【8】
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…というワケで、入院二日目は魔術の訓練に勤しんでおります。
そんな私の右手首には、腕輪――シルバーらしき金属で出来たバングルみたいなカンジの。
それに、赤、青、緑、橙、さしあたり四つの宝珠が嵌められている。
宝珠の魔力の恩恵を受けて魔術を使うにあたり、ゼクスの持つ魔剣みたいに、武器型魔術具と宝珠を組み合わせるのも一般的ではあるのだが、こうやって、腕輪や首飾りなどといった装飾品型魔術具と宝珠を組み合わせるのも、よくある方法なのだそうな。
むしろ、武器の類を扱えない女性などの場合、こちらを用いるのが当たり前。――この世界の女性は、主に護身のために、武器でなく魔術を持ち歩くそうだから。
なもんで、こういう女性向けの魔術具なんかは、街の雑貨屋なんかで普通に当然のように売られているらしい。
――てことを教えてくれたゼクスが、この腕輪も買ってきてくれた。
宝珠を四つ嵌めてくれたのも、彼の判断による。
ゼクス曰く、『自分にとって、どの属性の魔術が扱い易いのか、最初のうちに色々やって試してみればいい』。
というワケで、せっかくのいい天気だし、病室から出て裏庭の目立たない隅っこの樹の木陰で涼みながら、彼から教わった四つの自然属性における初歩中の初歩である魔術を、あれこれと試していたところだった。
何だかんだあって、どうやら私の持ち属性は、光、だと判明。
――まあ、それも当然ですよネー、そういや私ったら、女神サマの加護とか貰っちゃってましたもんネー、これで光じゃない属性とかアリエナイですものネー。
属性の説明を受けてる途中で気付けよ自分、どこまでヌケてるんだよ自分、と、ホント思った。つくっづくマジで反省した。
だって件の“私ってば『女神の息吹』に似た宝珠らしきものを作っちゃったよ事件”は、やはり相ー当ーなイレギュラー事態、だったようなんだもの。
ゼクスが『自身が持つ属性は、宝珠が教えてくれる』と言ったのは、当然ながら、ああやって別の宝珠を作ってしまうこと、なんかを指していたワケじゃーなかったようで。
手の中に各属性の宝珠を一つずつ計七つ載せ、そこに集中して意識を向けることで、手の中の宝珠が一つだけ光を帯びる。その光った宝珠の属性が、イコール自分の持つ属性である。――と、そういう見極め方だったのだそうな。
それを、手の中に宝珠を載せた途端、軽く一瞥くれただけで七つ全てが光り出す、というところからしてもイレギュラーな出来事だったというのに、挙句、その七つの宝珠を融合させて、また新しい宝珠のようなものまで作り出してしまったんだから……そりゃー驚くなって方が無理でしょう。――無理でしょう、が……、
『えーと……とはいっても、これと似たようなことって、前例とかも、本当に全く無いものなのかなあっ? 探せば、どっかしらにあるものなんじゃないのかなあっ?』
『少なくとも俺は、昔話の中にしか聞いたことはないな』
『じゃあ、昔々には、これと同じようなことをしてた人が居た、ということよねっ?』
『ああ、昔々に女神がやってたっけな、これと同じようなことは。――昔話、つーより、むしろ神話の類か』
『………そ、そうなんデスカ』
なーんていう話をしたからこそ、そこでゼクスから『なら、つまりオマエって光属性なんじゃねえの?』って言葉が出てきて、なしくずし的に、じゃあ私は光属性なのね、て、めでたく属性も決まってくれた次第だったんだけれどもさ。
――つか、あろうことか自らダメ押ししちまったじゃんよ……こんなこと別に珍しくもないでしょ? てカンジに誤魔化したかっただけなのに……。
昔話にしろ神話にしろ、そうそう作り話ばかりじゃない、ってことね……そりゃ女神サマがなさったことであるのなら、その力もらっちゃってる私に出来ないことはなさそうだもんね……。
しかし、聞くだに自分がどんだけイレギュラーなことを仕出かしてしまったのかと、判ってくるにつけ、それについて何も言ってくることの無いゼクスの態度が怖ろしくもなる。
よりにもよって、このゼクスの前でイレギュラー発動とか……なにやってんだよ自分!! どんだけ疑われたいんだよ自分っっ!! ――と、内心ものすごく焦ってしまったりしていたというのに、意外に拍子抜け。
そうまで何も言われないと、ホッとするとかいう以前に、どこまでもオソロシイこと限りないじゃないか。
だって、あんなにも粘着質だった人が、だよ? 今度はどんな罠なのかと、勘繰りたくなっても仕方ないでしょうよ?
いい加減そろそろ、何を言うのも諦めてくれた、っていうところなのかもしれないけれども。――そもそも、私の背後にセルディオさんが見えたところからして、“関わり合いになるのも嫌だ”と言わんばかりの態度、だったもんね。
今回のことも、あの人間離れした神官長の関係者だから、ということで、割り切ろうとでもしてくれているものだろうか。それで、疑いの眼差しを向けてはきつつも、とりあえずのところは静観してみる…ことにでも決めてくれたのか?
そうはいっても、あの彼の粘着質ぶりは、直に食らった私が最もよく知っているところではある。またいつぶり返されるかわかったもんじゃないし、そうそう安心しきってはいられないけど。
でも今は、何やらゼクスが私に優しくしてくれるキャンペーン期間中、らしきことでもあるようだし?
当面さしあたりの平穏は確保できそう、ってことには間違いが無さそうだ。それならホッと息も吐けるってモンか。
やっぱりコチラも、今のうち今のうちっ♪ てことで。
『――めでたく属性がわかったのはいいんだけど……これ、どうしようか?』
『隠しとけ』
…というやりとりの行われた結果、私が作ってしまった例の『女神の息吹』もどきの宝珠は、小さな巾着袋に入れ首から下げて、コッソリ身に付けているようなことになっている。
やはりアレは、普通に出回っている光の宝珠とは、ちょっと…いや、だいぶ? 様子が違うようなのだ。
大きさがアレなのもさることながら、なにせレーザービームまで出せてしまったんだもんね。さしものゼクスも、『あんな魔術は初めて見た』と言っていたくらいだし。
普通の宝珠に出来ることのキャパシティ超えちゃってます、ってーカンジの代物? なんだと思う。多分。
なら、これがあれば、きっとリアル『かめ■め波』とか出せちゃいそうだよね? 剣と組み合わせたら『ライト■ーバー』なんかも作れちゃったりするかも? ――なんてこともチラッと考えては、こっそりわくわくしちゃったりもしてたのだが……そんな妄想は全て、口に出す前に自ら却下することになった。
本来、人間が行使し得る光属性の魔術では出来ないはずのことまで出来てしまうかもしれない、この『女神の息吹』もどきは、それを扱える私の存在ごと、秘しておくに越したことはないと考え直したからだ。
そう考えを改めざるを得ないくらい、だってゼクスから怖い話とか聞いちゃったんだもん……!
『おまえが光属性であるのなら、それを他人に知られない方がいい。ましてや、女神と同様の力まで持っているなら尚更だ』
なにせ、闇属性と並んで最も希少な光属性は、口の悪い彼が言うところの『金のなる木』。
なもんだから、魔力を有する人間であれば、拐かされたりすることも、よくあったりするそうで……、
『――って、拐かされるの!? ななな、なんでっ……!?』
『さっきの俺の説明、聞いてなかったのかよ。光と闇の属性を持つ人間は、圧倒的に少な過ぎんだよ。その中でも魔力を持っている人間なんざ、また更に輪を掛けて少ないうえに、宝珠を作れるほどともなれば、もはや、ほんの一握りでしかない。だから、それほどの人間は、大事にされると共に、特に狙われもするんだよ。なんせ、光と闇の宝珠は、売れば必ず高値がつく、まさに“金の卵”ってヤツだからな。それを作れる人間を攫ってきて自分の手元に置いて宝珠作りに従事させれば、その儲けを一人占めできる。いかにも金に目のくらんだ輩が考えそうなこった』
『うっわー……強制労働コースまっしぐら、ってか……』
『それだけで済めばいいけどな……』
『――て何!? 何なの、その言い方!? まだ他に何かあるっていうの!?』
『いや、別に……』
何その歯切れの悪さ! どんな悪態でもキッパリはっきり言ってくれやがるゼクスらしくない、いよいよ怖ろしいことったらないじゃないの!
『とにかく、そのテの輩にとっちゃ、法の抜け道なんざ幾らでもあるもんだ。国も、対象者の保護は勿論、宝珠のレートまで撥ね上がらないよう、何とか取り締まろうとはしているようだが……それでも、充分に手を回せるほどには、到底まだまだ足りてない。だから攫われたら最後、もう逃げられないと思え。これは脅しでも何でもない、ただの事実だ。それが嫌なら、自分の属性は黙っとくことだな』
思わず何度もこくこく頷いてしまう以外、私に返事の返しようなど無かった。――それくらい、彼の言葉にはドスが効いていて重みがあった。これ絶対ウソなんかじゃないわ。
『でも私、連れ去られたところで、宝珠の作り方なんて知らないんだけどな……』
それでも、自分がそんな対象となるなんてと、まだどこか現実味が感じられないでいる私の、そんな呟きに。
呆れきったような表情でもって、ゼクスが深々とタメ息を吐いてみせた。
『本当にオマエ、何にも知らねえな……』
言いながら彼が、また手元の荷物の中から何かを出す。
『…ほら、コレ持ってみろ』
そうして差し出されたのは、無色透明で、傷一つなく綺麗な……水晶玉?
ちょうどサイズが、宝珠と同じ。――光と闇を除いた、他五つのと。
『ひょっとして、これ、宝珠になる前のやつ……?』
『そう。――とにかく手ェ出せ』
ややイラッとし始めたらしき彼の様子に、思わず手を伸ばし、それを受け取っていた。
と同時、私の手に触れるや、その水晶がじわじわと色を帯びてゆく。
『なっ、なにコレ……!?』
声に出した時には既に、もはや立派な光の宝珠が、そこに出来上がっていた。
『…これで解っただろ?』
驚いて呆然とする私の頭の向こうから、ゼクスの声が降ってくる。
『宝珠には、“作り方”なんてモンは無ェんだよ。水晶のような霊石は、自ら魔力を蓄えようとする性質を持ってるからな。その質が良ければ良いほど、触れた人間から勝手に魔力を吸い上げて、勝手に宝珠を作ってくれる。だから魔力の強い者であればあるほど、わざわざ触れる指に魔力を集中させる手間なんぞ掛ける必要もない、ただ触れるだけで宝珠は出来上がる。――ちなみに言っとくけど、それ別に最高級ランクの水晶じゃねえからな。そこまで悪いもんでもねえけど、どこまでも一般的に出回ってる汎用ランクだぞ。しかも、普通の人間なら、小さいサイズの方の宝珠でも、作れば疲労で丸一日は寝込んでるってーのに……なのにオマエときたら、そっちの大きさの宝珠を作っていながら、まだピンピンしてんだからな。どんだけ大量の魔力とか持ってんだよ。ホントありえねえ』
『――な…なんてこったい……!』
『それを言いたいのはコッチだ、っつーの……』
再び目の前で吐かれたタメ息には、もはや乾いた引き攣り笑いしか返せない。――ホントすごいな、『女神の息吹』って……。
それでもなお、どこか他人事みたいにしか感じられないでいる私は、そこでフと思い当たる。
『…てか、どうしてこの水晶、ゼクスの魔力は吸い取らないの? 私の前に、あなただって触れたのに。あなたこそ、強い魔力とか持っているはずでしょう?』
『いくら最高級の水晶だとしても、直に触れられなきゃ魔力は奪えない』
それを返したゼクスの手には、しっかり手袋が着けられていた。――なるほど。
『じゃあ、私も普段から手袋してれば、うっかり水晶とかそういうものに触れてしまってもバレたりしないよね!』
『どうだろうな……やめといた方がいいと思うが』
『どうして?』
『俺みたいに、常に帯剣してる傭兵なんかであれば、手袋をしていても何ら不思議なことは無いだろうが……こんな寒くも何とも無い陽気の中で、別に必要も無い人間が手袋なんざしてても、ただ怪しいだけじゃねーか。そこに何かあるから勘繰ってくれ、って、わざわざ言ってるようなもんだ』
『ああ、そうか……一度でも怪しんだらトコトンまでも食らい付いて放さない、ゼクスみたいに物騒な粘着質とかが多そうだもんね、この世界……』
誰が物騒で粘着質だ! と、途端にがなり立てた彼のことは、とりあえず黙殺しておく。
『なら、手袋とかはしない方向で、よくわからないものにはあまりあちこち触れないようにして、何とかバレないように口を噤んでいるしか、もう他に道は無いのかー……』
したら困ったなぁ…と、そこで私もタメ息を吐く。
『私が光属性を持ってることと、宝珠を作れる魔力も持ってること、それを話しちゃいけないのなら……あれ、どうしよう?』
思わず泣きそうな顔になってゼクスの方を向いた、私の差す指の先には。
件のレーザービームで丸い穴の開いてしまった窓ガラス。
『先生に、何て言って説明したらいい……?』
『ああ、それもあったっけか……』
つられたように、ゼクスも深々とタメ息ひとつ。
『いっそ先生だけには、正直に話して謝るべきかな……?』
『いや、やめておけ。あのオッサンなら信用は出来るが、ここは病院だからな、不特定な人間の出入りもあるし、どこからどう話が漏れないとも限らない』
『そっか……なら、いっそ全ガラス割って誤魔化す!?』
『待て待て待て待て! おまえ、その手段は幾ら何でも乱暴すぎるっ! つか、じゃあガラス割った言い訳は一体どうするつもりだ!』
『えーと……ゼクスの所為にする!』
『おいテメエふざけんなよコラ……!』
『じょ、冗談デスよ……!』
でもホント冗談ではなく、ゼクスと先生の誼があればガラス割ってしまっても許してはもらえないものかと、仲良しさんのゼクスから頼んでもらえれば何とかなるんじゃないかと、そう平に頼んではみたのだが。
しかし、『あのオッサンに頭を下げんのだけは絶対にイヤだ!』のヒトコトで、あっさりと一蹴された。――なんだよ、この俺様ヤロウめー……!
とはいっても、よくよく聞いてみれば、どうやらガラスは、まだまだ庶民には高価な代物らしいしね、こちらでは。なにせガラスは、水晶の代用品として宝珠にまでもなり得るというのだから。傷や気泡や内包物の類が何一つない無色透明のガラス玉でならば、水晶に比べると蓄えられる魔力の質も量も落ちるとはいえ、それでも充分に代用も可能なのだそうな。そんな需要があるなら、ガラスの存在価値が高いのも頷ける。普及してるわりには高価にもなろうってもんよね。
であれば、たとえ先生が快く許してくれたとしても、そこまでのものを破損させておいて口頭で謝って済ませるだけ、というワケには、やはりいかないだろうし。割った分を弁償することにでもなれば、それこそお財布に大打撃だろうし。私にしたって、それほどの持ち合わせなんてあるワケも無し。
そうまでして無理を聞いてください、とは、たとえ親しい仲のゼクス相手であっても、やっぱ言えないかー。
『じゃあ、もう、どうしろっていうのよーう……?』
『仕方ねーなァ……』
ほぼ泣き出す寸前のような私の情けないカオを目の当たりにし、相当に見かねてくれちゃったものか。
まさに腹を括った、とばかりの様相でもって、ハッと大きく短く、彼が息を吐き出した。
『とにかく、コレ直しゃいーんだろ』
『「直す」って、どうやって……』
『つか、ホントこれやんの嫌なんだよな。えっらい魔力は食うし、面倒くさいし、疲れるし、おまけに補助になるもんが何も無ェとかマジありえねえし……』
ぶちぶち呟きながら、それでも椅子から立ち上がると、迷いも無くゼクスは窓の前へと歩いてゆく。
『何するの……?』
『オマエ、ちょっと黙ってろ。気が散るから』
いつになく真剣そうなその様子に、思わず私も口を噤んだ。そのまま、窓ガラスの前に立った彼の横顔を、息を飲んで見守る。知らず知らずのうちに拳が握られていて、手がじっとりと汗ばんできた。
ゼクスが、穴の開いた部分のガラスに掌を当てて、目を閉じると、何か口の中でもごもご小さく呟いている。――いや、唱えている? なんだろう、呪文とか? そんなふうな感じにも見えないけれど。
でも、彼が本気で集中しているのは確からしい。にわかに額から汗の粒が浮かび、頬を伝って滴り落ちる。目を閉じているゼクスは、そんなことに気付いてさえいない様子。
そうやって、どれくらい時間が過ぎただろう―――。
実際には、そんなに長い時間ではなかったのだろうとは思う。せいぜい、五分かそこらくらい? さすがに十分までは経っていないだろうが。
でも、なんか途方も無く長く感じた。
ようやく、彼が目を開けてほっと息を吐いた時は、自然と私の口からも安堵の息が洩れていた。
ゼクスが手を離すと、そこには傷一つ無い、元の通りの窓ガラスが在った。
後から教えてもらって知ったことだけど……これが、いわゆる“再生魔術”というものだったそうな。
あのセルディオさんをして『扱える者は、魔術師の中でも一握り』と言わしめた、それ。
『既に失われたものを元の状態に復元するということは、簡単な治癒術の比ではない、複雑かつ大掛かりな術であることを憶えておいてください』
ゼクスの様子からしても、相当に難しく厄介な術だったことが、ホントもう手に取るように判った。
これが、まだ普通に割れたガラスの破片を繋ぎ合わせるだけだったのなら、これほどではなかったのだろうが。
私のあのレーザービームで、なんせガラスが融けてしまったワケですもんね。欠片すら無く欠損してしまった部分を元通りにするのであれば、そりゃ再生術を使うしか他に無かっただろう。
そうとは知らない私は、息を吐くやガックリとその場にヘタり込んでしまったゼクスの姿にビックリして、思わず座っていたベッドを降りて彼の傍へと駆け寄っていた。
『ちょっと、やだ、大丈夫……!?』
『――水……』
チラリともこちらを見ようとしないまま発された、その言葉に弾かれたように立ち上がった私は、近くに置いてあった水差しからコップになみなみと水を注ぐと、急いで彼に手渡す。
それを無言で受け取って一気にごくごくと飲み干すと、ようやくゼクスは大きく深い息を吐いた。
『あー……久々で補助ナシは、やっぱキツー……』
『ご、ごめんねごめんね、ホントごめんなさいっ……!』
まさか、こんなに疲れ果てさせてしまうことだったとはと、びっくりしたあまりに謝ってはおろおろするしか出来ない。
そんな私を呆れたように眺めてゼクスは、それでも『おまえが謝ることじゃない』と、呟くように言ってくれる。
『いっぺんに大量の魔力を使っちまった所為で、ちっとばかり疲れただけだ。時間が経ちゃ元に戻るし、別に何てこともねえから落ち付けよ』
『でも、そんなに疲れちゃうなんて……あ、先生呼んでこようか?』
『馬鹿かテメエ。それこそ何て説明する気だ』
『ううー……でも、だってー……』
『いいから、オマエは黙って大人しくしてろ』
『ホントごめんー……そもそも私が仕出かしちゃったことなのに、何も出来なくて、手伝えなくて、ホントにホントにゴメンナサイー……!』
『だから、いいから、そんなもん気に……』
おそらくは『そんなもん気にすんな』とでも言いかけただろう彼の言葉が、そこで不意に、不自然に途切れた。
『――ああ、そうか……』
そして発されたのは、今ここで初めて気が付きました、とばかりの響きを持った、そんな呟き。
思わず『なに?』と返していた私の頬に、唐突に彼の指が触れる。
『どうしたの、ゼクス……?』
そのまま首から肩へと手が回されるや、突然、身体ごと彼の胸のあたりへと引き寄せられる。
『ちょっと何して……!?』
『そういや、おまえに手伝ってもらえること、あったわ』
ふいに降ってきたその言葉に、思わず自分の身体を引き離そうと抵抗しかけていた私の手が止まってしまった。
『…さっき言っただろ? 光属性を持つ人間は狙われ易い、って』
引き寄せた私を、まるで自分が凭れかかるための支えにするかのようにして抱きしめてきたゼクスは、そんなことを耳元で話し始める。
『光属性を持った人間は、宝珠を生む金のなる木――てこと以外にも、狙われる理由があるって、知ってるか?』
『え……?』
どういうことかと顔を上げた私に気配で気付いたのか、少し身体を離すと、ゼクスも私を覗き込むように見下ろしてきた。
その口許には、にたーっとした笑みが浮かんでいる。――うわ、なんかすっごく嫌~な予感?
『あの、ゼクス……?』
逃げようとした私を、言いかけた言葉ごと押し止めようとするかのように、引き寄せてくる手に力が籠もる。
『万能薬、って言われてるからだよ』
『な、なにが……?』
『光属性を持つ人間の、体液が』
『は……?』
ぽかんと口を開けた瞬間、そこに突然ゼクスの唇が重ねられた。
――って、ちょっと何コレっ……!?
驚く暇もなく、開いた唇の隙間から舌が差し入れられ、口の中を思うように蹂躙される。
思わずビクッと大きく身体が震え、咄嗟に両手の拳を握って彼の胸をがしがし叩いて抵抗もしていたのだが……しかし、すぐにそれも出来なくなった。
だって、こんな無理矢理されちゃってることなのに、なぜかホント気持ちよくなっちゃったんだもん。
絡め取られた舌から伝わる感触が刺激になって、思考までも奪われてしまうみたいで、もう何も考えられない。抵抗もできない。
――だから、何でなの……? 私って、そんなにキスに弱いの……? それとも、たまたまコイツがキス上手いだけ……?
あの満月の晩、この世界に来て初めて出会ったあの酔っ払い男に、初めてのキスを奪われた時と、まったく同じ。自分でも情けなくなるくらい、もう気持ちごと、思考もろとも、身体がでろでろに蕩けてる。
だから、やはり唐突に唇が離された時は、知らず知らず、ふにゃぁんという何とも蕩けきった呻きが自分の口から洩れてきて、我ながらビックリした。
――どうしよう……やめて欲しくない、なんて考えちゃってるよ私……。
しかし、それもゼクスの放った次の言葉で、一気に覚醒させられた。
『――さすが、唾液でコレか。すっげえ効き目』
『ふぇ……?』
『魔力回復、疲労回復、体力回復、治癒力促進――光属性の人間の体液を摂取すると、そういう効能が見込まれる、ってんで、それ目的で攫われることも多いんだぜ。そうはいっても、そんな効能なんて普通なら、ちょっとした足しにはなるか? っていう程度でしかなくて、そこまで劇的な効果なんかは見込めないモンなんだけどな。とはいえ、そんなもんでも滅多にお目にかかれない希少な珍品であることには違いないし、欲しがる好色な金持ちジジイなんざ腐るほどいるんだよ』
だから、おまえは特に気を付けるべきだな、と。
にやりとした笑いを引っ込めることなく、ゼクスが言いながら、まだどこか呆然としてる私の身体を不意に抱き上げるや立ち上がった。――さっきまでヘタり込んで立てなかったくらい疲労困憊だったクセに、なんだそれ。
そのまま私をベッドの上に運ぶと、そこに自分も手を付いて身を屈め、また近いところからこちらを覗き込んでくる。
『おかげさまで、元どおり魔力も回復したし、疲れもすっかり吹っ飛んだわ。ホント、とことんオマエって奴は規格外このうえないな。これは、欲しがるのは変態ジジイどころじゃねえわ。魔術師なら誰だって飛び付きそうだ。攫われて売られたくなけりゃ、バレねえようにイイコにしてろよ?』
『まさかとは思うけど……あなた、私のこと売り飛ばす気じゃないでしょうね……?』
『まさか。こちとら信用第一だからな、依頼人を裏切る真似なんざ、わざわざしねーよ。――ただ、せっかくだから利用はさせてもらおうかなー、くらいのことなら、考えてるけど』
『利用、って……』
『おまえの授業料、一回につきキス一回、でどうよ?』
『はい……!?』
『俺、神殿から“リーエを護衛して案内してやるように”っていう依頼は請けたけど、“リーエに魔術を教えてやるように”っていう依頼までは、請けてねーし。やっぱ、そこは別料金、貰っとかねーと』
『いや、だからって、それが何でキス……!!』
『ふうん……じゃあオマエ、俺に払える金、あんの?』
『うっ、それは……!!』
『じゃあ決まりだな。――別にいいだろ、減るモンでもなし』
『わかった……わかったわよ、それでいいわよ……!』
何やら自分の中の色々なものが勢いよくぐいぐいと減っていきそうではあるんだけど……いいよもう、そのくらい目を瞑るよ! キスすんのも気持ちよかったしねっ! もう泣いてもいいかなコンチクショウめ!
もはや、ここまでの秘密を共有してしまった以上、ゼクス以外の人から魔術を教わる、という方法なんて絶対に取れないし。
でも、ここまで知ってしまった以上は、とりあえず魔術の基礎くらいは学んでおかないと自分の身も危うい。だから、彼から魔術を学ばない、という手段は、出来ることならば取りたくない。
そうなると、もはや私には、彼の言い分を飲む以外、方法なんて無いじゃないか……!
『――でも、その前に……』
呻くように言いながら私は、おもむろに片手を伸ばすと、ゼクスの襟元の布地を、力を籠めてグッと掴む。
『おい……?』
軽く目を瞠って何か言いかけた彼を遮るように、見下ろす視線を受け止めて、やおらニーッコリと微笑んでみせた。
そうしながら、掴んだ布地を自分の方へと乱暴に引っ張り寄せる。
『歯ァ、食い縛りやがりあそばせ?』
『は……? ――って、オイちょっと待てオマエ何っ……!』
『とにかく一発、殴らせろコノヤロウっっ!!』
「――おい、リーエ」
そんな声と共に、裏庭まで呼びに来てくれたらしいゼクスの姿が、視界に映った。
彼は、私の居る木陰まで真っ直ぐに歩いてくると、そこでフと、訝しそうに足を止める。
「リーエ……?」
彼の目の前には、木陰に座って彼を見上げる私の姿が、映っているハズ。
何かおかしい、という表情をしながら、ようやく座る私の目の前に歩み寄ってきた彼が、そちらへと向けて手を差し伸べた。
途端、座った私の姿が掻き消える。
「なっ……!?」
その瞬間、ゼクスの足元から地面が盛り上がってくるや、彼の四方を取り囲む檻となった。
すかさず頭の上から降ってきたのは、盥を引っくり返したかのような大量の水。
「いっえーい! ゼクス捕獲、だーいせーいこーうっ!」
視線を上げた、まさに濡れネズミのようになった彼が見上げた先には、太い樹の枝に座って彼を見下ろしながらウヒャウヒャ笑っているハイテンションな私の姿。
「――これは一体なんの真似だ、リーエ……」
「いやーん、ちょっとしたイタズラじゃなーい、怒っちゃヤー」
彼の手が届かない場所に居るのをいいことに言いたい放題な私に、あからさまにゼクスが、ただでさえムッとしていた表情を更にしかめたのが、そこでハッキリと見てとれた。
これ以上彼を怒らせても面倒だと、そこらへんで私も止まっておく。
「…ていうのは冗談で。しこしこ一人で真面目ーに練習した成果を、ゼヒ見てもらいたいと思ってー?」
「昨日は俺を殴り飛ばしておいて、今日はコレか……嫌がらせもホドホドにしとけよ」
「ヤダわ、嫌がらせだなんて人聞きの悪い」
――いや、正真正銘の嫌がらせですけどね。
当たり前だろうよ。こちらの了承も得ず勝手にヲトメのキッスを奪っておきながら、なのに平然としてるとか、殴られないと思う方が間違ってる。
それに加えて、こっちも許可しちゃったとはいえ、そう諾々と言いなりになってばかりじゃー鬱憤だって溜まるし、それこそストレスだって溜まろうっていうもんじゃない。ほんのちょっとしたウサ晴らしくらいしても、罰なんて当たらないわよねっ。――ていう本音までは、言わないでおくけれども。
とりあえず、まんまと嫌がらせは大成功してくれたことだし、ちょっとばかし溜飲を下げられたことでもあるし、ここは彼の機嫌を取ってやるかと、「ちゃんと乾かしてあげるから許して」と、彼に向かって手を差し伸べた。
ゆるゆると彼を取り囲む土の檻が崩れて元の通り足元の大地と同化してゆき、彼の全身から滴り落ちる水滴が徐々に消え失せていくと共に、そのはしからぱりぱりと乾いていく。
「どうよ、私の練習の成果は」
言うや否や、ひょいっと座っていた枝から飛び降りた。
「おい、危ないっ……!」
咄嗟に差し出された彼の手が、届く寸前、ふわりと私の身体が空に浮く。
「空まで飛べちゃうなんて、便利よね風の魔術って」
遠慮なく、差し出されていたゼクスの腕を借りる――というか、腕を伝って勢い込んで飛び付き彼の身体に抱き付くと、そうしてようやく、地面へと足を付けた。
驚いたように目を瞠る彼を見上げて、満面笑顔で私は告げる。
「いやー、魔術って、本ッ当ーに楽しいものですねっっ!!」
――そうなのだ。
魔術の練習をし始めた、このほんのちょっとの数時間で、私はすっかり、その魅力のトリコになってしまったのである。
宝珠の力を借りているとはいえ、自分の思うがままに火やら水やら風やら土やらを操れるなんて、面白いうえに、すごく気分もいいじゃない。ちょっとした神様気分なんてものが味わえちゃう。
しかも、やり始めればわかってくるけど、ホントこれってば奥が深いのよ。
属性一つ一つが扱えるようになると、今度は、これを組み合わせたら何が出来るかと、色々な可能性が見えてくる。考えるだけで楽しくなってしまって、思索を始めてしまったら最後、どうしても試してみずにはいられなくなり、もう後は、あーでもないこーでもないという試行錯誤にハマり込んでは、夢中になる一方となった。
始めたのは朝食の後からだから、もう軽く数時間は経っているはずなのに、ホントあっという間だ。
考え付いた大方のことが形に出来るようになってくると、そろそろ昼食の時間だなーと気付き、じゃあゼクスが呼びに来るだろうからその時に何か仕掛けてやろう、っていうイタズラ心まで湧いてきて。
それで私は樹の上に隠れたのだ。
それまで座っていた樹の根元には、彼をおびき寄せる囮を置いた。
蜃気楼を発生させて、私の姿を樹の根元に映したのだ。――これは、炎と水と風の魔術を組み合わせ、あれこれ試してたら、上手くいった。
それから後は、ご存知の通り。
囮の私に引き寄せられてきたゼクスを自分の射程範囲内に確認したと同時、地の魔術を発動させ彼を囲む檻を出現させると、水の魔術で出現させた大量の水をブッかけた。――とまあ、そういう次第。
「ホント魔術って深いね! この自然属性四つさえあれば、自然現象ほぼ何でもが出来ちゃうよね! さっき試したら、雷も出せたんだよ!」
「――なんだって……?」
「あ、なんなら見てみる? まだ実験段階で、そういつも上手いこといかないんだけど……」
そうしてゼクスから離れると、私は再び地の魔術を発動させ、土で作った箱を出現させると、それを中が見えるよう透明なガラスへと変質させた。まさに、ちょっとした水槽だ。その中を、炎、風、水、地、四属性の魔術で満たす。
「高い湿度があるうえで、あたためられた地面から上昇気流が発生することによって、まずは雷雲ができるワケでしょ」
区切られた箱の中、満たした魔術を操ってゆくうちに、小さいながらももくもくと積乱雲が出来上がってゆく。
「地表付近は熱いのに、上空に行けばいくほど低温になっていくから、雲は冷やされて氷の粒になり、それらがぶつかりあって静電気が発生し、溜まりに溜まって放電される。――それが雷発生のメカニズム」
私の手によって徐々に発生条件の整えられてゆく箱の中で、やおらピカッと雷光がきらめいたと同時、ドーンゴロゴロゴロ…という、おなじみの雷鳴が轟いてきた。
「…よし、今度は上手くいった!」
出来はしたけど、とはいえ気象のエキスパートでもない私じゃーこれが精一杯。この方法の場合、強弱の調整も効かないし、制御もできないし、なにより発生させるまでに時間が掛かり過ぎる。やはり雷の宝珠が無いと、武器に出来るほど自在に雷を操ることまでは出来そうにもないかな―――。
そうノリノリで流れるように実験結果の考察を語る私の肩を、ふいに掴んだゼクスが、おもむろに「リーエ」と、疲れた声で私を呼んだ。
「おまえ……それ、自力で出来るようになったのか……? この、たった何時間かのうちに……?」
「当たり前じゃない。ゼクスが居ないのに、他の誰に教えを請えるワケも無いでしょう。それに、『色々やって試してみればいい』って言ったのは、あなたの方じゃない。だから自分で色々と試してみたのよ」
「試せ、って言ったのは、そういう意味じゃなかったんだが……」
そこで大きなタメ息ひとつ。
「どうせ、また知らないでやったことなんだろうが……」
「つか、何の話……?」
「俺が教えたのは、自然属性の初級魔術。――だが、おまえがやってるのは、上級魔術」
「はい……!?」
「一つ一つの魔術は初級程度の威力でも、二つ以上の属性を同時に扱えれば中級魔術にもなるし、組み合わせて使うことまでも出来れば、上級魔術にだってなる。複数属性を行使するってことは、それだけ難易度も上がるモンなんだよ。――それを、この短時間でアッサリやってのけちまいやがって……」
「え、えっと、あの、それは……」
「ちなみに、おまえが今言ってた、雷発生のメカニズム? とか? ――そんなもん、誰も知ってる人間、いねーから」
「え!? なんで!? これ一般常識じゃないの!?」
「おまえの持ってる一般常識の方こそ、ワケわからんわ!!」
「なら、蜃気楼発生のメカニズムとかも……?」
「知るか、そんなもの!」
――そうだった……この世界、近現代文明の利器が、何一つとして、無かったんだったよ……!
どうやら、自然現象のすべてが、こちらでは“女神の御業”のヒトコトで片が付いてしまうらしい。――そりゃ、魔術なんてもんがアタリマエに存在してる世界、なんだもんね。これが当然か。
あいたたた…と、思わず頭を抱えると共に深々とタメ息が洩れる。
「なんで私、そんなこと知ってるんだろうね……」
喚ばれたと同時に、こっちの文明に合わせた知識だけを残して、他は失くしてしまってた方が都合よかったんじゃないだろうか……いっそ本当に記憶を失っていたら、こんな面倒は無かったのに。女神もイジワルだな、そういうところ。
「とにかくリーエ、おまえは俺の見てないところで魔術の練習すんの禁止な」
「わかりましたー……」
そう言うしかないだろう。さすがにコレは、自覚がある分だけ、私が悪い。――夢中になるってヤバイな。ホント周りが見えなくなるうえに、要らんことまでペロッと言っちゃうし、しかも、やっちゃうし。
この世界の魔術は、色々と私の鬼門だわ。危ない危ない。
「そろそろ戻るぞ。昼メシにしよう」
「うん、わかった」
ぶっちゃけ、まだあまり食欲は無いのだけれど。――というのも先生曰く、『魔術酔いの後は誰でも胃腸が弱るもんだ』ってことだから。それで私も例に洩れず、目を覚ました昨日から、ほとんどマトモな食事が摂れていなかった。だからこそ言い渡された『様子見』の入院、だったワケでもあるんだけどね。
食欲は湧かないとはいえ、いい加減ちゃんと食べておかないと、またブッ倒れた挙句に理由が栄養失調だったりしたら、もはやシャレにもならないじゃないか。
この世界には、点滴、なんていう便利なものは無いのだから。当然、自力で食べなければ栄養は摂れない。
ゼクスも、私の身体の具合については彼なりに責任を感じてくれちゃってるみたいだし、無駄に心配させ続けてしまうのも申し訳ないもんね。少しくらいは元気になったとこ見せておかなきゃ。
まずは食べよう。せっかく先生の奥様が、わざわざ消化の良さげなゴハンとか作ってくれてることだし、そうそう毎回無駄にしちゃイカンよね。
「よーし、食べるぞー。お昼のメニューは何かしらー」
そうして歩き出した私の腕が、ふいに掴まれ、引き止められる。
「あと、もう一つ―――」
驚いて、擦れ違いざまのゼクスを振り返り、見上げると。
いつになく真面目な「もしや忘れてんじゃねーだろうな?」という声と共に、呆れたような表情が、高い位置から私を見下ろしてくる。
「ここに来た目的。――おまえの持ってたリストにあった、このガッジに住んでる男のことだけど……」
「え……?」
――やっべ、魔術に夢中になってた所為で、そもそもの目的を忘れるところだったし……!
「ひょっとして、その人のこと何か分かったとか?」
「あのオッサン顔だけは広いからな、そいつのことも何か知ってるかもしれないと、とりあえず尋ねてみたんだが……」
「え!? なに!? まさか先生の知り合いとか言っちゃう!?」
「知り合い、というか……相手は、魔薬専門の薬師だそうだ。この病院にも出入りしてる取引先相手…のようなモン? らしいぞ。なもんで、今日か明日あたり注文した薬を届けにくるんじゃないか、って言ってたが……おまえ、どうする?」