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第8話 届かない手紙、王都のノイズ

魔王領の喉元に位置する最終補給地、「灰の宿場」。

 

そこは、生きている草木が一本も生えない不毛の荒野だった。

 

常に鉛色の低い雲が垂れ込め、吹き付ける風には鼻をつく硫黄の臭いと、湿った灰の味が混じっている。呼吸をするたびに、肺の奥にざらついた砂が溜まっていくような錯覚を覚える、生命にとってあまりに過酷な場所。

 

そんな荒涼とした世界に、一陣のどよめきと歓声が上がった。

 

「王都からの定期便だぞ! 物資が届いた!」

 

「酒はあるか!? 故郷からの手紙は!」

 

砂煙を上げて到着したのは、王家の紋章を掲げた数台の重装馬車と、武装した早馬の列だった。

 

最前線で神経をすり減らし、明日をも知れぬ命を生きる兵士たちにとって、それは単なる補給以上の意味を持つ。平和な日常との唯一の物理的な繋がりであり、自分がまだ人間社会の一部であることを思い出させてくれる命綱だ。

 

兵士たちが我先にと駆け寄り、家族からの手紙や差し入れを受け取って涙を流して喜んでいる。その光景を見て、僕は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。僕たちが戦っているのは、こうした人々の笑顔を守るためなのだと、自分に言い聞かせることができるからだ。

 

そんな中、一人の伝令兵が僕たち勇者パーティのもとへ駆け寄ってきた。

 

「勇者カイル様! アステリア王国より、国王レオン陛下からの激励の書状と、特別補給物資をお届けに上がりました!」

 

伝令兵は直立不動で敬礼し、恭しく豪奢な木箱を差し出した。

 

「あぁ、ありがとう。陛下からか」

 

僕は封蝋ふうろうに押された王家の紋章を確認しながら、努めて冷静に礼を言った。

 

だが、表情とは裏腹に、胸の奥では密かな期待に心臓が早鐘を打っていた。

 

(もしかしたら、この荷物の隙間に……アルスからの手紙が入っているかもしれない)

 

支給された天幕の中で、僕は逸る気持ちを抑えて荷物を解いた。

 

木箱の中には、戦地では絶対に手に入らない貴重品が整然と詰め込まれていた。

 

王家御用達の最高級傷薬、高純度の予備魔石、極寒の地でも体温を保つ魔獣の毛皮で作られた新しいマント。そして、フェイが好む王都の有名店の焼き菓子や、エリスのための最高品質の弦、ミラが使う聖水の瓶など、仲間たちへの配慮も完璧だ。

 

すべてが隙なく整えられている。レオン様の几帳面さと、僕たちへの期待の重さが滲み出ているようだった。

 

僕は箱の底まで手を伸ばし、緩衝材のわらまで掻き分けた。

 

指先に触れる、硬くて温かい「何か」を探して。

 

アルスの癖のある丸文字で書かれた走り書きのメモや、彼が「ついでだ」と言って押し付けてくる、妙な形をした手作りの発明品が入っているはずだと信じて。

 

だが――無い。

 

箱の中身をすべて出し、裏返して振っても、そこには何もなかった。あるのは、レオン様の達筆な文字で『世界の命運はお前にかかっている。アステリアの誇りを見せよ』と書かれた、公的な書状だけだった。

 

「そんな」

 

僕は呆然と呟いた。

 

出発前、あんなに言葉を交わしたのに。聖剣の調整をしてくれたのに。一言も、ないなんて。アルスは筆不精だが、こういう時に何も寄越さないような冷たい人間じゃない。必ず、何か一言でも……。

 

「あの、伝令殿」

 

僕は諦めきれず、天幕の入り口に控えていた伝令に声をかけた。

 

「第二王子……アルス殿下からの預かり物は、無かっただろうか? たとえば、小さなメモとか、工具の欠片とか」

 

「は? アルス様……ですか?」

 

伝令兵は、きょとんとして瞬きをした。

 

その表情には、悪意など微塵もない。ただ純粋な「困惑」があった。

 

なぜ、世界を救う崇高な任務の最中に、あんな無関係な人間の名前が出るのか。なぜ、勇者様が「王家の恥」と呼ばれる人物のことを気にかけるのか。本気で不思議がっている顔だ。

 

「いえ、特に何も承っておりません。あの方は地下工房に引き籠もっておられますので、今回の公務には一切関与されておりません。……何か、重要な用件でも?」

 

「いや、いいんだ。ありがとう」

 

僕は乾いた笑みを漏らすしかなかった。

 

そうだ、僕たちの関係は公務じゃない。家族だ。幼馴染だ。

 

でも、この世界という巨大なシステムにとって、アルス・アステリアは「戦力外」であり、存在しないも同然の扱いなのだ。輝かしい勇者の荷物に、無能な王子の手紙が混ざることなど、あってはならないエラー(不具合)なのだろう。

 

「おいしーい! さすが王都のお菓子ね!」

 

「エリス、そっちの矢の補充はどう? 十分かしら?」

 

背後では、フェイたちが嬉しそうに物資を分け合っている。

 

彼女たちの世界は完結していた。そこに、アルスの不在を嘆く隙間など、1ミリも存在しなかった。

 

夜になり、冷たい風が吹き荒れる中、兵士たちは焚き火を囲んで暖を取っていた。

 

僕は眠れずにテントを出て、あてもなく宿場内を歩いていた。パチパチという薪の爆ぜる音に混じり、風に乗って兵士たちの話し声が聞こえてくる。酒が入っているのか、声は大きく、遠慮がない。

 

「でさ、聞いたか? 王都の噂」

 

「ああ、あの『すす王子』の話だろ? まだ王宮の地下で、怪しいガラクタばかり作って遊んでるらしいぜ」

 

下卑た笑い声。僕は足を止めた。

 

物陰から覗くと、数人の兵士がワインボトルを回し飲みしながら、ニヤニヤと話している。

 

「まったく、兄のレオン陛下や、ご友人のカイル様はこんなに立派なのになぁ。同じ王家の血を引いてて、才能がないってのは惨めなもんだ」

 

「なんでも、勇者様の聖剣も、あいつがこっそり偽物とすり替えたんじゃないかって噂だぜ。自分だけ魔法も剣も使えないからって、嫉妬してさ」

 

「うわ、ありそうで怖ぇな。魔道具いじりなんて陰気なことやってる奴は、何考えてるか分かんねぇよ。……いっそ、廃嫡にしちまえばいいのにな」

 

カッ、と頭に血が上った。

 

聖剣の柄を握る手が、白くなるほど強く震える。

 

違う。アルスはそんな奴じゃない。

 

誰よりもこの剣を大切にし、僕のために指を傷だらけにして研いでくれたのは彼だ。彼の作る道具はガラクタなんかじゃない、僕たちの命を救ってくれる奇跡の結晶なんだ。

 

彼がいなければ、僕はとっくに野垂れ死んでいた。お前たちがこうして笑っていられるのも、彼が剣を整備してくれたおかげなんだぞ。

 

「っ!」

 

僕は焚き火の輪に踏み込み、怒鳴りつけようとした。

 

訂正させてやる。謝罪させる。アルスは僕の大切な、尊敬する親友なんだと叫んでやる。

 

だが、喉元まで出かかった言葉は、声にならずに張り付いた。

 

左手の指輪が、冷たく脈打ったからだ。

 

『――やめろ』

 

理性の声が、あるいは指輪の意思が、僕の脳内で警告する。

 

(もし僕がここでムキになって否定したら、どうなる?)

 

『勇者様が、あの無能な王子を庇って激怒した』。そんな噂が広がれば、どうなる?

 

民衆はアルスを見直すだろうか? いや、逆だ。「勇者様は優しいから、ダメな友人を庇っているんだ」「やっぱりあの王子は勇者様の足を引っ張っている」と、アルスは余計に惨めな道化として嘲笑の的になるかもしれない。

 

あるいは、「勇者の精神状態が不安定だ」と判断され、王宮からアルスへの監視が厳しくなるかもしれない。彼から、あの自由な地下室さえも奪ってしまうかもしれない。

 

僕は立ち尽くした。

 

英雄という立場が、僕の口を塞ぐ。僕が動けば動くほど、アルスの立場が悪くなる。一番大切な人を守るための言葉さえ、僕は「正しさ」のために飲み込まなければならないのか。

 

兵士たちの無遠慮な笑い声が、耳鳴りのように頭の中で反響し続けていた。僕は逃げるように踵を返し、闇の中へと戻っていった。

 

「……カイル様?」

 

天幕の陰から、鈴を転がすような優しい声がした。

 

聖女ミラだ。

 

彼女は白いフードを深く被り、月明かりの下で祈るように立っていた。

 

「眠れませんか? 明日に備えて、休息を取られたほうが……」

 

「……ミラ」

 

僕は縋るように彼女の名を呼んだ。彼女なら、聖女である彼女なら、きっと正しい答えをくれるはずだ。

 

「ねえ、ミラ。……アルスは、本当に無能なのかな」

 

「え?」

 

ミラは驚いたように目を見開いた。

 

「どうして、そんなことを?」

 

「兵士たちが話していたんだ。アルスは王家の恥だって。僕の足を引っ張ってるって。……でも、違うよね? 彼は僕の大切な親友で、彼の作る道具だって……」

 

「カイル様」

 

ミラは僕の言葉を遮り、そっと僕の手を包み込んだ。その手は温かく、柔らかい。まるで、傷ついた心を包帯で巻いてくれるような慈愛に満ちていた。

 

「皆が何を言おうと、カイル様のお心が揺らぐ必要はありません」

 

彼女は微笑んだ。それは、すべてを許し、すべてを受け入れる聖母の微笑みだった。

 

「アルス様がどのような方であれ、それは些細なことです。……大切なのは、カイル様が『勇者』として、穢れなく輝き続けることだけなのですから」

 

「……え?」

 

僕は違和感を覚えた。

 

彼女はアルスを肯定も否定もしなかった。ただ、「どうでもいいこと(些細なこと)」だと言い切ったのだ。

 

「もし、アルス様がカイル様の心の『おり』になるようでしたら……いつでも仰ってください」

 

ミラの手から、淡い光が溢れ出す。それは浄化の光。傷を治し、病を癒やし、そして不純物を消し去る奇跡の力。

 

「私が、その悩みを『浄化』して差し上げますわ。……苦しい記憶も、迷いも、すべて綺麗に洗い流して、真っ白にして差し上げます」

 

その言葉を聞いた瞬間、僕の背筋に氷柱を突き刺されたような戦慄が走った。

 

(浄化……?)

 

彼女は言っているのだ。アルスへの想いが苦しいなら、アルスごとその記憶を消してしまえばいい、と。

 

彼女にとって「救い」とは、問題を解決することではない。問題そのものを、最初からなかったことにしてしまう「消去」のことなのだ。

 

「……いや、いいんだ。大丈夫」

 

僕は慌てて手を振りほどいた。

 

怖かった。

 

彼女のその純粋すぎる善意が、何よりも恐ろしかった。もし彼女に身を委ねれば、僕は楽になれるだろう。アルスのことで悩むこともなくなり、完璧な勇者として笑顔でいられるだろう。でも、その時、僕の中に「アルス」という人間は存在しなくなる。

 

「そうですか? ……無理はなさらないでくださいね」

 

ミラは残念そうに、しかし変わらぬ微笑みで言った。彼女には悪気などない。ただ、僕を「完璧な勇者」という名の無垢な人形に保ちたいだけなのだ。

 

「……おやすみ、ミラ」

 

僕は逃げるように天幕へと潜り込んだ。

 

暗闇の中で毛布を被り、耳を塞ぐ。けれど、指輪システムの冷たい脈動と、兵士たちの笑い声、そしてミラの「浄化」という言葉が、いつまでも頭の中で渦巻いていた。

 

アルスからの手紙は届かなかった。世界は彼を忘却し、彼を嘲笑い、彼を消そうとしている。

 

(……アルス)

 

僕はポケットの奥の、錆びたボルトを握りしめた。

 

あの日、彼が地下室で何気なく放り投げた、何の変哲もない鉄屑。でも、この冷たい感触だけが、彼が実在したという唯一の証拠だった。

 

世界中が彼を否定しても、僕だけは忘れない。絶対に、忘れてやるものか。

 

僕は歯を食いしばり、涙が滲む目を閉じた。遠い王都の地下室で、今もハンマーを振るっているはずの親友の姿を、瞼の裏に必死に焼き付けながら。

 

第8話 完

【次回予告】

第9話 黒き城門、選別される命

明日(日) 12:00 公開

ついに到達した魔王城。そこに瘴気はない。魔物の咆哮もない。

あるのは、ただ静かに駆動する「巨大な管理システム」だけだった。

18:00 第10話

20:00 第11話(真の物語、始動)

※以降は毎日18:00に更新予定です。

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