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第6話 虚飾の凱旋、剥がれない仮面

城塞都市ルークの夜は、狂ったような明るさに包まれていた。

 

無数の松明が焚かれ、煙と油の焦げる匂いが夜風に混じって鼻腔を突く。

 

家々の窓からは明かりが漏れ、通りという通りを埋め尽くした人々が、興奮のあまり頬を紅潮させて叫んでいた。

 

「勇者カイル万歳! アステリア王国万歳!」

 

「見てくれ! あの聖剣の輝きを! 俺たちの希望だ!」

 

圧倒的な音と熱の暴力。

 

大通りを行進する僕たちに対し、彼らは汗まみれになりながら押し寄せ、英雄を一目見ようと必死に手を伸ばしてくる。酒の匂い、土埃の匂い、そして熱狂した人間特有の生暖かい体臭。それらが混然一体となって、本来なら僕の五感を圧倒するはずだった。

 

「勇者様! 握手を! 一生のお願いです!」

 

最前列の男が、警備の兵士をすり抜けて飛び出してきた。

 

泥だらけの手。

 

爪の間には土が詰まり、掌は労働で分厚く硬くなっている。だが、その手は温かそうだった。僕が求めている「生きた人間」の温度がそこにある気がして、僕は反射的に手を差し出した。

 

「ああ、ありがとう――」

 

バチッ。

 

静電気のような音がして、男の手は僕に届く直前で、見えない壁に阻まれたように空中で止まった。

 

「……え?」

 

男が目を白黒させる。

 

僕も呆然と自分の手を見た。

 

男だけではない。興奮して駆け寄ってくる子供たちも、花束を投げ入れようとする女性たちも、誰ひとりとして僕たちに半径一メートル以内へ近づけない。まるで、透明なカプセルの中に閉じ込められているかのようだ。

 

「汚いじゃない。病気でも移されたらどうするの?」

 

隣を歩くフェイが、唇の動きだけで僕にそう囁いた。

 

彼女は愛用の杖を優雅に振るいながら、周囲に圧縮した空気の防壁エア・カーテンを展開していたのだ。彼女の瞳には、熱狂する民衆への感謝など微塵もない。あるのは、泥水を避けて歩く猫のような、生理的な嫌悪感だけだった。

 

「みんなありがとう! 気持ちはしっかり受け取ったわ!」

 

次の瞬間、フェイは民衆に向けて極上のアイドルスマイルを振りまいた。

 

「きゃあぁぁ! フェイ様が笑ったわ!」

 

「魔法の壁だ! 勇者様たちは輝きすぎて、近づくことさえ恐れ多いんだ!」

 

民衆は透明な壁があることを、「神聖なオーラ」だと解釈し、感極まって涙を流している。

 

僕はその不可視の断絶の中で、ひきつった笑みを浮かべるしかなかった。物理的な距離はゼロなのに、僕と彼らの間には、決して越えられない深淵が横たわっていた。

 

歓迎パレードは続く。

 

仲間たちの振る舞いは、今日も完璧だった。完璧すぎて、恐ろしいほどだ。

 

「さあ、お祝いの光よ!」

 

フェイが指を鳴らすと、夜空に極彩色の魔法花火が打ち上がる。

 

ドォン、パァァァ……!

 

爆発音すら音楽のように調整された、芸術的な演出。火の粉の一つさえ地上には落ちず、空中で星屑となって消える。

 

「お怪我をされている方は前へ」

 

ミラが沿道で咳き込む老人を見つけるやいなや、杖を一振りする。青白い光が一瞬で老人を包み、次の瞬間には老人は直立不動で「治って」いた。腰の曲がりさえ矯正され、若者のように背筋が伸びている。

 

「おお、痛くない! 神よ!」

 

感謝の言葉を叫ぶ老人に対し、ミラは慈愛の仮面を崩さずに頷く。だがその目は、修理の終わった家具を確認するような無機質さだった。

 

エリスは、群衆から投げ込まれる不格好な手作りの首飾りや手紙を、飛んでくる軌道をすべて予測していたかのように、空中で優雅にキャッチし続けていた。一つも落とさない。一つも汚させない。

 

「ありがとうございます。大切にしますね」

 

彼女は微笑み、首飾りを身につける。

 

だが僕は知っている。彼女が宿に戻った瞬間、それらを「衛生的に問題がある」と言って焼却処分することを。

 

「ほら、もっと手を振って」

 

フェイが小声で急かす。

 

「彼らは『希望』という商品を見に来てるんだから。期待に応えるのがあたしたちの仕事でしょ?」

 

「……あぁ、そうだね」

 

仕事。

 

そう、これは業務なのだ。彼女たちにとって、この熱狂も、民衆の想いも、効率的に処理すべきタスクの一つに過ぎない。

 

僕は聖剣を掲げ、右手を振り続ける。その動きは、彼女たちが操る巨大なパペットの糸に引かれているかのように、自分の意志とは無関係に続いている気がした。僕は英雄なのか。それとも、ただの美しい看板なのか。

 

左手の指輪が冷たく脈打ち、『笑え』と命令してくる。僕はその命令に従い、仮面のような笑顔を顔面に貼り付け続けた。

 

パレードの後、領主である辺境伯の館で祝賀会が開かれた。

 

シャンデリアが眩しく輝く大広間。

 

テーブルには、この辺境では見たこともないような豪華な肉料理や、芳醇な香りを放つヴィンテージワインが所狭しと並べられている。外の兵士たちが堅パンと薄いスープで飢えを凌いでいることを思うと、気が滅入る光景だった。

 

「いやはや、あの『鉄の墓場』をたった一日で制圧するとは! まさに神の御業ですな!」

 

顔を紅潮させた辺境伯が、大げさな身振りで僕たちを称える。

 

「神ではありません」

 

ミラが、ナイフで肉を切り分けながら真顔で訂正した。

 

「適切なリソース管理と、敵戦力の排除予測が正しかっただけですわ。奇跡などという不確定な要素には頼りません」

 

「は、はは……。こりゃ一本取られた!」

 

辺境伯は高度なジョークだと思って豪快に笑ったが、ミラの目は笑っていない。彼女は本気で言っているのだ。命のやり取りを、ただの計算式だと思っている。

 

僕は会話に入り損ね、目の前のステーキを口に運んだ。

 

最高級の牛肉だ。香ばしい焼き目、溢れる肉汁、そして特製のソース。視覚情報は、それが絶品であることを伝えている。

 

だが。

 

(……味がしない)

 

噛み締めても、まるで古びたゴムの塊を咀嚼しているような感覚しかなかった。肉の旨味も、ソースの酸味も、ワインの香りも、すべてが「無」だ。

 

左手の指輪が、摂取した食物を瞬時に分析し、「毒性なし」「栄養価○」「快楽物質不要」と判断して、味覚情報をフィルタリングしているような、無機質な感覚。

 

『栄養素の摂取を確認。効率的です』

 

脳内に響く幻聴。食事さえも、ただのエネルギー補給作業に変えられてしまったのか。

 

ふと、王都の地下室での記憶が蘇る。夜食に、親友のアルスが作ってくれた、具だらけのスープ。残り野菜を煮込んだだけの貧しい料理だったけれど、そこには確かな「味」があった。

 

『ほらカイル、熱いから気をつけろよ。……隠し味にチーズを入れてみたんだ』

 

『美味しい! すごいよアルス、お店が開けるね!』

 

『よせよ。……でも、お前が美味いなら良かった』

 

アルスの少し照れたような笑顔と、スープの温かさ。それが、人間らしい食事というものだった。

 

「……美味しい、ですね」

 

僕は嘘をついた。

 

「でしょう! 我が領自慢の牛ですから!」

 

喜ぶ辺境伯の笑顔を見ながら、僕は恐怖した。痛覚だけでなく、味覚まで。このままでは、僕の中から「人間らしい感覚」が一つずつ削除され、最終的にはあのガーディアンのような、ただ機能するだけの装置になってしまうのではないか。

 

グラスに映る自分の顔は、完璧な勇者の顔をしていた。けれどその瞳の奥には、助けを求める子供のような怯えが、誰にも気づかれずに沈んでいた。

 

「……すみません。少し、風に当たってきます」

 

僕は限界だった。これ以上、この完璧すぎる空間にいたら、自分が自分でなくなってしまう。辺境伯の返事も待たずに、僕は逃げるようにバルコニーへと出た。

 

夜風が冷たい。

 

けれど、その冷たささえも、僕の麻痺した感覚を呼び覚ますには足りなかった。

 

眼下には、まだ祭りの熱気に包まれる城下町が広がっている。遠くで歓声が聞こえる。歌声が聞こえる。世界は平和だ。魔王軍の前線基地を潰し、人々は笑顔で明日を迎えようとしている。僕たちが成し遂げたことだ。素晴らしいことだ。

 

なのに。どうして僕は、こんなにも息苦しいのだろう。

 

僕はバルコニーの手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。満天の星空。その一つ一つが、冷たく僕を見下ろしている。

 

(……アルス)

 

ふと、王都の方角を見る。ここからは遠すぎて、王城の影すら見えない。

 

でも、僕には分かる。今頃あいつは、あの薄暗い地下室で、文句を言いながらハンマーを振るっているはずだ。

 

『ったく、カイルのやつ。また聖鎧をボロボロにしやがって』

 

そんな悪態をつきながら、僕が壊したものを、一つ一つ丁寧に直してくれているはずだ。

 

会いたい。無性に、あいつに会いたかった。

 

あいつの前でだけは、僕は「勇者」じゃなくていい。ただの、少し力が強くて不器用な「カイル」に戻れる。あいつの淹れる泥水みたいに苦いコーヒーも、油の匂いが染み付いた作業着も、不機嫌そうなしかめっ面も。そのすべてが、今の僕には何よりも愛おしく、何よりも必要な「救い」に思えた。

 

「……帰りたいな」

 

言葉が、口をついて出た。世界を救う旅の途中で、決して口にしてはいけない弱音。でも、止まらなかった。

 

「帰りたいよ、アルス。……お前のいる、あの地下室に」

 

僕はポケットから、小さなボルトを取り出した。

 

あの日、地下室を出る時にこっそり持ち出した、錆びついたボルト。何の変哲もない、ただの鉄屑だ。エリスに見つかったら、「不衛生なゴミ」として即座に処分されるだろう。

 

でも、これだけが。この冷たい鉄の塊だけが、僕の手のひらに確かな「重み」と「温度」を伝えてくれる。

 

僕はボルトを強く握りしめた。指輪システムが『異物を検知。廃棄を推奨』と警告音を鳴らすが、僕はそれを無視した。これだけは渡さない。これだけは捨てない。

 

これが、僕が人間であるための最後のいかりだから。

 

「……カイル様?」

 

背後から、鈴のような声がした。

 

振り返ると、エリスがバルコニーの入り口に立っていた。

 

月の光を浴びて、彼女の美しさは人間離れして見えた。まるで、夜そのものが人の形をとったような、冷たく完璧な美貌。

 

「そろそろ出発の時間ですわ。……次の街へ向かうルートが確定しました」

 

「……まだ、夜明け前だよ」

 

「ええ。ですが、今のうちに移動した方が効率的です。魔物の活性化率が最も低い時間帯ですから」

 

彼女は僕の顔色など見ない。僕の手の中にあるボルトにも気づかない(あるいは、気づいていても興味がない)。彼女が見ているのは、常に「未来」と「効率」だけだ。

 

「……分かった。すぐ行く」

 

僕はボルトをポケットの奥深くにしまい込み、仮面を被り直した。

 

「さあ、行きましょう。……世界を救いに」

 

僕は歩き出した。エリスの横を通り過ぎ、光の届かない夜の闇へ。

 

背中で扉が閉まる音が、まるで牢獄の鍵がかけられる音のように重く響いた。

 

待ってろよ、世界。

 

僕が必ず救ってやる。たとえ僕自身が、その過程ですり減って、壊れて、何もなくなってしまったとしても。

 

第6話 完

【次回予告】

第7話 魔王軍三将星、無慈悲な謁見

明日(土) 12:00 公開

現れた魔王軍幹部。彼らは勇者たちを「敵」とは呼ばなかった。

彼らが見ているのは、勝敗ではなく「性能」だった。

18:00 第8話


■明後日(3日目)

12:00 第9話

18:00 第10話

20:00 第11話(真の物語、始動)


※以降は毎日18:00に更新予定です。


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