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ミステリー・ノヴァ  作者: 皇椋
第一章
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第九話-戸田-

 酷い事件だ。

 戸田敦はこの四日ですっかり寝不足になった目を少しでも癒すように目頭を指で揉んだ。どれだけ目薬をさそうと目の乾きはなくならないし、充血も治らない。

 いつもはぱりっとした自慢の濃紺のスーツも、すっかりくたびれている。目やスーツだけではない。心身共に、ぎしぎしと何かが軋む音を空耳してしまう程疲労の限界が近かった。


「戸田先輩~被害者の診断結果がこっちに開示されたみたいですよ」


 戸田以外には誰もおらず、がらんとした広い部屋に声が通る。心なしか耳がツンと痛んだ気がしたが、疲れはあろうと参っている姿までは見せられまいと浅くかけていた椅子の上で姿勢を正す。

 各デスクには書類が山盛りに積まれ、キャスターのついた椅子があちこちに出しっぱなしにされ、拾う暇もないらしい文房具が床に落ちている。そんな荒れに荒れた職場の中を、気にする様子もなくひょいひょいと身軽に戸田の元へやって来た筒井徹は、クリップで留められた書類の束を手渡した。


「悪いな。様子見のつもりだったんだが、もうカルテ降りて来たんだな」

「いえ、こういうのは下の仕事ですよ。タイミングも良かったです。丁度役所と病院の許可が取れた後だったらしくて、そのまま申請出して貰って来ました。あ、後、公安の中継ぎも来てたんで、新しく降りてきた情報もついでに」

「まじか。そっちの方がでかいかもな」


 戸田の隣の席の椅子をからからと引き寄せ座ると、互いに向かい合って書類を読み込む。暫く難しい顔をして文字を追っていたが、ふと戸田が顔を上げたタイミングでくうと間抜けな音がする。その音を出した筒井は、申し訳なさそうに目尻を下げた。


「そういえばお前、昨日の夜から食ってないんじゃないか?今のうちになんか入れとけよ。二時間後くらいに今日の成果報告の会議して、また早朝から外走り回ることになるだろうからな。今逃すともう寝る暇しかねーぞ」

「うーん、そうですよね。でも俺も気になっちゃって、これ早く読みたいんです」

「食いながら読んでもいいから、胃に入れとけ。会議で鳴ったら恥ずかしいだろ」

「恥ずかしいどころじゃないですよ。あんな気の抜けた音鳴らしたら、捜査から外されちゃいます」

「流石にそれはねえよ」


 冗談を零す筒井に、先ほど自分がコーヒーを淹れるために使用したケトルを差し出してやる。筒井はお礼を言ってそれを受け取ると、デスク収納の一番下の引き出しを無遠慮に開けてカップ麺を一つ拝借した。

 このデスクの持ち主は筒井ではなく筒井の同期のものだが、彼がこうしてデスクの収納に非常食を備蓄していることは誰もが知っている。自分の非常食だとその同期は常々言ってはせっせとカップ麺の類を詰めているが、その実仲間内で困った時に食べれるようにと置いていてくれているのだ。お人好しだよな、というと口を曲げて「違う」と否定するのは目に見えているため、誰も言葉にはしない。

 けれどお礼の気持ちを込めて、数人が非常食のお世話になった後日には彼のデスクには彼の好きなチョコレート菓子が盛られることが多々ある。隣の席である戸田は、その光景を密かに忙しい捜査期間中にだけ見られる一種の名物のようなものだと思っていた。


「やっぱり、全員ノヴァなんですね」


 カップ麺にお湯を淹れ、蓋に箸を置いて3分待つ間にも資料に目を走らせる筒井が言う。


「それもほぼ全員C以上だ」

「ほぼ?」

「一人だけDがいる」

「被害者は……一日目が一人、二日目が三人、三日目が五人、四日目の今日が七人。十六人全員がノヴァってだけでもとんでもないのに、その上C以上ってなると国内問題じゃ収まらないかもしれませんよ。しかも、そのノヴァの瞳が揃って盗まれてる。あ、だから公安が動いてるんですか?」

「まあ高位のノヴァが狙われてるからってのも、公安が動く要因の一つではあるだろうけど」


 釈然としない戸田に首を傾げながら、筒井は箸を持って手を合わせる。蓋を開け切る前にまた小さな音でお腹が鳴ったが、今度は戸田には聞こえなかった。


「問題は、どうやってノヴァを選んでるか。更にノヴァの中から、C以上をどうやって選りすぐっているのか」

「ノヴァであることを公言していた人、とかではないんですか?」

「なくはない。でも全員が全員そうとは限らない。被害者の職種を見ても、ノヴァを活用した職に就いてるのは十六人中たったの二人。統計的に見てもノヴァってことを周囲に隠してる人は7割を占めてるから……難しい問題だな。C以上の希少価値になれば、その割合もぐんと上がる。勤めてる会社の役員や人事にのみ伝えてる場合もあるが、それでもこれだけの人数のノヴァがほぼ同時に狙われる理由がわからない」

「被害者が二、三人程度。皆同じ会社に所属、もしくは過去に同級生だった、友人だった、っていう共通点があれば、ノヴァであるという情報がどこから漏れたのかの特定もそう難しくはないんですけどね。……あ」

「なんだ?」

「いや、これ。Dのノヴァの被害者なんですけど」


 食べかけていた麺を無理やり飲み込み、気になった診断結果のカルテ部分を開いて戸田のデスクへ滑らせる。「ここです」と指差したのは、ノヴァのランク表記であるDの隣に記された黒丸だった。


「表記ミスか?」

「え?いえいえ、違いますよ。これ、後天性ノヴァの印です」

「後天性?」


 事件の関係上、ノヴァについての捜査も必須となってはいるが、戸田のノヴァの知識は一般人とそう変わらない。特別な瞳。色が違う。ランク分けがされている。知っていることといえばこれくらいだった。

 捜査を進めて行けば否応なしにそれ以外の情報も知ってはいくものの、まだまだ知らないことも多い。打ち間違いで付いてしまったような黒丸の印の意味など、初めて診断書を見る戸田が知るわけもなかった。

 一方、筒井にはノヴァの弟がいた。Dではあるもののノヴァという特別なものを持って生まれた弟の助けに少しでもなろうと、工学部に進学。ゼミで液晶に関する勉学に励み、そのまま進学した大学院でも研究を継続した。戸田は一度、筒井が研究・開発していたというノヴァの能力を助長・阻害するコンタクトレンズの説明を受けたことがあったが、高校を卒業してすぐに警察学校を入った戸田にはさっぱり理解出来なかった。


「ノヴァって先天的なものが大半なんですよ。でも極稀に、後天的にノヴァになる人もいるらしいです。そういう人にこの黒丸が付けられてます。俺も初めて見ました」

「何で後天的なものには印を付けるんだ?先天的でも後天的でも能力は違えどノヴァってことは変わりねえんだから、別に区別が付かなくても困らないだろ」

「そうですね。まあなんていうか、この印は研究者のエゴでもあるんですけど……。後天的なノヴァは本当に珍しくて、未だにどうして突然ノヴァになることが出来たのかがわからないんです。だからあわよくば後日研究の手伝いをして貰えないか打診をするために、昔から付けられてるそうです。今は結構個人情報の保護観点からそういうのは殆どなくなってるみたいですけど。そういうことをしていた当時の名残ですね」

「ふうん。なるほどな。……てことは、何かの間違いでDを狙ったってわけじゃなさそうだな」

「はい。後天性ノヴァのDなら、先天性ノヴァのCとそう変わらない価値はあると思います」


 腕を組み、ううむと低く唸る。

 少しずつ紐解いてはいるものの、結局一番重要な殺人犯の手がかりには一ミリも近づいてはいない。もどかしい気持ちと苛立ちがない交ぜになり、頭痛として不調を訴える。けれどそんな些細な不調に寝込んでいる暇などはなかった。


「……公安の資料見たか?」

「まだ全部は見れてないです。それを公安から受け取る時、大まかに話は聞いたんですけど。なんか、病院を疑っているとか」

「前々から公安が調査対象にしてる宗教団体の関連性もあるって……おいおいまじか。そりゃなかなか情報が降りないわけだな」

「宗教団体?どこのですか?」

「《オープスト》だよ」


 今日一日で散々掻き回して乱れた前髪を、更に引っつかむ様にして頭を抱える。オープスト。その名前は警察関係者からすればなるべく関わらず、声にも出したくない団体名だった。


「オープストの関わってるものって確か、十二年前くらいにあった事件ですよね。ノヴァを被検体として集めて、その後殺害したっていう」

「そう。当時で五人だ」


 戸田も筒井も、十二年前当時はまだ刑事でも警察官でもない。当然捜査に加わっていたわけではないが、それでも突然オープストの名を言われてもその事件性が思い浮かぶ程には、世間的にも警察内部的にも有名なものだった。随分と長い間、事件発生時は連日ニュースになり、憶測が飛び交い、都市伝説染みた噂までも囁かれた。他人事だからこそそんなにも声を上げて盛り上がれるのだろう。っ被害者となったノヴァの親族は一度たりともメディアに出ることはなく、文書を出すこともなかった。

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