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後日譚 2 校庭に立つ男

「あ……雨が上がったんだわ……」




 夢中で袋詰め作業をこなしていた優菜は、手元が金色に染まったのを見て顔を上げた。印刷室の片側は運動場に面していて、そこからいっぱいの光が射し込んでくる。

 単純作業で凝った肩を、こきこきと解しながら窓辺に立つと、真正面に大きな夕日が見えた。遠くの山並みが藍色に見えるのとは対照的に、運動場には大きな水たまりができていて、それぞれが黄金色に輝いている。


 静かだなぁ……


 日曜日。休日の午後の学校にはさすがに誰もいない。

 普段なら子ども達の声が溢れているグラウンドも、教室も、今日は……。


 自宅でゆっくり過ごしていた優菜が緊急に書類の手直しを頼まれて、慌てて職場に来たのが三時ごろ。明日の研究会で配る資料に一部訂正があるから直してくれないかと、教務主任から電話がかかってたのだ。教務主任の自宅は職場から遠く、急きょ近い所に住んでいる優菜を拝み倒してプリントを印刷し直し、封筒に入れる事を頼まれたのだった。

 学校にやって来た時には雨の気配はなかったが、印刷機を動かしている内に、急にあたりが暗くなり遠雷が聞こえたと思うと、空の底が抜けたような土砂降りになった。


 雨粒は大きく、バラバラと、木々や倉庫のトタン屋根を打ちつけ、一時は印刷機の機械音さえ掻き消すほどとなっていたが、それよりも優菜を驚かせたのは間近で聞こえた雷で、電光が走ったかと思うと、すざまじい音が校舎内響き渡り、一人きりで作業をしていた優菜を竦みあがらせた。

 幸い一時間ほどで、激しい雨と雷鳴は過ぎ去ったが、その後もじとじとと雨は半時間ほど降り続け、傘はあるものの自転車で来てしまった優菜は、帰りに難渋するなぁと思いながらもくもくと仕事をしていたのだった。


「よかったぁ、通り雨だったのね」


 優菜は窓を開けてみる。


 九月に入ってからも盆地にあるこの街は、残暑が厳しく蒸し暑い日々が続いたが、雨が湿気と暑気をさらってくれたのか、開け放った窓からは涼しい風が入ってきて髪と頬をなでてゆく。


「さぁ、早いところ片付けちゃおう」


 袋詰めはあと三十部ほどで終わる。月曜日の研究会には近隣の市や町の公立の小中学校の管理職が集まるので、明日までにはきちんと書類を整えておかなくてはならなかった。車でも時間がかかる大きな町に住んでいる教務主任からは盛大に感謝をされるだろう。

 優菜は書類とパンフレットを詰めたA4の茶封筒の数を確認すると、大きな段ボールに入れ、ロッカーにしまう。思ったより手間がかかったが、これで頼まれた仕事は終わったはずだった。

 その時、傍の椅子にかけてあったバッグから、聞きなれた呼び出し音が鳴る。 このメロディを送ってくる相手は一人しかいない。


「もしもし?」


『おお、今どこ?』


「学校」


『おお! ビンゴ! 俺って結構すごいかも』


「一体何の話?」


『いいから下見ろ、下!』


「は?」


 優菜は言われたとおり、さっき変えた窓からグラウンドを見下ろす。運動場の真ん中に、大きな男が立っており、手を振っていた。


「……なんであなたがいるのよ?」


 努めて嬉しそうな声を出さないようにしながら優菜も手を振った。


『さっき、でけぇ雷が鳴っただろ? 俺ちょうど配達でお前んちの近く通ったから、寄ってみたんだ。そしたら留守でさ。携帯鳴らしても出ないし』


「ああ、印刷機と雨の音で聞こえなかったんだわ。着信音はもともと小さくしてあるし……」


『俺も大口の配達があったから、とりあえずそっちを回ってからひょっとしてて思ってガッコに来てみたら案の定、窓があいてるしな』


「窓があいてるからって私がいるとは限んないでしょ?」


 優菜は呆れてつい声が大きくなった。向こうのフェンスの向こうに小さなトラックが止まっている。荷台にかぶせたシートにも雨が溜まり、キラキラと輝いているのが見えた。


『だから、すごいんじゃないか。なんか俺ってお前に関してだけは、どう言う訳かセンサーが働くんだよな。それで、仕事は終わったのか?』


「うん、たった今」


『だったら、早く降りて来い。帰るぞ!』


 それきり電話は切れて、もう一度志郎が大きく手を降る。優菜も仕方なく振り返して戸締りをした。




「お待たせ」


「おう」


 優菜は運動場の真ん中まで注意深く歩いて来た。水はけのいいグランドではあるが、雨が上がったばかりの今はさすがに水溜りができている。ズックを履いていなければ正門に回ってもらう所だったが、何となく広い空間の中心に立っている志郎が格好よく見えてしまったのだ。


「でも、どうやって中に入ったの? 私は正門も中から鍵をかけていたのに」


「そんなの、お前……昔取った杵柄てやつさ。学校なんていくらでも忍びこめるぜ」


 無駄に自慢げに志郎は胸をそびやかした。


「まぁ」


 そういえばこの男はガキ大将だったんだと、優菜はため息をつく。


「いい加減にしないと不審者扱いされて通報されるわよ?」


世知辛せちがらいねぇ……けど、この運動場変わってねぇなぁ……こっちに砂場と高鉄棒。向こうに用具倉庫と水道。ボール棚の位置まで一緒だぜ」


「そぉなの?」


「そぉだよなぁ。おまえは少ししかいなかったもんな……あ、ほら、見てみ?」


 優菜は志郎が見ている背後を振り返った。真正面から夕陽を受けて、白い校舎がオレンジ色に染まっている。それは暖かい色だった。


「きれいね」


「ああ……きれいで懐かしい」


 志郎はいつになくうっとりとしながら校舎を眺めている。夕日に背を向けているので、整った鼻筋がくっきりと浮かび上がった。


「……心配してくれたのね? 雷が激しかったから」


 思わず見とれてしまいそうになる自分を引き戻しながら優菜は聞いてみた。志郎はすぐさま振り返り、白い歯を見せてにっと笑う。


「そだぞ。お前、意外に意気地ないところあるからな」


「……そぉかもね」


 涼しい風が吹き過ぎてゆく。校舎脇のけやきの梢がさわさわと揺れた。


「夏も終わりね」


「ああ、そうだな……」


 かつて、この場所で出会った二人は、夕日を受ける校舎を見上げながらつぶやいた。古い校舎は当時とその姿をほとんど変えず、今も昔も子ども達を見守り続けている。




「さ、帰るぞ」


 志郎は大きな背中を向けた。両手をポケットに突っ込んだ姿が長い影になって、濡れた土の上に伸びていた。長い脚が大きな水たまりを軽々と飛び越えてゆく。


「うん」


 優菜も真似して飛んで見る。思いのほか身は軽く、一足飛びに志郎に追いつく。


「お、羽山先生、意外に若いねぇ」


 にやりと笑って志郎は振り返った。


「意外は余計です。あなたと同じ歳なのよ」


 優菜も同じように笑い返し、太い腕の隙間に自分の腕を突っ込んだ。


「はっは! それもそうか。ほれ、跳ぶぞ!」


「わ!」


 二人は真っ赤な水たまりを一緒に飛び越えながら、初秋のグラウンドをどんどん横切った。




 ヒグラシの鳴き声が聞こえる。雨が上がったことを知らせているのだろう。逝く夏を惜しむかのように、哀愁を帯びた音があちこちの梢から二人に降り注いだ。







完結したのが三月。この時点で九月だから、半年後くらいですね。

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