第58話 王の居るべき場所
地底の道を行く。
やることと言えば単純明快である。
陽のあるうちに出口に向かい、ときおり相対するトカゲどもを倒し、腹と喉を満たしてから眠る。
ただそれだけだ。
無駄な物事が一切ない単調な日々であるが、本日までは順調である。
かのウサギどもは大いに役立った。
当初期待していた解毒効果だが、その能力の出番は無さそうだ。
何せトカゲどもと戦闘になろうものなら、ウサギたちが敵の気を上手く引き、十分な隙を生み出してくれるのだ。
当然私は躊躇せずに攻撃。
それで絶命足らしめる事ができるのだ。
「今回も上首尾だな。食事にしようか」
「キュイッキュ!」
今も調度トカゲを撃破したところだ。
尖った石を使い、肉を削ぎ落とす。
皮膚に触れると人間は炎症を起こすので注意が必要だ。
内臓も食べない。
腹痛や嘔吐を引き起こしてしまうからだ。
私が食べるのは手足の肉。
血は洗わずにそのまま食べる。
かつてグランド団長と山間部で訓練をしたときに、何度も繰り返した作業だ。
その頃の経験がこうして活かされている。
「お前たちも食え。喧嘩するなよ」
「キュッキュ!」
ウサギたちは皮膚を食う。
初めに見たときは炎症でも起こすのではと思ったが、彼らには解毒作用が備わっている。
だから不都合なく、上機嫌に頬張るのであった。
「今日も歩いたな。この辺りで眠ることにしよう」
「キュェェーー」
「なんだ。遊びたいのか?」
「キュイッキュ!」
「ならば遠くには行くなよ。目の届く範囲でな」
「キュィイッ!」
獣と対話など不可能だと思っていたが、存外に容易かった。
彼らは表情豊かであり、感情も多彩。
言葉そのものが解らなくとも状況を読み解き、声色や顔つきを見て、彼らの意図する物事を察する事が出来るのだ。
獣は獣。
心を持たぬ畜生であり、食物として狩られるだけの存在……そのように認識していたのだ。
まさかこんな形で考えを改めようとは思いもしなかった。
「おいモキュタ、モキュミ、そろそろ戻れ。ひと眠りするぞ」
「キュェェ」
「ワガママを申すな。早くしろ」
「キュッキュ」
このウサギたちには集団で眠るという習性がある。
これが実に理にかなっているのだ。
防寒対策になるし、外敵に襲われにくいし、逃げる際にもバラけずに済む。
一切の無駄のない仕組みには脱帽せざるを得まい。
それにひきかえ人の世の住み難さはどうか。
誰が強い誰が偉い、金がどうの軍隊がどうのと、何かとやかましい。
生きる事はもっと簡潔であるべきであると思った。
それについて身をもって教えてくれたのは、他でもないウサギたちである。
「つい先日まで、私も王になる事を切望していたのに……。お前たちを見ているとバカらしく思えるな」
「キュイィ……」
「何でもない。ともかく寝るぞ」
「キュッキュ」
なぜ自分は王になろうとしたのか。
なぜあれほどに焦っていたのか。
己の派閥を広げようと必死になり、一刻も早く大勢力を築こうとし、女子供まで引き込もうと声をかけ続けたのは。
……なぜだったのか、思い出せない。
あの頃は胸を黒く塗りつぶされたような焦燥感で一杯であった。
ミノルという途轍もない人物に対抗しようとした結果であろう。
私たちが、団長が必死になっても成し遂げられなかった事を、いとも容易く解決した男。
何もない森に一大拠点を築き上げ、更には2国をも支配下に置いてしまった、恐るべき男。
自分では逆立ちしても適わない相手に、必死になって食らいつこうとし、更には追い落そうとした。
もちろん上手くいくはずもない。
すべての策は外れ、誰からも白い目で見られてしまった。
手段を選ばずに強行し、周囲は敵だらけになり、その結果が地底暮らしである。
正直いって無我夢中であったため、記憶の半分くらいは欠如している。
訳の分からぬ事を散々喚いた事だろう。
無理を押し通そうとするたび、凍らされた事も一再ではない。
当時の事をじっくり思い出せば、いろいろと呼び起こせそうであるが、そこまで紐解く気力は湧かなかった。
どれほど憎まれているかを実感することが、酷く恐ろしいものに思えたからだ。
「キュイッキュ!」
「む……起きたのか。私は寝付けなかったな」
「キュイィ〜」
「心配するな。寝不足くらいどうと言う事はない。ところでだ」
「キュッキュ」
「何やら数が増えてないか?」
寝る前はウサギ4匹であった。
それは数え間違いようがない。
だが今はどうだろう。
何度数えても9匹いる。
いつの間にか別の群れが合流したのだろうか。
「キュッキュ!」
「この者たちも守れと? 無理だ、数が多すぎる」
「キュイッキュ! キュッキュ!」
「そうか、水源を探せるもの、子供の世話が得意なもの……それぞれに長所があるのか」
「キュウ!」
「うむ……まぁ、それならば良い。私の命令に従うのであれば、同行を許そう」
「キュゥウウーーッ!」
あっという間に同行者が倍以上に膨らんだ。
開拓村で派閥を広げようとした際には、一向に味方は増えなかったというのに。
もはや皮肉であると笑うことさえ馬鹿らしくなる。
数が増えてもやる事は同じ。
出口を目指して歩き、トカゲを倒し、肉を食らい水を飲んでは眠る。
そして起きればウサギが増える。
今では20匹近くになっており、名前を覚えるのが大変な程だ。
もちろんそれらを統率することも。
「モキュゾウ! モキューレを苛めるでない、謝るのだ」
「キュキュ」
「なんだその態度は! 年上など関係ない、悪事をやらかした者が謝るのだ!」
「キュッキュゥ……」
「全く。強情モノめ」
毎日のように接していると、彼らにも個性がある。
甘えん坊、せっかち、怠け者などなど。
群れを統率するには、ある程度その気質を理解しなくてはならない。
頭ごなしに命令を下しても成果にバラつきが出るのだ。
その差分が群れの運営に影響を与えることもあるので、こちらも頭を捻らねばならぬ。
「ミノルは、このような事を人間世界でやっていたのか……つくづく恐ろしい男よ」
「キュキュウ」
「私が所属していた村の話だ。そこにはレジーヌという姫様がいて、それから……」
「キュウウ……」
「いや、何でもない。この話は止めておこう」
「キュッ」
姫の事を忘れた訳ではない。
あれほどに恋い焦がれ、追い求めた女性なのだから。
だが今になって冷静に考えると、なぜあそこまで躍起になっていたのか、自分でも分からない。
己の事であるのに分からないとは、どこまでも愚かなのか。
追放されたのも頷けるというものだ。
その日の夜、夢を見た。
昼間に姫の話など迂闊にしてしまったせいだろう。
意識が程々に覚醒しているため、なんとも嫌な気分にさせられた。
場所はとある山中。
辺りの様子からして、王都ミレイアから逃走している頃だろう。
月明かりに照らされるレジーヌ姫の横顔。
聡明で優しく、誰に対しても笑顔を振り撒くあの姫様が……涙していたのだ。
一晩限りではない。
連日連夜、人知れず泣き続けたのだ。
それは大森林の小屋に逃げ込んでからも変わらず、声を殺し、誰にも気付かれないように。
小さな体を闇に預けて。
そうか。
思い出した。
そもそも私は、レジーヌ姫に笑って欲しかったのだ。
あの優しい笑顔が、平民上がりを差別せずに笑いかけてくれた彼女が好きだったのだ。
だがいつの間にか心は歪みに歪んだ。
やはりミノルに嫉妬したせいだろう。
焦りが焦りを生み、延々に彼女につきまとったが、今思えば全てが空回りであった。
頑張るほどに泥沼化して、その間にミノルと親密になっていく。
一方眺めるだけの自分は惨めであり、殊更に心を醜くし、最後は何もかもが判らなくなっていた。
今の冷静さの半分もあればと思うが、時計の針は戻せない。
ただジッとかつての悪行を悔やむばかりだ。
「キュェェエ……」
「うん? モグミ。もう起きたのか?」
「キュウウーン」
「大丈夫だ。今日は眠れたよ、心配させたな」
モグミは群れの中で最も甘えん坊であり、くっつきたがりだ。
寝るときも私の胸の上を占拠し、顔の側を常に陣取るのだ。
これにはやはり苦笑いがこみ上げてくる。
人間世界では誰にも相手にされなかったが、地底にてウサギに惚れられようとは、おかしなものである。
まぁ言うだけ野暮であるかもしれん。
あまり考えぬようにしよう。
今日もやるべきことは同じ。
30匹ほどに膨らんだ群れを引き連れ、出口を探す。
いつものようにトカゲを倒し、みなで分け合って食す。
ここまでは何ら変わりは無かったのだが……。
「グルルルル……」
「ぶ、ブラウンベアだと!? こんな所にも現れるのか!」
我々は敵にかなりの位置まで近づかれていた。
恐らく10歩もあるまい。
太く逞しい腕、鋭い爪に牙、狡猾なる頭脳。
すべてがトカゲを遥かに上回る能力であり、ウサギたちも一様に慌て出す。
「モキュタ、モグゾウ! あいつの気を惹けるか?」
「キュェェエーー!」
「くそっ! 通用せんのか……」
これまでの戦法が呆気なく破れた。
ウサギたちによる陽動に対し、ブラウンベアは見向きもしないのだ。
みなが怯えて私の後ろに集まる。
この状況下で何が出来るだろう。
逃走しようにも、敵の方が恐らく速い。
最も被害を小さくするには、多くの仲間を救うには……。
「モキュタ! みなを連れて、早く安全な所へ!」
「キュイッキュウ! キュキュウ!」
「私は残る。あやつを引き付けねば、たくさんの仲間が食われてしまうだろう」
「キュェェエ! キュェェエーー!」
「良いから行け! 私の心配なんかするな!」
「……キュウ! キュウウン!」
みなが何度も振り返りつつも、やがて逃げ去ってくれた。
心配してくれて嬉しい気持ちと、早く行けという苛立ちが混ざったような、不思議な気分だ。
そんな想いも、接敵すると霧散することになる。
大きい。
四つん這いなので、目線は私の方が高いが、それでも大きいと感じた。
覇気が、殺意が尋常ではない。
本能が警鐘を鳴らし続ける。
目の前の動物は自分より上位の存在であると、太刀打ちできるような相手ではないと。
だが私は退かない。
今や多くの命を預かる身なのだ。
せめてモキュタたちの逃走時間くらいは稼がなくてはならないのだ。
「かかってこい、凡庸な畜生風情が! あの者たちに手を出すというなら、王たる私を倒してからにせよ!」
「グルルルル……」
奥歯が震え、上手く噛み合わぬ。
膝も腕も借り物のように自由に動かない。
それほどに強烈な殺意であった。
己を鼓舞するための虚勢ですら、ヤツの鼻息で消し飛びかねない程に軽い。
あまりにも生き物としての格が違いすぎる。
勝つ見込みを、何か付け入る隙を見つけねば、力負けして食われるだけであろう。
「……む? もしや、怪我をしているのか?」
後ろの右足をやや引きずっているようだ。
それが邪魔をしているから走れず、忍び足で近づいて来たのだろうか。
だとすると、私も逃げられるのではないか。
一時そう思ったのだが。
「グルワァァッ!」
跳んだ。
数歩先で一気に間合いを詰め、前足の爪を振るってきた。
勘を頼りに転んで避ける。
それでどうにか負傷せずに済んだが、魂が縮こまってしまった。
速い、そして鋭い。
これを相手に思えばトカゲ戦など児戯に等しい。
瞬きひとつが命取りになるようである。
再びブラウンベアが忍び寄る。
およそ5歩先。
間合いには遠いらしい。
それが4歩、3歩半に踏み入れた瞬間。
「グルアァ!」
「グハッ!」
爪をツルハシで受けたのだが、やり方が下手であった。
力を逃さずまともに受けてしまい、腕が痺れてしまう。
なんという剛力だろうか。
立て続けに食らってしまえば、私はあっという間に肉塊にされる事は明白である。
「クソゥ! 何か手は、逆転の手段は……」
こちらの弱気が伝わったのか、ブラウンベアに余裕の表情が見て取れた。
4歩先、間合いのわずか外で、勝ち誇ったように立ち上がった。
両手を天にかかげ、そして吠える。
勝負が決したとでも言いたいのか。
悔しいが、それを否定する程の力は私にはない。
そのまま成り行きを睨みつけていたのだが、状況は瞬く間に変化した。
突然多くの石がブラウンベアの頭に降り注いだのだ。
それらは小さいのでダメージは無い。
だが、驚きのあまりに、ヤツの顔がそちらを見た。
チャンスだ。
この一瞬に掛ける以外に助かる道はない。
「食らえぇぇーーッ!」
全体重を乗せ、ツルハシを思いっきり叩きつけた。
防御も何もない捨て身の一撃である。
実際、この動きに合わせるようにして爪が向けられたが、運良く頬を掠めるだけであった。
そして、ツルハシが相手の目に直撃した。
「グアァアア!」
ブラウンベアは頭を抱え、狂ったように暴れるが、それも長くは保たなかった。
辺りの壁に爪痕を幾筋も残し、そして絶命した。
我らの勝利である。
「キュイィィイ! キュイィイ!」
「みんな、無事か。今のはお前たちがやってくれたのだろう?」
「キュイッキュ!」
「助かった。あの隙がなければ、私は今頃死んでいた事だろう」
「キュェェ! キュェエエエーーン!」
「う、うむ。無理はしないように気をつけよう。何も泣く事はあるまい」
「キュェエエエン!」
「わかったわかった、次からは皆で逃げよう。それで良いか?」
「キュイッキュウ」
こそばゆくも暖かい。
これが仲間意識というものなのか。
長らく孤立していた自分にとって馴染みの薄いものだが、悪いものでは無かった。
それからクマ肉を有り難く喰らい、そして眠った。
この夜はいつも以上に皆が側に寄る。
いくらか暑苦しく思ったが、それには耐えた。
それからの旅は再び順調に進んだ。
ブラウンベアのごとき強きものは出ず、火炎トカゲやツノネズミが時折やって来るばかりだ。
都度撃破、そして食事。
水源を見つけては肩を並べて飲み、近場で眠る。
そんなある日。
とうとう出口を見つけた。
暴力的な程の光が外を白く染めている。
「みんな! 外の光だ! 向こうは実り豊かな大地があるぞ!」
「キュッキュイィ!」
目に強烈な光が差し込む。
恐らく太陽の仕業だろう。
長い期間暗がりで暮らしていたため、その暴力的な日差しが相当に痛む。
この明るさに慣れるまでは動けない。
どれだけ穴ぐらの入り口で耐えていただろうか。
やがて視界は色を帯び、外の様子が徐々に見え始めた。
「ここは、もしや……大森林の村か!」
目の前には見慣れた坂道が見える。
その向こうにはいくつもの建物が並んでいる。
どうやらここは、村の傍にある草原エリアのようだ。
何日ぶりかは見当もつかないが、懐かしさがこみ上げてくる。
そして同時にそれと同等の、いや、それ以上の罪悪感が頭をもたげる。
地底での生活は余りにも長く、そして己の過ちを考えさせるのに十分な時間があった。
それを思うと、今更どのようにして村に戻れば良いのだろう。
外に向けての第一歩が踏み出せない。
そのまま何をするでもなく、所在なさげに眺めていると、坂道を行く1人の女性が見えた。
レジーヌ姫だ。
彼女は両手いっぱいに野菜を抱え、倉庫にでも向かっているようである。
その顔に満面の笑みを浮かべて。
「ああ、なんだ……笑ってるじゃないか。私の力など必要もなく、あんなに楽しそうに」
失意の底にいた姫は純粋に笑っていた。
いや、もしかすると、今に限った話ではないかもしれない。
私が躍起になって付きまとっていた頃も、先ほどのように笑えていた気がする。
だが自分はそれを受け入れられなかった。
彼女に笑顔を取り戻させたのはミノルであり、己の力では無い事が認められなかったのだ。
この時になってようやく合点がいった。
なぜ地上への道を歩み続けたか。
危険を顧みる事なく、出口を目指したのはなぜか。
答えは明快だ。
ただ単に、あの笑顔を見たかったからだ。
幸せに暮らせている事を確認したかっただけなのだ。
「ありがとう、みんな。もういいぞ、中へ戻ろう」
「キュェエ」
「良いのだ。確かにあの村は私の馴染みの場所だが、もう戻れない。居場所がないのだ」
「キュイッキュウ」
「もちろんだ。私はそなたたちの王。これからも共に暮らしていこう」
「キュッキュウ! キューッキュウ!」
ウサギたちはゾロゾロと洞窟の中へと戻っていった。
彼らも暗がりに慣れているため、外の眩しさが辛いのだろう。
もはや私の周りには誰も居なくなっていた。
村の方を今一度見る。
もう彼女の姿は見えなかった。
何かしらの建物に入ったのだろう。
「さようなら、レジーヌ姫。またいつの日か会えると良いですな」
それきり私は背を向けて闇の中へと歩いて行った。
地上にもはや未練はない。
あとは成り行きに身を任せ、仲間たちと苦楽を共にするだけである。
幸いにもこんな自分を慕い、頼り、受け入れてくれる者が居る。
そう思うだけで足取りは軽やかになるのだった。
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