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13・謝罪の理由

 末藤剛毅は心の中で震えていた。

 自らの罪の意識にではなく、目の前の友人の《狂気》を垣間見た気がして。

 一体どのような人生を送れば、人間は彼の様な表情(かお)が出来るのだろうか。

 全てを拒絶し、自分以外の――いや、自分を含めたこの世界の全てに対する無関心。

 冷酷とも、冷徹とも違う。言わば《何もない》のっぺらぼうの(かお)


「間黒は《いてはいけない》大人だよ」

 末藤には、櫻井の意見に頷く事が出来なかった。

 櫻井の放った言葉は、間黒が紗耶香に言っていた事と同じ意味を持っているだからだ。

 確かに、末藤は間黒を嫌っていた。追い出したいと思っていた。

 あの男が多くの生徒の未来を奪ってきた罰で裁かれてほしいと、そしてその為に協力さえした。


「俺は、こんな事の為にお前に協力したんじゃない。間黒は、間黒本人の罪でツブすべきだった」

 末藤が櫻井に協力したのは、正当な裁きを受けさせるため。冤罪を被せるためではないのだ。

 

「ゴウ君は、優しすぎるよ。普通の方法だったら間黒を追いつめる事は出来ない」

 櫻井の冷たい瞳に、一瞬だけ温かいものが混じった。

「君は優しい。けど世の中って冷たいよ。こんな話は知ってる?」


 櫻井が始めたのは、一年前に県内で自殺した女子高生の物語だった。

 彼女は、数枚の手紙を残し自殺した。


 手紙は、いじめを受け世界に絶望したと言う遺書だった。


 遺書には、少女をいじめた相手が実名で記されていた。凄惨ないじめの克明な内容。自分自身の絶望。

 彼女の遺書を元に学校は調査を開始。


 しかし。


「たった一週間で調査は終了。結果は《いじめ等の事実は無かった》。間黒も同じさ。あいつはルールに守られている。本当のことだけを書いた告発文では何も起きない」

 櫻井の言っていることにも、一つの理があった。 

 間黒のせいで学校に来れなくなった生徒がいる。紗耶香以外にも、今までたった一度の高校生活を棒に振らされてしまった者は何人もいる。

 そして、それらの罪を間黒が問われた事はあれど処分が下った事は一度たりともない。

 彼自身が調べた《事実》から明らかになった事だった。


 間黒がいる限り、《奪われる》子供たちが減る事は無い。紗耶香も帰って来ない。


「だから僕がやった。ルールで裁けないのなら、誰かが裁くしかない。英雄願望?中二病?自意識過剰? クソ喰らえだ。僕からしてみれば自分が蹂躙されてるのにヘラヘラ笑ってる奴らの方がおかしいと思うね」

 きっと櫻井は、名前を書いただけで人が殺せるノートがあれば迷わず悪党に使うだろう。マンガや小説に影響された訳でもなく、ただ自分の意志に従って。 

 自分と同じ十六の少年だと言うのに、物語(フィクション)の登場人物の様な現実離れした倫理観。

 

 一体、過去に何があれば櫻井のように《真っ直ぐに間違う》事ができると言うのだ。

 末藤には理解できなかった。

 目の前の少年が自分と違う世界の怪物のように感じられた。


 櫻井は伝えるべき事を伝えつくし、末藤は何も口にする事が出来ない。

 長い、長い沈黙の時間が二人の間に流れる。 


「ゴウ君が間黒を殴り飛ばそうとした時、体が勝手に動いたんだ」

 先に口を開いたのは櫻井だった。

「自分の利も、後先も、何も考えずに誰かの為に動ける人なんて初めて見たから。僕の周りには、そんな人はずっといなかった」

 自分はそんな綺麗な人間では無いと言いたかったが、末藤は言葉を飲みこんだ。

 じっと目の前の少年の澄んだ瞳を見据え、受け止めることにした。


「そんな人が、間黒みたいな奴のせいで人生を棒に振る事は僕には耐えれなかった。けど、間黒がいる限り、いつか君はなにかをやらかしてしまいそうで」

「余計なお世話だ。バカ。そんな事しなくても俺は――」

 もっと上手くやる、とは続けられなかった。

 恐らく、いつか何かのはずみで末藤は間黒を殴り飛ばし、処分を受ける。簡単に想像できる未来だった。

「君みたいな誰かの為に無条件で行動できる人が、間黒みたいな腐った人間に好きなようにされるのだけは我慢できなかったんだ」

 普通の方法では間黒は追い出せない。

 そして、追い出せない以上紗耶香も戻って来なければ、末藤もいつかは学校を追われる。

「世の中には、笑顔で虐待を行う親がいる。人殺しをしても未成年って理由だけで刑務所に入らない奴もいる。間黒も同じ。そんな腐臭をまき散らす人間を僕は許す事は出来ない」


 ようやく、末藤は気付いた。

 櫻井が行った事の根っこは、末藤と全く同じなのだ。

 末藤が紗耶香の為に間黒に突っかかったように、櫻井もまた、末藤たちの為に行動していたのだ。ただ、内容が違っただけで。

 

「お前の言う事がやっと分かったよ」

 櫻井がどのような人生を送って来たのかは分からない。

 何故両親がいないのか、どうして兄と妹の二人だけで生活しているのか。

 笑顔で虐待を行う親、以前に間黒に指摘された《夏場でも長袖を着ている事》も関係しているかもしれない。


 込み入った話をするには、二人の付き合いは短すぎた。

 しかし今はそんな事はどうでも良いのだ。もっと大切な事実があるのだから。


「お前は、俺の事をダチだと思ってくれてるから無茶をやってくれた。そう言う事なのか?」

 何よりも大事な事――素直な疑問をぶつける。

 やることなす事、言葉の一つ一つが常軌を逸している少年は末藤の質問に考えるそぶりを見せた。

「そう、かもしれない。分からないけど。今まで、友達って思える位心を許せた人はいないから」


 同じだ。


 末藤と櫻井は同じなのだ。

 根本的な所で他人を信じ切れていない所も、土壇場で後先を考えなくなる所も。 

 ただ違うのは、末藤は他人に嫌われたくないが故に上辺だけの付き合いを求め、櫻井は他人を信じないが故に上辺だけの付き合いを徹底した。


 末藤は、ようやく気付く事が出来た。

 櫻井太陽という少年は、何を考えているか分からない怪物では無い。

 自分と同じ、迷って、足掻いて、戸惑い、未来や将来に不安を感じながらも足掻いているだけの少年だ。

 理解できないなんて事は無い。今まで理解しようとしなかっただけなのだ。


「多分さ。間黒がお前に何かしたら、俺も黙ってないと思うんだよ」

 だからこそ伝えないといけない事がある。

 櫻井の事を友人と思っているから、初めて分かりあえるかもしれない相手と知ってしまったから。


《その言葉》を放てば、末藤は拒絶されるかもしれない。

 かと言って黙っている訳にはいかなかった。


 末藤が本心を晒したからこそ、櫻井は犯行について語ってくれた。

 今度も、きっと大丈夫だ。


 本音でぶつかれば、分かりあえない事は無い。彼はほんの先ほど、そう学んだのだ。


「だけど、だけど太陽――」

 ゆっくりと、噛みしめるように、誤解を与えないように、心を込めて言葉を紡ぐ。

 櫻井の瞳は、いつものように何を考えているか分からない。

 ただ、今までと違うのは彼の瞳に《信頼》の色が僅かながら灯っていることだった。


「それでも、お前のした事は間違ってると思う」

 意を決して、本音を放つ。

 友人なら、間違いは正さないといけない。

 例え、間黒が悪だとしても、犯罪行為で陥れるという事は絶対に許されない事だ。


「このまま間黒がいなくなって、村松サンが戻ってきても、俺は彼女に笑顔を向けられねぇよ……」

 何故か、声が震えた。泣きだしてしまいそうだった。

「笑顔どころか、顔向けできねぇ。誰かを陥れて手に入れた幸せなんて、おかしい。絶対に間違ってんだよ」

 きっと、今のまま紗耶香が戻ってきても、末藤は彼女に想いを告げるどころか友人関係を築く事も出来ない気がした。

 櫻井は眼を逸らさず、表情一つ変えずに末藤を見つめている。


「だから、間黒を助けてやってくれないか? バレないように陥れたんだ。バレないように冤罪の証拠を出すことだってできるだろ?」

 間違いは正さなければならない。古風な両親の教え。親に反抗して髪を染め、ピアスを開けたと言うのに心の一番奥深くに根づいていた。


 きっと、本当に友人なら分かってくれる。

 分かろうとしてくれる。


 自分が、この僅かな間で変われたのだ。

 櫻井も、自分を友人と思ってくれるならば理解してくれるはずだ。


「多分、出来ると思う。いや、出来るよ、間違いなく」

 目を閉じ、顔を伏せ、櫻井が答える。

 彼は、信じてくれたのだ。理解してくれたのだ。


「なら、頼む。お前のやった事は間違ってるんだよ! だから――」

「断る」

 櫻井が、顔を上げ、目を開いた。瞬間、末藤の体が、心が、思考が停止した。

 鳥肌も、寒気も、何もない。文字通り、凍りついたのだ。

 原因はたった一つ。


 櫻井の、眼差し。


 今までの凍りつくような表情とも違う。何を考えているのか分からない様子とも違う。

 見るもの全ての思考さえも凍結させる、絶対零度の視線だった。


「君は、本当に良い人だ。良い人過ぎるよ」

 末藤が櫻井に心を開いたように、彼もまた心を開こうとしてくれていた。それは間違いのない事実だ。


 ただ、末藤は一つだけ失念していた。

 友人の心の闇が、過去が、どれだけ凄惨で暗く、深いものかという事を。


「僕は、君たちを守りたいと思ってた。けど、それ以上に間黒と言う人間が許せない。許しちゃいけないんだよ。弱者を食い物にする、腐臭のする人間は」

 全ての拒絶。否定も、そして肯定さえも受け入れない声だった。

 末藤は、気付いた。そして恥じた。自らの浅はかな行為に。

 彼の心の闇を覗かずに自分の正義を振りかざした事、そしてそれがどれだけ櫻井の心を傷つけてしまったかを。

 仮に彼との付き合いがもっと長く、お互いを深く知る時間があればもっと別の道が、別の結果があったかもしれない。

 しかし、現実に《仮に》は存在しなかった。


「さっき言った筈だよ。僕は《できるからやった》に過ぎない。正しいとか間違っているとかは関係無い」

 櫻井の瞳は拒絶の色に満ち、泣いているとも悔んでいるとも言えない奇妙な表情をしていた。

 裏切られた失望とも違う。嫌われた悲しみとも違う。

 まるで――


――やっぱり、こうなるか。という深い《諦め》のような。


「《末藤君》が何を言おうと、僕は後悔も反省もしない。もし君が間黒を殴り倒したとしても反省しないのと同じように」

 もしかしたら、自分は取り返しのつかない事を言ってしまったのかもしれない。

 櫻井の事を友人だと思い込み、身勝手な言葉で彼を絶望させてしまったのかもしれない。


 今日、生まれて初めて末藤は後悔という言葉を本当の意味で知った。


「台風、逸れたみたいだね」

 気付けば、外から風の音は消えていた。

 雨はまだ降っているようだが、気にするほどの物でもなさそうだ。

「今の内に帰りなよ。電車も動き出してると思うし」

 いつもと同じ、飄々とした何を考えているか分からない口調。

 しかし、先ほどまでと《何か》が決定的に違う。


 まるで、二人の関係が数週間前に戻ってしまったかのような。


「合羽あるけど、使う?」

 このまま帰ることだけは拒否したかった。

 話を聞いて欲しいと言いたかった。失言を謝りたかった。

 しかし、末藤の口から出てくるのは全く別の言葉だった。


「傘で十分だ。ありがとう」

「オーケー。じゃあ、また明日」

 櫻井が立ちあがり、部屋のドアを開ける。表面上は、櫻井の態度は何も変わらなかった。

 しかし、このまま廊下に出れば、もう本当に取り返しがつかなくなるだろう。

 何もかもが根本から変わってしまうだろう。


 立ちあがりたくない。何かを伝えたい。だが、


――何を言えば良いってんだよ!


 耳触りの良い表面だけの言葉は櫻井には通じない。

 末藤が本音で語ったからこそ、彼も心を開きかけてくれたのだ。

 だがどれだけ自らの人生を振り返って言葉を探しても、末藤の語彙では薄っぺらい上っ面だけのものしか出てこなかった。


「……俺、お前の事絶対に黙ってるから」

 震える声で、涙を隠そうともせずに櫻井へ告げる。

 それが、友人に向けれる最後の言葉だった。


 後は黙って立ち上がり、無言のまま玄関へと見送られる。

「じゃあな。また」

 玄関扉を開け、手を上げる。櫻井の顔を見る事は出来なかった。

 傘もささず、振り返る事もせず、ただやみくもに足を進める。


 きっと、櫻井は今後も同じ事を続けるのだろう。手口の鮮やかさが初めてでない事を物語っていたからだ。

 これからも許せない人間を、裁けない悪を、合法非合法問わず自らの手で罰するのだろう。

 誰の為でも無く、ただ自分の信念の為に。

 いつか、彼自身に司法の裁きが下るまで。


 それまで、彼は一人の生徒でい続けるのだ。どこにでもいる男子生徒に。

 きっと、末藤との関係は大きく変わりはしない。

 後ろの席に座り。童顔で、やや小柄な体躯を長袖の制服で過ごすのだ。

 どこのグループにも属さず、しかし孤立するわけでもなく。

 話しかければ答えるし、冗談も言う。


 どこにでもいる生徒に戻るだけだ。 

 

 なのに、どうして悲しいのだろうか。

 どうして涙が止まらないのだろうか。


 それはきっと、櫻井が別れ際に呟いた


「……ごめん」


 と言う言葉のせいなのかもしれない。





――――――――――――――――――――

 第一部《間黒修光》 終。

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