヌ姫。民を守れ! 命に変えても先祖代々の土地を守るのだ! それが王族の務めであろう!」
「私の土地と民なら、この村だけよ。王都の民はあなたたちが守るべき存在じゃない。権力も信頼も、あれほどに掌握しているのだから」
「4ヵ国だ。4ヵ国の軍勢が、このちっぽけな村を襲う事になるぞ」
「どうぞご自由に。私はこの村とともに生き、そして共に滅びるから」
「クソッ! 後悔するなよ!」
男たちは何の成果もなく、むしろ関係性を悪化させるという、最悪の結果を残して去ろうとした。
そこへレジーヌから追撃の言葉が襲いかかる。
「それから、ミノルの事を2度と無位無冠などと言わないで。彼には歴とした肩書きがあるの」
「フン! どんな肩書きを自称しようと、我らが承認することはない……」
「魔人王よ。魔人王ミノル。次からはそう呼ぶ事ね」
「ま、マジンオウだと!?」
「ではご機嫌よう。あなたの顔を2度は見たくないわね」
「クッ……! 覚えておれ!」
魔人王だと!?
……とはオレも思った。
当の発言者は、まるでやり切ったかのような清々しい顔をしている。
使者の背中を見送って、足音が聞こえなくなるその時まで、ずっと勇ましげな鼻息を鳴らしていたのだ。
「あのさ、レジーヌさんや。マジンオウとは何ぞや?」
「あれ、覚えてないの? 昨日の夜に決めたじゃない」
記憶にない。
下戸のクセに、つい調子に乗って飲みすぎたせいだろうか。
そんな日々が10日も続いたもんだから、正直なところ昨日何をしていたか、ほとんど覚えちゃいない。
「昨日の夜って……あれか? オッサンが、酒と間違ってお酢をガブ飲みして、トイレに駆け込んだっていう……」
「その後の話。あなたが自分で決めたのよ? 『誰が無位無冠だー』とか叫びだしてさ」
「オレが? 自分で?」
「そうよ。唐突にね」
「魔人王と名乗るって?」
「うん。何の脈絡無くね」
頭が痛む。
酒に酔ってたとは言え、なぜそんな事を口走ったのか。
自分の事ながら理解に苦しむ。
これは遅れて来た中二病というヤツだろうか。
それからしばらくして。
魔人王ミノルの噂は瞬く間に広がってしまった。
レジーヌの宣言は余程にセンセーショナルだったのか。
ミレイアからは『そのような自称を許すな』と騒いでいるらしいが、それにはオレも強く同意したい。




