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11・《一つだけ約束してほしいんだ》

■七月十九日



 激しい雨と、風の音だけが空間を支配していた。

 外は大雨。台風が近づいているせいで、学校は昼前に休校になった。

 豪雨が窓を叩く音の中、末藤剛毅は戸惑っていた。罪悪感と、そして僅かな壮快感に。

 同時に、恥じ入り、殴り飛ばしたい気持ちだった。僅かでも間黒が逮捕されて喜んでいる自分を。

 彼は、全くの冤罪だと言うのに。


「お前の仕業だろ?」

 目の前の童顔の少年に告げる。

 放課後、話があるといった末藤を櫻井は自宅に招いた。

「何の事?」

 いつもと同じ春用の制服で、いつもと同じ飄々とした振る舞いで、いつもと同じ何を考えているのか分からない顔で、飾り気のない六畳間の主が答える。

 中央に備えられた頑丈そうな丸テーブル。勉強机は無いので、このテーブルが代わりなのだろう。

 テーブルと、本棚、部屋の隅に追いやられたノートパソコン。部屋においてある物はたったそれだけだった。

 あまりにも無味乾燥な、人間味の無い部屋に戸惑いを感じながらも末藤は声を絞り出す。


「決まってんだろ。間黒の事だよ」

 声には、焦りが混じっていた。

 信じられない。信じたく無い。


 自分が、あんな恐ろしい事件の片棒を担いでいるなんて。


「先週の《ウィルス騒ぎ》も、間黒の逮捕も、何もかもお前が関係してるんだろ?」

 葦原高校では立て続けに事件が起きていた。

 まず最初に起きたのは、コンピュータ・ウィルスによる個人情報漏えい事件だった。


 一週間前、職員室のパソコンがウィルスに感染し、生徒名簿や試験成績がインターネット上にばら撒かれる事件が起きた。

 ニュース番組や新聞で末藤が調べた限り、感染元は職員室のパソコン。

 職員が自宅で作ったテスト問題を学校のコピー機で印刷しようとしたことが原因らしい。

 持ちこんだ記録媒体(USBメモリ)が、ウィルスに感染していたため、学校のパソコンに接続した時に拡散したとのことだ。

 とは言っても、末藤にはテレビで言っている事の半分も理解できなかった。彼はパソコンには明るくない。というより学校の授業以外で触ったことが無い。

 両親が古風な為、どんなにねだってもゲーム機一つ買い与えられたことが無かった。末藤の茶髪も、ピアスも両親に対するささやかな反抗である。


――俺がもっと詳しければ、何が起きてるのか分かるってのに。

 両親を恨みながらも、口は勝手に事件の事を知ろうと動く。


「ウィルス事件の時はテレビに名前は出なかった。けど、昨日間黒が逮捕されたせいで初めてウィルスを持ちこんだのがアイツって報道された」

「そうらしいね。びっくりした」

 櫻井はあくまでも自分は無関係と言いたいようだった。

「僕もテレビは見たよ。って言うか、今もやってると思う」

 彼の女子のように細長い手が携帯電話を取り出し、アプリを起動させる。

 しばらくした後、液晶はテレビ番組を映し出した。昼の情報番組だ。


 テレビでは《ファイルキョウユウソフト》や《ジドウポルノ》、《イホウダウンロード》など末藤にはあまり馴染みのない言葉を頻発していた。


「一言で言えば間黒はロリコンだったんだ」

「は?」

 唐突に、櫻井が話を進めだす。末藤には戸惑うことしか出来なかった。

「今、テレビで言ってる事を要約してるだけ」

「あ、あぁ。続けてくれ。俺、パソコンの事とかさっぱりだから」 

「間黒のパソコンから小・中学生を題材にしたアダルト動画のデータが多数見つかった。しかも、あの男はネットを使って世界中にアップロードしてた」

 末藤もニュースで聞いていた話だ。

 だが、彼が気になるのは《どうしてそれが警察に見つかったのか》と言う事だ。

「警察も馬鹿じゃないからね」

 分かるような分からないような説明。

 末藤が口をとがらせると、櫻井がさらに細かく話し始めた。

 彼の解説はパソコンになじみのない末藤にも分かりやすく、筋道立てられているものだった。教師に向いているのかもしれない。


「十年以上昔から、ネットには《ファイル共有ソフト》というのがあってね、それがあるとインターネットを通じて音楽や動画とかを簡単に送ったり受け取ったりできるんだ」

「マジかよ。便利だなそれ。CDとかわざわざ学校に持っていかなくて良いじゃん」

 末藤は携帯電話で音楽をダウンロードした事も無い。有料サイトへの接続を固く禁じられているからだ。

 故に、ニュースで頻発される《イホウダウンロード》や《ピアツーピア》などと言う言葉の意味も、仕組みも分かっていない。

「便利だけど、色々問題点もあるんだよね。音楽だけじゃなくて映画とかゲームも交換出来ちゃうし」

「あぁ、確かニュースでも言ってたな。作り手が食っていけなくなるって。それが違法ダウンロードって奴か」


「そう言う事。とにかくそれを使って間黒は小さい女の子たちのワイセツ動画とか画像をばら撒いてたって訳」

「何だって!? も、もしかしてっ」

 突然、末藤の声に強い力と、緊張が込められた。


 彼の興味を引く事実に気付いてしまったからだ。


「それって」


 あまりの事実の重さに、舌と喉が渇き上手く声が出なかった。

 それでも必死に末藤は言葉を続けようと腹に力を入れる。


 全身を動員し、全霊を込め、櫻井に《末藤の抱く最大の疑問》が投げかけられる。


「それって……無修正なのか?」


「喰いつく所そこ!?」

「むしろそこしかないだろうがっ!」


 末藤の発言は当然のことと言える。

 携帯電話にフィルタリングをかけられ、パソコンも所持していない男子高校生にとって無修正という単語は遥か遠い黄金郷。

 テストの満点より遥かに高い価値を持つ(おとこ)の夢、天元突破。


 全てを投げ打ってでも――否! 人生を賭してでも目にしなければならない気高き至高の財宝だからだ。


 拳を握りしめ、腕を掲げ、声を振り絞り力説する末藤。


 しかし、櫻井の視線は冷たかった。

 所詮持つ者は持たざる者の悲哀を分からないのだろう。


 凍りついた静寂が場に広がる。雨音だけが彼の耳に入る全てだった。


「……」

「……」

「――んで、そのファイル共有ソフトが何だって」

 太陽の冷ややかな視線に耐えられなくなり、末藤が無理矢理に話を本筋に戻す。


「いきなり話戻したよ。末藤君、本気で自由すぎるでしょ」

「ゴウ、な」

「勘弁してよ、慣れてないんだから。まぁいいや。勿論、無修正のポルノや小中学生のわいせつ画像を公開する事は立派な犯罪。これは分かるよね」

「あぁ。でも、何で警察は間黒がそんな事したって分かるんだ? ネットやってる奴なんて何十万も何百万もいるだろ?」

「個人を特定する事は難しくは無いんだ。実は、警察は違法ダウンロードのほぼ全てを把握してると言っても良い」

 櫻井が言うには、把握しているのに逮捕しない理由は、利用者が数十万単位でいるせいで拘置所も裁判所も刑務所も足りないからだそうだ。

 警察に出来る事は見せしめに数人のヘビーユーザーを逮捕し、抑止力とする事程度らしい。

 まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。そもそも末藤は例えパソコンを持っていようとそんな恐ろしい事に手を出そうとは思わないが。


「そして、ここが重要なんだけど。そのファイル共有ソフトって言うのは、動画やゲームに偽装されたコンピュータウィルスがイタズラや嫌がらせで流れてる事があるんだ」

「イタズラ? 何でそんな事を?」

「何十万人もいれば色んな人がいるからね。簡単にまとめると、間黒はわいせつ動画の収集中にそのウィルスに引っかかったって訳」

「だから大騒ぎになって警察が動いたって事か?」

「そう言う事。拙い説明だったけど、理解できたかな」

 確かに理解できた。

 小難しい言葉ばかり使って自分の様な機械に無知な者を置いていくニュース番組と違い、櫻井の言葉は非常に分かりやすかった。

 間黒が逮捕された事が不自然で無かったと言う事も。


――しかし。


「理解できねぇな」

 末藤が放った言葉は否定の物だった。


「だって、だってお前」

 小難しい単語ばかり並べるニュースより、太陽の説明は分かりやすかった。間黒が逮捕された事が不自然でない事も理解できた。


――だが。


「肝心な事、何一つ説明してねぇじゃねぇかよ!」

 テーブルを叩く音が室内に響き渡った。


「俺が知りたい事は、たった一つなんだよ!」 

「君は知らない方が良い」

 怒鳴る末藤とは対照的に、櫻井は全くの無表情だった。あまりの反応の薄さに、末藤の過剰がさらに高ぶる。

 

「答えろって言ってんだよ! 《コレ》はどう言う事だ!」

 末藤がポケットに手を突っ込み、一切れの紙片を取り出す。今日の新聞記事だ。

 櫻井の表情に苦いものが混じる。

「読みたくないってんなら読んでやる」

 やりにくそうな顔で目を逸らす櫻井に向かい、告げる。

 末藤が櫻井に疑念を抱いた理由がそこにあった。


「《逮捕の決め手は匿名の告発》って書いてあんだよ!」


 記事には、送り主不明の告発分が警察や教育委員会、報道機関に送られた旨が書いてあった。

 内容は、生徒の実名による証言書。いじめを行っていた事、常に人を見下していた事、成績や素行が悪すぎる生徒は排斥されること。

 県内トップの進学率を誇る葦原高校の、そして間黒修光の《暗部》についてだった。


 全て、末藤が集めた証言だった。


――しかし。


 一つだけ、たった一つだけ末藤の知らない証言が含まれていた。 

 実名の証言ばかりの中で、唯一の匿名のもの。


《間黒修光から無修正のポルノを購入した事がある》


 末藤は、この一文を読んだ瞬間に戦慄した。

 覚えのない記録。本物の中に唯一紛れ込んだ偽物。

 自分は、何か取り返しのつかない事の片棒を担いでしまったのではないか。


 証言を集めたのは末藤だ。調べればすぐに分かるだろう。学校の知人連中をあたり、堂々と人海戦術を行ったからだ。

 自分にも警察の手が及ぶかもしれない。恐怖が、不安が彼の全身を襲う。

 人を陥れた、冤罪をなすりつけた。もしかしたら自分も逮捕されるかもしれない。

 そして、それだけではない。

 櫻井に協力を頼んだのは他ならぬ自分自身なのだ。

 末藤が巻き込んだせいで、櫻井まで警察沙汰になるのは良心が痛んだ。


「ゴウ君は何も心配しなくていい」

 末藤の内心を察したかのように太陽が諭す。

「もし、警察が来ても僕に頼まれたと言えば良い。何も嘘をつかなくていい。嘘の証言が混じっていると言っても問題無い。だって、君は証言を集めただけで何もしてないんだから。後は僕で上手くできる」

「そう言う問題じゃねぇだろ! 嘘の証言って事は、間黒は(なん)もしてねぇってことだろうがっ」

「さっきも言ったはずだよ。警察は違法ダウンロードのほぼ全てを把握してるって。間黒が逮捕されたって事は証拠があるからだ」

 迷いのない櫻井の言葉に、末藤の昂ぶっていた感情が少しだけ抑えられた。


「じゃあ、お前は間黒が犯罪者だって事を知ってたって事か?」

「そうだよ。僕一人だと、違法ダウンロードの告発に説得力がない。《友達が多い》ゴウ君の助けが必要だったんだ」

 櫻井の寂しげな瞳が末藤に突き刺さる。

 尊敬するような、嫉妬するような。何とも言えない視線。


 彼の瞳に突き動かされ、気付けば末藤の口からは今まで口にした事のない《本心》が漏れ出していた。


「《友達》なんて、嘘っぱちだ」

「……!」


 櫻井の顔色が変わった。まるで、大切な誰かに裏切られたとでもいうような表情だった。

「俺の顔が広い理由が分かるか? 《相手を否定しない》からだよ。対面で向き合う相手が望む言葉を望むようにぶつけてやる。そうすりゃ薄っぺらな友人関係は出来あがりだ。あとはダチって言って下の名前で呼んでやれば良い」

 ゲームもパソコンも与えられず、クラスメイトと共通の話題を持たない末藤が編み出した処世術。

 優しい嘘に塗れた希薄な友人関係。本心で向き合い、嫌われる事を恐れている弱い自分。


「相手がどんなに俺とソリのあわねぇ事を言おうが、目の前で嘘を吐こうが見ないフリをしてきた。嫌われたくねぇからだよ。ただそんだけだ。それが本当(ホント)友達(ダチ)って言えると思うか?」

 一気にまくしたてる末藤。戸惑いと怯え、そして僅かな失望の表情を見せる櫻井。

「……何が言いたいのさ」

「俺は今から、生まれて初めて――」

 今にも泣き出しそうな震える声で叫ぶ末藤の脳裏に浮かぶのは、櫻井が面識の少ない自分を間黒から庇ってくれた事。

 村松紗耶香と話す自分を、まるで宝石箱を開いた少女のような瞳で見守る視線。

 紗耶香と仲良くなる為のダシとしてにしか考えていなかった末藤を、彼は本音で、見返りなしで助けてくれた。


 だから、末藤も本気を見せないといけない。仮初の、良い格好しいの、優しいフリをした自分ではなく、本音で話さなければならない。

 初めて、心の底から《友人》と呼べるかもしれない相手に。


 緊張で心臓の鼓動が早まる。胃が絞られるような痛みに襲われる。


 弱い自分を振り切るように大きく息を吸い込み彼は――


「太陽、お前を否定する。ダチとしてだ!」


――立ち上がり、太陽に向け指を突きつけ、叫びを上げた。


「お前は俺に嘘を吐いてる。何の根拠も無ぇ。理屈も減ったくれも無ぇ。ただの直感だ」

 直感だったが、確信があった。

 櫻井は何かを隠している。この少年ほどの周到さがあれば末藤の助けなど必要ないから。


「俺は、本当の事を知りてぇんだ。自分の関わった事だからってのもあるけど、お前に騙されたままでいたくない。だから頼む、太陽」

 テーブルに身を乗り出し、懇願する末藤。櫻井は眼を逸らさず、じっと見返していた。

 今までに感じた事のない感情が胸に渦巻き、言葉が出ないようだった。


「俺の事を、ほんの少しでもダチって思ってくれるなら本当の事を話してくれ! そうじゃなきゃ、俺は村松サンに顔向けできねぇよ!」

 末藤の本音の叫び。僅かな反響。そして、沈黙。

 風の音が、雨の音が、静まり返った部屋を叩き続ける。

  

「聞いたら――」

 ようやく、櫻井が口を開いた。

 迷いと、苦渋と、そして見えない何かに縋るような顔だった。


「聞いたら、無関係じゃいられない。露見したら君も犯罪者になってしまう」

「聞かなくても、とっくに俺は関係者だろ。だったら最初からやるなっての」

 末藤が軽く笑い飛ばす。

「ごめん。それもそうだよね」

 釣られて、乾いた笑いを櫻井も洩らした。


「ただし、一つだけ約束してほしい。絶対に、誰も言わないって」

 無言で頷く末藤に向かい、櫻井は《計画》の全貌をぽつり、ぽつりと話しだした。



「じ、冗談、だろ?」

 彼の話す事は末藤にはとても信じ難く、そしてあまりにも生々しいリアリティに溢れた《犯罪告白》だった。

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