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 その人が、私の探していた男ではないことは、一目で判った。

 でも、視線は奪われた。

 オーラ…とでも呼べるべきものなのか、放たれるその圧倒されるような存在感に。



「――おお、居た居たゼクス」

 そんな声が聞こえてきたのは、ゼクスのあまりな言い草にブチ切れた私が回し蹴りを繰り出した、まさにそれと同時だった。

 当然ながら、私の足は彼の手によって難なく止められてしまった――その不安定な姿勢のまま互いに固まり、そして二人同時に声の聞こえてきた方向を振り返る。

「おーおー、リーエも元気になったようだなあ」

 苦笑を浮かべながら近付いてきていた先生の姿を認め、うわ恥ずかしいー! と、咄嗟に掴まれたままの足を引き抜こうとして……で、バランスを崩しブザマにコケて尻もちをついた。

「いっ…いたたたた……」

「――あの、大丈夫ですか?」

 地面にしゃがみ込む自分の傍まで誰かの足が近付いていることに気付き、また聞こえてきたその知らない声に、訝しく思って顔を上げる。

 顔を上げて……途端、思わず息を飲んでいた。



 こちらを見下ろしていたのは、まだ十代後半くらいなのだろうか、少年ぽさの抜けきらない風情のある若い男性。

 整えられた顔の造作に、まるでエメラルドのような薄い鮮やかな緑色の瞳が印象的で、俯き伏せがちになっている長い睫毛に縁取られ、やわらかに影を落としている。

 セルディオさんに勝るとも劣らない、これまたタイプの違った、滅多にお目にかかれないような、まさに絶世の美男子。

 額や頬にかかる切り揃えられた短い髪が、明るい日差しを受けて、その白皙の美貌にまた更なる彩りを添えている。



 ――実りの秋に輝く稲穂のような……それは、まぎれもない金髪。



「彼はフィルだ。腕のいい魔薬師でな。――ほらゼクス、おまえが会ってみたいと言っていただろう? 金髪の魔術師は珍しいから後学のために、って」

「ああ、まあ……」

 頭の上から、彼を紹介してくれる先生の声と、それに応える生返事が聞こえてきた。

 ――そうか……そういう理由を作ってゼクスは、先生から彼の情報を聞き出してくれたんだ……。

 ぼんやりと頭の中で理解する。

 だが、私はそれに何の返答もリアクションも返せずにいた。ただ固まって、彼を見上げたまましゃがみ込んでいることしか出来なかった。

 視線は、目の前の男性――フィルさんとやらから、どうしても外せない。

 この人が、私の探している金髪の男とは別人だってことは、そんなの一目見た時から分かってた。

 じゃあ、何故? 彼が美形すぎるから? ――いや、それも違うな。ぶっちゃけセルディオさんの所為で、絶世の美形に耐性が付いてしまったという変な自信があるもん。今さら驚いて動けないとか、無いわー無い無い、有り得ない。

 ただ、自分の本能的などこかで、彼から目を逸らしてはいけないのだと感じていたのだ。

 自分でもよく分からないけど、そうとしか言いようがない、そんな理由。

 そして彼もまた、固まる私の前で手を差し伸べた姿勢のまま、やはり私を凝視するくらい見つめては少しも視線を逸らしてはくれないでいる。

「…フィル?」

 無言で見つめ合うだけの私たちの様子に、どこか訝しげなものを感じたのだろうか。そこで先生が彼の名を呼んだ。

 それと同時、ふいに彼が片膝を地面につく。なおも私から視線は逸らさないままに。

 近付いたお互いの距離の所為でか、より近くなった彼のエメラルドの瞳が、熱を帯びた視線でもって、こちらの瞳を貫いてくるようにさえ感じられる。

 無意識にそれから逃げようとでもしたのだろうか、我知らず逸らしていた上半身を、まさに引き止めるかのように彼の手が伸ばされ、私の手が取られた。

 驚く暇さえ無かった。すかさず互いの距離を更に縮めるかのようにして、彼が身を乗り出してくる。

「――あなたのような美しい女性を、僕は待っていました……!」

 やおら目の前で形の良い唇が動いたかと思うと、同時に甘い言葉が零れ出す。

「僕とあなたが今ここで出会ったこと、これこそが運命です!」

「え? あの……?」

「あなたこそ、ずっと探し求めてきた理想の女性、僕の女神」

「は……?」

「僕の傍に居てほしい……かけがえのない伴侶として」

 言われた言葉は理解できていつつも、あまりに唐突で突拍子もない内容に頭がついていけず、クエスチョンマークも全開に置き去りにされている私のことなど、彼は一切頓着してくれる気配も無く。

 ただウットリとした表情で、その熱い視線で、更に更に言い募る。

 彼の空いている方の手が動き、その掌を心臓の上に当てて止まった。――まさに、“あなたに心臓ごと自分の想いを捧げます”とでも言わんばかりに。



「お願いします! 僕と結婚してくださいっっ!」



 ――あ、電波だ。この子、電波ちゃんだ。頭の中ちょっとカワイソウなことになっちゃってる人だ。



 その言葉を聞くや私は、即“同じ言語を話していても話が通じない人”のカテゴリに彼を振り分けた。

 だって、そうでしょう? いま会ったばかりの中身なんぞ全く知らないにもホドがあるっていう赤の他人に、会って目を合わせて数秒でプロポーズとか……こんなの、少なくとも常識的な人間が取る行動では、絶対に、無いわよね?

 こういう人種とは、極力お近づきにならない方がいい。ヘタに関わってストーカー化されても迷惑だもん。

 そんな鉄則、解っていながら……それでもなお、私は彼から放たれる熱視線を受け止めて固まり続けていることしか、出来ずにいた。

 自分の本能的などこかがそうしろと言っているから? ――それもあるけど。

 ようやく、その本能らしきものの正体が、わかってきたような気がした。



 ――恐怖、だ。



 本能的な恐怖で、彼から目を逸らしてはいけないと、まさに猛獣と相対しているかの如く目を逸らしたが最後襲いかかられて喰われるとばかりに、自分が警告を発しているのだ。

 だって、掴まれている手が、徐々に徐々に、ぞわぞわとした気持ち悪さを全身に伝えてきてるんだもの。そうとしか思えない。

 一目見た時から、目が合った時から……私は、この人が怖くて仕方なかったんだ。

 触れられている部分から、何か得体の知れないおぞましいものが腕を伝って這い上がってくる……そんな感触さえ覚える。

 繋がれた箇所から、目に見えない極小の虫でも埋め込まれているような。その虫のようなよくわからない気持ち悪いものが、私の肉を食い荒らし毒を撒き散らしながらうぞうぞと腕の中を這い回っては、やがて全身を隈なく喰らい尽くそうと迫ってくる―――。

 ふいに背筋を凍るような怖気が走り抜け、それに衝き動かされた如く、咄嗟に「嫌っ!!」と声が出ていた。

 なのに視線は逸らせない。

 受け止めた側が目を見開き、と同時に、傷付いたような泣きそうな表情を作ったことが、すぐ近くに見えていたけれど。

 それでも私は、相手を気遣う余裕すら全く無く、ただ「嫌だ!!」「放して!!」と、拒絶の言葉を吐くことしか出来なかった。

 恐怖に我を失っていた――のだろうと思う。

 この時の私は、一種の恐慌状態に陥っていたに違いない。ただワケもわからないままに、怖くて怖くて、気持ち悪くておぞましくて、ひたすら自分自身を守りたい一心で、だからこそ相手を拒絶するしか取れるべき術が無かったのだ。

 掴まれたままの手を振り払おうとして、それでもまだ離れない、そのことが更にパニックを煽る。

「待ってください、怖がらないで、僕はただ……!」

 私を落ち着かせようとしたものか、何か言い募らんとする相手の言葉、それ自体を、まるで駄々をこねる子供のようにイヤイヤと首を横に振っては聞き入れない。

 いくら懇願しても、振り払おうとしても、それでも逃れられないことに業を煮やした私は、既に涙まで流していた。

 泣きながら、歯の根が合わないくらいにまでガチガチと震えながら、――なのに尚も彼から視線を逸らせない。

 やがて視界に映る端正な顔が、驚愕に目を瞠る。

 そして、繋がれた手から流れ込んでいた得体の知れない気色の悪さが薄れていることに気付き……そこで初めて、自分が絶叫していることに気が付いた。

 何も考えられなくなった頭の向こう側から、とうてい自分のものとは思えない、耳を劈く甲高い女の絶叫が聞こえてる。

 その絶叫のおかげで掴まれていた手が放されたのだと、認識できた途端、固まったままだった身体が自然に身を翻し、そのまま立ち上がって走り出そうとした。

 とにかく目の前の彼から、さんざん味わわされた得体の知れない恐怖から、一刻も早く遠ざかりたい、それしか無かったのだ。

 だが私の身体は、立ち上がるや言う事を聞かなくなった。

 膝がカクンと力なく折れ、どこかでバチンと、まるでブレーカーが落ちた時のような音が聞こえた気がした――と同時、視界が真っ黒の闇に覆われる。

 まさに今、自分の動力スイッチが切れたんだな、と……それが分かった。

 陥っていた恐怖からの解放――ここまで感情の振り幅が大きければ、そりゃこうなるよね今の私なら。…なんて、薄れてゆく意識の片隅、どこか冷静に自分を客観視までしている自分もいて。

 そのおかげなのか、気を失う瞬間、誰かの力強い腕が私を抱き止めた感触までを、感じ取ることが出来た。

 既に視覚のみならず聴覚まで閉ざされていた意識の中、その腕が心地よいぬくもりに満ちていたこと――それが間違いなくゼクスの腕だということは、なんでだろう、それだけは確信できた。

 だから安心して、その腕に縋り付いた。

 五感を失ってさえなお、まだ僅かに感じられるような気がする、そのぬくもりに身を預け、闇に(いざな)われるまま私は意識を手放していた。







 それは、夢の中まで追って来た。

 逃げても逃げても…どんなに逃げようと足掻いても振り払うことのできない恐怖に、とうとう私は悲鳴を上げた。



 ――そこで目が覚める。



 ヒリつく喉が、現実でも悲鳴を上げていたことに気付き、目が覚めて途端、我ながら驚いた。

 それから、もう見慣れた天井が、まず視界に映る。その景色で、入院患者として自分が与えられた一室、そのベッドの上に、いま自分は寝かされているのだ、ということが理解できた。

 ――ここには、あの怖いものは無い……?

 寝ていただけだというのに、心臓が早鐘を打っている。まだ小刻みに荒い息を落ち着かせるかのようにして、安堵した私は、深く大きく、その場で深呼吸をした。

「…落ち着いた?」

 そこで横から投げかけられた声にハッとする。

 全く気が付いていなかったが、慌てて視線を向けると、傍らに先生の奥様が、普段どおりの穏やかな笑みを浮かべながら、横たわる私を見下ろしていた。

「よほど怖い夢を見たのねえ……」

 言いながら、その手にしていたコップを差し出してくれる。

「喉が渇いているでしょう? とりあえず、まず飲みなさいな。あなた、倒れて丸一日寝てたのよ」

「あ……」

 ありがとうございます、と出しかけた声が、驚くほど掠れていて、思わず言葉を飲み込んでしまった。

 代わりに、とにかく身体を起こして軽く会釈をすると、素直に差し出されたコップを受け取る。

 口から喉へと流れ込んでゆく冷たい水の流れを感じながら、改めて喉の渇きと痛みを感じた。コップ一杯の水を瞬く間に飲み干してしまう。

「もう一杯、いる?」

 奥様の言葉に、カラにしたコップをすかさず差し出す。

 水差しから再びコップになみなみと注がれた水をカラにしてから、ようやく人心地つき、フーッともぷほーともつかない息が洩れた。

「ありがとう…ございました……」

 ようやく出てきたお礼の言葉に、奥様は気さくに「いいのよぅ」と微笑みを返してくれる。

 その柔らかな笑みに、ここで私の肩からも力が抜けて、つられたように口許が笑みの形を作ったのが、自分でも分かった。

 ――うん……大丈夫だ、ここはもう安全。

 安心できたからこそ、改まって居住まいを正し頭を下げる。

「本当に、ご迷惑をおかけしました」

「あらあら、そう気にしなくていいのよ。ここは病院ですもの、患者さんを診るなんて当たり前なんだから」

「でも、せっかく回復してきてたのに、またこんなことになっちゃって……」

 何て言葉にしたらいいのか自分でもよくわからないが、診てくれていた先生に対して何だか申し訳が立たないと。そう思ったことを続けようとして、でもそれは奥様の次の句に遮られた。

「仕方ないわ。何か嫌なことを思い出してしまったのでしょう?」

「え……?」

 あまりに意外な言葉を耳にしたような気がし、顔を上げて改めて奥様を見やると、その笑顔の向こうに痛ましさのような色がうかがえる。

「あなたが倒れた時の一部始終は、ウチの人から聞いたわ。あのひとが言うには……リーエちゃんは、男性に対して、その、過去の何かがキッカケになって、あまり良い感情を持つことが出来ないんじゃないか、って……」

「――あ、ああ……そっか……」

 ようやくここで私も、自分が倒れた時の状況をハッキリと思い出した。

 ここの裏庭にいたところを、先生が探してた金髪さんを連れてきてくれて、その人が思いのほか電波ちゃんで―――。

 思い出したら、奥様が言い淀んだ言葉の先に伝えたかったのだろう、その先が自然と理解できてしまった。

 おおかたのとこ、あの一部始終を傍らで見ていた先生が、私の反応を過度の男性恐怖症によるものだと判断したのだろう。

 うん、確かに、あの状況であれば、過去よっぽど手酷く男性から心ない目に合わされたことがあるのではと、あの金髪の彼と会ったことでトラウマが表面化したのだと、そう思われても仕方が無かったかもしれない。だから気を遣って、寝ている私の傍に、わざわざ奥様を付けてくれてたんじゃないのかな。目が覚めた時、たとえ顔見知りでも男性がいたら、また怖がらせてしまうと、気を遣って。

 その心遣いは、本当にありがたいと思う。そこまでのご心配をかけてしまって、心から申し訳ないとも思う。

 だが実際のところは、そんな理由じゃない、ってことを、もう私は解っている。――それに今、気が付いた。

 なのに、それを正直に伝えるわけにはいかないということをも、これまた重々理解している。

 優しい笑顔の奥で気遣わしげに私を見つめてくる奥様に対し、それを伝えぬまま誤解を解いてあげられるだけの話術を、それほどの器用さを、残念ながら私は持ち併せていない。

 結果、私が取るべき最善の手段となったのは、黙して微笑んでみせること、それだけしかなかった。

 極力にこやかに微笑みを浮かべ、本当はそうではないのだと、伝わらぬことはわかっていつつも視線と表情だけでそれを語りかけながら、もう大丈夫だと明るく告げる。

 それ以上は口を開こうとしない私の様子に、どこか痛ましそうな表情は覗かせつつ、奥様もとりあえずの納得はしてくれたようで。…というか、ひょっとしたらカラ元気だと思われて労わられているだけかもしれないけど。

 とにかく、今のこの私の様子で、もう付き添いは不要だということは、わかってはくれたらしい。

「でも今日のところは、まだ無理はしないで、このまま休んでいるといいわ」

 優しく言い置くと、ドアの方向へと踵を返す。

 その背中に、私は尋ねた。



「ゼクスに会いたいんですけど……彼は今、どこにいますか?」







「あなたも、ただ口が悪すぎるだけの男ではなかったのね」

「――人の顔を見るなり言うことがそれか」

 言うや、返答と共に眉をひそめた思いっくそイヤそげな顔を向けられるが……つか、そもそもソッチだからね。ドア開けるなり挨拶も何も無く開口一番『何の用だ?』とか言いやがってきたのは。そりゃもう、奥様に行けと言われたから気は進まないけど仕方ないから来てやったぜ、ってのが丸わかりーな仏頂面まで引っさげてきやがってねー。

 別に、労わって、とまで言う気はないけど、まがりなりにも療養中の病人を訪問する時は、普通『具合はどう?』くらいの挨拶からでしょうが。口先だけのことであっても、それこそ、対人向け最低限の礼儀、ってーモンじゃないの? 失礼ぶっこく相手にわざわざ礼を返すスジアイなんて、悪いけどコレッポッチも持ち併せて無いのよ? ――とは、あえて言わないでおくけれども。

 とりあえず彼の仏頂面を見上げながら、何事も無かったかのようにサラリと流して――キチンと真正面から目を合わせられないチキンなりに頑張った――私は、先を続けた。

「今回のアレで、よーくわかった。――あれは魔力、だったんだよね?」

「…………」

 渋面はコレッポッチも和らいではくれなかったものの。それでも、その私の言葉に、彼の眉がピクリと動いたのがわかった。

 そのままゼクスは無言で踵を返し、壁ぎわに寄せてあった椅子を掴んで私のベッドの枕元まで持ってくるや、どっかりと腰を落ち着けた。そして尚も無言のまま、“さあ話せ”とばかりに、軽くしゃくった顎と視線だけで、先を促す。

 私も続きを話すべく口を開――こうとした瞬間、はっと気が付き、思わず口を噤んだ。

 おもむろに両手を胸の高さに持ち上げ、風の魔術を発動させる。

 魔力を孕んだ空気の流れに、当然ながらゼクスも気が付いたようで、虚空に視線を彷徨わせて軽く首を傾げるような仕草を見せた。

「…何の真似だ?」

「結界、のようなものかな」

「ケッカイ……?」

「私たちが今から話すことを誰にも聞かれないように。部屋の外に音が洩れないよう、この辺りだけ空気の流れを変えてみたの」

 なにせ、過度の男性恐怖症だと思われている私が、その男性と一つ部屋の中に二人きりで居るワケだし。先生も奥様も、たとえ相手が顔馴染みのゼクスとはいえ、やっぱ心配して様子を窺っていることだろう。

 そんな状況下で話をするのであれば――しかも、よりにもよって話す内容が余人には知られたくない秘密事であれば尚のこと、のほほんと無防備のままでは、到底、いられないってモンでしょう?

 まさか無いとは思うけど、もし聞き耳でも立てられていたとしても、こうしておけば大丈夫なハズだ。多分。…初めてだから絶対の自信は無いけども。

 それを告げると、目の前でゼクスが、心底から呆れたような風情を隠そうともせずに、大仰なタメ息を吐いてくれやがった。

「本当にオマエの魔術は規格外も甚だしいな」

「………それは何? ひょっとして褒めてくれてるのかしら?」

「褒めてるさ。心の底から感心してる」

 あからさまにムッツリとした表情付きで嫌味を言ってやったつもりが……あっさり返ってきたそんな返答に、まさに毒気を抜かれてしまい、思わず絶句してしまった。

 だって、まさか褒められるとか思わないし! しかも、よりにもよってこのゼクスに! 人を人とも思ってなさそうな、この毒舌男に! ともすれば、褒めるって何ソレおいしいの? とか普通に言ってのけてくれちゃいそうな、この唯我独尊俺様男に!

 ――とはいえ、表情が明らかに褒めてくれてはいないけれども、とりあえずそこは置いておくとして。

 それにしたっても、コイツが言葉だけにしたってこんなこと言い出してくれちゃうなんて一体どんな天変地異の前触れよ!? と、驚くを通り越しておののいてまでしまうではないか。

 現に全く過言ではなく、出すべき言葉を失って口をパクパク――というよりはガクガク開け閉めさせているうち、次第に指先まで細かく震え始めてきたし。

 しかし一方のゼクスといえば、そんな私とは対照的に、キーピング仏頂面。そのうえ眼差しは真剣そのもの。

 普段以上に鋭すぎるそれを私に据えたまま、殊更に淡々と、彼は口を開いた。

「普通の人間なら、魔術をこんな用途には使わない。――つか、使えない。そもそも、こう使ってみようという発想からして、まず無い」

「え? そうなの? だってこれ、風を起こしてるだけの初級魔術だよ?」

「じゃあリーエ、おまえはどうして、風を起こせば音を遮断できると思ったんだ?」

「そんなの、音は空気の振動で伝わるものだからに決まってるじゃない。だから風を起こして空気の流れを変えれば……」

「まず、そこだ。『音は空気の振動で伝わる』だと? おまえはまた『一般常識』だとでも簡単に言うんだろうが、そんなこと普通の人間は知りゃしないんだよ。よしんば知っていたとして……まあ、声を届ける通信術もあるから知ってる人間は知ってるんだろうが、それにしたって、どう空気の流れを変えれば音の伝わりを防げるのか、そこまで知る者など、果たして居るかどうか……可能性があるとしたら、国の最高学府とも云われてる国立魔術開発研究所あたりの人間だろうが、それもあくまで、そこまでの魔術と理論が認知されていれば、の話になる……」

 だんだんと語られる内容が大きくなっていくのに比例して、私の顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。

 とうとう彼の口から『国の最高学府』だの『国立魔術開発研究所』だのという聞き慣れない単語が飛び出してきた時には、全力の力ずくで「ちょっと待ってっっ…!」と無理やり言葉を差し挟み、話を遮ってしまう。

 ――冗ー談じゃないっ!! こちとら、しがない日本の三流大学生だっつーのっっ!! 国家レベルと同列に並べられても畏れ多すぎて泣くわっっ!!

 決して真面目とは言い難い学生だった私がマトモに持ってる知識と云えば、せいぜい義務教育課程終了レベルに毛が生えた程度のモンよ? ――それだけ、アチラとコチラでは科学文明そのものの成熟度合いに格差がある、っていうことなんだろうけれど……つくづく素晴らしいんだね、馬鹿に出来ないのね、日本の義務教育トータル九年。

 しかし、それはそれ、これはこれ。

 異世界にオーバーテクノロジーをもたらせるほどの知識も技術も意欲も何っっにも持っていない『郷に入っては郷に従え』がモットーの平凡な一小市民にとっては、そんな大層なものと同列に扱われても、ただ困る。ひたすら困る。そして迷惑。

「いや、私だってね! どう空気を動かせばいいかなんて、わかってないしねっ! ただ私は、音が洩れないように動いて頂戴、って、風にお願いして……つか、そうやって発動するのが、魔術、じゃないの?」

「精霊を意のままに操るなんて、それこそ女神の御業(みわざ)だ」

 そこでグッと言葉に詰まる。今度こそ、反論するどころか二の句はおろかグゥの音まで完全に塞がれたと感じた。

 だが、そんな私の様子など余所に、相変わらず淡々とした調子で「そういやキチッと説明したこと無かったっけか」と、ゼクスは先を続ける。

「確かに、おまえの言うことも間違いじゃない。自然属性の魔術は、魔力をエサに精霊と一時的に“契約”して行使されるもの、とも言い得るからな。しかし、精霊との“契約”は、いわば等価交換。その内容が理論上公平かつ明確でないと、“契約”として成立し得ない。いま広く使われている魔術というものは全て、その内容を形式化して、エサとなる魔力さえあれば誰でも簡単に“契約”を結べるよう、簡便化したものにすぎないんだ。だから、魔力さえあれば誰でも行使できる。また逆に言うなれば、既存の魔術以外は誰も扱えない、ということでもある」

「…………」

「もちろん、既存に無い魔術を新たに編み出すことも出来る。新たな“契約”を結んで、その内容を形式化すればいいだけのことだからな。とはいえ、言うのは簡単だが、行うは困難だ。いくら有能な魔術師とはいえ、幅広い知識は当然ながら、試行錯誤に費やす尋常でない労力も必要となるだろう。結ぶ“契約”の内容によっては、膨大な魔力まで必要になる場合だってあるかもな。到底、一朝一夕で出来るわけはないし、一度で成功するとも限らない。――『女神の御業』と言ったのは、そういうことだ。己の意のままに新たな魔術を生み出しては行使することが出来る、それが人間としてどれだけ規格外であるのか……おまえは、ちゃんと知っておくべきだな」

 ――本当に……この世界は、私の持っている常識が色々と通用しない……。

 ひとつ深く息を吐き、ようやく私は「わかった」と、額を抑えながら返事を返した。

「同じ初級魔術でも、使い方ひとつで規格外にもなるってこと、よーく理解した。今度から気を付ける。どんな簡単な魔術であっても、絶対に、あなたの目の届かないところでは使わない」

「おう、そうしとけ」

「本当に……今回つくづく理解したもの。あなたの言うことは、言い方こそサイアクではあるけれど、間違いなく正しいのよね」

「――また話が振り出しに戻ったな……!」

 ケンカ売りたいのかコノヤロウ、とばかりに再び彼の眉が寄り眉間に深くシワが出来るが、そこをいちいち気にしていたら話は先に進まない。

 またもサクッとスパッと流して私は、「そうなのよねえ…」と、呟きながらベッドの上で膝を抱えた。

「あなたの言う通り、魔力の強い人と面と向かって会うのは考えるべきだったかも。――だって、あんなに他人の魔力が怖いものだったなんて……!」



 あの、触れられた手から伝わってきた、何かよくわからないけど怖くておぞましい感じのもの。

 ――あれは魔力だ。

 僅かなりとも魔術を嗜んだ今ならばわかる。確信できる。

 あのとき私の身体は、彼から放たれる魔力を感じてしまったんだ。

 昏倒してしまったのも、感情の振り幅の大きさ、に加え、他人の魔術に触れたことによる魔術酔い、も、多少はあったんだろう。おそらくは。

 魔術初心者の私でさえ感じ取れてしまうほど……それはイコール、彼の有する魔力の大きさの証明、であるのかもしれない。



「本当に……! もう、本っ当ーに、怖かったっっ……! まさか自分が、こんなに他人の魔力に弱いだなんて、全くもって思いもしなかったっ……!」



 思い出すだに怖気が走る。

 あれは、紛れもなく“強制”の力だった。私を絡め取ろうとするかのような意志が、触れた手から伝わってきた。

 以前ゼクスが『魔力は感情や意志に反応し易い』と言ってたっけ。加えて私のオーラが『男の股間に訴えかける何か』である、とも。

 ――ならば今回の一件は、私自身が招いてしまったことだ。

 今回は、いわば“出会い頭の事故”のようなものだったかもしれないけど……それでも、ゼクスから忠告を受けていたにも関わらず、何も考えず無防備に金髪さんの前に姿を曝してしまった、私にも非はあるだろう。

 セルディオさんにも言われていたではないか。『女神の御加護も大きい、金髪を持つ者であればこそ、リエコ様の纏うその気には惹き付けられぬはずもございますまい』と。

 自分の得た全ての情報を繋ぎ合わせれば、答えは簡単に出ていたハズだ。

 だって、私はもう出会っているのだ。恋をすべき相手――この世界の王となるべき人に。

 彼か、そうでないか、それさえ判別ができれば、それでよかったのだ。なにも全ての候補者と面と向かって会わなければならない必要など、どこにも無い。

 ゼクスに『歩く性犯罪発生源』とまで言われた時は、そりゃあ心底ムカッ腹が立ったものだけど……でも、彼の言葉は、言い方はどうであれ、間違いなく正しかったということだ。

 ――私の持ってる異世界人としてのオーラと女神由来のフェロモンが、強い魔力を持つ彼を惑わせた。惑わせたうえで、その“欲”を刺激してしまった。

 彼の魔力に、放すまい、逃すまい、という意志の力が、触れた手から伝わってきた。

 このまま何もしなければ、今すぐに逃げなければ、雁字搦めに絡め取られる、と思った。

 だから怖かった。恐慌状態で前後不覚に陥ってしまうほどの、まさに本能に訴えてくるような恐怖だった。



「あの彼に非は無いけど、ああいうのは、もう勘弁だわ」

 思い出して細かく震え出す身体を、抱え込んだ両膝ごと、ぎゅっと私は力を籠めて抱きしめる。

 そうしながら改めて私は、眼差しを傍らのゼクスへと向けた。

「あなたから言われたことを、もっと真剣に考えるべきだった。あなたに何を言われても仕方ないことをしたと反省してるし、これからはもっと注意もする。――だからお願い、助けてゼクス」

 僅かながら瞠られた瞳をとらえて、私はなおも言葉を募る。

「私もう、誰にも会わない。金髪の人には…ううん、金髪じゃなくても、強い魔力を持っている人の前には、絶対に出ない。あなたの助けが無いと、私もう何もできないの。あなただけが頼りなのよ」

 向けた自身の瞳が彼に縋らんとする色を宿していると、自分でも、よくわかっていた。

 それくらい私は、もう切羽詰まっていたのだ。信用できると思える人が、もうゼクスしかいないと思った。

「護衛以上のことを要求しているってことは、わかってるわ。でも、お願いよ。私に出来ることは、何でもするから……」

「――俺、は……?」

「え……?」

 言い募る言葉を遮るかのように発された、その呟きとも独り言ともつかないような、小さな声に。

 思わず私も、訝しく思って言葉を止めて訊き返す。

 言いかけたゼクスは、しかし何事か思い当たったかのように次の句を飲み込む。そのまま、彼にしては珍しいことに、やや逡巡しているような様子さえうかがわせている。

「何……? 言いたいことがあるなら、なんでも言ってよ?」

 ゼクスが言葉に出さないでいると私にとってはロクなことになんない、と身をもって知っているだけに、詰問せず済ませることは出来なかった。

 その言葉と、逃すまいと見つめる私の眼差しとに、とうとう観念してくれたのかゼクスは、それでも本当に言い辛そうに…というよりはむしろ、言いたくなさそう、っていう雰囲気バリバリで、ようやっと口を開いてくれる。

「――俺のことは、大丈夫なのか……?」

「は……?」

「俺も、これでも人並み以上に魔力は強い方だと、自負しているんだが……」

「へ? ――あ……!」

「それに……魔力云々は置いておいても、オッサンが言うように、男に対しての、何か……そういう方面での嫌な過去とか、オマエ、何かあんじゃねえの……?」

「…………」

 言われて、改めて考えてしまった。

 ――確かに、その通りだわ……。

 こうやって改まって言われるまでもなく、ゼクスが強い魔力を持っている、ってことなら、私はとっくに知っていたはずだ。

 また、そこまでのトラウマではないとはいえ、男性に対して“怖い”という感情を、全く持っていないかといえば嘘になる。

 あの満月の晩、いくら伴侶になるかもしれない相手だったとはいえ、ああいう一方的で強引なまでの性的行為の強要は、どう好意的に見たって“強姦”だろう。あれで気持ちよくなかったら、どころか、過度に暴力的に扱われたり痛い目にあわされた挙句に怪我までさせられたりとかしてたら、マジでトラウマになってたと思う。ホント思う。

 それに、生まれてこのかた二十年間、男性とお付き合い…はおろか、好意的な眼差しを向けられた経験すら無いんだから。煙たがられることは多々あれど。だからこそ、むしろ自分から避けて通ってやるわよ的に生きてきたし、当然、進んで関わり合いになりたいなんて思ったことも無かった。――そんな感情は、まぎれもなく“好感”からホド遠いトコロに、あるわよね……。

 幾ら女神由来フェロモンに惑わされてのこととはいえ、男の人に『美しい』なんて言われたのは初めてかもしれないなあ…なんて、そんな余計なことまで思い出してしまった。――思い出して途端、私の女としての二十年間って一体…と、ドップリ落ち込んだりもしたけれど。

 つまり結論として、やっぱり私は、男の人って嫌い――まではいかなくても、はっきり苦手。なのかもしれない。

 ――男性、であることに加えて、強い魔力まで持っている、っていうゼクスなのに……どうして私は、ダメじゃないんだろう。会って以来ずっと、人としてロクな扱いされてないとまで思うのに、どうしてこんなにも頼らずにはいられないほど信用しちゃっているんだろう。

 考えてみたところで、自分でもよくわからない。

 わからなくて、無意識に私は、彼へと手を伸ばしていた。

「――手……」

「は……?」

「ちょっと手、触らせてくれる?」

 訝しげに首を傾げながら、それでもおずおずとこちらへ伸ばされてきた片手を。

 私は両手で包み込むように受け取ると、そこに嵌められていた手袋を、ゆっくりと抜き取った。

 触れ合う場所から、直接ぬくもりが伝わってくる。――魔力も、伝わってくる。

 ――でも、イヤじゃない……。

 あの金髪の彼の魔力は、あんなにも怖かったのに……ゼクスの魔力は、怖くない。

 気を失う瞬間にも感じられたぬくもり――あれがゼクスのものだと確信できていたからこそ、私は安心して、そこに身を預けられたんだから。

「…うん、大丈夫」

 言いながら私は、無意識に包み込んだ彼の手を引き寄せて、自分の頬に当てていた。

 より近くから感じられる、彼のあたたかさと魔力。

 それをもっともっと感じていたくて、そのまま私は目を閉じた。

「怖くない……ゼクスの魔力は、心地好い」

 驚いたように、頬に当てている手がピクッと小さく震えたけれど。

 それでも離れていこうとしないでいてくれるのをいいことに、なおも私は、その心地好さを享受する。

「何でだろう……? ゼクスも、セルディオさんと同じ闇属性の人なの……?」

 言いながら、閉じた瞼の裏に彼の渋面が見えるようで、思わずクスッと笑いが洩れた。

 返答がこないことは解りきっている。

『ゼクスの魔力こそ何の属性?』

 これは、属性についてのレクチャーを受けている時に、私から訊いたことだ。

 それに対してゼクスからは、『よりにもよって傭兵に属性なんぞ訊くな!』という返答が、デコピンと共に即座に返されてきたものだ。

 というのも、属性を知られるということは弱点を曝しているにも等しいことだからだ、と。向ける表情に“そんなこともわからねぇのかバーカ”と副音声まで貼り付けてまで懇切丁寧に説明してくれたことは、まだ記憶にも新しい。

 思わず口を尖らせて『だってセルディオさんの属性は誰もが知ってるんでしょー…!』と反論したものの、これまた即座に『あんなバケモノを基準にすんな!』と返された挙句、今度は連続デコピンに見舞われた。…あれは地味に痛かったよマジで。

 よくよく聞いてみたところ、何もセルディオさんが特別ってワケではなく、光と闇の属性は、特に知られたところで弱点にはならないから、って理由もあるらしい。――ただし、この二つの属性に限っては宝珠目的での誘拐とかはあるだろうから、いずれにせよ、やっぱり余人に知られないに越したことはないのだろう。

『むやみやたらと他人に属性を尋ねるべからず! これは魔術に携わる者にとっては当然の常識だ! 魔力を持つ者なら皆、傭兵のような常に戦いに身を置いている輩であれば尚のこと、属性を問われていい気分には決してならない! それを肝に銘じておけ!』

 だから、彼から返答がこないことなんて、もうわかりきっている。

 でも、それ以外に、こんなにも他人の魔術が心地好く感じられる理由なんて、もう私には見当がつかない。

 ――けど理由なんて、どうだっていい……。

 この心地好さ、これそのものが彼を信頼するに足る理由で、もういいんじゃないだろうか。

 まるで全身ぬるま湯に浸っているかのような心地好さに、閉じていた瞼が、次第にとろんとした重みを増してきた。

「…眠い」

 唐突にもたらされた睡魔に、抗うことも忘れて私は、そのままコテンと横になる。――彼の手は離さないままに。

 うつらうつらしている頭の向こうで、ゼクスのタメ息が聞こえてきたような気がしたけれど……それをどうだと思う思考さえ、もはやまどろみの中に飲み込まれていた。

 眠りの淵の瀬戸際で、私が考えたことは、ただ一つ。



 ――私が恋しなきゃならないあのひとが、ゼクスのような人であったらいいのに……。


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