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それが判明してからのセルディオさんの行動は早かった。
まず私から、昨晩の酔っ払い――ひょっとしたら王かもしれない可能性が高い――男の特徴を聞き出すと、それを近くに控えていた部下に伝え、すぐさま街中の宿屋を回って該当する者がいないかしらみつぶしに探すよう、手配したのだ。
金髪で、二十代くらいの若い男。――これくらいしか、私の憶えていることなんて無かったワケですが。
だって仕方ないじゃない。ぶっちゃけ夜の暗がりの中では、色だってよく判別できないのだ。あの明るい金髪なら暗がりでも目立つし、朝の日差しの中でも見たから間違いはないけれど。しかし薄い目の色とかしてたら、それが青だか緑だかもわからない。そいつの服装にしたって、通りすがりに見かけた通行人と同じような格好、くらいのことしか、ここに来て間もない私には特徴が掴めない。背丈や体格にしても、そりゃ女である自分よりもガタイが良かったのは確かだけど、暗かったうえに屈まれたりしゃがまれたり何だりされては真っ直ぐに立って向かい合うこともしていなかったのだから、ひょっとしたら大柄な方だったんじゃない? 程度のボンヤリとした認識しかない。まあ、ああも軽々と女一人を抱え上げてしまうほどなのだから、間違いなく小柄ではないだろうが。
「…それでも、まあ手がかりにはなるでしょう」
少し疲れたようにセルディオさんが言って、軽くタメ息を吐いた。
タメ息吐きたいのはコッチだよ! と、もはや必要以上にドップリ疲れ果てた私は、心の中だけでそれを呟く。――だって、その男の特徴どころか……昨晩に起こったあれやこれやを根掘り葉掘りほじくり返されて、上手いこと誘導されるがまま、うっかり要らんことまで話し過ぎてしまったような気がしないでもないのだから。
ホントこの人、王のこととなると必死だよね。必死すぎるよね。
そりゃ、この世界の命運がかかっていると思えば、気持ちはわからないでもないものの……とはいえ、まだうら若い女の恥じらいってものを、もっと汲んでやってくれてもバチは当たらないと思うのよ。ホント心の底からそう思うのよ。
「もともと金髪を持つ者は、そう多くありませんしね。年の頃は二十代、かつ、瞳の色も薄い、ということまでわかれば、絞り込むのも容易いかもしれません」
そして彼は、控えていた部下の人に合図をし、何か書類らしき紙の束を受け取ると、そのまま私へと差し出した。
「リエコ様の手助けになればと、事前に戸籍関係を当たりまして、金髪である者の名と所在その他を調べております。もし今回の捜索で見つからなかった場合は、こちらを順に当たっていけばよろしいでしょう」
紙束を受け取ってぱらぱらとめくってみる。――つか、あのビー玉スゴイな、言葉が理解できるようになるだけじゃなく、文字まで読めるようになっちゃうのか。
「戸籍に髪の色とかまで載せるものなんですか、この世界は?」
「それだけ金髪は特別なのですよ。女神の御加護を受けている、つまりは、もしかしたら次の王となるべきやもしれない者、でもあるのですから、それを国が把握していないわけにはいきますまい。ですから金髪の者に関しては特別に、通常の戸籍とは別の、詳細な情報を記した登記を作成しているのです」
「ああ、そういうことなんだ……」
じゃあ、これが、この国の戸籍に登録された、金髪を持った人全員のリストになるのね。
書かれている人の名前は、それでも決して多くはなかった。トータル、だいたい三~四十人くらいだろうか。
セルディオさんの言った通り、そこには名前と住所をはじめ、他、出身家や両親の情報や来歴、身体的特徴に至るまで、細かく書き連ねられている。――どうりで、そう人数もいないのに紙束になるワケだわ。
「そこに書かれている男性のうち、黒や茶といった濃い色の瞳を持つ者と、二十代以外――少し幅をみて、十歳以下かつ四十歳以上の年齢の者は、除外しましょう。そうなると、残りは三分の一以下の人数になりそうですね」
「本当に……金髪の人って少ないんですね……」
「厳密に云うと、金色の髪を持つだけの者でしたら、それほど少なくはないのですが……わたくしどもが“金髪”と認め戸籍に記すには、生まれながらに有している一定量以上の魔力値が認められること、それが絶対条件なのですよ。つまり、それこそが女神の御加護を受け王となるための必要条件でもあるのです」
「ということは、戸籍に載ってる金髪さんは、みんな魔術師とかいう……?」
「一概にそうとは言えませんね。先天的に魔力を授かった者の全てが魔術に携わる職を選ぶとは限りませんから。ただし、それを生かす職を選ぶ確率は、極めて高いとは云えるでしょう」
「魔力って、この世界では皆が皆、当然のように持っているものなんですか?」
「ごく一部です。魔力を有していない人間の方が、やはり圧倒的に多いですよ。だからこそ、金髪と共に魔力を有する者は、貴重なのです」
「なるほどー……」
相槌を返しながら、私の手が、捲っていた紙束を元の通りに閉じる。
そして、おもむろに大きくタメ息が洩れた。
「セルディオさぁん……」
目の前の彼を呼ぶその声は、我ながら情けない声だなと思う。
「どうしても……どぉーっしても! あの男じゃないとダメなんですかー……?」
「ダメでしょうね」
聞くや、再び私の口から盛大なタメ息が洩れる。深々と。
――このやりとりも、もう何度、繰り返してきたことだろう……。
「これも何度も申し上げておりますが……」
諦めきれずに何度も何度も問いかけてしまう、そんな私にセルディオさんが返す返答も、毎回同じだ。
「女神の御計らいにより、王となるべき者と選定者は、互いに強く惹かれ合うようになっております。もとより、世界の隔てを越えてまで巡り逢う運命の二人であれば、惹かれ合わないはずもありますまい。――昨晩のことは、リエコ様にとっては突然の災難であったかもしれませんが……お話をうかがった限りでも、その相手がリエコ様に強く惹かれたがゆえに、ことに及んだことは間違いありませんでしょう?」
「だからって、そんな一方的な……」
「ですがリエコ様にしても、抵抗らしい抵抗も出来なかったことに違いはないのでございましょう? 別段、拘束され強要されたものではなかった、ということでしたよね? なおかつ、『気持ちよかった』とまで、仰っておられたではございませんか」
「う……それは、そうですけど……」
「それこそが、女神の御計らいによる証、なのではございませんか?」
毎回、ここで私は言葉に詰まり、セルディオさんも、それみたことかとばかりの表情になって……この話は、一旦ここで終わる。――また私が蒸し返さない限りは。
しかし、今回ばかりは、それで終わらなかった。
もう何度目になるかもわからない盛大なタメ息を再び吐き出した、そんな私の様子を相当に見かねたのだろうか。
「――もしリエコ様が、どうしても、その者を想うことが出来なかったとしたら……」
まさに渋々といった感じだったものの、セルディオさんが、そこで話を終わらせずに、先を続けてくれたのだ。
「その者を探し出して、実際に再び相見えてなお、それでもリエコ様の心が動かされなかったとしたら……仕方ありません、その時は、我々も諦めましょう」
「え……?」
聞いた途端、ゲンキンにも一瞬にして自分の表情がパッと晴れたのがわかる。
「諦めてくれる、ってことは……じゃあ私、昨晩の強姦魔と恋愛しなくてもいい、っていうことですよねっ!」
「ええ、その通りです。――しかし……」
そう重々しく勿体ぶって末尾に付け加えられた、その言葉の先を、無理矢理にも神妙な顔を作って待ち受ける。
「その時は、リエコ様は選定者としての資格を失うことになります」
「願ったり叶ったりです!」
思わず心の声もダダ漏れに全開笑顔で即答した私の姿が、思いのほかショックだったらしいセルディオさんが、そこで一瞬、絶句した。
その隙を逃すもんかとばかりに、すかさずたたみかける。
「選定者の資格喪失って、具体的にどうすればいいんですか? 処女を捧げた相手を愛せないと分かった時点で、自動的に剥奪されるもの?」
「い…いえ、それは……」
明らかに生き生きとした生気を取り戻してきた私に面食らったような様子ではあったものの、何とか絶句状態から復活してくれたセルディオさんが、その疑問に答えてくれる。
「リエコ様に捧げた『女神の息吹』を、お返しいただくことで成立いたします」
「なに、それ……? 『女神の息吹』……?」
「まだ意思疎通の適わなかった際、わたくしが無理矢理リエコ様に飲み込ませたものがございましたでしょう? あれが、『女神の息吹』です」
「ああ、あの、ビー玉型ホンヤク■ンニャクか」
「は……? 『ホンニャ』……?」
「あ、いいです、こっちの話です。――続きをどうぞ」
「はい……その『女神の息吹』はですね、異なる世界より招かれた選定者に与えられるべき、いわば女神の御加護です。まさにリエコ様がそうであるように、あの宝珠を体内に受け入れ、かつ、宝珠の持つ力を望む通りに発揮できる、それこそが選定者である証となります」
「こうやって言葉が通じるようになったのも、文字が読めるようになったのも、その取り込んだ『女神の息吹』とやらの力を私が使っているから、…ということですか?」
「その通りです。もし選定者でない者がそれを体内に取り入れようとしても、そもそも飲み込むことすら出来ませんし、到底その力を引き出すことなども叶いません」
「へえ……すごいんだねえ、あのビー玉……」
「は……? あの、『ビーダマ』とは一体……?」
「いえ、こちらの話です。――どうぞ先を続けてください」
「あ、はい……その『女神の息吹』は、選定者を選定者たらしめるもの、と言っても過言ではございません。今回、リエコ様が処女を捧げた者を愛せず、選定者としての資格を返上する、という事態になるならば、わたくしどもは、この世界のために、また新たに選定者となり得る乙女を異界よりお招きしなければなりません。いまリエコ様が体内に宿していらっしゃる『女神の息吹』は、次に招かれるべき選定者に与えられるものですから……」
「あ、なんだ、これ使い切りタイプの加護じゃないのね。使い回しなんだ」
「『使い回し』と云う言い方はどうかと……とはいえ、まあ、そういうことではありますね。今リエコ様の宿しているそれも、歴代の選定者たる乙女たちが、王と共にその資格を失うまで、その身の内に宿してきたものですよ」
「なるほどね……だから選定者を返上するに当たっては、新たな選定者を迎えるために、これを返さなければいけないのか」
「ええ、そうです。ですから、それをお返しいただくことで、リエコ様は選定者としての資格を失い、また同時に、これまで与っていた女神の御加護による恩恵をも、失うことになります」
「そうか……じゃあ、また言葉も文字も分からない、っていう真っサラな状態に逆戻りなワケね……」
それは不便だなあ…と、少しだけ思ったものの。
次の瞬間には、「ま、大丈夫よね」と、ケロッとした表情をセルディオさんに向けていた。
「どのみち、選定者じゃなくなったら、元の世界に帰してくれるんでしょう?」
「――は……?」
それを聞いた瞬間、セルディオさんの瞳が瞠られる。まさに、意外すぎることを耳にしたぞ、ってな風に。
思わず、自分の眉が寄るのがわかる。
「なに、その反応……まさか、喚んだクセに帰せないとか言うワケ……?」
「あ、いや、その……」
慌てて応えるセルディオさんの言葉が、思いっきり歯切れが悪い。まるで、言うべき言葉を探しあぐねているみたいにも見える。
その姿に、何となくだけど、言い様の無いほどの不安を感じた。
「なら私、もう日本に帰ることも出来ないの……?」
それにはさすがにムッとする。――だって、そっちの都合で勝手に人を喚び付けたクセに、帰せないって、それはないんじゃないの……?
「元いらした世界へお帰しする送還術は……あることは、ございますが……」
「なんだ、あるんじゃん」
なら、それ使ってとっとと送り返してくれればいいだけの話じゃない、と。
向けた表情でそれを語った私を見つめ返して、ふーっと深く、そこでセルディオさんが息を吐く。
そして、やや躊躇いがちに、そんな言葉をくれたのだった。
「しかし、そちらの世界には、リエコ様の居場所は、もうございませんでしょう?」
「――はい……?」
言われた言葉は理解できた。
だが、言われた言葉の意味がわからない。――アンタが元の世界の私の何を知ってるんだっつーのっっ……!
思わず苛々っとして、どういう意味かと訊き返そうとした。
向ける自分の表情が険しくなってきているのが、見えなくてもわかる。
だがセルディオさんは、それに全く怯むこともなく、むしろ不思議そうにさえも聞こえる口調で、淡々とそれを言ったのだった。
「リエコ様はもう、そちらの世界で死を迎えていらっしゃるはずでは?」
「――え……?」
ひとこと呻いたまま絶句した。
思わず耳を疑った。
――なんだ、それ……? 私、いつの間に、死んだの……?
絶句する私の様子を見て、驚いたように目を瞠ったセルディオさんが、どことなく戸惑ったような口調と素振りでもって、「ご存知なかったのですか?」という声を上げた。
「このラーズワーズに選定者が召喚されるとは、そういうことなのですよ。元いた世界で死すべき定めとなっている者が、この世界に選定者として迎えられ、新たな人生を与えられるのです」
「うそ…でしょ……?」
「いいえ、決して嘘偽りではございません。これも定められた理の一つです。おそらくは、この世界で心置きなく愛する王と共に生きていただけるようにという、女神の御配慮なのでしょう。――ですから、わたくしも、リエコ様にもその自覚があるものとばかり思っておりました」
まさか、ご存知ではなかったとは…と、呟くように続けられた言葉に、痛ましさの響きが混じる。
「あちらの世界で何があって、どのような状況でこの世界へと招かれたのかまでは存じませんが……それは、己が死したことさえも理解できぬ状況、だったのでしょうね……」
「ホントに……私、死んだ、の……?」
「わたくしどもの召喚に応じられた、それそのものが、あちらの世界において生を終えられた証、とも言えるでしょう。――確かに、リエコ様が望むのであれば、あちらの世界への送還は可能です。しかし、既にリエコ様の存在が失われている世界に、失われた存在であるリエコ様が戻られるということは、どういうことになるのか……わたくしどもには、皆目見当がつかないのですよ。既に死を迎えた者として無に還るのか、はたまた、これまでのリエコ様とは全く別の存在となって戻るのか……それさえも、何も……」
「そん、な……そんな、ことって……」
ここに来てから色々と突拍子もない話ばかり聞かされたが、その中でも、これが本日一番の衝撃だった。
あまりの衝撃に……自分の意識が、ゆっくりと遠ざかってゆくのがわかった。
ふいに真っ暗になった視界の向こう側で、セルディオさんが慌てたように私を呼ぶ声が聞こえたけど……それに応えることは出来なかった。
そのまま、私は意識を手放した―――。
*
思い返してみたら……あれは“異常”と呼べるべき状況、だったのかもしれない。
あの真っ暗な地下鉄の車内。
光一つ無い暗闇の中で半パニック状態になっていたとはいえ、それでも耳は聞こえていた。
周囲の声なんて、耳に入ってきてはいても全く聞いちゃいなかったけど、とにかく必死なまでに、私は車内アナウンスの状況説明を待っていた。
なのに、あの時それは一向に聞こえてこなかったのだ。
電車が止まり、停電にまでなってなお、車内アナウンスが流れないなんて……本来なら、あるべきことじゃないでしょう。普通なら、たとえ原因がわからなくても、『ただいま原因を調べております』くらいのアナウンスがなされるはずだもの。
だから……きっと、それが原因だったんだ。
私は、あの地下鉄の車内で、何らかの事故に巻き込まれて、死ぬことになっていたんだ―――。
この世界に来た私は、本当に“着の身着の儘”という状態だった。
学校帰りだったのだから当然、教科書やらノートやら筆記用具やらを詰め込んだトートバッグを、その時の私は肩から提げていたはずなのに……気が付いたら、そんなもの持っていなかった。
バッグを肩から下ろした覚えも無いのに。あの車内の暗闇の中、立ち竦んでぎゅっと目を瞑りながらも、その両手は肩から下がったバッグの持ち手をキツく握り締めていたというのに。
そして勿論、バッグの中に入っていた財布や携帯や学生証などといった小物類も、持っていようはずもなかった。
穿いていたジーンズのポケットには、駅から自宅までの足にしている自転車の鍵を入れていたはずなのに、それすらも無かった。
しかも私は視力が悪くて、常に眼鏡をかけていた。なのに今は、それさえもなくなってる。にもかかわらず、眼鏡をかけている時と同じ――いや、それ以上に、視界がクリアだった。どこまでも見通せていた。
つまり、この世界に居る私は、元の世界の私とは、同じながらにして全く異なる存在なのだ。
どういう理屈で世界を渡ってこられたのかはわからないが……もはや、そうとしか考えられなかった。
――私は、本当に死んだんだな……。
あの夕方の地下鉄の中で、今ごろ私は死体の状態で発見されているのだろうか。
ひょっとしたら私の身体だけがこの世界へ渡ってきていて、死体不在のまま荷物だけ発見されることとなったのだろうか。
それとも……もし、あの地下鉄が爆破テロなんていうものの被害に遭っていたとしたら……私は指の一本すら発見されぬまま、死んだことにされるのだろうか。
もしくは、私があの地下鉄に乗っていることが証明されない以上、失踪扱いとされてしまうのだろうか―――。
目を開けると、開けた視界の中、手の届く近い距離にセルディオさんの綺麗な顔があった。
どうやら私はベッドに寝かされていたらしい。彼は、その私の枕元で椅子に座って、こちらを心配そうに見下ろしていた。
「…気が付かれましたか」
目を開いた私に気付き、安堵したような吐息を小さく洩らし、ぎこちない微笑みを浮かべてみせる。
「ご気分は如何ですか? 痛むところなどはございませんでしょうか?」
「大丈夫です……何ともありません」
答えながら、私はそのまま身体を起こした。
ああそういえば話の途中で倒れてしまったんだっけか…と、そこでようやく思い出す。
「お話中に失礼いたしました。お手数おかけして本当にすみません」
頭を下げて謝った私を、「とんでもございません!」と、慌てたようにセルディオさんが止める。
「リエコ様に謝っていただくことは何もございませんよ! どうぞ頭をお上げください!」
その言葉に促されるまま頭を上げた私は、そのまま周囲をきょろきょろと見渡した。
ベッドのあるこの部屋は、やはり寝室らしき雰囲気で、連れてこられた時の部屋とは別の場所のようだ。
思わず浮かんだ疑問が、ふと口をついて何気なく出てきた。
「私は、どれくらい寝ていたんでしょうか?」
「それほど長い時間ではございませんよ」
しかし、周囲が薄暗い。部屋の中には灯りも灯されている。カーテンらしき布が下ろされていて窓の外はわからないけれど、それでも昼の明るさが無いことは確かだった。
何時なのかは見当もつかないが、今が夜であることには間違いがないようだ。
まだ陽が昇りきらないうちに連れてこられて、セルディオさんと話をしていて時間が過ぎても、まだ昼頃だったような気がするのに……てことは……、
「――どうやら、日中まるっと無駄にしてしまったようですね……」
思わず深いタメ息と共にボヤいてしまった私は、ああ重ね重ねホントご迷惑を…と、再び頭を下げてしまい、また「おやめください!」と、慌てたセルディオさんに止められてしまった。
「どうぞ、リエコ様はお気になさらずに。こちらへ渡ってこられたばかりなのですから、色々と疲れも溜まっておられたのでしょうし、仕方ありません。それこそ、配慮すべき我々の落ち度にございます。こちらの方こそ本当に申し訳ございません」
そうして逆に頭を下げられ、今度は私が慌てて止めるハメになった。
恐縮しながらも何とか頭を上げてくれたセルディオさんは、それでもまだその綺麗な表情を曇らせたまま、「本当にすみませんでした」と詫びてくれる。
「我々も焦っていたのでしょう。泣き喚くでもなく、うろたえるでもない、どこまでも落ち着きはらったリエコ様の姿に、どうも甘え過ぎてしまったようです。このように気丈な御方ならば何を告げても大丈夫だろう、と。――そんなはずはございませんのに、ね……」
「セルディオさん……」
「それでも、わたくしどもは……あなた様のような何の力も持たぬ非力な女子に、重き荷を背負わせなくてはならないのですよ―――」
そして、少しだけ苦しげな表情になって俯いてしまったが……しかし、それもひとときのことだった。
すぐに顔を上げて私を見つめた彼は、もう普段のにこやかな表情を浮かべていた。
「いま食事を用意させますね。食後には、安眠効果のある薬草茶を処方いたしましょう。まずは、よく食べて、よく眠って……今夜はこのまま、ゆっくり身体を休めることに専念なさってください。リエコ様が少しでも回復なさることが先決です。込み入った話をするのは、それからにいたしましょう」
言いながら立ち上がりかけた彼の、そのひらひらとした服の裾を、慌てて私は掴んでいた。
「――あの、セルディオさん……」
「はい、どうなさいました?」
「私、やりますから」
「え……?」
「どこまで出来るかわかりませんけど……この世界で、選定者の役目、ちゃんと、やります」
「リエコ様……」
「もう逃げませんから……帰りたいとか言いませんから……明日になったら、これからどうすればいいのか教えてください」
見上げる私を、驚いたように少しだけ瞠った瞳で見下ろしていたセルディオさんが。
やおら、その口許にフッと軽い笑みを洩らしたかと思うと、おもむろに私の頭に手を載せた。まるで小さな子供にするみたいな仕草で。
「――ありがとうございます」
ひとこと言うと、その手を離して踵を返した。
それから間もなく運ばれてきた食事を軽く摂って、再び布団に潜り込む。
出された薬草茶とやらがバッチリ効いてくれたのだろうか。
その晩は、夢すら見ることもなく、ぐっすり眠れた。
*
明けて翌日。
朝、薬草茶のおかげかスッキリ気持ちよく目を覚ました私は、巫女だか侍女だかはわからないが、どうやら私のお世話係を命じられたらしき女性に促されるまま、用意されていた朝食を摂り、湯浴みをさせられ、差し出された服に着替えさせられ。
そして再び、神官長であるセルディオさんの元へと連行された。
「ああリエコ様、おはようございます」
朝っぱらから相変わらずの美しさで彼は、ステキ笑顔も全開に、こちらへと向けてくれる。
そして、また話をするべく応接間らしきスペースで差し向かいに座らされると、昨日捜索手配した例の男が見つからなかったことを伝えられた。
「宿屋に居たということであれば、おそらく流れ者だったのでしょうね。どうやら入れ違いになったようです」
言いながら、昨日も見せられた“王の候補者”である金髪リストを、セルディオさんが再び私へと手渡してくる。
「やはりリエコ様には、ここに挙げた者を当たっていただかなければなりませんね」
「まあ、そういうことになりますよね……」
「そういうワケですから、このままリエコ様には、旅に出ていただきます」
「は……?」
「これも女神の定めた理の一つでして、王を選定する過程において、神殿および王宮が関わることを禁じられているのですよ。ですから、そこに挙げられた者を呼び寄せてリエコ様に対面していただく、という方法が取れないのです。申し訳ありませんが、リエコ様みずからで出向いていただき、その者たちと対面していただきたいのです」
「えっと、それは、来たばっかりの身ではさすがに無理かと……」
「ご心配は御無用ですよ。護衛を兼ねた案内人は、ちゃんと手配しておりますから。リエコ様お一人で放り出すような真似はいたしませんので、ご安心ください」
「あの、それはありがたいのですが、えっと……」
「既に旅支度も整えてございます。これからすぐ準備をしていただき、護衛の者にも引き合わせますので、そのまま出立していただきます」
「え、いや、あの、ちょっと待ってよっっ……!」
そうして……なんだかんだ、あれよあれよという間に、早々と私は神殿から放っぽり出されることとなったのである―――。