後日譚 1 髪長姫
完結から二ヶ月後ぐらいのお話。
優菜は無事学年を持ちあがり、六年生の担任になりました。
志郎はそれまで聴いていたポッドのイヤホンを外し、しばらく天井を見ていた。そして、やおら行儀悪く寝そべっていたクッションの上に肘をつき、傍らの優菜を見上げて尋ねた。
「なぁ、前から聞きたかったんだけど……」
言ったとたんに「やべぇ」と後悔する。
優菜は小さなテーブルの上にノートを広げ、勉強に余念がなかった。もうすぐ新しい単元が始まる。初めての授業内容なので、しっかりと準備をしておかないと落ち着かないから、しばらく放っておいてと、先ほど厳しく言われていたのだ。
だぁら手持無沙汰になった志郎は仕方なく、めったに聴かない音楽を聞くともなしに聞いていたと言う訳だった。
「んん~?」
てっきり怒られると思った志郎だが、優菜から軽い返事が返ってきた。もっとも、振り向いてくれた訳ではないが。これなら少しかまってもらえそうだと、志郎は腕を伸ばして結んである髪を弄んだ。
「なぁ、ラプンツェールって何?」
「ええ!?」
驚いたように優菜は振り向いた。ラグの上にだらしなく寝そべった志郎はそれを満足そうに見上げる。
「どうしてあなたがそんなことを知ってるの?」
「知らない。だから聞いてるんだ」
「だって、どこからラプンツェールなんて言葉を仕入れてきたの?」
「お前から」
「え! 私? そんなこと言った覚えないけど……」
今度こそ体の向きを変え、優菜は相変わらず自分の髪をいじっている志郎を見つめる。
「言ったさ。十年以上前にな」
「……」
「なぁ、教えてくれよ」
「……ネットで見たら?」
「いやだ。お前から教えてほしい」
「……」
「なぁ」
「……笑わない?」
「笑わない」
「なら言うけど。……ラプンツェルって言うのはね。童話に出てくるお姫様のこと。和訳では『髪長姫』って言うのよ」
「へぇ~、髪長姫か。いいじゃないか。それでどんな話なんだ?」
「本当のお話はよく知らないんだけど、昔私が読んだ童話では塔の上に閉じ込められたお姫様が、自分の長い金の髪を編んで垂らし、王子様がそれをつたって会いに来るの」
「髪をつたって……そらすごいな。愛の力でか」
「ええ。その絵本の挿絵がすごくロマンチックで私、すごく憧れてね……『ラプンツェール、ラプンツェール、金の梯子を編んでおくれ……』ってね」
夢見るように優菜は睫毛をそよがせる。
「ふ~ん……だからお前、ずっと髪を伸ばしていたのか?」
「え!? なんで知っているの?」
「だからお前が言ったんだよ。昔、小学校の時。なんで髪を伸ばしてるんだって聞いたら、ラプンツェールみたいだからって言ったろ?」
「そんなことを私が?」
「ああ、俺、何のこったかさっぱりでさ、聞くのも癪だし黙ってた」
「そんなことずっと覚えてたの?」
「ああ。そんで時々思い出してた。いったい何のことだろうってさ、そんでお前のことを思い出してた」
「……なんで、今頃そんなことを?」
「いや……その……たまたま今、『栞のテーマ』って曲を聴いててさ……知ってる?」
「さぁ、急には思い出せないな……どんな歌だっけ、歌ってみて?」
「俺は歌えねぇ。音痴だからな。歌の雰囲気壊してしまう。だけど、歌の最初にやっぱり長い髪の女の事を歌っててさ……俺はその歌を耳にする度、お前のことを思い出してたんだ」
「……本当?」
「いや、いつもは忘れてんだぜ? それはもうすっかりと。だけど、その歌聴いたり、ふとした拍子にラプンツェールって言葉を思い出したりするとお前の顔が浮かんでくるんだ」
「前に夕焼けを見たら思い出すとか言ってなかった?」
「ああそうだ……すごいきれいな夕焼けとか見ても思いだしてた。つまり、白状すると俺は割としょっちゅうお前を思い出してたんだな」
「小学校の時の私を?」
寝そべる志郎を真上から覗きこんで、囁くように優菜が尋ねる。
「ああ、それしか知らなかったんだから……」
繰り返し、思い返してた。思い返しては打ち消して、ずっとあのままだったら俺はどうなっていたんだか――
志郎はぎゅっと眉根を寄せた。
「……優菜、キスして」
「なっ……急に何?」
「してくれたらいい事教えてやる」
「仕事中なのに」
「キスして」
諦めずに志郎は強請った。
「……もう」
ワガママねと言うように、優菜はくすりと唇を上げ、それでもゆっくり顔が降りてくる。目を閉じて志郎は待った。優菜はやわらかく、やわらかく志郎のそれに触れた。
羽のように軽く触れて離れようとした優菜を、志郎は片手でおさえる。そして指で髪を梳きながらがっしりと頭を抱えこんだ。
口づけが深くなる。
志郎はう片方の手でラグに手をついていた優菜の肘を掴んで引き倒すと、仰向けに寝そべった自分の上に乗せてしまった。
「うきゃ」
弾みで唇が離れる。志郎は優菜が転がり落ちないように抱いて支えた。意外に器用な指先が髪を結わえているゴムを抜いてゆく。滑らかな髪は抵抗なくゴムから抜け落ち、密やかな香りを放ちながらさらりと腕に流れた。
「あのさ」
指で髪を梳きながら志郎は天井を見つめている。
「うん」
「お前から聞けなかったら、俺一生ラプンツェルってなんだろうって首を傾げるんだぜ。ずっと、ずっと。うわ~~~切ねぇ~」
めっちゃ切ねぇ……
「だからお前、どこにも行くなよ」
「行かないわ。で、それがいい事?」
「いい事」
「なぁんだ」
「なぁんだ言うな。こんなに素直にお前にメタコケだって言ってんのに」
優菜を腕に抱えたまま、志郎は体をぐるんと反転させた。自分の体重でべっそりと押しつぶしてしまう。
「……じゃ、そう言うことで。イタダキマス」
「あ! 私仕事中なんだった。失礼!」
「イヤだ、聞かねぇ」
「……志郎?」
「ひ」
志郎のよく知る断固とした目つきが彼を一瞬で封じ込めると、優菜は器用に隙間を縫って、よじよじと重い体の下から這い出た。
「今夜中にこの単元をさらっておかなくっちゃ。言うまでもないけど邪魔しないでね」
「……あのちょっと、もしもし優菜さん?」
「静かにね」
未練たらしく手を伸ばしてくる志郎をきれいにシカトして、優菜は一気に仕事に没頭してしまった。
「優菜さ~ん。ゆ~なちゃあ~~~ん。今の俺の話聞いてなかったんですか?」
「え~と……この図は自分で書かせた方がいいかな? チェックしておこう……こっちのグラフはプリントにして……あ、ソフトが要るな……」
「ゆ……」
「煩い」
生意気盛りの腕白坊主でさえこの声を聴けば、縮み上がると言う。志郎にはもうどうする事も出来なかった。
うお~~おあずけかよ~~~
大きな体をラグの上で丸め、志郎はつれない恋人を恨めしげに見上げた。
彼が繰り返し思い返していた長い髪は、優菜がキーボードを打つたびに誘うように揺れる。
しかし、彼のラプンツェールはその後長い事、王子に振り向いてはくれないのだった。
ラプンツェール、ラプンツェルとも言いますが、昔友人の家にこのお話の絵本があって、その挿絵の美しさにうっとりとした事があります。最近は大手外国映画会社で映像化もされたようですね。「栞のテーマ」は無論SASの名曲です。
さて、後日譚は後、数話ありますので、どうぞお楽しみに。
※文中で志郎が言ってるメタコケの意味は、メチャクチャコケてる、つまり首っ丈と言う意味です。昔の漫画にあった言葉をつかわさせて頂きました。おそらく造語でしょうが。どの漫画か分かる人は同じ世代ですね。ぐふふ。