第30話 分かち合うべき宝
旧ミレイア領、王都内、王城大使館。
ここに今、各国の指導者が顔を揃えている。
北国エレナリオよりエリオス王。
南国アルフェリアよりアルフェ王。
そして西の超大国、アシュレイルよりレアル王。
ディスティナが滅ぼされた為に、現状はこの3人がこの大陸を分割統治していると言って良い。
名目上は三国並立である。
そのため今回の会談も、領有権の定まっていない空白地、かつての宗主国ミレイア領にて催されたのだ。
国力、兵力、文化の違いはある。
だがそうであっても、どこかの一国だけを持ち上げたりしないこと。
それが数少ない国際ルールのうちのひとつである。
「まさかディスティナが陥とされるとは……だらしない。金をケチりすぎた報いじゃなぁ?」
アルフェ王が整えられた口ひげで遊びつつ興味薄に言った。
大陸の4分の1が滅びたにも関わらず、である。
「大魔獣に襲われたとはいえ、不甲斐ないものですね。あんなに早く負けたら、援護のしようがないですよ。だから、私のせいじゃないですよね? あれは自己責任ですよね、ね?」
ひときわ小柄なエリオス王が口を開いた。
なんらかの落ち度を指摘されぬよう、先んじて予防線を張る事に必死である。
ここはそんな些事を議論する場ではないが、責任の所在を明確にすることは彼にとって重大事であるらしい。
もちろんそれに取り合おうとする返答は無い。
「突然現れたケルベロス。そして、見たこともない魔獣……か。面倒な事よ」
最後に発言したのはレアル王だ。
短く切り揃えた銀髪は天に向かって真っ直ぐに逆立っている。
また、相当の武人であるらしく、豪奢で大ぶりな鎧を見事に着こなしていた。
「それよりもだ。加護を持つ巫女は見つかったのか?」
レアル王が語気を鋭くして問うた。
それに対してエリオス王は飛び上がり、アルフェ王は涼しげな顔で受け流すのである。
「わ、私は存じませんぞ! まさか怠慢と責めるおつもりか? それならばアルフェ王も同罪ですからな!」
「落ち着かんかエリオス王よ。そもそもレアル王、貴殿こそどうなのだ、なぜ我らに行方を訊ねた?」
「大陸南西部に痕跡がない。ゆえに南東部に逃げたと考える他あるまい」
「ちゃんと探したのか? 貴国の兵は強兵なのは結構だが、捜索などの繊細な任務は不得手であろう?」
「貴様……我が軍を貶めるか!」
覇気が、闘気が場に満ちる。
まるで切っ先でも向けられたかのような、強烈な威圧感が空気を一変させた。
エリオス王は椅子から転げ落ちそうな程に震えたが、アルフェ王に動じた様子はない。
静かに紅茶をすすり、いくらか目を細めて言葉を返すばかりだ。
「別に貶してなどおらん。痕跡を見つけられぬのは我らも同じ。故にどこに潜んでいるかは誰も知らぬ、存ぜぬ。よくよく自領と周辺を捜されよ、と申しておるのだ」
「アルフェ王……何かを隠しておらんか。貴様の国はミレイアの敗残兵を多く捕らえていよう」
「下っ端ばかりじゃ。あんなもん仮に1000人居ようと、有用な話など聞けんよ。貴殿と持ち合わせている情報は変わらぬわ」
ひととき2人が睨み合う。
標的から外れたエリオス王は、これ幸いと肩の力を抜き、椅子からやや滑り落ちた。
ーーフゥ。
エリオス王が小さな溜め息を漏らす。
それを期にレアル王も気を緩めた。
やや視線を逸らしたアルフェ王が、鼻を鳴らす。
表立った衝突はこれにて終わりである。
「いいか。抜け駆けはするな。決してあの娘を独占しようなどと思うなよ」
「もちろん言わずもがなじゃ。あれは皆の宝物じゃからな?」
「もし約束を違えてみよ。その細首をねじ切ってやる」
「怖いもんじゃ。こんな老人をいたぶって、何が楽しいものか」
こうして亀裂は決定的な所までには至らず、会談は終わった。
表面上は協調を謳っている3国。
だが協定が実際に守られているかというと、怪しいものである。
それを証左するように、アルフェ王は人知れずほくそ笑むのだった。
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場面は変わって開拓村。
平凡なとある小屋にて、シンシアが室内を掃除している。
「もぉーー。こんなに散らかしちゃってぇー。殿方ってばお片付けが下手ですよね」
ここはミノルの家である。
彼は彼なりに忙しいのか、部屋は数々の書類やら小物で散らかっていた。
そこをメイドらしく、シンシアが掃除をするというのだ。
だが無許可だ。
「私だって暇じゃないんですから、あまり煩わせないで欲しいですねーもうプンスコですよプンスコ」
不満を漏らす口とは対照的に、目は爛々と、いやギラギラと輝いている。
さらに掃除と言いつつもやる事と言えばアチコチの箱を開き、戸の奥を確認し、ベッドの下に視線を這わせたりした。
整頓も拭き掃除も、ホウキで掃く事すらしようとしない。
動きは完全に空き巣のそれである。
「フヘ、ヘヘ。お宝はどこじゃあーーい。脱ぎたてのおパンツとか、どこじゃぁーい!」
上の衣類しか洗濯に出そうとしないミノルに対し、シンシアはとうとう痺れを切らした。
その結果が実力行使だ。
重ねて言うが無許可である。
相手は温厚とはいえ、大陸でも指折りの強者。
機嫌を大きく損なえばうっかり一刀両断されかねないのだが、彼女は恐れない。
ーーおパンツのためなら死んでも良いです。
シンシアの心は青空のように澄みきっていた。
迷いなど、恥じらいなど、もはや大鍋に煮込んでトロかしてしまったのである。
真っ直ぐな目を濁らせつつ家捜しは続けられた。
「むむっ。これは……!」
変態の手が止まる。
そして小刻みに震えだす。
寝具の隙間に手を伸ばし、掴んだ未来は。
「ヨッシャァァーー! お宝ゲットォォーー!」
望み通り、洗う前の下着を手にすることができた。
そこでシンシアは思案する。
細かく刻んで懐にしまい込むか、ひとまずは芳しい香りを堪能するか。
嗅ぐにしても手順はどうするか。
腰の部分、足の部分、いやそれとも……。
足元に液体が滴る。
その時になってようやく彼女は気づいた。
自分がヨダレを垂らしていることに。
「ふへ、へへ。家主が戻ってくる前に、決めなきゃならんべぇ。とかく味わうだよ。この完全体の宝物をなぁーー!」
「……何を味わうって?」
「ヘイッ!?」
シンシアは無我夢中で気づけなかった。
背後に家主が現れたことを。
熱心なあまりに周囲への警戒を怠ってしまったのだ。
そして早くも彼の目が明らかに、変質者を見る目に変わっていることを悟る。
彼女は時をかけすぎた。
達成を目前に発覚しては、悔やんでも悔やみきれない事だろう。
「あ! 何で下着なんか持ってんだよ!」
「これはその、ええと……」
メイドは青ざめた。
このままでは『盗みまで働く変態』というレッテルを貼られてしまうからだ。
ーーそんな中傷、断固として受け入れられません!
彼女に再び意思の力が戻ると、にわかに指先を動かし始めた。
カタカタと動くそれは、さながらブラインドタッチのようであり、熟練のプログラマーを彷彿とさせる。
そして、止まる。
何か整ったようだ。
メイドの姿勢が、はらんでいた空気がサッと変わる。
いや、彼女はもはやメイドのくくりではない。
一人のサムライとして、強大な男に向かって真剣勝負を挑もうとしているのである。
「ミノル様。私は以前にお話しましたね。お召し物の臭いで体調がわかると」
「そうだな。でもそれは上の肌着だけでも十分だろ? 他の連中だって同じ条件だ」
「それがですね。小耳に挟んだ情報なのですが、どうやら殿方だけにかかる風土病があるそうなのです。しかもデリケートな」
「デリ、ケート……?」
「はい。そして普段の検査により、ミノル様に感染の疑いが持たれています。無駄に不安をかきたてるのも憚れたので、公言しませんでしたが。いかがですか?」
これを聞いて震えたのはミノルの方だ。
デリケートな病……性病か?
知識経験の乏しい彼は、瞬く間に不安の底へと突き落とされてしまった。
「なぁシンシア。そうは言うけど平気だろ? だって痛みとか、変わったところ無いしさ」
「この病の恐ろしさのひとつに、自覚症状が無いというものがあります。体には全く変化はなく、ある日突然……」
「突然……?」
「男性器がポロンともげます」
「えぇーー!?」
出任せである。
ちょっと調べれば嘘八百であることは自明だ。
だが、純朴青年ミノルはそこまで気が回らない。
「そうだったのか……そこまでオレの体を気遣って……」
「私だって嫌なんです。嫁入り前なのに男性の下着に触れるだなんて。更にはそれを検査しなくてはならないのですよ」
「うん、うん。すげぇ大変な事だと思う」
「それもミノル様がこの世界にとって必要な方だから! こんな辱しめにも耐えましたが、私のやったことはご迷惑だったでしょうか!?」
「いや、違うぞ! ほんと凄い! シンシアにはマジで助けられてる!」
牙城は落ちた。
もはや投了といっていい盤面である。
後は戦後処理を残すばかりとなる。
「なぁ、本当に悪かったよ。そこまで体張ってくれてるなんて知らなくてさ」
「……はい」
「それで、メチャクチャ頼みづらいんだが、たまにで良いから、そのぅ……」
「下着の確認ですね。大丈夫です、頑張りますから」
「本当か? 無理してないか?」
「その代わり、作業時は独りにしてください。誰かに見られたくはありませんので。それから、この話はどうかご内密に」
「もちろんだ。やれるだけの便宜ははかるから、そこは安心してくれ!」
「では早速ですが、一人きりにしてくださいますか?」
「分かった。ほんと苦労かけてすまん!」
「とんでもない事です」
ミノルは肩を落とし去っていった。
ザッザッザッ……。
重い足取りは遠ざかり、そして聞こえなくなった。
「プハァーーッ! やばかったぁー死んだかと思ったぁーですよ!」
見事な立ち回りにて、彼女は危機を脱した。
さらにはピンチをチャンスに変えたのだ。
「キヘェーーヘッヘェ! これからは下着も味わい放題じゃぁーーい!」
存分に顔を宝物にうずめ、さらには家主のベッドの上を転げ回った。
その様はマタタビを得た猫のようである。
布地の隙間から覗く表情は、頬を赤く染め恍惚としたものであり、まさに恋する乙女そのものと言えよう。
このような醜態をさらすとは、さぞや手遅れな変態と思われるかもしれない。
だが彼女にそれを問えば、決まってこう返すだろう。
ーーこれは変態行為ではありません、ただ仕事熱心なだけです。
侍女は今日も逞しく、過酷な大地を生き抜いていく。




