ミッドナイトブルー
今日は月曜日だからだろうか。
最後の1組となった客が、午前0時過ぎに引きあげた。
一応、『TOP OF YOKOSUKA』の営業時間は、深夜0時までとなっているが、基本客が腰を上げなければ、店じまいはしない。
だから、タチの悪い客だと、明け方まで粘ることもある。
タチが悪いって言うと、青山、広瀬、戸田・・・瀬野・・・はレイさんと出会ってからはないか・・・あたりの野郎どもだけどな。
あいつらが来て他の客がいなくなると、必ず俺も付き合わされる。
まあ、ここは・・・いや、バーラウンジ『TOP OF YOKOSUKA』を最上階にしているグランドヒロセ横須賀は、もともと麻実のために作られたホテルだから。
そして、ここ『TOP OF YOKOSUKA』は麻実のための場所だから・・・麻実が亡くなって25年たった今でも、あいつらが集まる場所だから。
麻実を忘れない・・・いや、忘れることなんて俺達にはできっこないがな。
あいつらも、俺も。
忘れられたら、どんなに楽だっただろうか――
俺が、唯一惚れた、女――
いや・・・今でも惚れている、女だ。
売り上げの計算をして、現金を金庫にしまい、従業員が終えた片づけをチェックした後。
この後、どうするか考えた。
携帯を開くと、ヤスオから飯の誘いのメールが入っていた。
そういえば、今日ミカは休みだったな・・・。
あっちの店に行くと、ホステスがうるさいだろう。
今日あたり、エミリかアンが誘ってきそうだ。
それか、ジュンか・・・。
いや、そろそろジュンとは、潮時か・・・
なんて考えながらも・・・最近はそういうのも億劫になってきた。
歳をくったってことか?
いや、息子の、丈治が惚れた女と結婚して幸せな面してるから、何となく自分がやっていることが空しく感じるようになったのかもしれない。
その上、最近ミカにマジになったヤスオも、ホステスたちの誘いには全く乗らなくなったしな・・・。
だけど、少し腹もへっているし。
とりあえず、ヤスオと飯を食うことにした。
メールを送って、控室へ着替えに向かう。
このまま帰るなら、タキシードのままだが。
飯を食いにいくとなると、そう言うわけにはいかない。
それも億劫に感じるってことは、やっぱ歳だな。
そう考えて、苦笑する。
ジーンズに革のジャケット。
上下とも黒。
4月といっても、さすがに深夜は冷える。
ストールを巻いて、俺は店を後にした。
時計を見ると、1時20分過ぎ。
グランドヒロセ横須賀からだと、『マイクJrの店』まで5分くらいだ。
1時半には着くだろう。
そんな事を考えながら、グランドヒロセ横須賀の正面玄関を出た。
と、同時に正面玄関にタクシーが停まった。
車内の明かりがつき、運転手が何か客に大声で呼びかけている様子がチラリと見えた。
酔っぱらいか何かだろう。
そう思って、その横を通り過ぎようとしたが、見覚えのあるショートカットが目に留まった。
え?
慌てて、タクシーを覗きこむ。
やっぱり。
俺は、助手席の窓ガラスをコンコンと叩いて、開けろと運転手に合図した。
助手席の窓ガラスが下りた。
「どうしたんだ?鎌倉から乗ったのか?とりあえず、後ろのドア開けろ。」
「え、浜田さんお知り合いですか?」
見ると、顔見知りの運転手だった。
グランドヒロセ鎌倉とこっちの横須賀にも入っているタクシー会社だ。
「ああ、息子の嫁だ。」
俺がそう言うと、運転手はホッとした顔をした。
「ああー、助かりました。鎌倉から乗車されたんですが、随分お疲れのようで。ご自宅がグランドヒロセ横須賀の近くだとおっしゃった後、眠ってしまわれまして・・・。」
運転手は説明しながら後ろのドアを開けた。
綾乃ちゃんは疲れているのか、起きる様子がない。
丈治は・・・ああ、ロンドンでコンサートか・・・。
とりあえず、起こそうと思って綾乃ちゃんの頭に手をやって驚いた。
凄い、熱だ。
まずいな。
俺は少し考えた後、タクシーに乗り込んだ。
「大畑先生、悪かったな。」
奥の寝室から出てきた大畑の婆さんに、そう声をかけた。
息子の丈治の嫁の綾乃ちゃんは、39度を超える高熱で半分意識がなかった。
ジャズピアニストの丈治がコンサートでロンドンへ行っているため、綾乃ちゃんを1人にできず、俺は自分のマンションへ連れて帰ってきた。
「いや、年寄りは眠りが浅いからな。気にするな。それより、お前の面白い顔を見ることができたから、来たかいがあった。自分のテリトリーに女を入れるなんて、麻実ちゃん以来だろ?とうとうその気になったか?」
ニヤリと、食えない顔で笑うのは、70過ぎた世間では大先生といわれる医者。
だけど、俺が持ってる居酒屋の常連で、呑んべぇの婆さんだ。
人間は悪くないが、口は悪い。
自宅が横須賀だから、丈治がガキの頃たまに熱を出すと診てもらっていた。
「大畑先生、期待に添えなくて悪ぃがな、あのコは丈治の嫁だ。7月に結婚したんだ。丈治が今ロンドンだから1人にしておけなくて、こっちへ連れて来たんだ。残念だったな。」
俺の言葉に、大畑の婆さんが驚いた顔をした。
大畑の婆さんこそこんな顔をするなんて、珍しい、レアだと思った。
「えっ、丈治が結婚したのか?・・・あの、丈治が?」
そりゃぁ、そうだろう。
丈治は母親をみて育ったから、女には冷めきっていて、期待なんて何も持っていなかった。
丈治の母親の事では、随分大畑の婆さんには世話になった。
結局、病院へ行きたがらなかった丈治の母親を最期手厚く看取ってくれたのも、大畑の婆さんだった。
だから、丈治の当時の屈折ぶりもその理由もよく知っていて。
それが――
クスリ、と笑みが漏れた。
「ああ、あの丈治が。ベタ惚れ、デレデレ、骨抜きだ。見たら腰抜かすぞ?」
俺がそう言うと、大畑の婆さんは何とも言えない顔をして。
「・・・そりゃ、めでたいな・・・・よかったな、浜田。」
言葉に一瞬詰まったようだが、俺の肩をポンと叩いた。
そして俺が頷くと、大畑の婆さんはその後はもう何も言わず、診察鞄を手にさっさと出口へ向かった。
「見送りはいい。ヤスオに帰り薬を持たせるから。嫁さんが起きたら何か食べられるもの作ってやれ。注射したから随分楽になるはずだ。あと、水分をこまめに飲ませてやってくれ。」
そう言い残して、素っ気なく出て行った。
大畑の婆さんの目が光っていた事は、気づかなかった事にしよう――
インターホンが鳴った。
ヤスオが戻ってきたのだろう。
大畑の婆さんを車で送って、薬をもらってきたはずだ。
いくつか買い物も頼んだ。
注射が効いて眠っている綾乃ちゃんの頭を一度撫でると、俺は寝室を出て玄関へ向かった。
ドアを開けた途端、思わず舌打ちが出た。
ヤスオを睨みつけ、思わず出る低い声。
「どういうことだ、ヤスオ。」
俺の声にビクリとしたのはヤスオだけじゃなく、その後ろに立つジュンもだ。
ジュンは、ヤスオがマネージャーを務める『キャバクラチェリー』のホステスだ。
その店のオーナーは俺で。
1年半前に元亭主の借金を背負わされ金に困り、俺の別の風俗の店に面接に来たところを助けてやったのだ。
たまたま借金先が知っている奴の事務所で、亭主を見つけ出し話しをつけてやった。
滅茶苦茶な金利で半年で1, 000万円に膨らんだ借金を、元本の100万円にして、俺がその100万を貸してやった。
既に今までの半年で200万を利子として払っているから、借金元も損はしていない。
その100万は分割でいいということにして、月々ジュンの給料から6万ずつ差し引いた。
一応、利子は1割ということで、貸した金ももう回収できる。
まあ、実際は元亭主を脅して借金なんぞ亭主に払わせることにしたんだが、100万は俺の手数料というところだ。
やっている事は非道だが、女なんて昔からこういうふうに利用してきた。
全く、罪悪感もない。
多分、俺のどこかが狂っているんだろう。
風俗に行かせなかったのは、別に同情や親切心というわけではなく、ジュンのルックスが良かったからだ。
見た目がもう少し落ちるようだったら、風俗のほうで採用していた。
都会ではまた違うのだろうが、ここらではその方が稼働率はいい。
キャバクラで人気が出ると思ったから、借金の問題を解決してやったまでだ。
そして、毎月払えなくもない借金を負わせることで店につなぎとめたのだった。
案の定、ジュンはいい客がついた。
もちろん、体を使った営業もさせている。
他のホステスが俺の機嫌を取るため俺と寝ることを知り、ジュンも俺を誘ってきたからそのまま関係をもったが。
俺が親切心でジュンを助けたと勘違いをしていて、最近の態度がなれなれしくて鼻につきだした。
そろそろ潮時で、風俗の店へ変えようかと思っていたところだ。
なのに―――
まず、俺は女を自分のテリトリーに入れない。
まあ、身内は別だ。
だから綾乃ちゃんは入れてもいい。
だが。
「部屋に、女は入れねぇって知ってんだろうが。」
ギロリと、ヤスオとジュンを睨んだ。
かなりムカついて口調も荒くなり、ジュンが泣きそうになっている。
「いや・・・でも、浜田さん・・・俺、綾乃ちゃんの下着とか・・・ちょっと・・・丁度今日ジュンも飯食いに行きたいって言ってたから、待機してたんで・・・買い物も手伝ってもらったんすよ・・・。」
俺の剣幕に、ヤスオがしどろもどろ言いわけを言い出した。
「だったら、買い物だけさせりゃぁいいだろうが。うぜぇことしてんじゃねぇよっ。」
腹がたって、ドアを蹴飛ばした。
2人とも、ビビって顔が引きつっている。
俺は、ヤスオから買い物袋をひったくり、ドアをしめようとしたが。
「あのっ、オーナー!・・・着替えとか、どうするんですかっ!?」
突然、考えもしていなかった事をジュンが言いだした。
「あ?」
「下着っ、買ってきましたけど・・・多分、今から汗をかくと思うんですけどっ。息子さんのお嫁さんですよね!?オーナーが、着替えさせるんですか!?」
「・・・・・・・。」
ルーフをオープンにしたまま、車を店の前で乗り捨てた。
『キャバクラチェリー』のケバケバしいドアを乱暴に開けると、待っていたように狼狽えたヤスオ。
お前がいながら・・・という腹立たしい気持ちになって、間髪いれずに拳をヤスオの腹にめり込ませた。
「・・・くうっ・・・すみませんっ・・・。」
拳をくらった理由が分かっているヤスオは、うめき声を必死でこらえた後、詫びの言葉を口にした。
まあ、どうせ、ダメだと言ったって・・・例の調子で押し切ったに違いない・・・が。
あの可愛さと天然さは最強だからな・・・。
目に見えるような展開を思い浮かべ、俺はため息をついた。
そして、冷や汗を浮かべながらも体勢を崩さず頑張っているヤスオに、俺は車のキーを放った。
「店の前に車を停めたままだ。パーキングに入れておけ。」
俺がそう言うと、ヤスオがホッとした顔をした。
「VIPルームに通しました。心配だったらしく、一応ノリオがついてきましたから・・・。」
そう言って俺に頭を下げると、ヤスオは出口へむかった。
そうか、ノリオが一緒なら、変な奴がきたら絶対に守るだろうし・・・と、少し安堵した。
「おい、車ぶつけたら、腹にもう一発いれるからな。」
出て行くヤスオに、プレッシャーを与えるように、言葉を投げかけた。
通路を通って行くとボーイが俺に気がついた。
「オ、オーナー?こんな時間にどうされたんですか?」
タキシード姿の俺を見て、目を見開いている。
そりゃぁそうだろう、金曜日の午後8時前にこんな所に俺がいるわけがない。
いつもこの曜日のこの時間は、『TOP OF YOKOSUKA』だ。
ホテルも週末は宿泊客が多く、バーラウンジも込む。
だけど、今日は別だ。
「VIP席には、誰がついている?」
「あ、ええと・・・ご指名は、ジュンなんですが、同伴で遅れていまして・・・とりあえずミカと・・・女性のお客様も見えるので、さっきユータとケンが入りましたけど・・・。」
「ああっ!?」
思わず、ボーイの襟を締め上げた。
余計な事を・・・。
ここはキャバクラだが、一応街一番の店ということで、たまに女性客も来店する。
その場合は、ボーイが接客をするシステムもあり。
ホステスと同等の指名料が、ボーイに入る。
しかも、ユータとケンは手が早い。
うちの店は、体をつかった営業も黙認している。
頭に来て、締めあげたボーイを投げ飛ばし、VIPルームへと急いだ。
周りの従業員が唖然としている姿が目に入ったが、そんなことはかまっちゃいられねぇ。
乱暴に、VIPルームのドアを開けた。
集まる視線。
と、同時に俺の表情に気がつき、従業員3人の顔に怯えが走った。
「えっ!?オーナー?」
「ど、どうされたんですかっ!?」
ユータとケンが、ビビりながらも聞いてきた。
が、それとは別に・・・。
「あっ、浜パパッ!!」
嬉しそうな声を出したと思ったら、事の原因である綾乃ちゃんが、俺の胸に飛び込んできた。
慌てて抱きとめる。
「「「ええっ!?」」」
従業員達の驚愕の声と表情はこの際無視だ。
とりあえず、注意しておかないと。
「何で、こんなとこ来たんだよ?あぶねぇだろうが?セクハラばっかの客もいるし・・・従業員だって・・・こいつら、手ぇ早ぇんだぞ?何かあってからじゃ、おせぇんだよ。心配させんなよ。何も、なかったか?」
俺もダセぇよな・・・言葉は注意だが、口調は自分でも信じらんねぇ程、甘ぇ。
しかも、髪を撫でながらだ。
ダメだ、綾乃ちゃん相手だと、ついつい甘やかしちまう。
いや、厳しくなんてできねぇ。
「だ、大丈夫だっ、浜田さんっ。お、俺っ、ちゃんと、そっちのやつらに、綾乃ちゃんさ、さわったらぶっとばす、って言ったから。何も、なかったっ。」
ノリオが、綾乃ちゃんの代わりに答えた。
まあ、ノリオが言うなら、安心か。
ホッとして、ノリオに礼をいうと、もう一度綾乃ちゃんの頭を撫でた。
そして、ユータとケンとミカに、俺の娘だ、と告げた。
「ええっ!?娘さんもいらっしゃったんですか?息子さんは知っていましたけど!?でも、綾ちゃん・・・似てないっすね。」
ユータが、すかさず反応したが。
それよりも。
「義理の娘・・・息子の嫁だ・・・つうか、お前っ、馴れ馴れしく呼ぶなっ!浜田様って呼べっ!」
綾乃ちゃんに対しての馴れ馴れしさが鼻につき、ユータに文句を言った。
と、そこへ。
「遅くなってごめんねー。おまたせー。お、浜田もやっぱ来たかー。」
そう言って、戸田がやってきた。
その後ろから、ジュンも。
これは、もう・・・嫌な予感しかしねぇ。
戸田は、鎌倉でデカい華道教室をやっている、有名な華道家だ。
代々の家柄で、その他土地を沢山所有していて不動産業もしている。
俺とは若いころからの付き合いで、数少ない友人だが・・・洒落がきつ過ぎる性格で、だいたいロクな事をしねぇ。
酒好きの、女好きだ。
まあ、俺も人の事は言えねぇが。
「あっ、戸田さん!こんばんはー。ああっ、ジュンさんも先日はありがとうございました!」
綾乃ちゃんが、俺から離れて戸田に笑顔を向け、ジュンに頭をさげた。
「おー、綾乃ちゃん。来たんだなー。正月以来だな、一緒に飲むの。今日は丈治がいねぇから、ゆっくり飲めるじゃねぇか。明日休みなんだろ?」
「はい、浜パパも一緒で嬉しいですー。でも、本当にこれでジュンさんにお礼になるのですか?」
綾乃ちゃんの言葉で確信した。
「おい、戸田・・・てめぇ、綾乃ちゃんに変な事ふきこんだな?」
俺がそういうと、戸田は慌てて目をそらした。
「や、やだなー。綾乃ちゃんから、先日の経緯きいてさー、ジュンちゃんにお礼をしたいんだけど、何がいいか相談されたからさー。そら、店に飲みにいって指名入れて、ドンペリ注文入れてあげたら一番喜ぶって教えてあげたんだよねー。だってそれ本当だろ?で、俺は気をつかって、ジュンちゃんと同伴ー。」
やっぱり・・・。
俺はため息をつくと、余計なこというんじゃねぇっ、するんじゃねぇっ、と戸田に蹴りを入れた。
うずくまる戸田。
そして、綾乃ちゃんの咎める声。
「浜パパ、戸田さんは親切で教えて下さったのに何するのですか?それに私、今日は嬉しいんです。ノリオ君や浜パパと一緒に飲めますし。あ、戸田さんもですけど。」
チッ。
それを言われたら、もう何も言えねぇじゃねぇか。
俺はため息をつくと、綾乃ちゃんの手を引いてソファーへ向かった。
「じゃあ、飲むかー。」
俺の言葉に嬉しそうな顔をする綾乃ちゃんに、思わず苦笑がもれる。
そして、約束通り注文を入れたドンペリで乾杯したが、無言の綾乃ちゃん。
その様子が分かりやす過ぎて、クッと笑みがこぼれた。
「おい、キンキンに冷えたシャブリあんぞ?」
そう言った途端、パァッと明るい顔になった。
やっぱ、ドンペリは綾乃ちゃんには甘かったか。
シャブリで再度乾杯をすると、例の旨そうな顔をした。
まったく・・・どうしようもねぇ。
自分で突っ込みたくなるほどだ。
なんで、こんなに可愛いんだよ。
丈治がいねぇ時はだから、心配なんだよ。
そんな事を考えていたら。
「おー、そうだ!綾乃ちゃん、俺今日仕事で横浜へ行ったんだー。で、ノリオから聞いたんだけどよー。綾乃ちゃん、甘栗好きなんだってなー。土産に買って来たぞ?食うか?」
突然戸田がそう言って、赤い袋を出してきやがった。
甘栗って・・・。
嫌な、予感しかしねぇ。
だけど、綾乃ちゃんは滅茶苦茶喜んでいる。
で・・・皿に、栗が出された。
勿論、皮のまま。
で。
綾乃ちゃんが俺を見て、にっこりと笑った。
で。
「浜パパー。甘栗むいて下さいー。」
やっぱりな・・・。
戸田が、噴き出して爆笑している。
こいつ。
絶対に、綾乃ちゃんの性格見越して、甘栗買ってきたのだろう。
蟹鍋ん時、あご外れるほど笑ってたしな。
はあ。
だけど、この街を仕切ると言われている俺も・・・。
綾乃ちゃんには逆らえねぇ。
「どれぐらい、食うんだ?」
既に、栗を手に持ちながら、綾乃ちゃんにそんなことを聞いているし。
しかも、自分でも信じらんねぇくれぇ、甘い猫撫で声だ。
大爆笑の戸田。
従業員は、驚愕の表情・・・。
そして。
「あー、よ、よかったー。今日は浜田さんがいてっ。もし、浜田さん、い、いなかったらっ、お、俺がっ、栗むきさせられてたしっ。」
心底ホッとしたノリオの声がした。
こいつも、普段綾乃ちゃんの世話させられてんだよな・・・。
戸田は、家から迎えがきて11時ごろ帰った。
ノリオはすっかり酔っ払っちまったから、ヤスオが俺の車をマンションに持って行きがてらノリオをのせて行くという。
俺は。
「浜パパー、何かおなかすきましたー、養老軒へ寄っていきましょうよー。」
明日休みという強気の綾乃ちゃんに、まだ振り回されるらしい・・・。
まあ、それも楽しいんだが。
「おう、何食うんだ?」
そう聞くと笑顔で、モヤシラーメン!と答える。
まったく。
何で、こんなに可愛いんだよ。
あげくの果てに、今日は俺んち泊ると言いだした。
まあ、完全に親父の気持ちになってっから、いいんだけどよ。
「あとでバレたら、丈治がうるせぇぞ?」
そう言うと綾乃ちゃんは、唇に人差し指をあてて。
「丈治にはないしょですぅ。」
なんて可愛い顔で言いやがるから。
マジ心配でしょうがねぇ。
「おい、丈治がいねぇ時、1人で飲みにいくなよ?あぶねぇからな?」
30過ぎてるってわかっていても、心配になる。
仕事中は別人かと思うほどしっかりしてるくせに、素はこれだもんな・・・。
だけど、そんな俺の心配をよそに、綾乃ちゃんは、大丈夫、と宣言しやがる。
っとに。
何が大丈夫なんだよ?
と、ため息をついたら。
でも、と綾乃ちゃんが悪戯っぽい目で俺を見た。
「心配して下さってありがとうございます。でも、そんなに心配してくださるなら、丈治がいない時は浜パパが私をかまって下さいー。」
はあ。
だめだ、これは。
こんなこと余所で言われたら、完全に男の餌食になるぞ・・・。
まったく。
丈治・・・大変なもん、手に入れたよな。
お前ぜってぇ、苦労すんな・・・。
まあ・・・俺もか。
店を出ようとして、綾乃ちゃんが手洗いに行きたいと言い出したので、店の外で待つことにした。
本当なら、今日は『TOP OF YOKOSUKA』が終わった後、ジュンに引導をわたそうと思っていたんだが。
最近、ジュンの態度が馴れ馴れしい事と、売り上げが落ちてきたことで、この店から風俗の方へ移籍させる事を決めていた。
売り上げが落ちたことが気になり、少し調べさせたら、どうやらパチンコにハマっていて借金もあるらしい。
せっかく元旦那の借金をチャラにしてやったのに、このままでは他の従業員にも影響がでる。
だけど、今日は綾乃ちゃんもいることだし、話は別の日にせざるをえない。
煙草をくわえながら、そんなことを考えていたら、後ろで気配がした。
振り向くと。
「ッ!・・・オーナー・・・。」
いきなり俺が振り向いたせいか、驚いた表情のジュン。
「何だ。」
自分でも嫌になるほど、不機嫌な声だ。
そんな俺の声色にビクリと反応する、ジュン。
「あの・・・お話があって・・・。」
「・・・手短にしろ。」
「あの・・・店を辞めさせてほしいんです。」
何となく、わかっていた。
俺が思っていたより、借金が膨らんでいるんだろう。
もう、俺に対する媚びた瞳もない。
どちらかというと荒んだ、瞳をしている。
「風俗なら、うちの系列もあるぞ。なかなか優良店だしな。」
そう言うと、ジュンは驚いた顔で俺を見た。
そして、ため息をつくと。
「知ってたんですか。」
「まあな・・・旦那の借金も、お前が原因だったんだろ?」
せっかく、一度はチャラにしてやったのにな。
「オーナーが、あんな顔をするなんて思いませんでした。」
「あ?」
「綾乃さんです・・・。」
「・・・・・・。」
「幸せな人ですね・・・羨ましい・・・。」
ジュンがそう言って唇をかみしめた。
でも、それは違うと思った。
「おい・・・それは、違うぞ。」
「え?」
「綾乃ちゃんが幸せな人、なんじゃねぇ。綾乃ちゃんが周りのもんを幸せにする人なんだよ。」
綾乃ちゃんは見た目と違って、ここまでのほほんと生きてきたわけじゃねぇ。
つうか、人に見せねぇだけで人一倍の苦しみがあった。
だけど、綾乃ちゃんはそんな苦しみもなかったように、あのとおりで。
俺ら周りのもんの心を柔かくしてくれる・・・。
柄じゃねぇけど・・・俺にだって、あんなダセぇ顔させやがる。
だから、そこが違うんだよ。
俺の言葉を聞いて、少し考え込んだジュンは。
自嘲したように、ふふ、と笑った。
「確かに、そのとおりですね・・・オーナーの自宅へ行けると下心があった私に対して、世話になったってあんなにお礼を言うんだから、私とは違いますよね・・・。結局、オーナーに近づきたかったんですけど・・・下心がある私では、無理、ってことですね・・・いくら、抱かれても・・・オーナーの色には染まれなかった・・・。オーナーの色に染まりたいと思ってたのに・・・。」
「何だ、それ。俺は女に本気になんねぇって、言ってただろうが?」
「それでもっ、もしかしたら・・・って期待したのっ。」
「ありえねぇし。」
鼻で笑う俺に、ジュンは諦めたように頷いた。
「わかってます・・・ううん、わかったの。綾乃さんは、オーナーの色には染まっていないのに、近くにいられるのは・・・オーナーの闇の色を、温かく照らしているからだって・・・。」
「闇か・・・違いねぇ。はっ、暗闇だ・・・ククッ・・・。」
ジュンの言葉を聞いて、自嘲の笑みが今度は俺に漏れた。
と、そこへ。
「浜パパ?」
綾乃ちゃんが戻ってきた。
「おう、じゃあ、行くか?」
煙草をアスファルトに落とし、靴で踏みつける。
頷く綾乃ちゃんが、ふとジュンを見た。
「ジュンさん、ありがとうございました。」
まだ礼を言う綾乃ちゃん。
もう、いいだろ。
ジュンもそう思っているのか、首を横にふる。
だけど、その礼は俺が思っていた事とはちがって。
「私ずっと気になっていたのですが、『羽衣の糸』の結末を知らなくて・・・母が小さいころに読んでくれたのですが、忙しくて途中で終わってしまって・・・その後引っ越しをしたら、その本がどこかへ行ってしまって。結局わからず終いだったので、本当に結末を教えてもらって、嬉しかったです。」
「何だ?本の話か?」
「ええ。民話です。」
俺の質問に、ジュンが答えた。
飲み屋にきて、話題が民話って・・・綾乃ちゃんらしいと、思わず噴き出した。
だけど。
「やっぱり、ジュンさん、お母さんだけありますよねー。」
綾乃ちゃんが意外な事を言った。
「あ・・・?母親?・・・ジュン、お前子供いんのか?」
そう聞くと、バツが悪そうに頷いた。
そして。
「でも、元の旦那もあんな風ですし・・・私もこんなんで・・・今、施設に預けているんですけど・・・この間、オーナーの家で綾乃さんとその民話の話をしているうちに・・・子供の事を思い出して・・・。だから、このままじゃいけないって思って・・・生活立て直すためにも・・・店を変えた方がいいと思って・・・その方が早く、子供を迎えにいけると思って・・・でも、オーナーの店じゃ・・・辛くて・・・。」
俺はため息をついた。
はっきり言って、これは俺のやり方じゃねぇ。
だけど、今回は仕方がねぇ。
俺はもう一度ため息をつくと、事務所へ来いと、店のドアに手をかけた。
「借金はいくらだ。」
ソファーに座る俺の前に立たせた、ジュンに尋ねた。
「え・・・あの?」
「早く、答えろ!」
「あ・・・130万・・・ちょっとです。」
俺は立ち上がり、金庫を開け、100万の束と、10万の束4つをとりだした。
驚く、ジュンに110万の真相を話し、30万は給料の前借りだと告げた。
今日の売り上げでも、かなりになる。
別にこのままジュンがいなくなっても、損はしねぇ。
「おい、子供がいんなら、引き取れ。今の社宅のマンションなら充分住めるだろ?託児所も近くにある。扶養手当もつくぞ。」
俺の口からこんな言葉が出るなんて、信じられねぇって顔で、俺を見るジュン。
そら、そうだ。
一番信じらんねぇのは、俺だし。
はあ・・・仕方がねぇだろ。
「おい、言っとくけど。勘違いすんなよ?お前の為にここまですんじゃねぇからな?綾乃ちゃんが泣くから、仕方がなくケツもってやっただけだ。お前、これで今までと変わんなかったら、今度こそ風俗いれっからなっ!?」
きっちり、線を引いてやった。
「泣きやんだかー?」
もうすぐ、養老軒へつくという頃。
隣を歩く、綾乃ちゃんに声をかけた。
「はい、もう大丈夫です・・・。」
そう答える綾乃ちゃんは、まだ鼻声だったが。
ジュンに金を渡し、ボーイのチーフのカオルにジュンの借金先の事務所までついていくよう指示をした。
カオルは神崎組に出入りするテキヤの息子だ。
こういった事には慣れている。
充分脅しをかけたユータに相手を頼み、待たせていた綾乃ちゃんのところに戻った。
さっき、外でジュンの話を聞いて泣きだした綾乃ちゃんは、泣いてはいなかったが、まだ何となく涙目だった。
落着かせようと、状況を話したら・・・それが、逆効果だったようで。
号泣された・・・。
「浜パパー、ありがとうございますぅぅ。」
どうやら、嬉しくて泣いているらしい。
そんな綾乃ちゃんを見て、ジュンは驚きを隠せないようだった。
「綾乃ちゃんに感謝しろ。綾乃ちゃんがいなかったら、俺は間違いなくお前の事を見捨てていたぞ。」
はっきりと勘違いさせないように、ジュンにそう言い捨てた。
それでもジュンは、頭を下げた。
そして。
「少しも、希望をくれないんですね。やっぱり・・・オーナーは、闇ですね・・・誰も、相入れない・・・暗闇・・・。」
悲しそうにそう言うと、背中を向けた。
希望をくれないか・・・そんなもん、やれるわけねぇだろうが。
俺だって、希望なんか持ち合わせちゃいねぇんだからよ。
「暗闇か・・・。」
「え?暗闇って?」
あと、300メートルくらい歩けば、ネオンが照らしている道に出るところで、つい呟いた言葉に、綾乃ちゃんが反応した。
まだ、綾乃ちゃんの顔は見えないが、きっといつもの通り首をかしげているんだろう。
「ああ、ジュンが俺の事・・・闇だって言ったんだ。まあ、あたってるよな、女には冷てぇしな・・・実際、酷ぇことばっかしてるしなー。俺には光なんかねぇってこった。」
そう言いながら、喉の奥で笑ってみせると。
綾乃ちゃんは静かな声で、好きです・・・といきなり言った。
「あ?」
「私は、好きです・・・闇の色。だって・・・どんな私だって、隠してくれるじゃないですか?闇は優しいんです。」
「よく・・・わかんねぇな。」
「だから・・・例えば・・・・・・あ、今だって・・・私、みっともなく泣いて・・・なかなか涙止まらなくて・・・そんな顔を人に見られるの恥ずかしいじゃないですか?」
「ああ・・・。」
「でも、そんな恥ずかしい顔、闇のお陰で人に見られませんでした。ここまで。」
「・・・・・・。」
「闇の中では、皆同じ。どんなに美人だって、どんなにイケメンだって、わからないでしょう?逆にマイナスな面を持っていたって・・・わからない・・・闇は、包みこんでくれる優しさがあります・・・。」
「・・・・・・。」
そんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
「私は、暗闇でなければ、眠れませんよ?」
「そうか・・・。」
何となく、自分を肯定された気がした。
そして、ネオンが照らす道に出た。
「浜パパ?」
「ん?」
すっかり泣きやんだ、綾乃ちゃんの愛らしい顔が俺を見上げた。
「私、浜パパにぴったりの色だと思います。」
そう言いながら綾乃ちゃんは、今まで歩いてきた道に視線を向けた。
俺もつられて、そちらを見た。
「クッ・・・暗過ぎて、何も見えねえ色だな・・・ククッ・・。」
真っ暗だ。
だけど綾乃ちゃんは、首を横に振る。
「見えないだけ。ちゃんとあります。包み込んでくれる優しさが・・・あの色です。」
指をさし、抽象的なことを言い続ける綾乃ちゃんに、俺は半分あきれながら突っ込んだ。
「大体、闇色って言葉ねぇだろうが。」
だけど、そんな俺に綾乃ちゃんは笑顔でありますよ、と答えた。
「え?」
「ミッドナイトブルー・・・。」