第三話-水城-
教室の一番奥。一番後ろ。そこが水城の席だ。
いつも始業チャイムのぎりぎりに登校するため、普段なら水城が教室へ入った時には殆どのクラスメイトが揃った状態で賑わっている。けれどここ四日、政府からの規制のもと自宅待機となる生徒が多く、登校する生徒は半数程だった。
教室へ入ってぐるっと中を見回す。確かに日に日に減ってはいたが、今日は一段と人が少ない。広域に規制が出ただけではなく、恐らく両親の判断により休みを促されて休む生徒もいるのだろう。
すっかり人気が減り風通しがよくなってしまった教室では、いつもより随分と声を潜めて話す生徒が目立つ。その様子から連日の事件について話していることはあるが、その表情にはそれ程憂いや恐怖は浮かんでいない。身近で起こっているといえど、身近な誰かが死んだわけでもましてや自分に降りかかった惨事というわけでもない。所詮はテレビの中で見る《事件の一つ》に過ぎないのだろう。
ずらっと人の座っていない席の後ろを通り抜け、自席にカバンを置く。ブルーの液晶がはめ込まれたゴーグルを首元に落とし席に着くと、まるでそれを待っていたとばかり今まで殆ど微動だにしていなかった影がゆらりと席から立ち上がり、空席となった水城の隣へと無遠慮に腰を下ろした。ゲーム機を片手にやって来た薊拓哉は、忙しなく親指を動かして操作をしながら、首をゆっくりと傾けてゴキリと鈍い音を鳴らす。
「おかしいな。確かみずきちの家は練馬区だった筈だけど」
「あーそうだっけ」
「んー?おかしいなー。練馬区は帰宅待機指示が出てた筈なんだけど」
「どーだっけ?」
「しらばっくれんな」
ゲームの電源を落とし、制服の下に着込んだパーカーのポケットへとそれを仕舞い込む。ずりずりと椅子を水城の方まで寄せると、すっかり窓枠に背中を預けて寛ぐ足を叩いた。それを煩わしそうに払うと、「あのなあ」と払われた手を擦りながら苛立ったように眉を顰める。
「冗談じゃなく、危ないだろ。お前ちゃんとニュース見たか?後、警報の通知。今日の現場は池袋だぞ。お前の家の目と鼻の先」
「流石にそんなに近くねーよ」
「近いわ。侮んな。ていうか、絶対紬からも学校に行くなって連絡来てただろ」
「来てたかもしれない」
「適当なこと言いやがって……紬はちゃんと学校休んでるけど」
「アイツこそ池袋に住んでんだから現場は目と鼻の先だろ。登校してたら大問題だわ」
「お前が登校してるのも大問題だし、絶対教師に怒られるからな」
ふう、と一息つけるかのように呆れたため息を吐いた後。薊は目で水城をねめつけるように目を細めるも、それに怯むこともなく全く反省をする様子も見せない。首からゴーグルを引き抜き、机の中から出した工具でメンテナンスを始めた水城に対して、とうとう口で苦言を呈することは諦めた。
「ていうか、チャイム鳴ったっけ。もう始業時間過ぎてないか?」
「今更かよ。ほら、ボード」
ん、と薊が顎で指し示す電子ボードを見る。教室横幅いっぱいの白いボードには小さく見える字で《会議のため、朝礼と一時間目は自習》の文字が打ち出されている。教師が直で書いたものではなく、学校として教室のボードへ一斉配信されたメッセージだろう。
ゴシック体で打ち出されたその少しポップな文体を見て、ふうんと適当な相槌を打つ。会議か。
今日を除く三日間。確かに規制による自宅待機や自主待機による対応で学校の教員達は連日慌しくはしていたが、朝礼は必ず行っていたし一時間目も通常通り授業をしていた。事件も四日目となり、更に犠牲者が増え規制範囲が拡大されたことで何かトラブルがあったのだろうか。
それ程興味もないのにぼんやりとした憶測を立てながら、綺麗に汚れを拭き取ったゴーグルを蛍光灯にかざす。曇り一つない艶やかな仕上がりだ。
「もしかしたら、うちの学校から被害者出たのかもな」
「……そう思うか?」
「だって今まで授業も朝礼すらもやってただろ。緊急会議?」
「多分緊急。俺教室来るの一番早かったけど一回も先生見てないし。あのお知らせ表示されたのもつい十分前だから、だいぶばたばたしてるんじゃないか」
「ついに休校になるかもな……」
そうなれば、流石に学校へ来ることは出来なくなる。教室だけでなく学校のエントランスを通るためのシステムも落とされてしまうだろうし、門すら閉め切られてしまう。自宅待機を言われても「学校に行きたい」と強引な嘘の我侭を通そうとしていたが、それも出来なくなるだろう。
ゴーグルをカバンの上に置き、苦虫を噛み潰したような顔をしながらスマホの画面を開く。閲覧履歴も残さず放っていたメッセージポップをフリックで完全に追いやり、ニュース記事がジャンル毎にリアルタイムで更新されるアプリを開く。片っ端からタップしてウィンドウを開き、順に目を通して行くも家を出る時に見た記事とそれ程変わった情報は流れていない。
やはり、事件の具体的な全容は全く明らかにされていないのだ。