第9話 黒き城門、選別される命
魔王領の最深部、通称「奈落の荒野」。
地図の上では、人間が足を踏み入れてはならない死の領域とされている場所だ。
僕たち勇者パーティは数々の苦難を乗り越え、ついにその中心地へと到達した。
そこには、溶岩が流れる灼熱の大地も、瘴気が渦巻く魔の巣窟もなかった。
あったのは、生物の気配を一切拒絶するような、徹底的な「無機質の静寂」だけだった。
「……これが、魔王城?」
僕は呆然と見上げた。
目の前に聳え立っていたのは、物語に出てくるような古びた石造りの城でもなければ、禍々しい骨でできた要塞でもない。
継ぎ目のない、巨大な「黒曜石の八角柱」だった。
その塔は、定規で引いたように真っ直ぐ空を突き刺し、上層部は分厚い雲の中へと消えている。
装飾も、窓も、凸凹も一切ない。ただ滑らかな黒い鏡面が、拒絶するように荒野の殺伐とした風景を映し返しているだけだ。
あまりに巨大で、あまりに人工的すぎるその姿は、城というよりも、大地に突き刺さった巨大な「杭」のように見えた。
音がない。
荒野を吹き荒れていた風の音さえ、塔の周囲数百メートルではピタリと止んでいる。
代わりに、地面の底から微かに響いてくるのは、腹の底を揺らすような重低音だ。
ブォォォン……ブォォォン……。
まるで巨大なサーバーが駆動しているような、一定のリズムを刻む機械音。
生き物の気配が全くしないその威容に、僕は本能的な嫌悪感を覚えた。
(これは城じゃない。「機能」の塊だ……)
僕たちは、塔の基部にある巨大な「正門」の前に立った。
高さ二十メートルはある一枚岩の黒い扉。だが、そこには取っ手も鍵穴も見当たらない。ただの黒い壁だ。
「なによこれ、どうやって開けるのよ!」
フェイが苛立ちを露わにし、愛用の杖を構えた。
「開かないなら、壊すまでよ! 邪魔な壁は吹き飛ばすに限るわ! 『爆縮』!」
彼女が放った極大の爆裂魔法が、扉に直撃する。
ドォン!!
凄まじい衝撃波が巻き起こり、砂煙が舞う。だが、煙が晴れた後、扉には傷一つ付いていなかった。それどころか、魔法の余波が扉の表面に波紋のように吸い込まれ、霧散してしまったのだ。
「魔力が……吸収された?」
フェイが驚愕に目を見開く。
ミラが杖で扉をつつき、冷静に分析した。
「物理干渉、魔力干渉、ともに無効化されています。外部からの破壊は不可能ですわ。……おそらく、正規の手順(アクセス権)が必要なのでしょう」
そして、彼女は僕の方を向いた。
「カイル様、貴方が触れてみてください」
「僕が?」
「ええ。貴方は選ばれし勇者なのですから。この扉も、貴方の訪れを待っているはずです」
言われるがまま、僕は恐る恐る黒い鏡面に手を伸ばした。
冷たい。氷のように冷たく、そしてどこか吸い付くような感触。
指先が触れた瞬間。
ヒュンッ。
左手の指輪が激しく共鳴し、赤く発光した。それに呼応するように、扉の表面に幾何学的な赤い光のラインが走った。
『認証。生体ID確認。――コード・ブレイブ。入室を許可します』
頭の中に直接響くような、性別のない無機質な音声。
次の瞬間、ズズズ……と重い音を立てて、巨大な扉が左右にスライドし、闇の口を開けた。
「開いた……」
僕は自分の左手を見つめた。
聖剣の力じゃない。僕の魔力でもない。
まるで、僕という「生体」そのものが、この場所へのアクセスキーとして登録されていたかのような、あまりにスムーズな開錠だった。
「さすがカイル様! やっぱりこの城も、貴方にひれ伏したのね!」
フェイが無邪気に喜ぶ。だが、僕の胸のざわめきは消えなかった。
ひれ伏したのではない。「部品」が到着したから、搬入口が開いただけではないのか?
塔の内部は、外観以上に異様だった。
松明などの照明器具は一切ない。壁や床に埋め込まれた青白いラインが、まるで血管のように明滅し、長い回廊を淡く照らしている。
埃一つ落ちていない。カビの匂いもしない。病院の手術室よりも清潔で、冷たい空気が満ちている。
「敵影確認。前方、四体」
エリスが警告する。
通路の奥から音もなく現れたのは、魔物というより「警備ロボット」に近い存在だった。
のっぺりとした黒い人型の影。目も口もなく、武器も持っていない。ただ、両腕が鋭利な刃物のように変形している。
彼らは無言で、一直線に僕たちの急所を狙って滑るように迫ってきた。殺気がない分、その動きは機械的に正確で速い。
「邪魔よ!」
フェイが飛び出し、杖を一閃させる。
風の刃が先頭の一体を両断する。
ザシュッ。
胴体を切断された敵が倒れる。だが、死骸は血を流さなかった。
傷口からさらさらとした光の粒子となって崩れ落ち、そのまま床の青いラインへと吸い込まれて消滅したのだ。
跡形もない。まるで、不要になったデータが削除されたかのように。
「……効率的な循環システムですこと」
エリスが感心したように呟く。
「破壊された個体をエネルギーに変換し、城の動力として再利用しているようです。これなら死骸処理の手間もいりませんし、衛生的ですね」
「衛生的……?」
僕は吐き気を堪えた。
「……命が、ただの燃料みたいだ」
ここは戦場じゃない。ただの処理場だ。
僕たちは今、世界を管理する巨大なシステムの内臓部分を歩いている。そんなおぞましい感覚が、足元から這い上がってきた。
無機質な回廊を抜け、僕たちは塔の中層にある広大なホールへと出た。
そこで目にした光景に、僕は思わず足を止めた。
「これは……」
ドーム状の空間には、天井まで届く巨大な円筒状の「水槽」が、林のように整然と並んでいた。百、いや千はあるだろうか。
淡い緑色の液体で満たされた水槽の中には、様々な生物が浮かんでいる。
ドラゴン、キメラ、ゴブリン……いや、それだけじゃない。見たこともない異形の怪物や、人間によく似た素体までもが、へその緒のような管に繋がれ、眠るように漂っていた。
「ここは『工場』ですね」
ミラが興味深そうに水槽の一つに近づき、ガラス面を指でなぞる。
「世界の生態系バランスを保つために、必要な魔物を生産し、あるいは不要になった種をここで廃棄しているのでしょう」
彼女の目の前で、一つの水槽が赤く点滅した。中にいた未成熟なワイバーンの胎児が痙攣している。
『エラー検出。生育不良。廃棄プロセスを実行します』
機械音声と共に、水槽内の液体が急速に濁り、胎児が溶けていく。数秒後には、そこには何も残らなかった。ただの濁った水が排水されるだけだ。
「……あっ」
僕は思わず手を伸ばしかけた。生き物が、生まれる前に「エラー」として消された。
だが、ミラは平然としていた。
「可哀想に。規格外品として生まれるのは不幸ですものね。生まれる前にリセットされて、あの子も幸せでしょう」
幸せ? これが?
僕は胃液がせり上がってくるのを感じた。
魔王軍は、世界を滅ぼそうとしている破壊者じゃなかった。
世界を「管理」し、効率よく運営している管理者だったのだ。
不完全なものを許さず、完璧なものだけを選別し、残りをゴミとして処理する。それが彼らの正義なのか。
脳裏に、アルスの言葉が蘇る。
王都の地下室で、彼が壊れかけたラジオを直していた時のことだ。中の回路は焼き切れ、部品も錆びていた。どう見てもゴミだった。
でもアルスは、それを捨てなかった。
『カイル、こいつはまだ歌いたがってるよ』
アルスは油まみれの手で、錆びたスピーカーを撫でていた。
『エラーが出たから捨てる? 違うな。エラーが出るってことは、どこか具合が悪いって訴えてるんだ。風邪をひいた子供と同じだよ。温かいスープ(新しい油)を飲ませて、ゆっくり休ませて(調整して)やれば、また元気になる』
彼はそう言って、何日もかけてラジオを修理し、最後には見事に音楽を奏でさせてみせた。
『ほら、いい声だろ? ……世の中に、生まれてこなければよかった物なんて一つもないんだ』
アルスなら、この水槽の前でどうしただろうか。
きっと、「エラー」という言葉に激怒し、ガラスを叩き割ってでも、その小さな命を救おうとしたのではないか。
「幸せ」なんて言葉で、消去を肯定したりはしなかったはずだ。
(僕たちは……間違っているんじゃないか?)
勇者としての使命が、足元から揺らいでいく。
僕が倒そうとしている相手は、本当に「悪」なのか? それとも、この効率的なシステムそのものが、世界を蝕む病魔なのではないか?
「カイル様、行きますよ」
ミラの声には、迷いなど微塵もなかった。
彼女はすでに踵を返し、次のエリアへの扉を見据えている。
廃棄された胎児のことなど、もう記憶の片隅にも残っていないのだろう。
僕は重い足取りで彼女たちの後を追った。
塔の最上階。
そこは、城の心臓部にあたる「中枢制御室」だった。
広い円形の部屋の中央に、巨大な「鼓動する結晶」が鎮座していた。
高さ五メートルほどの多面体のクリスタル。
その内部には、無数の光のラインが複雑に絡み合い、血液のように脈動している。
そして、その周囲には無数のモニターが浮遊し、世界中の気温、マナ濃度、魔物の分布図などがリアルタイムで表示されていた。
『警告。侵入者検知。防衛システム、応答なし』
結晶から、あの無機質な声が響く。
『勇者カイル・ロッド。……貴方は、このシステムの「更新」を望みますか?』
「更新……?」
僕は立ち尽くした。
魔王は現れなかった。
ただ、この巨大なクリスタルが、僕に問いかけているだけだ。
「あら、これが魔王の正体?」
フェイがつまらなそうに杖を回す。
「なんだか拍子抜けね。ただのデカい石ころじゃない」
「いいえ、フェイ様。これは『管理者権限』の物理デバイスですわ」
エリスが冷静に分析する。
「これを破壊すれば、現在の魔王軍の指揮系統は崩壊し、私たちの勝利が確定します。……効率的で助かりますわ」
「じゃあ、さっさと壊しちゃいましょ! 『イグニス・ブラスト』!」
「待てッ!!」
僕は叫び、フェイの前に立ち塞がった。
「カイル? 何してるの? どいてよ」
フェイが不満げに頬を膨らませる。
「壊しちゃダメだ! ……これは、ただの石じゃない。世界を管理している『心臓』なんだぞ!」
モニターを見れば分かる。
この結晶が、荒れ狂う気候を調整し、魔素の暴走を抑えている。
もしこれを破壊したら、世界はどうなる?
管理者を失った世界は、均衡を崩して崩壊するんじゃないのか?
「だから、何ですの?」
ミラが静かに歩み寄ってきた。
その瞳は、凍てつく湖面のように静まり返っている。
「管理など不要です。……神の御心に従わず、機械的に世界を操作するなど、冒涜にも程があります」
彼女は聖杖を掲げた。
「不浄なる理は、浄化されなければなりません。……カイル様、貴方も『勇者』なら、お分かりでしょう?」
「でも……!」
「カイル」
フェイが冷ややかな視線を向ける。
「あんた、まさか『魔王』に同情してるわけ? ……あんな気味の悪い工場を見て、まだそんなこと言えるの?」
「違う! 同情じゃない! ただ……」
言葉に詰まる。
なんと説明すればいい?
「壊す」ことしか知らない彼女たちに、「直す」ことの尊さを、どうすれば伝えられる?
『勇者カイル。……選択してください』
結晶の声が響く。
『破壊か、維持か。……貴方の「指輪」は、すでに答えを知っています』
ドクン。
左手の指輪が、焼きごてを当てられたように熱くなった。
心臓が鷲掴みにされるような激痛。
視界が赤く染まり、思考が強制的に塗り潰されていく。
『――排除せよ』
脳内に直接響く命令。
それは僕の意志ではない。
だが、僕の体は操り人形のように勝手に動いた。
「う、あぁぁぁ……ッ!?」
僕は叫びながら、聖剣を振り上げた。
やめろ。止まれ。振り下ろすな。
心の中で必死にブレーキをかける。
だが、筋肉は鋼鉄のように硬直し、聖剣は光を帯びて唸りを上げる。
「さすがカイル様! 迷いを断ち切りましたね!」
ミラの喜ぶ声が聞こえる。
違う。断ち切ったんじゃない。
断ち切られたのは、僕の「心」だ。
「やめ……ろぉぉぉッ!!」
口では拒絶の言葉を叫びながら、僕の体は全速力で結晶へと突進していた。
聖剣アークが、極大の輝きを放つ。
結晶の表面に、自分の顔が映る。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、絶望に歪んだ顔。
パァァァァァンッ!!
硬質な音が炸裂した。
聖剣の一撃が、巨大な結晶を粉々に粉砕した。
光の粒子が舞い散り、モニターの映像がプツンと消える。
塔を支配していた重低音が止まり、完全な静寂が訪れた。
『システム、ダウン。……管理権限、消失』
消え入りそうな電子音声と共に、結晶の残骸は灰色の砂となって崩れ落ちた。
「やったー! 大勝利!」
フェイが歓声を上げる。ミラは崩れ落ちた砂に向かって祈りを捧げている。
僕は、その場に膝をついた。
手の中の聖剣が、鉛のように重い。
まただ。
また、壊してしまった。
世界を維持していた心臓を。
誰かが必死に守ろうとしていた秩序を。
僕はこの手で、修復不可能なまでに粉砕してしまった。
「カイル様、帰りましょう」
ミラが笑顔で僕の手を引く。
「これで世界は綺麗になりましたわ。……さあ、王都へ凱旋です」
僕は立ち上がった。
足元には、砕け散った結晶の欠片が転がっている。
その一つを、僕は誰にも見られないように拾い上げた。
まだ温かい。
まるで、死にたての小動物のような温もりが残っている。
(……ごめん)
僕は心の中で謝罪した。
誰に対してかも分からない。ただ、この完璧で残酷な正義の味方でいることが、死ぬほど苦しかった。
僕はポケットの中の、錆びたボルトに触れた。
指先でその凸凹をなぞる。
そして、拾った結晶の欠片を、ボルトの隣にそっとしまった。
いつか。
いつか、この狂った世界を「修理」できる日が来るまで。
この罪の証を、僕は持ち続けなければならない。
黒い塔を出ると、空には見たこともないほど澄み渡った青空が広がっていた。
あまりに美しく、あまりに空虚な、作り物のような空だった。
第9話 完
【次回予告】
第10話 完成された世界、凍てつく英雄
本日(日) 18:00 公開
魔王の間に待っていたのは、戦いではなかった。
20:00 第11話(真の物語、始動)
※以降は毎日18:00に更新予定です。




