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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幼馴染β

作者: ソウブ

 暗い暗い闇を、漂っている。

 特段怖くもなく、むしろ安らかささえ感じる。

 たゆたって、浸る。

 浸る、浸る、浸る。


 その空間には、異物が混じっている気もした。

 陰に遮られた、影のようなもの。

 考えたけど、目くじらを立てて追い出すことはしなかった。

 でも。

 

 この場所には異なる存在など、居てはいけないような気がした。

 

 


 闇に刺す光。

 瞼が焼かれるよう。熱くはないけど。

「ハルくん、朝だよ~起きてー」

 可愛らしい、少女の声。鈴を転がした、みたいなそんな風。

 目を開けると、視界に映るのはいつも見ている美少女だ。

 身長は低めで童顔、中学生くらいに見える。高校生だけど。

 黒髪の長髪は、ザ・大和撫子、の称号を授けてもいいくらい綺麗。

 綺麗という言葉が霞むね。そんな言葉じゃ語りつくせない。

 僕を見つめる瞳は水色のような桜色のような、不思議な色合い。まさに宝玉。

 

 こんな褒め殺しのような言葉を脳内で羅列してしまうのも、(ひとえ)にこの子のことが好きだからだ。

 毎朝起こしてくれる献身的な幼馴染。

 大好きになるに決まってるだろう!!

 他の人のことは知らないけれど、少なくとも僕はそうだった。

 いつも一緒にいたからそういう気持ちを抱けないとかいう感覚に陥る事無く、普通に好きになった。

 これは幸福なことなのかもしれない。

 告白はまだしていないけど、いつかはしたい。

 なんか、踏ん切りがつかないのだ。

 今の関係が心地よすぎるのが問題かもしれない。

 少なくとも今年中には、するつもりだが。

 

「? 早く起きないと遅刻するよ?」

 ぼーっとサキの顔を見ていたら、彼女は不思議そうな表情をして言ってきた。

「あ、うん」

 のろのろとベッドから身を起こす。

「おはようハルくん」

「おはよ」

「ご飯も出来てるからね、着替えたら下りてきて」

「うん、わかった」

 

 制服に着替え、一階のダイニングに向かう。

 テーブルの上には、ほっかほかのご飯に焼き魚、味噌汁、と朝にしては豪勢だ。

 普通なら母親辺りが作ってくれるのだろうけど、僕の両親は海外へと赴任中だ。

「ほんと、毎日悪いね。感謝しかないよ」

「いきなり改まってなに? ハルくんのことは、ハルくんのお母さんから任せられてるんだから当然だよ。それに、わたしがしたくてしてることだし」

「それでも、ありがとう」

「急に言われても……一応その言葉は受け取っておくけど……」

 恥ずかしそうに頬を朱く染めて、目を逸らすサキ。 


 ベタな環境だな、とは思う。

 僕はラブコメの主人公か、と。

 けれど、悪くない。

 むしろ嬉しい。

 両親に会えないのは寂しいが、この環境には感謝だ。

 好きな女の子にこれだけしてもらえる生活が、嬉しくない筈がないのだから。

 



 朝食を食べ、歯磨きと洗顔を終わらせた後、僕達は家を出た。

 通学路を二人並んで歩く。

「ハルくん、放課後暇?」

「暇だよ」

「冷蔵庫の中身が寂しくなってきたから買い物に行きたいんだけど、一緒に行きたいな」

「それぐらい僕がするのに」

「いいの。一緒にいこ?」

 身長差で必然的にそうなってしまうとはいえ、上目遣いは卑怯だった。

「まあ、いいけど」

「それにハルくん、一人で行かせると変なもの買ってきちゃうしね」

「そうかな?」

「そうだよ。この前なんてスパゲッティ作るって言って買ってきたのが生中華麺だよ? わたし思わずハルくんってひょっとしたらおバカさんなのかなって思っちゃったよ」

「どういう麺を使うのか分からなかったし、麺って書いてあるからこれで良いか、と考えたんだ」

「そんな風に買い物下手なハルくんにはわたしが付いてないといけないのです」


 買い物下手ねえ、いい線いってたと思ってたんだけど。

 ミートソースとかと混ぜれば似たようなもんでしょ。

 そんな言い訳を思考に浮かべていた。

 と。


 視界の隅に、妙なモノ。

 心臓が一瞬跳ね、思わず立ち止まってしまった。

 道の端、郵便ポストの前辺り。


 そこに、なんか、ぐちゃぐちゃしたモノがいた。


 ぐちゃぐちゃ、としか言いようのない、よくわからないモノ。

 あえて表現するなら、ヘドロのような、肉塊のような、でもそのどちらとも言えないモノ。

 そのぐちゃぐちゃは、見ているだけで嘔吐しそうになる。

 ただただ不快で、奇妙で、嫌悪感を催す。

 僕は溜め息を吐き、ソレから目を逸らして歩き出した。


 サキは待っててくれていたみたいで、二人並んで歩く。

「また、幻覚……?」

 心配そうな顔でサキが訊いてきた。

「うん、けど、病院の先生が言ってたように幻覚だという自覚があるんだからそのうち見えなくなるよ。薬も飲んでるんだし」

「うん……」

 まだ納得できてないような表情だったけど、サキはそれ以上何も言わなかった。

 



 学校までの道のりをサキと歩きながら、僕は数か月ほど前のことを思い出す。

 

 僕はあの時、確か自転車に乗っていた。

 買い物の帰りだったと思う。

 夕暮れの道を、のんびりと車輪を走らせていた。

 エコバックを腕に下げ、鼻歌でも奏でようとした時。


 甲高い耳障りな大音が、響き渡った。

 車のブレーキ音なのではないかと、一瞬後に思う。

 驚いて自転車と共に転びそうになった直ぐ後に。


 衝撃。

 それまで一度も体験したことのない衝撃が襲った。

 何が起きたのか、脳が理解を追いつかせる時間を与えられることなく吹き飛ぶ。

 ひしゃげた自転車と、食材を撒き散らしながら飛ぶエコバックを視界に収めながら、走馬灯のようにゆっくりと時間が流れているように思えた。

 目を衝撃が来たであろう方向に向けると、一台の乗用車。

 どうやら僕は、この車に跳ね飛ばされたらしい。と他人事のように考えた。

    

 ――視界の隅の違和感。

 強烈な違和感を、覚える。

 なんでかは、わからないけど。

 鮮烈に、感覚に刻まれた。

 

 コンクリートの地面に叩き付けられる。

 遅れて痛みがやって来る頃には、意識が暗闇へと落ちていた。




 そんなこんなで交通事故に遭った僕は、数か月ほど入院した。

 しかし、頭を打ってしまったのかそれ以来幻覚を見るようになってしまったんだ。

 視界の隅に黒いものが見えたりとか。

 でも最近は見なくなっていたんだけど。

 数か月の入院の果てに身体も元の健康状態に戻り、幻覚も収まってきた。

 なにより幻覚だという自覚がある。

 ほとんど見なくなっているのだからあとは薬を飲んでいれば治る、ということで晴れて退院できたのだ。  


 …………。

 まあ。


 さっきほど酷いものは初めてだったが。




 いつも通りに学校に登校し、授業が始まる。

 滞りなく進んで行く授業。日常。

 朝のことで少し不安に思いはしたが、薬もちゃんとあるんだし大丈夫だろう。

 二時間目の授業は、国語だ。

 僕は板書していく。

 いつも通りに。

 僕は不真面目な生徒ではないから、ノートをサキから写させてもらったことは一度もない。

 入院してた頃は色々世話になってはいたけれど、それはノーカンだ。

 だから今も、淡々と鉛筆を走らせている。

 そう。

 いつも通りに。

 

 いつも通り。いつも通り。


 だから。


 黒板の文字が蛆虫(うじむし)に見えるなんて、気のせいだ。


 のたくっていて気持ち悪いなんて、感覚の迷いだ。

 

 いつも通りなのだから、何も気にすることなどない。

 なんて書いてあるのかわからなくて、もうノートに文字を刻むことは出来ないけれど。

 それでも、気にする必要はない。

 サキや他のクラスメイトは、普通に鉛筆やシャーペンを走らせているんだ。

 後でサキに写させてもらえばいいのだから。

 今までサボったことがないのだから、今回ぐらいは仕方ないだろう。

 サキならきっと、快く承諾してくれるはずだ。

 

 ――――。

 早く、薬を飲みたい。

 



「ハールくんっ♪」

 弁当を持って、笑顔のサキが僕の席までやってくる。

 数刻前に見えていたものは、二時間目が終わると見えなくなった。

 三時間目と四時間目は何も見えることなく、今は昼休み。


 昼休みは毎日、サキが作ってくれた弁当を二人で食べている。

 そんなありがたく幸せな時間がやって来てくれた。

 数時間前のことなど忘れて、今を考えよう。

 

 弁当を開けると、色とりどりのおかずが視界に飛び込んでくる。

「お、今日も美味そう」

「えへへ」

 ニコニコ顔のサキと共にいただきますと手を合わせる。

 まずは卵焼きから箸で掴む。

 口に入れて咀嚼すると、甘い味が舌を伝って広がった。

 

「うん、美味い。変わらない安心の美味しさだよ」

「ありがとハルくんっ」

 僕はサキが作ってくれる料理の中で卵焼きが一番好きだ。

 甘くて、ふわふわしていて、とにかく美味い。

 そんな僕の好みをサキも知っていて、決まって弁当には卵焼きが入っている。

 

 続けてもう一つ卵焼きを食べようと、弁当箱に目を落とした。


 ――――――――――。


「………………」

    

 すぐに目を逸らす。

 地獄絵図。

 そんな単語が頭に浮かんだ。

 冷たくて気持ちの悪い汗が、背を伝う。

 

 けれど気になって、また弁当箱の中身へと視線を移した。

 地獄は変わらなかった。


 米は、ダンゴムシ。

 そう、ダンゴムシなんだ。

 ダンゴムシというしかないほど、ダンゴムシなんだ。

 蠢く姿が、生理的嫌悪感を強く刺激してくる。


 他も、オカシイ。

 全部、オカシイ。

 プチトマトは、小さな目玉に見える。

 たこさんウインナーは、裂けた人の指。

 そして、僕の大好きな卵焼きは。


 なんか、よくわからなかった。


 朝に見た、ぐちゃぐちゃにも似ているような気がする。

 とにかく、気持ち悪い。 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

「ぅ、ぇ……」

 吐き気を催し、えずく。

 戻すのだけは何とか我慢した。

 喉に胃酸が来て、焼けるように少し痛む。


 大好きな幼馴染が作ってくれる、最高の弁当。

 いつでも美味しい、サキの弁当。 

 それが今、この世のどんな物よりも口に入れたくない醜悪と化していた。

 こんなのを食べるくらいなら、泥水を啜って木の皮を齧った方がマシだ。


 どうして、こんなことになっている。

 昼ご飯を食べて、薬飲んで落ち着けると思った矢先に。

 なんで、こんな――。


 いや。

 待て。 

 こんなのは、幻覚だ。

 物は変わらない。味は変わらない。

 そのはずだ。

 多分。

 きっと。

 おそらく。

 そうであってほしい。

 そうであれ。

 そうなんだ。

 

 だから、目を瞑って食べれば問題ない。

 そうすれば、また、常日頃と同じ楽しい昼食タイムに戻れるはずだ。

 

「……どうしたの?」

 サキが眉をハの字にしてこちらを見つめていた。

「な、なんでもないよ」

 僕は笑って答える。

 自然な笑顔が出来たかどうかは自信がない。

「なんでもないって言った人が、何でもなかったためしなんてないよ」

 やはり上手く笑えてなかったのかサキは引き下がらない。

 ズイッと机に少し乗り出して。

「まさか、また幻覚? 学校終わったら病院行った方が――」

「大丈夫だって。これ食べ終わったら薬飲むんだし、すぐに良くなるよ」

「でも、心配だよ……もし何かあったら」

「なら、念のために行っておくよ。まあ、大丈夫なんだけどね? サキがそこまで言うから、ただ念には念を入れてるだけだからね?」

 あまり心配させて心労を掛けたくなくて、こんな言い方になってしまった。

「うん、わかってる。わたしもついて行くよ。ハルくんだけだと心配だし」

 結局心配を掛けてしまっている。

「一人でもいいんだけど」

「なにを言っても、わたしはついてくからね」

 頑として譲らなそうな態度だったので早々に諦める。

 僕は頷いて了承を示した。

「それじゃあご飯食べてお薬飲んで、病院行くまで安静にしててね」

 穏やかな声音でそう言うと、サキは食事に戻った。


『ご飯食べて』お薬飲んで、か。

 再度弁当に視線を落とす。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 おぞましい。

 

 でもサキにこれ以上心配かけるのも嫌だ。

 目を瞑って食べよう。

 一気にいく。

 ガツガツ食おう。

 

 手探りで弁当を引っ掴み、米もおかずも一緒くたにかっ込んだ。

「ぅっ…………」

 気持ち悪い。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


 なんだこれ意味わかんない物自体は変わらないんじゃなかったのかこんなの人間が口に入れていいもんじゃないああ嫌だ(いや)(いや)だダンゴムシを歯で砕く感触がイヤダ怖気が奔るもぞもぞ動いてる目ん玉ねちょねちょしてる気味が悪いぐちゃぐちゃはぐちゃぐちゃしてて頭の中もぐちゃぐちゃでぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ――――――


「ちょっと、席外すね」

 サキの返答を待つことなく走り出す。

 教室では机に身体をぶつけ、廊下では人と衝突しそうになりながら走る。

 トイレに駆け込み、個室のドアを開けようとしたらガチャガチャと音を鳴らすだけで開かない。

 先客がいたのか鍵が掛かっている。

 嘔吐感が限界に達しそうになり慌てて手で口を塞ぎながら隣の個室に入った。

 便器に縋りつくようにして飛びつき、全てを開放する。

 吐瀉物が便器内に雪崩れ込んだ。

 何度もえずいて、苦しみに耐えながら吐き出し続ける。


 ――――。


 口を濯いで教室に帰る頃には、昼休みは終わりかけていた。

「ハルくん、すごく急いでたけどなんだったの……?」

「ちょっとね。それよりもう昼休み終わりそう。薬飲みに行ってくる」

 サキの質問には答えず、言葉を捲し立てて僕はまた教室を出ていく。

 吐いた後で胃に悪いかもしれないけど、薬を飲まずにはいられなかった。

 あんな幻覚を見るよりはマシなのだから。





 夕刻。

 サキと共に病院を出ると、茜色の空が出迎えていた。

 一つ息を吐き、思索に耽る。

 

 脳に異常はない。


 それが医者の答えだった。

 脳でないなら心かと、色々な質問――カウンセリングというやつか――を受けたがそれでもないらしい。

 しかし、酷い幻覚を見たのは事実。

 あまりに酷いものを何度も見るようならと、強めの薬を貰った。

 これで、いくらか安心できそうだ。

 

「ハルくん」

 隣から声。

「なんだサキ?」

 ふわりと、サキの黒髪が凪いだ。

 二人して立ち止まる。

「辛かったら、いつでも遠慮なく言ってね」

 僕を見て、暖かく優しげな微笑みを浮かべている。

「……うん」

 そう答えるしかなかった。

 実際、サキ以外に頼れる人など身近にいないのだ。

 大好きな子に頼りっきりになるのは嫌だけど。

 ちゃんと、言うことにしよう。

 


「あ、お買い物の事すっかり忘れてた」

 サキがふと、声をあげた。

「そういえばそうだったね」

 僕も忘れていた。

 衝撃的な出来事にすっかり意識は攫われていたのだから。

「じゃ、今から行こ」

 サキの言に頷いて、歩き出す。


 その後の道は、穏やかな空気に満たされている気がした。




 

「ハールくんっ、朝だよー」

 可愛らしい声音が、僕を呼んでいる。

 瞼を開くと、毎朝見る顔。

 けれど見飽きることのない、可愛らしい顔が見えた。


「ハルくんおはよっ」

「おはようサキ」

 

 陽光を浴びながら、僕は立ち上がった。 

 今日も一日が始まる。



 ……。

 …………。

 ………………。

 


 僕は教室の、自分の席に座っている。

「…………………………」

 もう。

 ほんとに。

 なんなんだ。

 勘弁してくれ。

 薬は飲んだんだ。

 昨日貰った強めの薬を。

 だから、大丈夫なはずなのに。

   

 奇妙な笑い顔。

 ケタケタ、ケタケタ。

 笑声が、不気味だった。

 

 今。

 僕の視界に入るクラスメイト全員。

 顔が、普通じゃない。

 表情が、異常だ。

 悪と狂気を合わせて煮詰めたような、そんな顔。

 怖い。

 純粋に怖い、表情。

 この世の中で、最も恐怖を刺激する顔なのではないか。


 不幸中の幸いなのは、その顔がこちらを向いてないことか。

 幻覚だから当然だ。

 このクラスで友達などいない。

 わざわざ僕の方を見るやつなんていないのだから。

 ただ普通のクラスメイトが、変な風に見えてるだけ。   


 そう、こんなのは幻覚なんだ。

 幻覚だ。

 幻覚だって知っている。

 理解している。

 わかってる。

 わかってるんだ!

 

 そうだ。

 サキ。

 サキはどうなってる。

 首を動かし、サキの席、座っている本人の顔を見る。


 いつもと変わらず、可愛い顔のままだった。

 クラスの女子、奇妙な笑い顔をした友達と、談笑している。


 サキは、普通なんだな……。

 よかった。

 救われた。

 いつだってサキには、救われている。

 別に、不幸ってわけじゃないけど。

 サキがいない生活は、考えられない。

 

 とりあえず、授業が始まるまで目を閉じていよう。

 昨日は昼に薬を飲んでから、その後は幻覚を見なくなったんだ。

 だから、それまでの辛抱だ。

 



 夕暮れ。

 サキと並んで歩く帰路。

 薬を飲んでから、今この瞬間までに幻覚は見えていない。

 ちゃんと、治って来ているのだろうか。

 そうだといい。

 でも、不安が拭えない。

 そもそも昨日だって昼に薬を服用した後は見なくなっている。

 断定も確定も楽観も出来ない。

 

 辛かったらいつでも遠慮なく言って、か。

 昨日、サキにそう伝えられ、僕はうんと答えた。

 しかしこれは、辛い範囲に入るだろうか?

 早速縋る情けないやつ。そんな風に思われないだろうか。

 少なくとも、僕自身はそう思ってしまう。

 だから不安を口にすることを、躊躇っている。


 女々しいかな。

 そうだろうな。

 でも僕は、こんな人間なんだ。

 いい訳だけど。

 情けない。

 思考の悪循環。

 

 と。

 歩く道の先。

 道路の真ん中に。

 ポツンと黒い影。


「…………?」

 違和感を覚え、嫌な予感がしながらも、僕は足を止めない。

 隣のサキを見ると、平時と変わらない態度で歩いている。

 やはり、幻覚なのか。


 さらに道を進むと、やがて全体像が把握できるようになった。

「…………」

 顔が、引き攣った。

 足が無意識に止まる。


「……ハルくん、もしかして」

 僕の異変に気付いたのか、サキも足を止めてこちらを見てくる。

「何か見えるの?」

 僕はぎこちない動きで首を縦に動かした。

 

 だって。

 そこには。


 全身折れた奇態の人間。


 そう形容するのが最も的確なモノがいたのだから。

 ケタケタ、ケタケタ、と笑声を上げている。

 表情は午前中に見た笑い顔に似ていた。


 ケタケタ、ケタケタ、ケタケタ、ケタケタ。

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。 

「ハルくん」

 サキが僕の腕を握って、安心させようとしてくれてるのか優しい微笑みを向けてくる。

「だ――」


 サキが何か言う前に。

 奇態の人間が、動いた。

 

 走って、来たのだ。

 全身折れた、四足歩行とも言えない四足歩行で。


 なんで。

 今まで、幻覚が明確な意思を持って動いたことなんて、なかった。

 ましてや、こちらに向かって迫ってくるなど。

 絶対に、なかったのに。


 全身折れた奇態の、奇妙な笑い顔をしたモノが迫ってくる。

 どうして走れるのかわからないぐらいの体形なのに、物凄い速度で迫ってくる。


 迫ってくる。

 迫ってくる。

 迫ってくる。

 

 それは、恐怖でしかなかった。


 僕の腕を握っていたサキの手を掴んだ。

 走り出す。

「わっ!」

 サキがつんのめったけど、引っ張って無理矢理転ばないようにした。

 逃げる。

 あの奇態に追いつかれないために。

 走る。

 走る。

 逃げなくては。

 怖い。

 あんなのに、掴まってたまるか。

 恐怖でどうにかなりそうで、速度が落ちると分かっていながら、思わず振り向いた。


 ケタケタケタケタ。


 ああ、まだ追ってきている!

 足音が止まない。

 

「ハルくん! 幻覚なら逃げる必要なんてないよ。実際にはいないんだから、怖がることないんだよ」

「そんなこと、言ったって、あれはやばいって! わかってても、逃げない訳にはいかないよ!」

 追いつかれたらと思うと気が狂いそうだ。

 

「――あ」

「きゃっ」

 石か何かがあったのか、それとも慌てて走っていたからか、恐怖で足の動きが変になったのか。

 思い切り、躓いた。

 宙に体が浮く感覚。

 このままだと盛大に、サキを巻き込んで大転倒する。

 それは、避けたかった。


 咄嗟に身体を反転させて、サキを正面から抱き留める。

 背中から地面に落ちた。

 背が固いコンクリートに打ち付けられ、(やすり)のように擦られて、激痛が奔る。

 サキは地面に一切身体をつけていないし、恐らく怪我はないだろう。


 安堵したのも束の間。

 奇態が、迫る。

 迫る。

 迫る。

 ケタケタケタケタ。

 だが、もう逃げることは出来ない。

 

 その姿を視界に入れている恐怖に耐えられなくて、目をきつく瞑った。

 サキを抱きしめたまま、暗闇の視界でただ待った。

 終わるのを。

 なにが終わることなのかは、自分でもわからなかった。

 掴まって全てが終わることか。

 幻覚の終わりか。

 どちらが起こるのか、わからなかったからだ。

 幻覚だと、知っているはずなのに。

 

「ハルくん、なにもいないよ」

 子供を安心させるような声音で、サキが言った。

 目を、ゆっくりと開ける。

 目の前の道の先を見る、なにもいない。

 周りを、首を振って確認する、なにもいない。

 いるとすれば、僕達を訝しげに見ながら通り過ぎていく通行人ぐらいか。

「ね、大丈夫でしょ」

 サキはにっこりと笑った。

「うん……」

 そう答えて二人で立ち上がる。

 

「ハルくん、背中怪我してない? 見せて」

 僕が何か言う前にサキは後ろに回った。

 服が捲られる。

「ためらいないね」

「幼馴染ですから――って、結構酷い怪我! 血が結構出てるよ。手当てしないと」

「ちょっとひりひりするぐらいだし問題ないよ」

「だめだよ。傷口からバイ菌が入ったらどうするの」

「サキはお母さんかよ」

「そのお母さんに任されてはいるね」


 サキは前に戻って来て。

「じゃあ今からハルくんの家に寄るね。ちゃんと手当てされて」

「わかったよ」

「今日は、ハルくんの家に泊まろうか?」

「そこまでは過保護すぎる」

「……だって、さっきも見たんでしょ…………?」

「…………」

 あの幻覚は、確かに異常だ。

 何がどう作用したら見ることになるのか。

 

 それに、昨日の幻覚は、気持ち悪いという方が正しかった。

 けれど今日は、怖いという方が正しい。

 嫌悪よりも、純粋な恐怖を感じたんだ。

 対処法といっても、病院では特に異常はないと言われ、そこで渡された薬を飲んでいてこの有り様。

 病院を変えた方が良いのだろうか。

 でも替えたところで、状況が変わるのか。

 試してみなければ分からないのかもしれないけれど。

  

「だから泊まる?」

「…………いや、いいよ」

 薬の効果がまだ出てきていないだけ、という可能性がまだある。

「ほんとに?」

「うん、本当に辛かったらまた言うよ」

 少し考えるそぶりを見せた後、サキは頷いた。

「何かあったら電話してね」

「うん」




 家に着くと、すぐに手当てが始まった。

 上半身裸になり、背をサキに向けて座る。

「いっ! つつつつつ……」

「終わるまで我慢してね。男の子特有の根性で」

「そんな特有はないよ」

「えい」

「いってえっ!」

 消毒液が沁みる。

「今わざと強く押し当てなかった? えいとか言ってたし」

「気のせいだよ」

「それは本当か?」

「痛がる姿がなんか面白いなって」

「やっぱり気のせいじゃなかった!」 

 僕の後ろでからからと笑うサキ。

 楽しそうで何よりだけど痛いのは勘弁。



 治療が終わると、サキは隣の家、自宅に帰した。

 一緒にいてもらいたい思いが全くなかったと言えば嘘になるけど、年頃の男女だしやっぱりまずい気がして。

 隣だから深夜以外なら会おうと思えば会える。

 深夜でも無理をすればいけないこともない。

 だからそこまでする必要もないと結論付けたのだ。


 早まっただろうか。

 もっと甘えてしまえばよかったかな。

 いや、それは駄目だ。堕落する。

 男らしく頼られる部分を自ら切り落とすような真似はしたくない。

 僕が男らしいかは置いといて。

 

 とはいっても、サキが帰ってしばらくすると、不安が増してきた。

 人の声が恋しくなって、テレビを付ける。

 テレビとか特に好きではないけれど、今はこの音があるだけで安心する。

 バラエティ番組の馬鹿笑いが、心地いい。

 いつもはもっぱらパソコンばかりに向かってるだけに新鮮だった。

 

 それでも不安の全てが解消されるわけでもなく。

 夕飯の後、薬を縋るように飲んだ。

 



 ――――――――――。

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 …………………………。

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。

 ……。


 笑い顔、笑い声。

 無数に、(まば)らに。

 回る(まわ)る。

 ケタケタケタケタ。

 

 怖い。

 恐い。

 やめて。

 やめてくれ。

 やめろ。

 やめろ!!

 

 ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ。


 声は、止まない。

 顔は、消えない。

 耳を塞いでも、聞こえる。

 目を閉じても、見える。

 

 ケタケタ、ケタケタ。

 もう、嫌だ。

 

 ――――っ。


 ケタケタ、ケタケタ。

 どっかいけよ。


 ――――ん。


 ケタケタ、ケタケタ。

 消えろ。


 ――――くん。


 ケタケタ、ケタケタ。

 なんで僕なんだ。


 ――――ルくん。


 ケタケタ、ケタケタ。

 誰か、助けてよ。 


 ――――ハルくん。




 意識が、鮮明になっていく。

 目を開けると、目の前にサキの顔。

 かなり距離が近い。

 眉を八の字にして、瞳を揺らしている。

 綺麗な水色と桜色が混じり合った両目が揺れると、秘境にある湖の湖面のようだ。

「ハルくん、うなされてたよ。だいじょうぶ?」

「…………」

 まだ寝起きで、脳があまり働かない。

 とりあえず汗を大量に掻いているのは分かる。体の感覚が気持ち悪いから。

 風呂に入りたい。そうでなくても体拭きたい。

 

「まさか体に異常が!? ねえ、どこか痛いの!?」

 僕が返答しないでいると、サキが慌て出した。

「痛くないよ。何の異常もない。ただ寝惚けてただけだって」

 身体を起こしながら言う。

「そ、そうなの? だったらいいんだけど……待って、まだよくない。うなされてたのはなんで?」

「なんでって、覚えてないけど嫌な夢でも見たんだろうね」

「その嫌な夢を見る原因が問題だと思う。やっぱり昨日泊まった方がよかったんだよ」

「サキは心配性だなあ」

「そりゃ幻覚を見るなんて心配しない方がおかしいよ」

「確かに、そうかもしれない」


 思わず笑ってしまった。

 根本的な所を、ほい、と軽く突かれたような、なんだよ、って言いたくなる感じ。


「笑いごとじゃないと思うけど」

「まあそうなんだけどね」

 僕だって楽観してるわけじゃない。

 だけどなんか、起きたらサキがすぐそこにいて、安心してしまったんだ。


「話を戻すね。結局うなされてたってことは怖かったり不安だったり、そんな気持ちがあったからだと思うんだよ」

 僕は否定も肯定もせず曖昧に首を動かした。

「だから今日は泊まるね」

「なんでそうなる」

「だって、最近のハルくん見てるとなんか、ふとした瞬間にどこかに消えちゃいそうで…………」

「…………」

 サキのその表情は、憂いに満ちていて。

 彼女の方こそ、僕よりも不安そうだった。

 

 頑なに拒んではいるが、サキがこの家に泊まるのは、本当に、真実、嫌ではない。

 凄く嬉しくて、全力で甘えたいというのが本音だ。

 でも、僕はそんなんでいいのか。

 どんどん自分が駄目になっていってしまう気がする。

 一度決壊したら、止めどなく甘えて頼って(すが)って。


 言っちゃ悪いから言わないし、思いたくないけど。

 多分、サキは男をダメにするタイプの女の子だ。

 絶対に本人には言わないけど。

 今のままのサキではなくなってしまうのも寂しいから。


 だからこそ、僕がしっかりしなくてはならないんだ。

 自分を律して、サキの優しさに応える事が出来るように。

 この子のために、強くなるんだ。


「サキ、僕はどこにもいかないし、幻覚なんかに屈したりもしない。サキに頼らなければならない程まずくなった時には頼るから、今は大丈夫だ」

 安心させるために、精一杯の笑顔を作って僕はそう言った。   

「…………でも」

「大丈夫だって」

 もう一度強く言葉を重ねる。

「………………うん」

 長めの黙考の末、渋々とサキは答えた。

 納得はしていないように見えるけど、時間が解決してくれるだろうか。


「とりあえず、おはようサキ」

「うん、おはようハルくん」

 朝の挨拶から、一日は始まるんだ。




「…………」

 視線を感じる。

 今は授業中、教室の席に座り黙々とノートを取っていたのだが。

 平時では感じたことのない感覚を覚えて、今に至る。

 落ち着かない。

 しかし、嫌悪感はない。

 なぜなら。


 唐突に振り返ってみる。

 サキが一瞬で目を逸らした。


 その視線は、サキからだからだ。

 不可解ではあるし、むず痒くもあるけど。

 嫌ではない。

 されど、理由は知りたい。

 大方の予想はつくけど。やっぱり心配だからとか。

 本人から聞いてみようか。


 というか、サキはあれでバレていないつもりなのだろうか。

 どんなに鈍いやつでも気づくレベルだと思う。

 チラッ、チラッ、という擬音が最高に似合っている動き。

 サキに監視とかの才能は皆無なようだ。


 


 体育の時も。

 じーーーーっと見られていた。

 男女で離れて授業をやっているにも拘らず、グラウンドの離れたところからチラチラと僕を見ている。

 ならばとこちらも見返す。

 すると視線を逸らしてわたしは別に見てませんでしたよアピール。


 なんか。

 逆に。

 いや、逆でもないか。

 可愛いと思ってしまった。


 もう気にせず好きにやらせてみようかな。

 害があるわけじゃないし。

 今はサキの体操服姿でも堪能していればいいか。

 うん。短パンっていいね。

 ブルマも悪くないけど、短パンいいね。

 下の赤色と上の白色のコントラストが最高。

 どうしてああいう体操服って匂いを嗅いでみたくなるのだろうか。

 人類の神秘だなあ。


 


 午後の教室。

 今日、最後の授業。

 …………。

 ……………………。

 あれ?

 おかしい。

 オカシイ。

 僕は、サキに可愛くチラチラと見られていたんじゃなかったのか。

 それが続いてて、平穏で、楽しくて。

 本当に、楽しくて。

 なのに。

 これはなんだ。

 またか。

 またなのか。

 また、僕の平穏を乱すのか。

 まだ、こんなことが続くのか。

 

 ケタケタ。

 奇妙な笑い顔が、僕をチラチラと見てくる。

 不気味な笑声を、聞かせてくる。


 こんなのばっかりだ。

 なぜ。

 なぜだ。

 薬も飲んでる。

 効果は出てきているんじゃないのか。

 消えてくれよ、とっとと。

 もううんざりだ。

 

 サキは、サキはどこだ。

 サキの姿さえ見る事が出来れば、僕は。

 僕は、大丈夫なんだ。

 だから、姿だけでも見せてくれ。

 その可愛らしいいつも通りの顔を、見せてくれよ。

 

 サキの席を見る。

 その席に座っている人物が、奇妙な笑い顔をしていた。

 ケタケタ、ケタケタ。


 あれ?

 …………あれ?

 あれ? あれ? あれ? あれ? あれ? あれ? あれ? あれ? あれ? あれ?


 ――――――――――あれ?




 放課後。

「ハルくんどうしたの?」

 鞄を持って席を立つと、サキが話しかけてきた。

「え?」

 今はいつもの顔だ。

「なんか様子がおかしいから」

「べ、別におかしくないって」

「どう見てもおかしかったよ、今もなんだか……とにかくいつも一緒にいたからわたしは判る」

「僕はいつも通りだ」

「じゃあなんで目を逸らしてるの」

「逸らしてない」

 目を合わせる。

 水色と桜色が合わさった不思議な色合い。

 可愛い。

「今合わせたばかりでしょ」

「でも今見てる」

「理屈のごり押しはいけないよ」

「ならどうすればいい」

「様子がおかしい理由を教えてくれないかな」

「言わなきゃだめ?」

「だめ」

「どうしても?」

「どうしても」

「僕は弱い。言うと縋ってしまう」

「いいんだよそれで。辛かったら言うって約束したよね」

「…………」

「大丈夫だから」


 その微笑みは、ずるい。

 優しく柔らかく暖かい、女神の如く全てを包み込むような微笑み。

 そんな顔されたら、思い悩んでいたのが馬鹿みたいじゃないか。

 頼ってもいいのかな、なんて思いが沸き上がって来てしまう。

 僕の心は、そこまで強くないんだぞ。

 沸き上がったら、耐えられない。


「顔が……」

「?」

「サキの顔が、幻覚で変に見えたんだ」

「わたしの顔が……?」

「うん……奇妙な笑い顔が昨日から見えてたんだけど、今日はサキもその顔に見えて…………」

「だから様子がおかしかったんだね」

「うん…………」


「だったら、簡単なことだよ」


「? 簡単?」

 そんな、すぐに解決することか?

 

「そうだよ」

「どうすればいいの?」

 知っているのなら教えてほしい。

 今すぐ実践してここ最近の悪夢から抜け出したいんだ。

 もうあんなことはこりごりなのだから。


「それはね」


 サキの顔が、ぶれる。

 ノイズが過ぎった。

 一瞬で、変貌。


「こうすればいいんだよ」


 奇妙な笑い顔。

「ケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタケタ」


「うわあああああああああああああああああああ!!!!」

 目の前にいるナニカを突き飛ばす。

「きゃっ」

 大好きな幼馴染が尻餅をついて悲鳴を上げたような気がした。

 まだ教室に残っていたクラスメイトが騒然とする中を、走り抜ける。


 もうなにがなんだか、わからない。

 どうすればいいのかも、わからない。

 一人で解決しようとして、何もできていなくて。

 そんな力、自分にはないくせに。

 だれにも頼ろうともしなかった。

 唯一頼れるサキは、もうなんだか良く分からないことになってしまった。

 わからないことだらけだ。

 

 僕は、どうすればよかったんだ。




 家に着くと鍵を掛けてソファに身を投げ出した。

 体力もないのに全力疾走でここまで来たから、もう動きたくない。

 全身が軋むようだ。

 汗を拭くことすらいとわしい。


 なんか、眠い。

 もう、何も考えたくないし。

 寝てしまおう。

 そう決めると、急速に眠気も増した。

 瞼の上下が求めあい、すぐにくっ付く。

 しがらみを放り出した意識は、次第に薄くなり。

 眠りへと、落ちていく。

 真っ暗な、揺り籠へと。

 逃避していく。


 …………………………。  


 しかし、いつまでも眠って逃避することなどできるはずもなく。

 意識が、戻ってくる。

 電球の光が目を刺す。

 寝起きのぼんやりとした意識で、ぼーっと天井を見つめる。

 足音が聞こえた。

 いい匂いもする。

 視線を落とすと、一人の姿。

 サキが、ダイニングキッチンで料理をしていた。

 

「サキ……」

「あ、ハルくん起きたんだ。もうすぐご飯できるから待っててね」

 笑顔でそんなこと言ってのけるが、僕は今日突き飛ばしてしまった。

 多分、サキを。

 彼女はどう思っているのだろう。


「それより、なんで入って来れてるの。鍵は掛けたはずだけど」

「合鍵持ってるからね。忘れたのハルくん?」

「ああ、そういえばそうだった……」

 そんなことすら、忘れていた。

 あたりまえの、いつも。

 その感覚が失われてしまったのは、いつからだろう。

 ごく最近の気もするし、ずっと前のような気もする。

 気づかない内に、非日常へとどっぷり浸かっていた。

 

「サキ。サキは、サキだよな?」

 変な質問だとは自分でも思う。

 でも、訊かずにはいられなかった。

「うん、そうだよ。わたしはわたし。ハルくんの幼馴染のサキ」

 いつだって変わらず向けてくれた笑顔を見ると、いくらか安心できる。

「サキ、ごめん。多分突き飛ばしたよね……」

「ううん、わかってるから大丈夫だよ」

「怪我はなかった……?」

「一切ないから安心して。元気元気だよっ」

 腕まくりをして力こぶを作るようなポーズ。

 全く全然、力こぶなんて出てきてないけれど。

 細くて白い、女の子の腕だ。

 少し力を入れたら折れてしまいそうな、か弱く可愛い腕だ。

 化け物なんかじゃない。

 あんなのは幻覚だ。

 

「よし、できた。今夜はカレーだよっ」

 サキのその声を聞いて、立ち上がる。

 食器の用意ぐらいしなくては。

「いっぱい食べて、元気出してね」

 その笑顔と気遣いに、涙が出そうになった。




 食後。

 ソファに座って、二人でくつろぐ。

 ゆったりとした時間が、しばらく続いた。

 

「ハルくん」

「なんだサキ」

「放課後に話してたことだけど」

「ああ」

 僕が突き飛ばして逃げたことで中断された話。

 恐らくそれのことだろう。

「ハルくんがどうすればいいかは簡単なことって言ったよね」

「うん……」

 その直後にあれだった。

 結局その先は聞いていない。

「その簡単なことってわかる?」

「……いや」

 わかっていたらこんなに悩んでいなかっただろう。

「本当は、簡単だけど難しい、が正しいんだけどね」

「簡単だけど難しい?」

 オウム返しに訊いてしまった。

 サキは頷いて。

「それは、信じることだよ」

 そう言い切った。

「信じること……?」

 またオウム。

「うん、信じさえすれば、たとえどんな幻覚を見ても大丈夫なはずだよ。これは本当なんかじゃない。本物はこうなはずだ。絶対こうなんだ。自分の信じる姿はそれなんだから、今見えているものは間違いだ、って、きっと自分を見失わずにいられるから」

「…………」


 それは、一見現実を認められない子供の我が侭にも聞こえる。

 けれど。

 おそらく、多分。

 違うんだ。

 そんなものじゃなく、もっと。

 人の想いが、なにかを解決するような。

 強く尊いもの。

 上手く言えないけど、とても素敵なことだと思った。


「だから、ね」

 サキが続ける。


「何があっても、信じて。わたしはハルくんの味方だよ」


 とびきりの、桜が満開になるような笑顔。

 ここ一番の笑顔を、サキは向けてくれた。

「僕は…………」

 右手が握られる。

 サキは信頼を伝えるように、両手で包み込むんできた。

 暖かい。

 そこから伝わる熱は、全ての不を溶かす優しい陽となって、僕に伝わる。

 涙が、溢れてきた。

 熱い液体が頬を濡らす。

 まるで溶かされた不が液体となって出ていくみたいに、止めどなく流れる。

 ぎゅっと、握る力が強まった。

 僕もぎゅっと、握り返す。


「信じるよ、サキ。何があっても」 

 サキは頷き。

「うんっ。これでもう大丈夫だよっ」

 その言葉を聞いた途端。

 凄く安心して、ふっと力が抜けた。

 前に倒れ、サキに寄りかかる。

 すると、サキは両腕を僕の背に回して抱きしめてくれた。

 母親に抱かれる子供のように、僕はそれを受け入れる。

 安心の極致とも言える状況の中。

 僕達はしばらく、抱き合っていた。

 

 もう、僕は間違わない。

 恐れても、失敗してもいい。

 けれど。

 間違っては、いけない。

 僕は、サキを信じる。

 絶対的に。

 愚直でも。

 信じ続ける。

 その芯を、守り抜く。

 


 ……。

 …………。

 ……………………。



 次の日。

 サキと共に、僕の家に帰宅して直ぐ。

 逢魔が時に、それは起こった。

  

「ハルくん」

「なに?」

 鞄を放って、手洗いうがいを終わらせ、ソファにどっかりと座った直後。

 サキが唐突に話しかけてきた。

「今まで、ありがとうね」

「…………なんのこと?」

「騙されてくれて」

 

 ゾクッと、背筋が凍り付けられるような感覚。

 嫌な予感、を煮詰めたような嫌な予感。

 

「なに、が…………?」

 声が震えた。

「今までのこと全部嘘ってこと。昨日のわたしの言葉も、過去全てもあなたを騙すための嘘なんだよ」

 凍てついた冷たい表情。

「…………」

 冷静に考えれば、今の発現は根本的に完全にオカシイ。

 それは、わかっている。

 わかっている。

 わかっているつもりだった。


 だけど。

 なんか。

 なんでか。

 頭がオカシイんだ。

 ぐるぐるするというか。

 冷静さを保てない。

 

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。


「いや、でも、違うでしょ。今の発言、なんか変だろ」

「どこが変なのかな? こんな正確で長い幻聴があると思う?」

「でも、過去全て? 物心ついた時から付き合いがあるのに……?」

「ハルくん、現実を見よ?」

「やめろよ…………」

「わたしはハルくんの敵」

「違うって…………」

「わたしはハルくんのことなんてなーんとも思ってないよ」

「黙れ!!」

 サキは無表情なまま黙った。


 無言で近づいてくる。

「なんだよ、サキ……」

 僕は後ずさることも出来ず、そのまま立ち尽くしていた。

 サキが僕の腕を掴む。

「ハルくん」

「サキ、僕は――」

 掴まれたその個所。

 そこから、黒いナニカが浸食してくるように見えた。

「このまま、死んじゃえ」

「うわあああああああああああああああああああ!!!!」

 突き飛ばす。

 尻餅をつくサキ。

 昨日の教室の光景が思い出された。


「いったいなあ。なにするんだよ、ハルくんひどいよ」

 低い声を出しながら立ち上がるサキ。

 今までこんな声は聞いたことがない。

「そもそもさあ」

 僕をギロリと睨みながら、続ける。

「今までのわたしみたいな優しい女の子が、本当にいると思った? ばっかみたい。いるわけないじゃん。女の子なんてみんな自分勝手だよ。あははははははははは」

「なに……言ってるんだよ…………」 

「ハルくん、簡単に騙されてくれるんだもんねー。もうおかしくて一人で笑ってちゃったよ。あっはははははははっ!! これだから童貞は!」

 なんだ、これは。

「元に戻ってよサキ! さっきからわけわかんないよ!」

「ぐぎゃがががが、げぎゃげがががががががががががうぉお」


 サキが動いた。

 キッチンの方へ。

 手を伸ばした場所には、包丁。

 柄を握って、こちらに振り向く。


「死んでよハルくん」

「なんで、そんなことするんだよ……」

「殺したいから」

「理由がない。なんでサキが僕を殺すんだ……」

「理由なんて必要ないよ」

「言ってること何一つわかんないよ……」

  

 振り抜かれる包丁。

 咄嗟に避ける。

 壁に刃が刺さった。

 その隙にサキが包丁を持っている右手、右腕を掴む。


「放せ! 放せよ!!」

 どす黒い声を上げながら暴れ回るサキ。

 左手で顔を引っ掻かれる。

 血が滴った。

 

 やっぱりこれは、幻覚なんかじゃない。

 この痛み、サキの身体に触れている感触、全部本物だ。

 幻覚で出せるものではない、きっと。

 つまりサキの言葉も幻聴ではない?

 そんな馬鹿な。


 もっと冷静になれ。

 何かを忘れている気がするんだ。

 何か、重要なことを。

 ついさっきまで覚えていた気もするのに。

 

「死ねええええぇぇ!!」

 全身全霊のタックル。

 右腕を拘束された状態でも至近距離。

 あまり意味は無いように思えた。

 

 しかし、僕はサキの右腕を両腕で持って拘束し、顔を引っ掻かれた直後で体勢が崩れている。

 だから、転んでしまった。

 右腕を掴んでいたサキも一緒に転ぶ。

 すぐ後ろには、壁。

 僕はそこに、頭を強く打ちつけられた。


 衝撃。

 一瞬、何かを思い出せそうな気がした。

 なんだ?

 なにを思い出せそうなんだ?

 考えろ。

 脳を回せ。

 忘れてはいけないことのはずだ。

 そんな直感をひしひしと感じる。

 普段直感なんて感じ取れたことは一度もないというのに、今は不思議と確信めいたものがある。

 

 僕の前にいて頭を打ち付けなかったサキはすぐに立ち上がり、壁に刺さったままの包丁を引き抜いた。

 もう、サキとは元の関係に戻れないのか……?

 サキは僕のことが嫌いなのか。ずっと、嫌いだったのか……?

 さっきからの言葉が幻聴でないのなら、そうなってしまう。

 なら、僕はなぜ、逃げようなんて毛ほども思えないのだろう。

 包丁を振り回してくる危ない相手なんて、すぐに逃げて警察にでも電話した方が良い。

 自分で取り押さえようなんて考えは、もっと体力のある人かそういう心得のある人がすればいいんだ。

 僕みたいな運動が苦手なやつが考えることじゃない。

 

 それでも僕は、今。

 逃げたいなんて思わない。思えない。

 サキが言ってることが本当なら、もう、仲のいい幼馴染どころか友達ですらいられない関係になっているというのに。

 

『何があっても、信じて。わたしはハルくんの味方だよ』


 ――――。

 今のは。

 サキ……?

 

 サキが包丁で突きを放ってきた。

 身体を捻って立ち上がり様に避けるが、服が裂かれ、肌が斬られた。

 紅い液体が舞う。


「信じて……味方……」

 記憶の扉が、少しずつ――。


 横薙ぎに振るわれる包丁。

 怯んで後ずさったことで偶然避ける。

 

 ――開かれていく。

 

『信じるよ、サキ。何があっても』


「しん、じる…………」

 多分。

 思い出した、んだと思う。

 いや。

 思い出した。

 

 僕は昨日、サキと話している。

 信じると。

 サキは絶対に味方だから、何があっても信じると。

 

 なんで忘れていたんだ。

 昨日の、それも自分にとって大切なことを忘れるなんて。

 普通じゃない。

 

 ……今は理由なんてどうでもいい。

 僕はサキを信じる。

 だったら、今の行動はサキがしたくてしてるわけではないということになる。


『信じさえすれば、たとえどんな幻覚を見ても大丈夫なはずだよ。これは本当なんかじゃない。本物はこうなはずだ。絶対こうなんだ。自分の信じる姿はそれなんだから、今見えているものは間違いだ、って、きっと自分を見失わずにいられるから』


 そうサキは言っていた。

 ならば、僕は僕の信じるサキを信じる。

 だから今のサキは、止めるまでだ。

 

「動くな! 当たらないだろ!」

 包丁を逆手にして飛び掛かってくるサキ。

 予測していなかった動きに対応できず、無様に押し倒される。

 だが、そのまま包丁で刺されることは、何とか包丁の柄をサキの手ごと持つことで抑えた。

 圧し掛かられたまま、重力を味方につけて上から力を入れられる。

 僕は、今まで出したこともない全力を出して必死に抵抗した。

 力はギリギリ拮抗している。


 男と女の腕力差はあるが、僕は運動が苦手なうえ、サキは上を取った。

 その結果危うい均衡が発生している。

 

「サキ! 正気に戻ってくれ!」

 何が起こっているかは分からないけど、今のサキはサキじゃない。

 それだけは、確かなんだ。

 確かだと、信じる。


「フフフフフフフフっ……、フヒアハハハハハっっ……あばばはははははははは、ハハハハハハハハへひひひいひひひひひひひぃっっっ」

 サキの声音と、違う。

 これは、誰の声だ?

 一瞬。

 サキの背後に、黒い影のようなものが見えた。

 

「お前か?」

 お前なのか。

 何者なのかもわからない。

 全く何も、わかってはいないけれど。

 こいつの、今一瞬見えた変な影のせいな気がした。


 怒りが沸々と湧き上がってくる。

 理不尽に対する怒り。

 平穏を砕かれた嘆き。

 取り戻したい奮起。

 

「お前さえ、いなければ!」

 感情の爆発と共に、火事場の馬鹿力が発現する。

 体の位置を、無理矢理腕力と捻りを使って反転させる。

「くぅっ!」

 サキが背中を打ち付けられて呻く。

 今度は僕が、押し倒す形になった。

 サキの両腕をがっちり抑えて、馬乗りになる。

「放せえっ!! ぐがぎゃあははははは。殺す!! げごがあははははは」

 暴れるが、体格で勝る僕が上を取ったことで、容易に抜け出すことは出来ない。

「諦めろ! サキを返せ!」

「あばばはははハハハハハハハハ」

「僕は、絶対に諦めないからな!」

 そっちが諦めないなら、徹底抗戦だ。

 いつまでだって、続けてやる。

 


 その後、サキは暴れ続けた。

 僕は、押さえ続けた。

 体力が無くても、気力を振り絞り、搾り粕まで使って、その気力が無くなってもさらに生み出して。

 サキを信じて押さえ続けた。

 

 いつまでも、いつまでも。

 

 その最中で、疲れと眠気と気力の枯渇で意識が飛びそうになった時。

 思い出したことがある。

 それは、数か月前の記憶。


 僕が事故に遭った時のことだ。


 ――車に跳ね飛ばされ、走馬灯のように流れる時間の中。

 一瞬見た、僕を跳ねた車の運転席。

 運転手の背後。

 そこに、なにか、違和感を感じていた。

 今までは。


 でも、違うんだ。

 あれは、もっとはっきりとした形を持っていた。


 ぐったりしている運転手の背後に、髪が長く、その黒髪で顔の隠れた、口元に薄笑いを張り付けた女。

 そんなものを、僕は見ていたんだ。

 違和感なんてものじゃない、はっきりとした具現。

 僕は、なぜか忘れていたけれど。

 しっかりと、この目で見ていた。

 

 つまり、ここ最近の一連の非日常。

 それは、推測するに、多分その時に見た悪霊のようなものの仕業なのではないか。

 僕はそう思った。

 見た目から勝手に悪霊と判断したが。


 突拍子もなく、真実味もない話だ。

 けれど、それを言ったら最近の、直に体験した出来事もそうだろう。

 今更それだけ信じないなど、意味が無い。可能性を狭めているだけだ。

 だからその線で、対処をしてみる。

 結局その可能性以外に僕個人で対処できることなどないのだから。

 悪霊の線でいっても、神社の人にお祓いしてもらうぐらいしかないが。

 でも、何もしないよりはいい。

 試すことは出来る。

 駄目で元々だ。

 やってみるしかない。


 

 そんなことを考えながら、暴れる力が次第に弱まっていくサキを押さえ続けてどれだけ経ったか。

 太陽が昇り、朝陽が差してきた。

 瞬間。


 サキは身体を弛緩させ、動きが止まった。

 数秒間、僕もサキも動かず、荒い息を吐きながら見つめ合う。

「ハル……くん……」

 その目には、光が戻ったかのような生気を感じた。

「サキ……」

「ごめんね……わたし、意識は在ったんだけど、体も口も、勝手に動いて、ハルくんに酷いこといっぱい言って……」

「いいんだサキ。悪い夢を見てたんだよ、僕達は。だから気にするな」

「うん……ずっと信じてくれて、ありがとう……」

 僕もサキも、自然と涙を流していた。

 全てが終わったかのような安堵感と共に、暖かい液体は悲しみを押し流していく。

 


 それからすぐに、学校をさぼって二人で近くの神社に向かった。

 あんなことがあったんだ。一日ぐらいは許されるだろう。

 サキは両親に連絡も入れずに僕の家に泊まったことになるので、すぐに電話していた。

 電話もメールも多くされていたみたいだったが、僕の家に泊まってるのだろうと思って特に探さなかったみたいだ。

 大らかなのか、危機感が足りないのかわからないけど、探されていたら困ったことになっていたのでサキの両親にはむしろ感謝しておこう。

 

 神社に着くと、祈る気持ちで神主さんにお祓いを頼んで、色々してもらった。

 紙垂(かみしで)とかいう、ひし形の白い紙が大量に付いたふさふさなやつを振られたり。

 塩を撒かれたり。

 除霊するためのありとあらゆる行為を頼み込んでしてもらった。


 金は取られたけど、そういうものだろう。

 お祓いって結構お金がかかることを初めて知った。

 本当は白封筒とかに現金を入れて持ってこなければいけないみたいだけど、次からはそうしてくれればいいと神主さんは言ってくれた。

 次お祓いに来るようなことにはなってほしくはないけれど、ありがたい。

 

 そうして実感のないまま家に帰り、その日は学校に行く気も起きずにサキと一緒にいた。

 昨日の昼飯後から何も食べてなかったこともあり、二人して空腹が限界を迎えそうだったので、サキの料理を僕も手伝って作り、たらふく食べる。

 何事もない、穏やかな一日を過ごした。

 


 ――――――――――。



 それからというもの。

 幻覚を見るとことも、サキがおかしくなることもなかった。

 お祓いが効いたのかもしれない。

 結局悪霊だったのだろうか。

 それはわからないし、実際わからないことだらけだけれど。

 無理に知ることはない。

 もう、何も起きないのならそれでいい。

 サキとの幸せな日々が続いてさえくれれば、それで。 

 




「ハルくん」


 朝の、学校までの通学路。

 サキが声を掛けてきた。

「なんだサキ?」

「ありがとうね」

「…………なんのこと?」

「騙されてくれて」


 その瞳は。


 水色と桜色が混じって。


 怪しく、禍々しく。


 暗い輝きを放っていた。





『概念・幼馴染β』

 人ではない、幼馴染という概念存在。

 幼馴染として選んだその者の一番近い存在となり、色々な自分好みのイベントを起こして人生を弄ぶ。

 選んだ者に害を与えることも、その者が命を落としてしまうようなことも厭わない。

 主に恐怖を与えて楽しむ傾向にある。


サキ「ハルくん、騙されてくれて本当にありがとう。おかげで楽しい楽しい最高に楽しいイベントを楽しめたよ。ハルくんだーい好きっ。これからもずっと一緒にいようね♪」

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[一言] 好きな人にはとても好まれる作品の様に思いました。 ちょっと糖分大目のホラーで面白く読ませて頂きました。m(__)m
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