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耕作と保夫

 願いを一つだけ叶えると言われたら、俺は何を願うだろうか。


 永遠の命だろうか。使い切れないほどのお金だろうか。それとも、安定した暮らしだろうか。あるいは、一流大学への合格通知かもしれない。いや、もしかしたら、昨日見たAVのような酒池肉林かも分からない。


 そんなことを、学校からの帰り道に友人の朝木保夫に話したら、彼は腹を抱えて笑い出した。


「ははは、いきなり何を言うかと思えば。耕作はそんなことを考える人間だったのかい?」

「そんなことってこともないだろ」


 保夫の言葉に俺が眉を少し顰めると、保夫は笑いながら「ごめん、ごめん」と付け足した。


「いやね、僕の勝手な認識なんだけど、耕作は徹底したリアリストだと思っていたからさ。そんな耕作が突然「もしも願いが叶うなら」なんてロマンチックなことを言い出すからおかしくて、おかしくて」


 そう言いながら思い出したのか、保夫は再び腹を抱えて笑い出した。


 こいつはいつもそうだ。やせ細ったヒョロっとした体を目一杯に使って笑う。さも「私は楽しいですよ。人生を楽しんでいますよ」と言わんばかりに軽快に笑う。笑われている方からすれば、笑う度に揺れ動く短髪の頭を、ふん掴んで投げてしまい衝動に駆られるというのに。

 釈然としない俺は、苛立たしさ紛れに保夫を置いていくように歩くスピードを少し上げた。遅れるように、ひとしきり笑い終えた保夫が駆け足で追いついてくる。


「いや、本当にごめんよ。あまりにも予想外でさ」

「そうでもないだろ。俺だって願いの一つや二つくらいはあるさ」

「…へえ、あの耕作がねえ。で、いったいどんな願いだい?」


 興味深そうな目を向ける保夫に、俺は前を向いたまま言ってやった。


「平穏と安寧」


 言った途端に、興味津々の目を向けていた保夫が、肩を落としてため息をついた。


「あのね、それって願いじゃないでしょ」

「願いには違いない」

「いや、まあ、違いないかもしれないけどさ。少なくともロマンチックの欠片もないじゃないか。むしろ君がリアリストだってことを真っ向から肯定してると思うんだけど?」

「知らないのか?平穏と安寧ほど美しく、そして得難いものはないんだよ。停滞と堕落は容易に得られるけどな。そういう意味では、この願いほどロマンチックなものはないだろ」


 そう返す俺の言葉に、保夫は降参とばかりに首を振った。


「結局はそんなもの個人の主観でしかないからね。少なくとも、僕から見れば今の耕作は平穏と安寧の最中にいると思うんだけどね。……と、今日はここまでかな。この後少し寄る所があってね」


 保夫はそう言うと、交差点の前で立ち止まった。いつもならこのまま左折するところを信号を渡るために交差点で止まるとは、つまりそういうことらしい。


「商店街か」

「まあね」


 俺の言葉に保夫は頷いた。


「付き合おうか?」

「いや、いいよ。クラスでこれ以上耕作との関係を噂されても困るからね」


 何の気なしに言った言葉に思わぬ返答が帰ってきて俺は少し目を丸くした。


「噂されてるのか?」

「そりゃあ、もう。最近ではどこまでやったか賭けている奴もいるらしいよ。ちなみに僕は「Bまで」に千円賭けたよ」


 自分で言っていて堪え切れなかったのか、笑い声を漏らす保夫を見て俺はやっと理解した。どうやら、ただの嘘らしい。


「そうかい。それじゃあ、俺は「Fまで」に一万円を賭けるよ」


 俺が言うと、保夫は呆けたような表情を浮かべた。


「F?それって何だい?」

「結婚だよ」


 問いかけに俺が答えると、保夫は一瞬考えるような素振りを見せて言う。


「うん。それも悪くないね。それまでに多少困難もあるだろうけど、耕作と暮らすのも悪くはなさそうだ」


 一人納得したように首肯する保夫に、俺は思いっきり顔を顰めて言った。


「嫌だね。俺にそんな趣味はないし、そもそも、お前と過ごすなんて俺がこよなく愛する平穏と安寧から程遠い生活になること間違いなしじゃないか」

「そうかな?男同士ってのも案外気が楽で良いかもしれないよ」

「それしか良いことがないだろ」

「まっ、違いないか」


 丁度、保夫が渡ろうとしていた信号が青になった。


「それじゃ、僕は行くよ。また明日」


 保夫はそう言うと横断歩道を駆け足で渡る。俺はその背中に言ってやった。


「明日は休みだ」


 その言葉が聞こえたのか、保夫はこちらを向かずに手だけを挙げて横断歩道向こうの人混みの中へと消えていった。


 不意に雨粒が頬に当たる。思わず顔を上げると、鈍く重そうな雲が空に広がっていた。


「降るな、これは」


 誰にともなくそう呟き、鞄の中に折りたたみ傘がないのを確認すると、俺は振り出した雨の中を走り出した。家まではまだ少し距離がある。額を打つ雨は足を踏み出す毎に強さを増しているようで、すぐにもずぶ濡れになるだろう。間が悪いことに、鞄の中には教科書だけじゃなく、数少ない友人から借りたノートもある。さすがに綺麗に作られたノートを雨で濡らして返すのは忍びない。そうである以上、濡れるリスクは冒せない。加えて言えば、濡れてまで急いで家に帰る理由もない。俺は傘を持ってこなかった朝の自分を罵りながら、早々に家へ帰るのを諦めた。

 幸い、雨は降りだしたばかりだ。雨脚が徐々に強まっているとはいえ、本降りになるまでに少しは猶予があるだろう。俺は頭の中で雨宿りに適当な場所を探しながら、雨の中をひた走った。

一話2000字程度で毎日更新する予定です。

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