第87話 私を外へ連れてって
私は完全に閉じ込められた。
この部屋に囚われてから何日が経つだろう。
10日を数えた辺りから曖昧となり、今となってはもう分からない。
ここには手慰みに文字を記すペンすら無いからだ。
太陽は久しく見ていない。
それも部屋に窓が無いせいだし、中はひどく変化に乏しい。
退屈などという言葉では表せないほどだ。
そんな毎日が、心を徐々に痛め付けていく。
獲物が蛇にゆっくりと絞め殺されるように、自分の魂が死んでいくのを感じた、
部屋の隅に備え付けられたランプに灯りがついている。
だから今は夜ではない。
目が覚めてから食事を1度摂っている。
なので昼にはなっていない。
日に3度の食事と消灯。
それでどうにか1日という時間を見失わずに済んでいる。
「どうして……こんな事になっちゃったのかな」
心に浮かぶのは開拓村だった。
たくさんの笑顔に囲まれ、仕事に励みながら、毎日が充実していた。
たまに大変な目に遭わされたけども、今となっては全てが懐かしい。
そして、ミノル。
彼に会いたかった。
今すぐにでも飛んで行きたかった。
でも街を出て探しに行くどころか、部屋から踏み出す事すら許されてはいない。
「ミノル……グランド。助けて……」
絞り出したような言葉が漏れる。
返事など無い。
この部屋には誰も居ないのだから。
……重たい。
世界から隔絶されたような気持ちになる。
実際に外の物音はここまで届かない。
私が何もしなければ、辺りは完全な無音となってしまう。
やがて耳鳴りにも襲われる。
キィインと薄く聞こえる甲高い音が、より一層に私を空虚な世界へと誘うのだ。
しばらくそんな心境で居ると、奇妙な考えがよぎるようになる。
……レジーヌという女など、そもそも存在して居なかった、と。
何をバカな事を、と最初は思っていた。
けれど、その発想には不思議な説得力があった。
それはきっと、自分が幽閉されているにも関わらず、世界が上手く回っているからだろう。
ミレイアの国民も、貴族だって本当は私など必要なかったのだ。
都合の良い『旗印』が欲しかっただけ。
今になってようやく痛感させられたけど、もはや手遅れだった。
ーーコンコンッ。
ドアがノックされる。
その音を聞いて、私の意識は緩やかに部屋へと戻ってきた。
メイドが昼食を持ってきたのか。
それとも招かざる客か。
私は喉の不調を隠さずに、小さく答えた。
「……どうぞ」
「失礼する。レジーヌ姫」
来客はイーズク公爵。
ハズレの方だった。
これでは些細な雑談すら叶わないと、心の中で溜め息をついた。
「そろそろ考えて貰えたかな。婚姻についてだ」
「……嫌よ」
「先日は息子を相手にと考えていたが、それは止めだ。相手を私に変更するが、どうだろう?」
「……どうして急に?」
「女が国家の大計を知る必要はない。返事は?」
「……答えは同じよ。あなたが相手でもね」
「小娘。随分と強気だな。そうしていられるのは、あのミノルとか言う小僧のせいか?」
「あなたには関係ないでしょう」
「……まぁ良い。あの男は間もなく、グランド将軍によって誅滅されよう」
「何ですって!」
「先刻、ミレイア全軍を以て討伐軍を送り出したばかりだ。猛将グランドとメイファンの手にかかれば、いかに小僧が強かろうと死は免れん」
「今すぐ止めさせて! お願い!」
イーズクの服をつかんで必死に懇願したけど、簡単に振り払われてしまった。
頬に強い痛みがある。
どうやら殴られたようだ。
イーズクは苦々しい顔で服の乱れをただした。
そして汚いものを見るような目で私を睨み、冷たく言い放った。
「何か勘違いをしているようだが、ハッキリと伝えておく。貴様が殺されずに生き長らえているのは『前王の遺児』であるからだ」
「なん、ですって?」
「体に流れている王家の血は欲しい。だが、必要なのはそれだけだ。貴様そのものには1賎貨の価値も無い」
「王位が望みなのね……。でも、無理矢理に位を掠めとるような真似をしても、ミレイアの民は決して受け入れないわ!」
「そんな事は無い。愚民どもは完全に掌握してある。それよりも、自分の心配をすべきだ。私などよりも貴様の方がよほど憎まれているぞ」
「どうして? 私が何をしたというの?」
「悪の魔術師に心酔した、愚かな女だと誰もが噂しあっている。このままではいずれ反乱にまで発展しよう。『魔女に堕ちた姫に死を、縛り付けて火炙りにしろ』などと言ってな」
「卑怯者! それも全部、あなたが仕組んだ事でしょう!?」
「知らんな。私はただ、たった一度噂を流しただけだ。愚民どもはその噂がいたく気に入ったらしい。ここまで関心が高いとは想定外であったよ」
「……こんな、こんな話が許される訳がないわ」
「レジーヌ姫。もう一度猶予を与えてやるから、よく考えよ。火に焼かれて死ぬか。それとも婚姻を結び、自由を得るかをな」
イーズクが帰った。
再び静寂が訪れるが、今度はさっきのよりも重苦しい。
後悔が、絶望が上乗せされているからだ。
人々が私の価値を奪う。
ミノルを、私を悪の権化のように扱う。
これまで必死になって難敵と戦い、平和をもたらす為に努力を惜しまなかった私たちに対して。
……悔しい。
ただひたすらに、悔しい。
こんな想いをしたのは、これまで生きた中で初めての経験だった。
「暗い。世界はこんなにも、暗かったんだね……」
いっそ自害してしまおうと思うが、それは出来なかった。
室内には刃物はもちろん、命を絶つ為の道具は何もない。
イーズクもよほどに警戒しているようだ。
「だったら、舌を。噛みちぎって……」
口を大きく。
舌を前に突き出す。
後は勢いよく閉じるだけで良い。
ーーさようなら、ミノル。
言葉を胸の中で囁いた時、突然体が床に押し倒された。
肩に痛みが走る。
のし掛かっている何者かの方を振り向けば、そこには見慣れた顔があった。
「姫様ぁ! 何をなさってるんですか、危ないじゃないですかぁ!」
「……シンシア? どうしてここに」
「お昼ごはん持って来たんですよぉ! そしたら、そしたら……もう、姫さまぁ!」
「ご、ごめんなさい。お願いだから泣き止んで……」
シンシアの頬は涙で濡れていた。
正直、泣きたいのはこっちだと思う。
そして、なぜ気遣ってしまったのだろうとも。
自分の境遇に比べれば、彼女の方が遥かに自由で、解き放たれた身なのだから。
「辛いですよね、嫌ですよね、こんな部屋に閉じ込められて。可哀想すぎますよぉ!」
「ありがとう。でも、どうしようもないわ」
「逃げましょう!」
「……えっ?」
「逃げて、逃げて逃げまくって、開拓村まで行きましょう! 姫様だってそうしたいでしょう?」
「もちろんよ。でも、どうやって?」
部屋には窓が1つも無い。
唯一の出口の外側には何人もの見張りが控えていて、彼らの目を欺く事は不可能だろう。
強行突破するだけの戦力だって無い。
シンシアの言うことは夢物語としか思えなかった。
「ちょっと待ってくださいねぇ。今ミノルさまに相談しちゃうんでぇ」
「えぇ!? そんな事ができるの?」
「あ、いや、正確に言うと違いますけどね。ミノルさまに成りきって考えるんです。すると不思議な事に、名案が浮かんだりするんですよぉ」
「なんだ。自己暗示みたいなものね」
「うーんと、ミノルさま、ミノルさまっと」
「そんなの上手くいくのかしら……ッ!?」
「アガ! アガガガガッ!」
「シンシア! ねぇ、しっかりしてよ!」
ウンウンと唸っていたかと思えば、白目を剥き、更にはうなだれてしまった。
演技にしても不気味だと思う。
「だ、大丈夫? 無理しないで良いから……」
「ゲヒャヒャヒャーーアッ! 男は全員皆殺しだぁあーーッ!」
「ええーー!?」
「女どもは全員種づけだぁ! ゴチャゴチャ言わずに股開けオラァ!」
「落ち着いてシンシア! ミノルはそんな事言わないッ!」
何か良からぬモノが取り憑いたらしい。
前後に揺さぶる事で、どうにか正気を取り戻そうとした。
「はぅっ!? 私は何を?」
「良かった、戻ったのね?」
「あちゃあ……。失敗しちゃいましたかぁ」
「何と交信してたのよ。かなり危険な状態だったわ」
「うーん、ずる賢さが足りなかったんですかね? それとも粗暴さが足りない?」
「ねぇあなた、実はミノルの事が嫌いなの?」
「うーん、股? 股、股、またぁ……」
「ねぇってば」
「ンンン閃いたァーー!」
「うるさっ!」
シンシアは人前だと言うのにやりたい放題だ。
白目剥いて叫んで、独り言呟いてまた叫んだ。
とことん自由に振る舞ってるけど、一応は私が主人だって事を忘れてるんじゃないか。
「シンシア、静かにしてよ。表に聞こえちゃうでしょ?」
「あー、平気ですよ。見張りの連中はカードゲームに夢中で、ちょっとの騒ぎくらいじゃ何とも無いですって」
「えぇ……?」
「それよりも脱出路ですよ。私、やっとこさ思いだしました!」
「脱出路? そんなもの聞いたことも無いけど」
「ちょっと待っててくださいねぇ。確かこの辺りに……」
シンシアはまた何かを呟きながら、壁をまさぐり始めた。
そこにはドアや窓はもちろん、家具の1つすらない。
何の変哲もない石壁があるだけだ。
半ば苛立ちつつも、成り行きを見守ってみる。
すると、おかしな事が起きた。
彼女の腕が壁に飲み込まれたのだ。
そして微かな物音とともに壁がずれて、小さな空洞ができた。
中は暗いが、梯子があるのが見える。
それは秘密の抜け道のようだった。
「やりましたよ。噂頼りでしたが、どうにか見つける事ができました!」
「本当にあったんだ……これはどこに通じているの?」
「城下町のどこか、らしいです」
「じゃあダメよ。私の格好目立つでしょ? 街中を出歩いている間に見つかってしまうわ」
「キラッキラのドレスですもんねぇ。でもお任せくだせぇ! お召し替えならここにありますぅ!」
彼女は勢いよく制服を脱いだ。
すると中に着込んでいたのは、体格に不釣り合いなほどに大きな服だった。
下着ではない。
男物の服だ。
妙に使用感があり、くたびれた印象すら受ける。
そして見覚えのある物だ。
「この服に着替えてください。男物ですけど、姫様は背が高いから大丈夫だと思いますぅ」
「ねぇ、この服ってミノルの私物じゃない?」
「細かい事は良いんです! 早くしないと見張りに気づかれちゃいますよぉ?」
「一時期ミノルが『最近服が無くなるんだよ』とかボヤいてたけど、犯人はアナタ……」
「さぁ行こう、やれ行こう! 敵は狡猾です、気を引き締めましょうぅぅ!」
「う、うん」
深入りはしない方が良いらしい。
私は心の奥に、今の出来事をそっとしまい込む事にした。
それからシンシアは制服姿に戻り、私はもう1つの服に着替えた。
肩や腕回りがだいぶ余るけど、一応は問題なく着れている。
「じゃあ行きましょうかぁ」
シンシアの呼び声がかかる。
そしてこの瞬間より、王都脱出劇は始まるのだった。




