第十話-戸田-
十二年前。都内で相次いで行方不明となった人達の共通点に《ノヴァ》であること、同じ眼科へ通っていたこと、行方不明となる前日にネットの《とある掲示板への書き込み》をしていたことがあった。その掲示板というのは、ノヴァという稀有な存在を不思議がり、或いは面白がってか。はたまた本当にそういう意図があってか、《ノヴァの救済》という名目で一般人の有志により開設されたものだ。ノヴァの救済とは謳いながら、実際にはノヴァに興味のある者や自分はノヴァだと嘯く者が溢れかえる、ただのネット民の溜り場に過ぎなかった。それだけならよかったのだ。
ある日。自分はノヴァだと言い、そのノヴァを目当てに近づく他人が怖くて仕方がないといった内容の書き込みがあった。今までにもノヴァを名乗る者は幾人もいたが、掲示板の名目通りに《救済》を求めて来る者は初めてだった。これには掲示板に住みついていた匿名ユーザー達も好奇心を剥き出しにし、いつも以上に書き込みの主がノヴァであるかそうでないかの論争を繰り広げた。
だがそんなものはどうでもいい。匿名のユーザーがどう騒ぎ立てようが、どう決断を下そうが事件には全く関係のないことだ。事実は単純。この書き込みをした正真正銘ノヴァである女子学生が、翌日に失踪。その二週間後には、とある施設でノヴァの瞳を刳り貫かれた状態で保管されているのを発見されることとなる。同様に、まるで連鎖するかのように書き込まれた救済を求める四つの声は、女子学生と同じ道を歩むこととなった。
「でもあれって、結局オープストは誰も逮捕されなかったんですよね」
「それどころか誰がオープストかもわからない。ただ限りなく黒に近い奴らを警察がみすみす逃したってだけだ」
犯人は《陽の目研究所》という、ノヴァの研究に力を入れる研究所の所長だった。所長といっても研究員は全員で五人程。逮捕されたのは所長と研究員の五人。それと所長にノヴァ保有者の情報を横流ししたであろう眼科医の六名。いずれもオープストとの関与を疑われたが揃って否認。組織との関わりを決定付けるような証拠も得られず、組織の存在だけがメディアへ露出し話題となった。
「オープストがどんな奴らで構成された組織か知ってるか?」
「俺が知ってるのなんて、多分都市伝説レベルですけど。盲目の人に、莫大な資金と引き換えに何でも見える目を提供するって話は聞いたことあります。……お昼のワイドショーかなんかで」
「まあ、大きく外れてはないかな。そんな何でも見える目を近い未来欲しいって奴が、研究に取り組んでる組織に投資しているらしい。何の根拠を持って入れ込んでるのか知らんが、かなりの額が動いてるっていうんだから金持ちの考えることはわかんねえな」
ふん、と舌打ちを誤魔化すように鼻を鳴らす。気に入らないことが起こった時によくやる戸田の癖のようなものだ。
「オープストのマークってりんごの中に目が描かれてますよね。あれってどういう意味ですか?目はなんとなくシンボルにする理由はわかりますけど、りんごは?」
「オープストはドイツ語で果実って意味らしい。でもオープストが何で果実を名乗ってるのかも、なんでりんごなのかもわからん。結構前に事件当時の記録とか文献も一通り読んだけど、その辺りは書いてなかったな。多分例によって公安から降りて来てないんだろ。そもそも、公安も掴めていないかもしれない」
「……そういえば、りんごと目っていえば昔読んだ絵本を思い出しますよね」
「絵本?」
食べ終わったカップ麺を手近にあったゴミ袋に押し込みながら、世間話のように話す筒井を見る。「知りませんか?」という問いかけに昔の記憶を引き出してみるも、りんごや目を題材とした絵本を読んだ覚えはない。「知らないな」首を横に振る。
「盲目の女の子と、そのお父さんがりんごを育てる話です」
「へえ。盲目の女の子」
「女の子は生まれた時から盲目なんですけど、周りの人に恵まれて元気いっぱいに育つんです。けどある日、父親の前でぽろっと《明るい世界が見てみたい》って零します。それを聞いた父親は、盲目はどう頑張っても治すことが出来ないけど、せめて元気付けて生きる希望を与えようと、彼女の大好きなりんごの木を育て始めます」
「童話じゃよくありそうな展開だな」
「そう、そうなんです。ここからも結構ありがちではありますよ」
筒井も話しながら思い出しているらしい。言葉の途中で宙を見ながら、物語を辿っていく。
「最初に木に実ったりんごは緑色でした。それを試しに齧った父親は、どういうわけか遠くの山に咲く花の種類がわかる程目が良くなります」
「……」
「数日後、緑だったりんごは黄色に色変わり。また試しにりんごを齧った父親は、今度はなんと無色の物にも色付いて見えるようになります」
「無色の物?」
「水とか、ガラスとか、白い布とか。本来色のないものです」
「なるほど」
「そしてまた数日後、ついに真っ赤になったりんご。今度はどんなことが起こるんだと恐る恐る齧ってみれば、遂に父親の目は人の感情が見えるようになってしまいます」
「感情が見えるって、どんな風にだ?」
その問いに、筒井は顎に指を添えて悩む。やはり記憶はおぼろげらしく、「確か」と自信なさげな言葉出しだった。
「あんまり詳しくは書かれてませんでしたけど、絵では周囲の人から簡単な文字が浮かんでました。美味しそうとか、分けてくれないかなとか」
本当に人の感情が文字として見えるなら、そんな単純な言葉だけでは済まないだろうなと思う。実際にそういったノヴァがいるのかどうかはわからないが、実際に自分にそのノヴァが備わったことを想像し、戸田は一人渋い顔をした。
「父親はこれだけいろいろなものが見えるように出来たりんごなら、女の子の盲目ももしかしたら治すことが出来るのではないかと考えます。真っ赤なりんごを一つ、女の子に与えました。けれど女の子の目が見えるようになることはありません。美味しい美味しいと嬉しそうに頬を真っ赤にしてりんごの甘い蜜を味わうだけです。盲目の少女が喜んでりんごを頬張る前で、父親は良かったと言いながら静かに泣くんです。……俺も泣きました」
「そんな感想はいらん」
心なしか目をうるませて過去の自分の感想を挟み込む筒井に、話の先を促す。どうにも、あまりにも、件の組織と似通っていた。
「その日の晩、父親が更にりんごを採ってきて食べさせてあげようと木の元へ行くと、たった一つだけ黄金に輝くりんごがありました。父親は最後の希望だとそれを収穫し、女の子に食べさせます。すると、生まれてから一度も光と色のある世界を見たことのなかった女の子の目に、全てが飛び込んで来ます。女の子は父親に抱きついてこう言うんです。何もかもが見える、って」
「何もかもが」
その呟きと同時に、戸田の乾ききった赤い目が大きく見開かれる。話し終えて一息つく筒井の肩を掴むと、大袈裟な動作で椅子から勢い良く立ち上がった。キャスターのついた椅子が勢いに押されて後方へ滑って行く。
「もう公安の中継ぎは帰ったか?」
「え?い、いえ。まだいると思います。こっちの情報も持ち帰るみたいなんで、捜査本部の方へ行ったんじゃないかと」
「おう、そりゃよかった。直接話を聞きに行くぞ。あ、お前は絵本の取り寄せ手配しながらついて来い。送り先は俺で構わん」
「それはいいですけど。……やっぱり似てますよね?オープストの理念的なものと。半信半疑で話してましたけど、関わりあるんでしょうか」
「無関係とは言い切れないな。それなりに出版されてる絵本でそんなに似た話があるなら公安が知らないわけがない。教えてくれるかどうかはともかく、こっちがここまで嗅ぎ付けたってことを言ってやるのは勝手だろ」
「そうですね。今日来ていた公安、俺くらいの年齢でおっとりした人だったんで、もしかしたらぽろっといい話くれるかもしれません」
「公安のおっとりは信用出来ないな」
戸田と同じくすっかりくたびれてしまっているスーツを形だけでも正し、満ちた腹を撫で付けて筒井も立ち上がる。借りた同僚の椅子はきちんとデスク下へと戻した。
「来てた公安の名前、覚えてるか?」
「あ、はい。ええっと」
戸田の後ろを付いて歩きながら絵本の取り寄せルートをスマホで探っていた筒井は、突然投げかけられた質問に言葉を詰まらせながらもついさっき挨拶を交わした穏やかな青年の笑みを思い出す。綺麗に整えられた黒髪に、警察官らしくない線の細い体躯。羨ましい程に目鼻の整った顔立ちをしていた。書類の申請を受諾する女性警官が、もう遅い時間にも関わらず朗らかに対応していた理由がよくわかる。
「宇野です。宇野皐月って言ってました」
「ふうん。はいからな名前だな」
名前に良く合った顔立ち、物言いだと思う。少なくとも、筒井にとっては戸田のように鼻を鳴らす程気に入らないことではなかった。
なかなか目当ての書店に繋がらないスマホを耳に当てながら、目の前の皺の寄ったスーツを追う。ふと頭を過ぎったのは、あの絵本に出て来た《黄金のりんご》。それがもしオープストと関係があり、また、オープストが掲げている《何でも見える目》を実現させる鍵がそれを指すとしたら。
筒井が思い浮かべたのは自身の弟ではない。弟は間違いなくノヴァではあったが、あの絵本に当てはめれば良いところ《緑のりんご》だろう。となれば、今注意すべきは犯人が狙っていない《緑のりんご》ではない。
鍵となり得る《黄金のりんご》。恐らく最も犯人が欲しがっているであろう果実。その存在を、筒井はただ一人知っていた。




