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後日譚 4 無頼で行こう! 後

直接的ではありませんが、ややキワドイ表現があります。

ご注意ください。

 

 

 

 その夜




 夏休みと言う事で平日の水曜日にしては珍しく同僚と外食をし、久しぶりにワインを過ごしていい気分で帰ってきた優菜は、ハイツの階段に足をかけようとした途端、後ろから強い力で肩を掴まれた。


「き……!」


 ――な、なに!?


 突然のことで声も出せない内に大きな手で口を塞がれる。両手が前に泳ぎ、よろめいたところを強引に向きなおさせられてしまう。


「……!」


 志朗だった。


「~~~っ」


 手のひらで顔の半分を覆われながらも柳眉を逆立てて抗議しようとする優菜を、志朗は何も言わないで近くに止めてあった軽トラックまで引き摺っていった。この男の馬鹿力には敵うはずもなく否応なく従わせられる。夜遅いせいで近所の人目がなかったのが幸いだったが、客観的に見ていれば明らかな拉致と見えてしまっただろう。

 志朗は無言で助手席のドアを開け優菜を放り込むと、さっさと車に乗り込みスタートさせた。


「ちょっと! 志朗! 一体これはどういうこと?」


 ようやく言語能力を回復して優菜が珍しく大声を上げた。


「煩い。黙ってろ!」


 トラックは暗く狭い農道を抜け、去年新しくできたバイパスにさしかかっている。こちらは明るいことは明るいが、行きかう車のライトも見えず、夏休みだというのに田舎の夜の雰囲気満々であった。時刻はとっくに十時を回っている。


「こんなことして驚くじゃない!」


 車が比較的広い道路に出たところで優菜は再び抗議の声を上げた。志朗は依然答えない。彫りの深い横顔に不機嫌さを滲ませてハンドルを握っている。ほどなく、郊外の冬木リカーショップ二号店の駐車場に着いた。店はとっくに営業を終え、シャッターが閉められていた。大きな看板がライトアップされているせいで、飾りけのない四角い店舗のシルエットが夜目にもくっきりと浮き上がって見える。

 志朗は無言のまま勢いよく車を降りると、優菜の腕を取ってぐいぐいと空き地を挟んだ真新しい家の方へひっぱっていった。


 いうまでもなく、来年の春には二人の新居となる予定の家である。この春に志郎が買い、梅雨の終わりから工事が始まって二ヶ月経った今、外観はほぼ完成している。内装はまだ途中だが、玄関脇の小部屋だけは先に出来上がっていて、志朗はその一室に既に寝泊まりしていた。


「痛いじゃない! 酷いわ、何があったの!?」


 如何に人気が無いといっても、流石に屋外で大声を出すのに気が引けて、黙って志朗の言いなりになっていた優菜が、部屋に放り込まれた途端きっと志朗を睨みつけた。白いシャツが乱され、アップにした髪は半ば解けている。大きなバッグを持っているのはいつもの事だ。ジャージやら、ファイリングブックなどが覗いている。志朗はそんな恋人を黙って見下ろした。眉間に剣呑な皺が彫りこまれている。


「志朗!」


「どこ行ってた! 携帯を見てみろ!」


 優菜の怒りも少しも意に介さず、二の腕を掴んで怒鳴り返す。


「え?」


 優菜は慌ててデニム地のトートバックの底から携帯を取り出し、画面を見た。そこには五通のメールと七回の着信記録があった。


「あ、ほんとだ。ごめん。マナーモードにしてたから気がつかなかった」


 優菜には昔から携帯を常にチェックする習慣がなく、それは志朗と付き合い始めてからもあまり変りがない。勤務中は思い出しもしないし、常にマナーモードで、家に帰ってからメールなどのチェックをするのがせいぜいだった。

 一方志朗も割合不精で、毎日はメールしないから似た者同士の恋人だ。彼の無骨な指では小さなボタンを押すのが面倒なのかもしれない。とにかく志朗はちまちまメールを打つ暇があったらどうにかして仕事を早く終わらせ、少しでも早く優菜に会いたいと思うタイプであった。


「今までどこ行ってたんだ! 誰といた!」


 大きな両手ががっちりと肩を掴んで優菜を壁に押し付けた。志朗が怒っている理由を理解した優菜は大人しく、小さな玄関灯を背に、圧し掛かるような瞳を見上げた。


「職場の人と夕食を食べていましたよ」


 静かな声だ。子ども相手とはいえ職業柄、経験を積んでいるので声を荒立てるようなことはしないが、語尾まではっきり発音し冷静に言い返す。激昂している相手にはそれが一番効果的だと知っているからだ。しかし、今回はこんなにたくさんの連絡を無視してしまった負い目があるから大人しく下手にでた。


「女ばっかり三人のお食事会だったのです。本当よ」


「女? 本当か? あいつと一緒じゃなかったのか?」


 男の嫉妬なんて見苦しいのは百も承知だが、沸き起こる疑念の嵐を払拭するまで志朗は問い詰めずにはおれない。


「あいつ? 誰の事を言ってるの?」


 優菜は本当に分からなかったのできょとんとした。


「藤木さんのことだよ! あいつまだお前に気があるんだろ?」


「は? そんなのずっと前の話だわ。それに藤木先生は一緒じゃなかったし」


「ほんとか?」


 でかい体を折ってぐいと顔を近づけ優菜の瞳に真実を確かめる。しかし、そこにあったのは思いっきり嫌悪の表情を浮かべた彼の恋人。


「本当です……志朗? いい加減にしてよね。さっきからその態度は一体何?」


「……!」


 とたんに志朗の背が伸ばされた。これ以上彼女を怒らすのはやばいと、これまでの経験が告げている。


 声が静かなのが尚一層……


 ――恐えぇ


「腕痛い」


「え? あっ、ああスマン」


 志朗は慌てて体を離した。


「……そんなに私が信じられない?」


 低く優菜は問うた。


「いっいや、つまりそのお前のことは信じてる。イヤマジで。けどな……そうだ、あのな。男は一度惚れた相手をそんなにすぐに忘れるもんじゃないんだ! 本気なんだったら尚更な!」


 自分がいい例だ。なにしろ初恋の優菜を十年近くも忘れられなかったのだから。


「……だから?」


「だからってお前……つまり、簡単に体に触れさせたり、見つめ合ったりするなっ……て言ってんの」


 だんだん語尾が弱くなる。


「触れるって? ああ、今日の不審者対応の訓練のこと? あれから体育館で……志朗見てたの?」


「一部始終な!」


「あんな事を気にしてたの?」


「……すっげえ気にした」


 大の男が拗ねたように眼を泳がせるのは可愛いと言えなくもないが、ここでほだされてはいけない。これからの事を考えれば。


「あれは子ども達を守るための訓練で研修で仕事なの。大切な事だわ。」


「そんなもんわかってる!」


「なら……」


「だけど理屈じゃねーの! こういうことは!」


「……」


「俺はお前を見つめる男は誰でもハラ立つ! 触ったりする奴はぶん殴りたくなる。これは男の生理だ」


「そんなこと言ったって……」


 ――男のっていうか、志朗の生理だと思うけどなぁ……


 駄々っ子のような志朗を扱いかねて優菜はついに笑ってしまった。子どもの指導ならここで笑っては良くないのだろうけど。だけど指導だって恋だって、何もかも正攻法通りにいくものではない。


 それに優菜には分かっていたから。


 子どもの頃、自分を苛めていた事を志朗がまだ許せてないないことを。

 自身が過去を許していないのに、優菜がすっかり許してくれている訳がないと無意識で思い込んでいる。

 確かに再会した当初は優菜にも嫌悪感がまつわり付き、態度にも露骨に示していた。その事はまだ記憶に新しい。それもあって優菜の志朗に対する気持ちを信じ切れてはいないのだろう。

 だから、不安になる。不安が疑惑を呼び、勘気かんきを生む。いくら優菜が好きと繰り返しても。

 分かっているから優菜も強くは言えない。好きだから。この一見、強引な男が実は、肌理きめ細やかな優しさと、繊細さを持っていることを今では知っているから。

 ゆっくり分かって貰えたらいい。志朗の気持ちに負けないくらい、今では優菜も彼の事が好きだという事を。


 ――馬鹿なんだから


「笑うな! すっげかっこ悪いことぐらいわかってる! ……いいよ、笑えよ! けど、言っとくが絶対別れねーからな!」


「分かれる?」


「違う! 別れるだ!」


「ああ、別れるって言ったのね」


「別れないって言ってんだ!」


「ふぅ~ん」


 優菜は唇の両端を上げた。


「おま、ワザとやってるだろ?」


「うん」


「畜生!」


 だん! と志朗は優菜の背後の壁に拳を打ちつけた。秀麗な眉が思いきり寄せられ、切なそうに瞼が伏せられる。意外に睫毛が長い。



 ――惚れた弱みって奴か



「あのね、志朗、今日はありがとう」


 唐突に優菜は言った。


「え?」


 驚いて志朗は眼を開けた。そこには穏やかに微笑んだ彼の恋人。ついと伸ばした細い指が志朗の頬に伸びる。


「訓練に協力してくれて」


「別に構わねぇよ。おまえに頼まれてなかったらやってなかったし。……それにかっこ悪いとこ見られた」


「志朗は大切な役目をやってくれたのでしょう? 普通だったらちょっとは照れて冗談交じりになるわよ。でも志朗は手抜きしなかったじゃない」


「そりゃぁやるからにはきちんと悪役しないと。でなけりゃ訓練にならないじゃないか」


「そうね。でも私にはだめだった」


 ちょっと肩を落として優菜がため息をついた。


「何が?」


「さっき志朗に後ろから襲われた時、何にもできなかったもの。せっかく今日訓練したのに」


「ああ……あれは後ろから不意打ちだったからな。今日の訓練ではそんなのやんなかったろ?」


「そうだけど……いざという時に結局何にもできないなんてちょっと凹むわ。志朗はあんなに頑張ってくれたのに。本物みたいだってみんな褒めてた。いい訓練になったって。勿論藤木先生も」


「男に褒めてもらっても嬉しかねぇ。お前に認めてもらうんじゃなきゃあな」


「充分認めているわよ」


 そういうと優菜は伸びあがり、志朗の頭を引き寄せると、とんと唇を寄せた。


「でなきゃ結婚しないわ」


「!」


 ぐっと志朗が詰まる。優菜は笑っている。


「……ヤな女」


「じゃ……止める?」


「いんや、一生離さねぇ」


 がばりと覆い被さる。きつく吸い上げられ、優菜はギュッと瞼を閉じた。強く押し付けられていたものがやっと少し離れた時、薄く眼を開けると、切なげにけぶった瞳とぶつかった。それも束の間、すぐに唇を割って熱く濡れた舌がふてぶてしく侵入してくる。柔らかいはずのそれは荒々しく優菜の口腔内で暴れた。


「は……ふっ」


 絡まった舌が解け、光る糸が尾を引く。お互いの頬にかかる息が荒い。


「酒……飲んだな?」


 自分の唾液で濡れた唇を満足げに眺めて志朗は尋ねた。


「ワインを少しね。フレンチだったから」


「俺も酔わせろ……」


 半袖のシャツの胸元に指をかけ――






「あっ……も……う勘弁して……!」


「駄目だ」


 身をよじって逃れようとする体を組み敷き、喘ぐ顔の両脇で手首を押さえつける。志朗が体をぶつける度、絶えない刺激に悦びよりも切なさに似た表情を浮かべる彼の恋人。


「そんな顔、他の誰にも見せんじゃねぇぞ。いいか」


「ん……」


 不意に志朗が動きを止めた。さっきの仕返しに意地の悪い気持ちになったのだ。

 え? という様子でうっすらと彼を見上げる戸惑いに満ちた瞳。いつにない優菜の様子が妙に幼くて笑える。が、ここは笑ってはいけないところだった。


「い、嫌……なん……で? 志朗……あ! ……ああっ!」


 自由を奪われて焦れる体を視覚的にもたっぷりと堪能した後、志朗は再び動き始める。


「無頼だからな、俺は」


「――っ!」


「容赦がねぇんだ」


 腕に腰を抱え上げ、更に深く抉ると一際高い声が上がった。


 ――堪らねぇ……


 流れる汗が目に染みた。




「……帰らなきゃ」


 セミダブルのベッドの隅で優菜が身じろいだ。このベッドは以前、本店の四階で志朗が使っていたもので部屋の殆どをふさいでいるが、志朗の体ではシングルベッドでは狭すぎるために仕方なく持ってきていた。

 内装が完成し、家具を揃える段になったら、寝室にはもっと大きなベッドを置こうと志朗はひそかに計画している。それこそどんなに二人ではしゃぎまわっても大丈夫なように。


「いい。寝てろ。泊っていけ」


 身を起こそうとした優菜の肩に手を回し自分に引き寄せる。素直に優菜の体が崩れ、流れる長い髪が胸を(くすぐ)った。


「だって、明日も仕事だし……服変えなきゃ……」


 時刻は夜半を過ぎている。


「明日の朝早く送って行ってやる。寝てろ」


「……うん」


 ぐっと腕を回し、横向きになると細い体を足の間に抱き込む。空調は程よく効いているのに志朗の体に挟まれると体中が熱くなる。


「やん……そんな風に抱え込まれたら眠れない」


「そうか? 俺は今すぐにでも眠れる。もう一回させてくれるんなら別だけども」


 志朗は熱い自分の体を押し付ける。そこはもう既に変化の兆しがあった。


「もう……無理」


 声がやや掠れている。何度も求められた挙句のこの始末。明日の朝までに回復しているだろうか?


「じゃあ、あきらめて寝ろ。疲れてんだろ? 激しくして悪かったな。何しろ俺は『無頼漢』って訳だから」


「変な言葉気に入ったわねぇ……」


「うるせぇ……寝ろ」


「うん。絶対に起こしてね」


「任せろ」


 最後にもう一度口づけると信じられないほど速やかに志朗は寝入ってしまった。優菜が囁いたお休みの言葉も届いていないだろう。


 ――この寝付きのよさは奇跡だわね


 最後にそう考えて優菜も志朗の胸に頬を寄せた。







「……今日の研修はどんな内容なんだ?」


 もやがわずかに残る朝の空いたバイパスを転がしながら志朗は尋ねた。


「救急救命法。AEDの使い方の確認とか。プールでやるのよ。水泳授業に従事する者の義務として」


「えっ……それって」


「なぁに?」


「まさか水着を着てやる?」


「訓練だもん、あたりまえじゃない」


「そんでもって人工呼吸とか?」


「そう、よっく知ってるわね。後、心臓マッサージの練習とか。心肺蘇生法っていうんだけどね」


「お前の学校じゃそのテの研修しかしねぇのかよ! タマには生活指導とか、学力不振の児童のためにとか、そーゆーたぐいの研修しろってんだ!」


「そう言うのも無論あるけど。今日は救急救命法なのです」


「……」


 黙り込んだ志朗を不思議そうに優菜は眺めたが、その時優奈のハイツの裏の農道に着いた。いつも志朗が優奈を降ろすところだ。脇に小さな倉庫が建っており、人目に付かない。志朗はいそいそ車を降りようとする優菜の腕を掴んだ。


「優菜……今日は休め」


 人工呼吸に心臓マッサージ。いずれも優菜がされるなんて、志郎は絶対に我慢ならない。


「っはぁ?! 何言ってんの?」


「押さえつけてでも行かせねぇ」


 ぐいと手首を掴む。しかし、優奈はその手をぐいと自分の方に引き寄せる、勢いよく払った。


「うわ!」


 志朗が唖然としているすきにするりとシートを降りる。


「やった! 外れた !私もなかなかやるわね。やっぱり訓練って大事だわね~じゃあね!」


「……ゆ……!」


「あ、そうだ。言っとくけど、心肺蘇生法は模型の人形を使ってやるから! ヤキモチ焼かないでね。それと水着の上にはジャージ着てるし。日焼け嫌だもん。あ、それから!」


「っんだよ! まだあるのかよ!」


 大いに気を悪くして志朗は叫んだ。


「今日も迎えに来てね!」


 そういうとくるりと踵を返して優菜はハイツの階段を駆け上がっていった。音は響かせないようにつま先だけでリズムを刻んでいく。朝日を浴びてつややかな髪が背中で跳ねる。最後に振り返って志朗に向って手を振ると魔法のようにその姿は消えた。


「……やられた」


 志朗は苦笑いをしながらポケットに両手を突っ込み、空を見上げた。


 朝の空は白っぽく輝いている。午後には入道雲がむくむくと頭をもたげるだろう。


 ――今夜も無頼だな。せいぜい訓練しろよ、優奈




 夏休みはあと僅か。

 今日も暑くなるだろう―――







教師の研修にはいろんな種類があるようです。センセイ達は夏休みもヒマじゃありません。登場する訓練は実際に取材して書いてますので、概ねあってると思います。AEDとは自動体外式除細動器の事です。


ちらと出てきましたが、漸く二人はゴールインするようです。再会して三年目、完結して二年目の春になるようです。

番外編は後一話更新する予定です。

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